日曜日、

2011-04-17 23:20:55 | ・今月のまとめ
日中のスーパー、すごくにぎわってた。
そらまめ(さや入り)の詰め放題300円、大人気。
みなさん、これでもかーって、めいっぱい、ビニールからはみ出してるし
でも、ほほえましくて明るく笑える、ちょっと元気もらった。

いろいろ試食試飲も楽しいのよね。
キャロットジュース頂いた、うん、フルーティー自然の甘み☆彡
生食スティックでイケルね。お買い上げ。

アソボー

校庭で水遊びー!!

2008-08-02 01:12:37 | ・今月のまとめ
校庭におっきなビニールプールをふたつ、ホースで水もまきながら、キャッキャッと水遊び、バズーカーみたいなのもあったり、うわぁん、いろいろ水鉄砲でミッチ集中攻撃されたわ。トリガー引くと隠れてたちっちゃなピカチューが出てくる仕掛けの水鉄砲、めっちゃかわいくて「ミッチもほしいー。」って、しんごくんに「どこに売ってるのー?」って聞いたら、イトーヨーカドーかジャスコだって、今度行かなきゃ。

女の子は学校の地味なスクール水着とは別に、今回ビキニはダメよんだけど、カラフルでフレアのスカートついてたり、背中バッテンだったりがよくて、かわいくてうれしかったりするね。やっぱ夏はブールや海で遊ぶの楽しい。小学生の低学年頃から、おとなりの家の子と駐車場スペースに円形プールつくってもらってよく遊んだなぁ。お風呂もいっしょに入って、黄色のお湯のバスクリンが「おおっー。」って感じだった。まだその当時ウチでは使ってなかったから。

でも、とても悲しいこともあった。小学4年生の夏だった。同級生の男の子が海の事故で亡くなった。連絡網でまわってきた。はにかんだ幼い笑顔のまま稔くんはずっと自分の記憶のなか今も永遠変わらず・・今日はそんなこともふと思い出した。お里帰りしたら光恩寺にお墓参りに行きます。

くれぐれもケガや事故のないようみんな楽しい夏休み(学童)を過ごそうね。この前、雲梯から落ちて骨折した女の子、元気に来てます。順調に回復。ちょっとかわいそうだけど、水遊びは足だけ濡らしたよ。

★本日ミッチTシャツのなかのパンちゃん、おつかれちゃん。→↑

5月が終わってた。

2008-06-01 22:51:13 | ・今月のまとめ
実は今日から6月に入ったとさっきまで気づかなくて
来週あたりから、月曜日以降だと思いこんでいたので
ちょっと軽いショック。
ブログの日付みてなかったな。
初々しい紫陽花はみかけていたのだけれど。

春の桜、モクレン、ハナミズキ、薔薇が咲いて、
濃いピンクのアゼリア美しく、花にも季節の順番がある。
そして、また夏には百日紅と夾竹桃に出会うだろうな。


四月を顧みて

2008-05-01 00:22:06 | ・今月のまとめ
今年の一年生、すばらしい、先生たちのお話がちゃんとそれなりに聞ける。うれしいことにふつうなの。そうね、ふつうって何?って、もちろん個が大事なのであって、くらべるのはよくないけれど、どうしても集団行動ですから・・、ああ、ふつうってありがたい(心の声)。二年生になっても相変わらずやりたい放題、ビー玉を投げつける子もいるしね。でも、みんなそれぞれ明るく元気に育ってほしいなと思います。ほんとそう思います。だんだんと陽射しが強くなってくるなぁ、爽やかに五月もガンバロー。

私の趣味分野のケンチクに関してはここ最近の圧倒的な人気の高さに改めて驚いた。木造モダニズム関するふたつの展覧会とシンポジウムにトーク、何百人、どちらも満員御礼で立ち見も出る程にあふれていた。そのおもしろさに気づけばケンチクはどこまでも奥深く楽しい世界だ。歴史はもちろん美術工芸とも文学とも隣り合わせの領域だ。行ったり来たり頭のなかを心のなかを時間を超えて駆けめぐるのだ。ただケンチクファンの裾野が増えるのはよいことだが競争率が高くなって、実際に足を使うフィールドワークの見学会などの抽選にハズレてしまうのは仕方がないとはいえ、ちょっぴりフクザツな心境。特に通常非公開のところは観たいと思ってしまうものね。でも、あくなき好奇心、どんなことがあれ、自分が学び続けることだけはぜったいにやめないでおこう。真摯な気持ちで東京を体感していたい。

対象と懸命に格闘してこそ、

2008-03-31 23:59:20 | ・今月のまとめ
歴史の学び方について記している箇所ですが、なるほど納得なのでピックアップ
★歴史の勉強に際しては、私はまず第一に方法論にとらわれずに対象そのものに付けということを主張します。★歴史の方法と対象とは相互に規定し合っているもので、対象と懸命に格闘してこそ、はじめてどの方法がヨリ有効であり、ヨリ実り多いかということがだんだん分かって来るわけです。★歴史の無限の豊穣さの前に謙虚であればこそ、かえって恐れを抱かずに身体ごと対象にぶつかって行くことが必要なのです。★歴史と現代とをつなぐくさびは言うまでもなく人間です。★歴史の中の人間の動きを注目することによって、それだけ、現実の人間を深く立体的に観察する眼が養われるのですが、逆にまた、現実の人間を見る眼が肥えているだけ、それだけ錯雑した歴史過程のなかに躍動する人間像を浮かび上がらせる力も生まれて来るわけです。歴史を学ぶということは、要するにたえず人間を再発見してゆくということにほかなりません。
★「勉学についてのニ、三の助言」1949『戦中と戦後の間』(みすず書房) 丸山眞男

明日から新一年生がやってくる、懸命に格闘してこそか!? ガンバルぞ!! 
しかーし、彼ら彼女たちはまだ人間じゃなくて怪獣だからなぁ。

長月を顧みて

2007-09-30 00:16:00 | ・今月のまとめ
9月を振り返ってみよう。まず鎌倉に2度足を運べたことは我ながら喜ばしかった。レーモンドの展覧会とシンポジウムでは小町通りをあんなに早足で脇目もふらず歩いたことはない。そして、若宮大路の段葛をあんなに焦って歩いたこともない。しかもかなり暑かった。友人は神奈川近美から鎌倉商工会議所まで簡単にタクシーを拾えると思っていたらしく甘かった。その日は八幡宮のお祭りと重なり混雑していたのだ。だが大量の汗をかいて暑さで苦しかったが、とてもよい内容だったので行ってよかった。価値は大きかった。特にレーモンド夫人のノエミの人柄と仕事ぶりに初めて触れることができて新鮮だった。ノエミのファブリックやテキスタイルはバーナード・リーチや日本の民芸につながるようなテイストだと素敵に感じた。シンポでは特に注目していたアーキビストの中原まりさんの通訳や発表はきびきびとテンポよくすばらしくて、やはり優秀な若手研究者との印象を受けた。最後にこの展覧会はアメリカから巡回してきたのだが、どうしても日本に持ってきたかったと力強く自分の意見をきっちりと述べられまとめられた。

アートスタディーズの美術分野では芸術に対する審査の微妙さ、難しさなどの裏話が興味深かった。誰が審査員かで評価は変わる、そのために入選したければ傾向と対策を練る必要があるというのだ。だが、それでは自身のほんとうの表現したい純粋な芸術魂はどうなるのか、それでよいのかと、私は不思議に思う。作品を堂々と批評するのも躊躇されるような雰囲気、美術界には風通しの悪さが正直あるらしい。思えば明治の時代の美術界も黒田清輝や藤島武二などいろいろ複雑な歴史や人物関係があったではないか。美の価値観やそれを取り巻く諸々は色々とムズカシイのだろうと思わなくもない。美術館や博物館の学芸員・キュレーターに関しても、なかには努力、勉強、実力不足のひともいるのは否めないということ。確かにそれはあるのかもしれない。7月に西洋美術館で福富太郎氏の講演会があった。私は参加できなかったのだが、そのタイトルの広告チラシに間違いがあったことに気づいた。福富氏の著作本題名と同じであれば、その漢字は絵を゛あつめる゛なのに、゛ながめる゛と間違ったふりがなをわざわざふっていた。そのミスは美術館として専門家としてはかなり恥ずかしいのではないか。また未然のチェックの甘さも露呈されている。そういう陳腐なミスには自戒も込めて気をつけなければならないと思う。それからもしかしたら展覧会で贋作をみせられている可能性もあるという話には驚愕した。観る方が気づかないでよろこんでいるレベルだからしょうがないか、だが一流のというか、まぎれもない本物にはやはり感動を与えるほどのパワーがあるから、その出会いを信じてひとつでも多く大事にしたいと思う。

菊竹清訓さんのフォーラムはエピソードが満載でとても面白かった。菊竹さんの熱い建築家魂に少しでも触れることができて貴重な時間となった。やはりご本人に直接お目にかかって語って聞かせていただけるのはうれしい。こちらもコンペの審査に関しての不可解さ、難しさがあるようなお話にも触れられていたのが興味深かった。特に建築家は自分の設計プランや作品に対して強い自信と愛着を抱いているのだから当然かもしれない。菊竹さんは戦後日本の三大コンペの一つと言われる1963年京都国際会館のコンペで審査委員の前川國男さんに図面の読み違いで誤解されてとてもショックを受けたのだと話された。

8月を顧みて

2007-08-31 23:58:34 | ・今月のまとめ
夜の噴水は幻想的だった。しばらくずっと佇んだりしゃがんでみたり、不思議と周りに人いなくてひとりじめ状態だった。飛沫あがる水の中に飛び込んでも誰にも怒られないかなぁなんてちょっと思ってみたり。

月島で花火を見た帰り道、夜、電車が不通になっていて、有楽町の国際フォーラムのアトリウムでまったりと時間をつぶした。ほとんど誰もいなかったので、ちょっとばかり長いすに横になって、あの高い船のような白い骨格の天井を真下からとらえた。気持ちよかった。ここは夜11時30分に閉館なんだと知った。あれだけの広さ、空調管理はタイヘンでもったいないかもしれないけど、私はもったいなくないって思う。ゆるやかで静かな開放感があるから。

用賀プロムナード歩きました。ワクワク楽しかった。やっぱり象設計集団は遊び心があるなぁ、砧と狸を引っかけたって。だからタヌキがいる。百人一首が刻まれたいらか道だったり、椅子やベンチがこしらえてある。へび皮の水路(ほんとは苦手)の水の中には石を並べてつくったサークル模様があって、のぞきこんでたら、ちょうど多摩川の花火が打ち上げられたようで音が聞こえてきた。眼と耳が同時によろこんだ。まるで水の中に白い花火が咲いたようだった。うれしくなった。

 色に目覚める前のルドンの黒の世界も奥深い幻想と神秘性に包まれて魅力的だった。゛まっくろくろすけ゛じゃないけれど、異形のそれらは愛らしくさえ思えた。

Juneを顧みて

2007-06-30 23:56:32 | ・今月のまとめ
 6月はどうだったかな。もう今年も半分は過ぎたのね。早いな。これまでとこれからをメモしておかないと忘れてしまう。今月はなんといっても達彦さんにかなりおひさしぶりにお会いできたのでうれしかった。もうしばらくは無理だろうと思っていたので、きっかけが達彦さんの眼のご病気の告白が気になってというのはフクザツだけれど、好きなんだから本当は逢うほうがしあわせに決まってる。達彦さんはやっぱりステキ。胸に届けてくれるのは音楽だけでなく、人としての良い香り。ずっと離さず大事にしたい。マンダラライブ7月も行こうと思う。やっぱり逢いたい。

 ミュージアムめぐりの゛ぐるっとパス゛は、かなりお得だった。ディスカウントショプで購入したので更にお安かった。有効期限の2が月はアッという間で、気持ち的に焦って急き立てられもしたし、まだ使いたかったのはあったけれど、スタンプも集めることができた。まあまあ大満足。また秋に購入しようと思っている。

 小町通の鏑木清方記念館の美登利には逢いたい。アートスタディーズにパネリストの建築家・新堀学さんの作品「北鎌倉明月院桂橋」。紫陽花の季節は過ぎたけれどこれはチェックだな。行きたいのは瑞泉寺。鎌倉は立原の「辻が花」にあわせて妙本寺に訪れて以来だ。小説とまったくの同様ではなく、せつなさが増す思い出となってしまった。辻が花といえば、タカラヅカ安蘭けいのお披露目公演が和物のショーでお着物のお衣装が見事なんだそうだ。安蘭さん、トップになれてヨカッタですね。お衣装ファッションといえば、国立新美術館のスキン+ボーンズの展覧会、コム・デ・ギャルソンの数々が必見とのこと、面白そうだ。「スケッチ・オブ・フランク・ゲーリー」の映画、おっと今日は1日映画サービスデーじゃありませんか。渋谷へgo。

 7月は、とうとう学童さんが夏休みに入るので、しんどいけれど子どもたちの今年の夏の成長を信じて乗りきろう、共に過ごせる時間を楽しもう。ガンバロウ。外は暑いしあまりお出かけはできないな。ストレスをためないよう上手にリフレッシュしよう。もう泣いている暇はないよ。世田谷美術館の青山二郎はハズせない、なんてったって横河民輔のコレクション、これはじっくりみつめなくちゃ。あとは何かな。何かな。とにかく心身共に疲れをためないよう、お気楽にといってもムズカシイけれど、ささやかでも明るく楽しく毎日を過ごそう。梅雨明けまでまだまだかな、爽やかにさわやかに。

五月を顧みて

2007-05-31 23:58:32 | ・今月のまとめ
 窓から夜空を見上げるとお月さまが出ている。お星さまもひとつ輝いている。さっきまであれだけ雷雨がスゴカッタのに。どんなにヒドイ雨でもいつまでも降り続かないものだ。いつかは雨は上がるのだ。そしてまた空は晴れてくる。それは人生にも同じことがいえるだろう。今年の5月は風薫る五月らしい爽やかな天候に恵まれてよかった。色とりどりの花々、鮮やかな木々の緑、それを眼にすると心も晴れやかになった。私を生かせてくれる小さなよろこびをみつけて、それを積み重ねるように心の引き出しにしまっていくと、元気の素のストックが増えて安心できる、うれしくなる。淋しいとき、悲しいとき、ここから取り出せばいいのだから。
 復活した学童さんの仕事では新しい出会いがあって、それもうれしく思う。子どもたちを愛しいと思う。カワイイ。抱きしめたくなる。彼らにとっては長い人生のなかのほんの1ページにすぎないだろうけど、一緒に共に時間を過ごすことができて私はとてもしあわせに思う。素直に泣いたり笑ったり怒ったりできるのは人間として生きている証だなと感じる。だからやっぱりしあわせなのだ。
 いよいよ梅雨の季節の到来だが、じめじめとしたお天気に左右されず、爽やかにいこう。いつも泣いてばかりではいけない。涙は雨粒に紛れ込ませるとしても、なるべく降らせないようにしよう。ふわふわした不安な感じを少しずつ取り払って何事もていねいに運ぶよう心がけよう。ひとつずつクリアーしていこう。しっとりとした潤いある紫陽花を心のなかに咲かせよう。

4月を顧みて

2007-04-30 23:59:01 | ・今月のまとめ
ブ(カ)レー(ン)ストーミング★4月も終わってしまいました。今年の春は桜もいっぱいみたね。焦ったり、せきたてられたり、そうじゃなくて、なるべく自然体でいこう。ぐるっとパスに有効期限があるから、ぐるっと見逃さずにね。爽やかな季節だけれど油断しないでね。子どもたちとの時間も大事に過ごそう。ブログもあっという間に2年が過ぎました。これからどんな足跡を遺せるかな。かけがえない自分の人生をていねいに積み重ねていこう。そのこと忘れずに。

弥生三月を顧みて

2007-03-31 23:58:55 | ・今月のまとめ
いろいろ思うことはあったけれど、明日から4月だしね、頑張りすぎずにガンバロウ。今年の桜は 中野通りの桜のトンネルとライトの明日館の夜桜で、これで思い遺すことはない、そう思ったほどだった。心に残ってうれしかった。追っかけるの、我ながらスゴイなって、ちょっと笑っちゃう。でも心はいつも張り裂けそうで、ふわふわしていて定まらない。毎日、自分を平静に落ち着かせるのにせいいっぱい。心身共に受けるダメージが大きい。しんどい。だから今は毎日のごとく外に出るようにしている。すばらしい美術や建築、街並みとの出会いは弱った心をあたたかく包み豊かにしてくれる。
熱海に向かう電車が強風のため途中でしばらく立ち止まったので、私は血の気が引いて苦しくなった。となりで友達が「だいじょうぶ、大丈夫。」と言ってくれた。私は両手で顔を覆っていたので、彼の顔はみてなかったけれど、その声だけで、すごく救われた。誰かに気遣ってもらうのはやはりありがたく助けられることだと思った。渋谷に向かう帰り道の京王線、京成線の上野から日暮里も地下、京葉線も停止信号があって、いずれも一瞬にして心拍数が高くなりアブなかった。メトロはサイドに地下の圧迫感があって苦手、なるべく利用は避けたいけれど、そういうわけにもいかなくて、眼をつぶって早く早く着けと毎度つぶやいている。

4月の再会、まさくんとの約束は遅れそうだけど、連休明けには復活するから(たぶん)待っててね。

水仙色

2007-02-28 23:52:39 | ・今月のまとめ
十二ヶ月それぞれに色のイメージがある。
如月は黄色というより、水仙色のイメージ。
弥生三月は桃色。一月は江戸紫って感じがする。

「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」 ルカ六章三一節
東京カテドラル聖マリア大聖堂の外壁の掲示板に
折り紙で作られた赤いツバキとスイセンの花が飾られていた。

或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者有けり
誰の仕業と知るよし無けれど美登利は何ゆゑとなく懐かしき思ひにて・・

水仙色の短い如月は終わった。
新しいハードのコンタクトレンズ、
泣くとまぶたが腫れてパッチン力が弱まる、
毎夜やってくる、レンズが外せないキョーフと不安の瞬間。
如月はどうしようもなく涙色でもあった。

睦月を顧みて

2007-01-31 23:41:48 | ・今月のまとめ
2007年の1月は去った。
いわゆる暖冬なので、ちょっと損してるなって思う。
季節のうつろいにささやかなよろこびをみいだす、
そのときめきさえも奪われ、さらに揺らぐ。
そして、ことばに詰まる。新鮮な感情は葬られる。

つめたい心身からこぼれたわずかな欠片を
拾い集めてみても、たぶん何も残らない、消えゆくだけ。
その繰り返し。

12月を顧みて

2006-12-31 23:57:47 | ・今月のまとめ
さっきの紅白♪「千の風」すばらしかった。ありがとう。
師走もだいたい考えていたことは予定通りにはこなせた。
なので、それはヨカッタ。
一年を振り返ると、いろいろあったけれど、ちゃんと年を越して
新しい年を迎えたい。来年もよろしくお願いします。

11月を顧みて

2006-11-30 23:58:40 | ・今月のまとめ
気持ち千々乱れた霜月ではあったけれど、
最後の最後、印象深かった11月30日のことを書き残しておきます。
国分寺にある殿ケ谷戸庭園に訪れました。
ここは数ある庭園の中でも特に私の一番のお気に入りです。
写真では鮮やかな色合いや奥行き感がうまく出ませんが、
それはそれはとても美しく、眺め見渡していると命が洗われるのです。

「緑と水のひろば」という冊子が東京都公園協会から出ています。
゛洋館と薔薇の庭が特集の春号43spring.2006゛がほしくて、
「バックナンバーはないですか」と窓口でお尋ねしたところ、
男性が「ちょっと待ってね。」と、事務所の奥から取り出してくれました。
あいにく私の財布には壱万円札しかなく、「すみません。」と差し出すと、
「お釣りがないので、どうぞ持っていってください。
また今度来たときで構わないですから。」と、おっしゃってくださいました。
それでは申し訳なく、どうにか50円玉と10円5枚をかき集めて100円。
時間があれば、どこかでお札を崩すこともできたのですが、
この後の武蔵小金井に移動して、たてもの園での集合時間も迫っていたので、
お言葉に甘えることにしました。頭を下げて、急いで駅に向かいました。
その場のご親切が心に沁みて、とてもうれしい出来事でした。
ますます殿ケ谷戸庭園にこれからも訪れたくなりました。
この次、ぜったい忘れずに残りの100円お支払いします。
どうもありがとうございました。
この号は、米山先生の書かれた薔薇にまつわる
古河庭園と鳩山会館の文章が記載されているのです。
買いそびれていて、どうしても手に入れたかったのでよろこびひとしおです。

そんなことがあって、向かったたてもの園での見学会も、
色づく木々の葉っぱがはらはらと舞い落ちるなか、
しみじみと季節を感じながら、いくつかのこだわり空間を堪能した時間でした。
今年は、たてもの園には、春、夏、秋と表情が違うそれぞれの季節に
三度も訪れることができて、味わい深くとても幸せでした。
そして、そこにはいつも米山先生のお姿があり、
建物に関するきめ細やかな解説などを伺えて、うれしく楽しく学習できました。

そして、この11月最後の日はもうひとつ感動的なことが待ち受けていたのです。
たてもの園の見学会後、恵比寿にある東京都写真美術館の展覧会に立ち寄ったら、
ここでもとてもうれしいイイことがあったのです。
「東京のランドマークを写そう・私たちが未来に残したい東京の建物」という
小中学生対象の写真コンテストが二階のフロアーで開催、展示されていました。
子どもたち自身がカメラを通してとらえた東京の建物が、
本人のコメントと共にパネルで展示紹介されていました。どれも力作揃いです。
コンテストの審査員は福原義春写真美術館館長や写真家さんなどと
おなじみ江戸東京博物館助教授の米山勇先生でした。

ある女子中学生が写した一枚の歴史ある建物写真。
そこには病院で療養中の母を思う優しい心が込められていました。
昭和初期の重厚な建物とその向こうにそびえる超高層ビル、
ほほえましい母娘の姿にも重ねて、
「撮影者のきれいな心が伝わる写真です。」と、
それは米山先生らしいお心の映しだされた的確でステキなコメント評でした。
なので写真と共にその文を読んでいて、私もあたたかい気持ちになりました。
このようなコメントをもらったこと、少女の心に清らかに残ると思います。
実はこの展示は本日が最終日だったのです。見ることができてヨカッタです。
思いがけずハートウォームな贈り物を頂き感激しました。
どうもありがとうございました。
「私って運がいいわぁ。」と、つぶやいたのでした。

米山先生~今日は寒かった上に、お具合がすぐれないところの見学会、
お疲れさまでございました。どうもありがとうございました。内容ヨカッタ◎。
朝カル講座は既に朝カルの雰囲気、良さが育っていますね。そう思います。
お風邪どうかお大事になさってください。早くよくなりますように。
まだ江戸博の語りあう対談もありますし、都市デザインの単発講座も
(当選しますように)残っていますので、引き続き楽しみにしていま~す。