INAX REPORT no.168

2006-11-17 23:43:39 | ・読書・新聞・メモノート
INAXショールームは銀座の入り口にあって、住所的には京橋となる。
建物が、緩やかにカーブしていている中央通りの位置にあるため、
9階ギャラリーの窓からは、銀座の中央通りがまっすぐ見渡せる。
そう、美しい銀座を一望できる私のお気に入りスポットなのである。
特に夜景は華やかな銀座の夜の顔を映しだす。

さて、INAXレポートなる季刊誌が発行されている。
冊子そのもの自体に重みがあるのだが、内容が写真も豊富で充実していてすばらしい。
最新秋号の特集は3つ。いずれもずっしりと読み応えがある。
特に著書の解題『神殿か獄舎か』長谷川堯に関する特集 が興味深かった。
時代を画した書籍 大正を通して現代をあぶり出すとの表題がついている。
建築評論家の長谷川堯さんと建築家の内藤廣さんの対談のなかで、
気になったことをメモ的に拾い出してみると・・・

・長谷川さんは早稲田大学文学部美術史の専攻で、卒業後、
 桑沢デザイン所で建築家の篠原一男さんにも学んでいた。
・1965年に平良敬一さんが創刊した『SD』に編集助手として手伝っていた。
・卒論「近代建築の空間性」で評論家デビュー。
・「日本の表現派 大正建築への一つの視点」『近代建築』1968.9~11
 まったく面識のなかった東大生産技術研究所の教授だった村松貞次郎さんから、
 編集部に一通の封書が届いた。お褒めの文面だった。
 「自分は゛明治建築゛を研究してきたが゛大正建築゛という
 あなたの歴史区画に共感できるものがある」と。
・「1890年世代」→今井兼次、村野藤吾、堀口捨巳、山田守
 大正時代に建築教育を受けて、大正時代に建築家としてスタート。
・夭折した後藤慶二や蒲原重雄が生きていたら、
 日本の建築の歴史は変わっていたかもしれない。
 もっと違うものつくっていたろう、村野藤吾につながるような何かを持っていた。
・『後藤慶二遺稿』「過去とも将来とも付かぬ対話」1925
・サルトルとベルグソン、ベルグソンと村野藤吾の間にいたのが有島武郎
・村野氏いわく「私のことを書くなら有島を読みなさい」
・プレゼンティストは実在する人間の現存しか信じ得るものはないという発想。

後藤慶二と村野藤吾が結びつくあたりが、なんとなく私にも理解できる。
自己の表現において、内から湧き出すエネルギーに共通性が感じられる。
しかし、村野さんから作家の有島武郎に流れるとは思いもよらなかった。
(或る女=葉子は傷つきながらも自由奔放に生きたのよね)
長谷川さんは大正建築の生き残りの建築家の一人として、
村野さんに傾いていった、最晩年はすがりついて過ごしていたとのこと。
建築家自身の自己性、独自の想像力が必要だと長谷川さんは語っている。

中谷礼仁さんのコラム文章から。
建築を建てぬ者が、何の後ろ盾もなくペン一本で建築を批判することは、
労多く益少ない作業である。
著『神殿か獄舎か』は、まだ命を削れる余裕があった長谷川が書いた珠玉である。
この論文のプロットの白眉は「豊多摩監獄」を中心に捉えつつ、
その設計者であった後藤慶二と、そこに収監されていたアナーキスト・大杉栄
という同時代の循環・転移を指摘した部分である。

中谷さんは、厳しく豊饒な建築批判がなくなってしまって久しいのを
自らの世代の怠惰にもあると、まだ命の削れるうちに批判を生み出したいとも、
述べられている。

長谷川堯 著『神殿か獄舎か』ますます読んでみたくなった。
後藤慶二にも村野藤吾にも、よりいっそう近づきたくなった。