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帰路

2010-08-16 00:08:12 | ・立原正秋・文学
「夕陽に染まったローマのまちを見おろしながら、かつて花背峠から京都のまちを見おろしたことを思いかえした。比叡山から京都のまちを見下ろしたこともあった。奈良の白毫寺から奈良のまちを眺めたことも思いかえされた。ローマから眺めた京都と奈良は限りなく美しかった。それはひとつの大きな喜びだった。」

☆立原正秋 『帰路』 新潮社 1980年 2月 刊行 より
☆新潮文庫1986年2月発行 カバー 有元利夫

春の鐘

2008-04-13 23:08:32 | ・立原正秋・文学
バスの窓から暖かい陽がさしこんでいた。
このとき多恵のなかを、瞬時の幸福、といった感情がよぎっていった。

この天平時代の唯一の遺構である寄棟造の建物は、いつきても美しい構図だった。
金堂の前を歩いた。あけ放された扉の奥から仏像がこちらを見おろしている。

「よく見てごらん。庇の下が吹き放してあり余裕があるだろう。八本の柱があるが、柱と柱のあいだが、まんなかがいちばん広い。左右に行くにしたがってすこし狭くなっている。遠くから眺めて安定感をあたえるために、こうし構図がとられたのだな」
「本当ですわ」

建物と建物との調和、建物自体の均斉を考えるとき、これだけのたたずまいを他にみることはできない。
鑑真という一人の高潔な盲目の僧がこの寺を建立し、ここで寂した事実に思いを馳せるとき、この寺があたえてくれる清澄感は更に深まってくる。
「一人の盲目の僧が、信仰の永遠を信じなかったら、これだけの御堂はうまれなかったのだな」
                            *
「このあいだ唐招提寺を訪ねたとき、ヨーロッパから帰っていらして唐招提寺を訪ねた友人のことを話してくださったでしょう」
「そうだったね」
「あれは、先生ご自身のことではないでしょうか」
「そういうことになるかな。自分のことを話すのはなんとなく照れくさかったからね」

この答えをきいたとき、多恵のなかに無限にひろがってくるものがあった。
ヨーロッパを正確に視てきた一人の男が、唐招提寺の境内に立ち、そのとき唐招提寺はどこまでも美しかった、と感じた。
そのときの鳴海の姿が多恵には理屈なしにはいってきた。
そしてその一人の男に多恵は無限の懐かしさをおぼえたのである。
唐招提寺はどこまでも美しかった、と感じたのは、単なる懐郷という意味ではなかったのだろう。
信仰の永遠を信じた一人の盲目の僧と同じく美の永遠を信じたのだろう。
多恵はそのとき鳴海をこのように視たのであった。

★立原正秋『春の鐘』 昭和53年7月 新潮社より刊行 

くれない

2008-03-11 00:37:44 | ・立原正秋・文学
聞香に、香の十徳という一句四言の詩があった。
<松屋日記>に収められており、作は一休宗純と伝えられていた。

  感は鬼神に格る、心身を清浄にす、能く汚穢を除く、能く睡眠を覚ます、
  静中に友と成る、塵裡に閑を偸む、多くして厭わず、寡なくして足れりと為す、
  久しく蔵えて朽ちず、常に用いて障り無し。

古田はことだてて茶を嗜んでいるわけではなかった。ただ茶が好きで、
<松屋日記>のなかから利休、織部、三斎、遠州の茶会記を拾いだし、
そのときどんな茶碗が使われたかを、ひまにまかせて調べていたときに、
香十徳の言葉を見つけたのだった。

塵裡に閑を偸むとは面白い言葉であった。
塵裡に閑を偸んで香をたのしんでいる倩子の姿をおもいうかべたのである。

そこに女の感情が加わりだしたのは半年ほど前からで、倩子はそれを表にだすまいとしていた。
古田は以前と同じだった。茶碗を娘と自分のあいだにおいたのである。

「その香は紅か」  「はい。・・・御存じだったのですか」
「八重垣、明石、寒梅、花散里、澪標、それにこの紅、倩子さんのたく香はこれに
かぎられている」
「これは伽羅系でございます」   「くれないとはまた華やかな・・・」
古田は茶を点てた。

香が娘をこのようにしたのだろうか・・・。
古田は、あらためて、香に包まれて暮らしている娘の姿を視たと思った。
倩子が香の影なのか、香が倩子の影なのか、そこのところははっきりしなかった。
倩子と香のさかい目がみえなかった。
しかし、茶碗や絵を眺める彼の鑑識眼の外側に倩子がいることだけはたしかだった。

女になるとき、かおりのたかい紅をたこう、とひそかに決めたのは、
紅をはじめてききわけた日だった。
古田はその日、紅とはまた華やかな、と倩子に言ったが、ある意味では、
どんな華やかな結婚式場よりも紅をたきこめた三畳台目の方が華やかだった。

 ★立原正秋 『くれない』 「小説新潮」昭和四十六年一月号掲載

雪のなか

2007-01-18 23:56:25 | ・立原正秋・文学
立原正秋の「雪のなか」復刻版が出ている。
講談社文庫の1月の新刊だ。
初版は同じく講談社から1969年。

男であれ、女であれ、
六花の心を抱いてしまうのは誰にもとめられない。
しかし、それにはやはり美しさが伴わなければならない。
カタチではなく、精神の清らかさみたいなもの、
物語の行間からおのずと漂ってくるもの。
そんな真の雪を自分のなかに降らせてみたい。

花のいのち

2006-07-16 01:24:29 | ・立原正秋・文学
過ごしてきた時間のある部分は鮮明で、ある部分は記憶の彼方にうすれてしまった。

男女間に決定的な出逢いの瞬間があるとすれば、このときの出逢いがそれだった。

いま自分のなかでは優しい感情が溢れており、
そして、美しいものへの期待で胸がふくれているのを知った。
それは、夢想ばかりしていた娘時代の心情に似ていたが、
しかしどこかですこしばかり違っていた。

すぐ、こんなことぐらいで気持ちがたかぶっては困るな、と思った。

返照入閭巷 憂来誰共語
古道少人行 秋風動禾黍  『秋日』

「どうです、この伎芸天は」
「わたしにはよくわかりませんが、やはりきれいな顔ですわね」
「艶麗そのものの顔です。中年女の美しさですね。ちょっとあだっぽい
表情ですが、しかし憂愁がこめられている。目もとが涼しいでしょう」
「あなたはこの像を愛してしまわれたのとちがいますか」
「いけませんか」
「いいえ、いけないということはありませんが・・・・・」

ああ、この一瞬を永遠のものにしたい、と思った。
鏡に映じだされた顔はきれいだった。潤いのある目になっていた。

『花のいのち』 昭和四十二年十月 新潮社より刊行。

辻が花

2006-05-02 22:22:41 | ・立原正秋・文学
このひとの美しさはどこにあるのだろう、と四郎は夕子に会うたびに考える。
むかいあって話しているときより、別れてからの方が、こちらに印象をのこすひとだった。
春の日に幽かに匂う水仙の花、夕子にはそんな美しさがあった。

あなたがおっしゃりたいことは判っています。
でも、なにもおっしゃらないで。わたしと四日間の旅をしてください

僕には女の美しさだけはわかっているつもりです。
美しい女は大事にしたいと思います。
これはとしの違いなどには関わりのないことです。

辻が花はまぼろしの花でも、あなたと僕は幻ではない。

彼は、四日間の旅をおもいかえし、夕子の裡で燃えた情火ほど
優しく烈しいものはなかったろう、と感じた。

彼はいまも夕子がしめていた辻が花の帯を正確におもいかえすことが出来る。
それは決して幻の花ではなく、青春の終わりの一時期に甘酸っぱい歓びと
かなしみを味わわせてくれた華やかな花だった。

『辻が花』昭42年 集英社より刊行 立原正秋全集 第七巻 収録

残りの雪

2006-02-24 00:02:26 | ・立原正秋・文学
「僕は李朝の白磁をかなり持っているが、自分で気にいっているのは一点しかない。
すこしいびつな一輪插の壺ですが、この肌がなんともいえない。
いま窯から出てきたばかりだといったあたたかさがある。
そうだ、いつかそれをあなたに見せてあげよう 」   「 いびつなんですか 」

なにか翳があるが、まるで水を点じたようなその挙惜に、これは、と思った。
白磁と青磁をいじりはじめてからすでに久しかったが、
美的な体験が成立する場所として焼物には感情移入が容易だった。

時間と空間がいっしょになり、落ちつき場を掴まえられない、といった情態だった。

里子は睡っている自分の躯にあとからあとから雪が舞いおりてくるのをみた。
つめたくていい気持ちだった。

なぜ雪の夢ばかりみるのだろうか・・・。

「雪のなかにいると、さびしさを感じませんか」
「それはさびしいね」

いくら愛でても飽きない白磁だった。これまで、いろいろなものを愛し、
いとおしんできたが、対象にこれほど没頭したことはなかった。

雪のなかでの三日間は絵巻物だった。


 立原正秋 『残りの雪』(上下) 昭和49年4月 新潮社刊
   (昭和48・3・30 ~ 49・1・11 日本経済新聞284回連載)

その年の冬

2006-01-05 20:07:07 | ・立原正秋・文学
 この水仙はまちがってあの家にはいってしまったのだろうか・・・。
 
 今週も水仙ですが、お仕事の合間におこころをやすませてくださいませ

                                   石尾 直子
 直子は頭を深津の右肩かたむけてのせ水仙を視た。
 白磁の壺の胴の辺はうすい代赭色で、その色がやわらかだった。
 深津の右腕が肩にまわされたところまでは憶えていた。
 障子に揺れている雑木の枝と壺の水仙に気をとられていたのかどうか、
 そこのところは記憶があいまいだった。
 雑木林と障子と水仙と白磁の壺がひとつの形象をつくっていた。

 「実にいい水仙だ」

 李朝の白磁の大壺に水仙が無造作に投げ込まれていたが、さまになっていた。
 豪快で無限定にみえながら、白磁と水仙のあいだにやさしさが通いあっていた。
 西側の壁に増女面が掛けてあり、水仙をみおろしていた。
 この前は気づかなかったのに、あれから掛けたのだろうか。

 『その年の冬』昭和五十五年十一月、講談社より刊行。
  真の大人の愛を主題に、死の気配を身近に感じつつ完成に心血を注ぎ、
  ついに絶筆となった、立原文学最後の華麗な世界。



立原 と 三島

2005-11-10 01:34:44 | ・立原正秋・文学
「 代作家の短篇小説の技法に関しては、
私はいつも故三島由紀夫氏のそれと立原氏のそれを比肩したくなる。

二人とも作品の初めにおいて終りを見通し、緻密な計算をしているからだ。
しかし、三島作品が絵画的であるのに対し、立原作品は音楽的である。
この相違は興味深い。

絵画空間の芸術であり、音楽時間の芸術であるからだ。

二人とも解析的手法を取っているが、三島が積分によって可視的領域を
拡げようとするのに対し、立原氏は微分によって可視的領域を限定しようとする。
これをもう少し平たくいうと歌舞伎と能の違いといってもよいかもしれない。」

 テネシー州・ナッシュビルのヴァンダービルト大学にて (1979・7)
     早稲田大学教授 武田勝彦氏 解説より

薪能

2005-09-27 20:04:51 | ・立原正秋・文学
昌ちゃんは俺に永遠をみていたかもしれない。
俺が昌ちゃんに永遠をみたと同じようにね。

鎌倉薪能は旬日に迫っていた。あの闇夜を彩る篝火は、
薪能の日が迫ってくるにつれ、昌子のなかで鮮明さをましてきた。
従弟を知ったいま、篝火はまったく別のものに見えてきた。

いまからおもうと、あの奈良でみた薪能のかがり火は、
永遠などというものではなく、滅亡の火だった。

そしてある日の真昼、秋の陽を浴びて庭にたち、虚空をみあげていたとき、
滅亡の美しさを信じてしまった。
すると間もなく、かつて覚えなかった安堵がやってきた。

「昌ちゃん、今日は薪能の日だったな」
「奈良のあのときの篝火が見えるかい」

『薪能』 昭和三十九年(1964)五月「新潮」に発表。九月 光風社より刊行。

晩夏 或いは別れの曲

2005-09-15 21:27:48 | ・立原正秋・文学
「彼女は白地に黒い水玉を散らした夏服を着ていた。
白い細長い指が純白な鍵盤を鋭く叩くとき、ぼくは胸が苦しくなるのを覚えた。」

  昭和二十六年『文学者』六月号掲載 現存する処女作                    

  「麦秋」 昭和二十一年冬 早稲田大学創作研究会 懸賞小説第一席
         もうひとつの幻の処女作