Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

珍道中(@_@;)3 太郎×正義と東京展

2015年09月10日 09時25分09秒 | 旅行


とうとう旅のメイン、豊橋美術博物館へ。
第一回「東京展」に関するギャラリートークを聞く。

1970年代中頃、
同時期に中村正義によって発足された「人人展」と「東京展」
混同しそうだが、実はまったく違う形式で作られていた。

「人人展」は1974年、7人の作家によって「反体制、反画壇」の美術集団として結成。
「東京展」は1975年、旧態依然とした画壇、美術団体に対する公募展として開催。

つまり「人人展」は公募団体ではない。





ギャラリートークでは、笹木繁男氏を中心に
「東京展」当時の事務局の作家を含めた

参加作家3人が当時の様子を生々しく語ってくれた。
発足当時の様子を知っている人が会にいるのは重要なことだと思った。
なぜなら、創立者中村正義本人をナマで知っているからだ。

人人会では、創立メンバーは全員物故となっているので
当時のことを知る人は少ない。
今いるメンバーはそれを引き継ぐ、子メンバー、孫メンバーで
若手に至っては20代(孫孫?)。
「反体制、反画壇」と言ったところで、
対抗する画壇そのものが無い。
何に対して反旗を翻すというか。

それなのに大抵、何処にいっても
「人人は今でも反体制がコンセプトですか?」と
わざわざ聞かれる。
最近、それが半分は嫌みかも知れないことに気がついた。





中村正義を崇拝する人は多い。
まるで宗教だ、と思ったこともあったけど、
略歴を読むとその凄さは想像以上だ。
絵も天才的に素晴らしいが一方で政治力もあり、
仲間の作家を経済的にも支えた。
(その上、顔も恐ろしくハンサムで病弱で…)
52歳で無くなるが、晩年は絵をあまり描かずに
この「人人展」と「東京展」に力を尽くしたそうだ。

現在「人人展」は美術館側の経営の変化に伴って
公募団体に変わろうとしている。
それは生き残りをかけての苦渋の判断には違いないが
その変化の中で創立メンバーの意思をどのように留めるのか。
会を活性に向かわせる良い機会にしなくてはならない。

なんて気持ちが
「東京展」のメンバーの話を聞きながら、メラメラと芽生えてきた。
私は発火しやすい。だから、私を誘った人は相当な目利きですね。
 
岡本太郎と中村正義「東京展」図録より
左「千手」1965 岡本太郎 P46
右「男と女」1963 中村正義 P39





熱くなった気持ちをかかえながら帰宅。
お土産はゼッタイにこれです。

ヤマサのちくわ


これを田丸屋のわさび漬けでいただきます。

実は、「豊橋」というと、このちくわを連想する。
皮がぱりぱり、味は濃厚。

ビールも最高!

感謝:
ギャラリーサンセリテ

パンリアル美術協会

中村正義の美術館

泉屋博古館
(順不同)



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