聞香に、香の十徳という一句四言の詩があった。
<松屋日記>に収められており、作は一休宗純と伝えられていた。
感は鬼神に格る、心身を清浄にす、能く汚穢を除く、能く睡眠を覚ます、
静中に友と成る、塵裡に閑を偸む、多くして厭わず、寡なくして足れりと為す、
久しく蔵えて朽ちず、常に用いて障り無し。
古田はことだてて茶を嗜んでいるわけではなかった。ただ茶が好きで、
<松屋日記>のなかから利休、織部、三斎、遠州の茶会記を拾いだし、
そのときどんな茶碗が使われたかを、ひまにまかせて調べていたときに、
香十徳の言葉を見つけたのだった。
塵裡に閑を偸むとは面白い言葉であった。
塵裡に閑を偸んで香をたのしんでいる倩子の姿をおもいうかべたのである。
そこに女の感情が加わりだしたのは半年ほど前からで、倩子はそれを表にだすまいとしていた。
古田は以前と同じだった。茶碗を娘と自分のあいだにおいたのである。
「その香は紅か」 「はい。・・・御存じだったのですか」
「八重垣、明石、寒梅、花散里、澪標、それにこの紅、倩子さんのたく香はこれに
かぎられている」
「これは伽羅系でございます」 「くれないとはまた華やかな・・・」
古田は茶を点てた。
香が娘をこのようにしたのだろうか・・・。
古田は、あらためて、香に包まれて暮らしている娘の姿を視たと思った。
倩子が香の影なのか、香が倩子の影なのか、そこのところははっきりしなかった。
倩子と香のさかい目がみえなかった。
しかし、茶碗や絵を眺める彼の鑑識眼の外側に倩子がいることだけはたしかだった。
女になるとき、かおりのたかい紅をたこう、とひそかに決めたのは、
紅をはじめてききわけた日だった。
古田はその日、紅とはまた華やかな、と倩子に言ったが、ある意味では、
どんな華やかな結婚式場よりも紅をたきこめた三畳台目の方が華やかだった。
★立原正秋 『くれない』 「小説新潮」昭和四十六年一月号掲載