如月を顧みて

2006-02-28 23:47:41 | ・今月のまとめ
1月は行く、2月は逃げる、3月は去る、4月は知らんけど。
そう言われるほど、日めくりカレンダーは飛び去っていく。
2月如月もおしまいです。
近所で紅天女(能舞台観たかったな)が艶やかに舞っていました。
私は、梅に関して言えば白が好きです。
楚々と咲くところがよろしいのです。
名所江戸百景、わが家に亀戸梅屋鋪の白梅が香ってくれています。

今月は、タツヒコソングに出てくるような
♪生きてる翳りもみせずに微笑むひと~~
なんて私にはムリなんだーと思ったりする、弱気な二月でした。
しょうがないよね。アトピー悪化にくれぐれも気をつけてね。


さあ、桃色弥生三月 Plan do check 怠らずにね。

引き続き、講義や講演会には足を運ぼう。
人の話に耳を傾けるのは、私にとっては何よりの癒しにもなる。
読書もそうだけど、優れた他者を数多く自分の心に持つ、住まわすと安心する。
私自身がいつまでたっても未熟なだけにね。助けてもらおう。
出会いは自分を育ててくれる、懐に深みが増してくるもの。

さあ、顔をあげてファイト♪

溝井くんと山本兄弟

2006-02-28 22:24:53 | ・子どもの世界
方、静かな図書館で、
なんと元学童の五年生溝井くんと山本兄弟を見かけた。
弟くんはまだ学童さんです。
しんじられなーい、こんな場所で。ここは図書館だよー。

このお三人は私の3本の指に入るほど、
とんでもなくサイキョー・サイアク・キョーレツわからんちん。
愛すべきというべか、悪ガキちゃんです。
(といっても、もちろんホンモノのワルではないのだが。)
大人の話はほとんどまともに通じません。

エピソードは数あれど、思い出すに・・あれは昨年の夏のこと。
児童館の砂場で、「みぞいが僕の幼虫を埋めた~~」と、
やまもと弟が大声でわめき散らしている。
みせてあげたカブトムシの幼虫を埋められたらしい。
ギャーギャー泣き叫んで、涙と鼻水と顔はくじょくじょ、
頭をふりながら手で土を掘り返している。
泥遊びの土は水を含んでドロドロになっている。

あの姿が忘れられない、いまだに私の脳裏に焼き付いている。
いったんそうなるとホントどうしようもなかったね。
またかと思いつつ誰にも止められない。
帰りのチャイムが鳴って「お集まりの時間だよ。」
そんな声などまるで聞こえるはずもない。
まわりに誰もいなくなっても、永遠に掘り返してそうなようすに、
手の施しようもなく、本人の気がすむまでしばらく見守っていたっけ。
自分の大事な幼虫を埋められたその悔しくて悲しい気持ちはわかるよ。
埋めた本人は悪びれる様子もなくひょうひょうとしている。
「どうしてそんなヒドイことするかなぁ。」
「ケンちゃん 泥だらけだよ、、お洗濯大変だよ。」
(そっか、でも彼にはお母さんいないんだよね。おばあちゃんが大変だよ。)
「幼虫だから、土のなかにいてもきっと平気だよ。」
なんて言いながら・・・

図書館で、しばらく3人の様子をそっと見守っていたら、
どうもコピー機の使い方がわからないらしく、
自分から職員の女性に声を掛けて、ちゃんと聞いているではないか。
おぅ~スゴイスゴイ。
かんしゃく起こさず、ちゃんと聞けたね。
「ありがとう」は言えてなかったけど。
学校の調べものかな、図鑑をコピーしたようだ。
おこづかいの10円を奮発したのかな。(チロルチョコ買えるのに!?)

うれしかったなー。
いつものマイナスイメージばかりじゃないんだよね、知ってはいたけどさ。
うん、今日はちょっと安心したよ。
ちゃんとできてた。やればできるんだよね。

近くに飛んでいって、その場ですぐ声を掛けたい気分だったけど、
こちらも両手に資料本がこぼれそうだったので、
図書館を後にする子どもたちの弾んだ後ろ姿だけ見送った。
めずらしい光景を観ることができて、私の顔はすっかりゆるんでいた。
いつもこうならありがたいんだけど、そうはいかないか。笑

ハナマルよくできました。また元気に児童館で会おうね~。



愛してます

2006-02-28 00:51:01 | ・音楽
愛してます
あったかい風のように
ありったけのやさしさで束縛してあげる
every day
あなたのためだけに生きてゆけたなら
どんなにステキだろう
for you

BACK BEATs #1
Maki Ohguro

情熱の摩季ちゃんすごくスキだったでしょ
よく歌ってたよね
ちょっと思い出してみたらどう?
ちょっとだけでもね
Love me のその前に


黒いストラップレスドレス

2006-02-27 02:17:30 | ・映画・ドラマ・舞台
夜中に登場すると、ちょっと悪女になった気分かも。

『ギルダ』1946を大画面でみたさに右も左も分からない池袋へ。
あやしい歓楽街の一角にある映画館に出向いたことがある。
ひとりでちょっとコワくて勇気が要ったな。
終わったのは夜だったし。それでも観たかったの。 

Put the Blame On Mame ~~メイムのせいにしな~

グローブストリップ。
奔放なヒロインが唄いながら、肘上まである黒い手袋を脱いでいくシーン。
黒のストラップレス。
美しい肩と背中を大胆にむき出しにして、踊るたびに足が露わになるドレス。
ウエストからギャザーを寄せてヒップで大きなリボンをゆるく結ぶ。
この時、彼女のお腹にはもうひとつの命が宿っていたのよね。

ハリウッドの衣裳デザイナージャン・ルイ。 
女性の肉体をはっきり表現するカッティング技術に長けたデザイナー。
「ギルダ」の他にリタが出演した「上海から来た女」「情炎のサロメ」「夜の豹」も。

実はこの黒いドレスにはインスピレーションの源があったらしい。
近代アメリカの肖像画家ジョン・シンガー・サージェントが描いた
 『マダムX』(ピエール・ゴートロー夫人) 1884メトロポリタン美術館
パリ・サロンではあまりにも挑発的と撤去されたいわくつきの絵。
襟元を露わにすればするほどフォーマルになるのがデコルテ、女性用夜会服。
これを着るときには、宝飾品をつけるのがルール。
肌を露わにしながらも夫や愛人の存在や家柄を暗示させるのが宝飾品の役目。
肌は見せても誰かに保護されている女であることを装うのがレディのデコルテ
習作段階では、マダムの右ストラップはなかった。

美しく妖しい官能の女神たち。実に魅力的。


『MUSIC IN MY HEART』(1939)

2006-02-26 22:01:25 | ・映画・ドラマ・舞台
ャンルはミュージカルコメディ。
タイトル通り、パッピィーエンドです。
リタ・ヘイワース演じるパトリシアは可愛くチャーミングな女性。
『ギルダ』より以前の作品です。
まだどことなく初々しいというのか、妖婦の香りはしません。
でもふと垣間見る表情に・・・→

リタは、フレッドアステアやジーンケリー、フランクシナトラとも共演。
明るく楽しいダンスもけっこうお得意なのよね。

でも、やっぱり、私はファムファタールなリタが好き。
ピンナップ゛刑務所のリタ・ヘイワース゛もね。


書は 「書く芸術である」

2006-02-25 03:33:43 | ・読書・新聞・メモノート
2006.2.23実施 東京都立高校入試国語問題④
石川九楊 『書に通ず』による →新潮選書1979年
 
「書は美術ならず」説に対して、
岡倉天心「書は美術ならずの論を読む」と題し、
書は文字の大小、配列、形を工夫するのだから美術であると反論。

規範+美的工夫」によって書が生まれる論には、
なぜ、人間は文字、本当は言葉、を書くのかと言う観点が脱け落ちている。
「美的工夫論」は、「書は文字の美術論」へと逸脱していくことになる。

西洋美学者・井島勉によって唱えられた説
「文学は文字の意味内容に重心を置いた言語芸術だが、
 書は文字の視覚形象に重心を置いた視覚芸術だ」

はたして書は「文字の美的工夫」の延長線上に考えられる「文字の美術」
「文字のデザイン」なのか。

中国文学者・吉川幸次郎は、
「書を書く場合、
点画(劃)の結合が言語として指示する方向を裏切ってはならない、
わざと裏切る場合には裏切るだけの自信が自覚的になければならない」
と言う表現で、
「書は文字の美術」説は、
もっとも重大であるべき言葉の問題が脱け落ちていると指摘。

昭和の書道家・鮫島看山の宣言
「書は文字と云ふ素材を借りて作者の主観を表現するところの線芸術である」

線芸術説は、どこが間違っているか。
書を「文字を書く」と考えて、「点と線」といってしまったところ。

文字を構成する点と画は決して一般的な点や線ではなく、
すでに言葉の一部である文字、否、言葉そのものをすでに微粒子的に
含んでいる存在なのだ。↓
文字の一点一画は単に言葉を構成するだけのものでなく、
作者の切実な思いが幾重にも込められて成立しているものだということ。


例えば、「大」と書いたときの一点一画は決して野放図な点と線ではない。
本当は「大」という文字を書くのではなくて、作者は何か切実な理由があって、
「大」という言葉を書くのだ。

書はどのような芸術だと考えればよいか。
「書は言葉を書く」ところから生まれる表現。
文字は言葉だから、言葉を出発点に考えるべきだ。
まさに「書」とは「書」、「書く」ことにほかならない。↓
「書」は、あくまでも人間の「書く」という行為があって
はじめてその人の個性や言葉が表現され、「書く芸術」になると考える。



残りの雪

2006-02-24 00:02:26 | ・立原正秋・文学
「僕は李朝の白磁をかなり持っているが、自分で気にいっているのは一点しかない。
すこしいびつな一輪插の壺ですが、この肌がなんともいえない。
いま窯から出てきたばかりだといったあたたかさがある。
そうだ、いつかそれをあなたに見せてあげよう 」   「 いびつなんですか 」

なにか翳があるが、まるで水を点じたようなその挙惜に、これは、と思った。
白磁と青磁をいじりはじめてからすでに久しかったが、
美的な体験が成立する場所として焼物には感情移入が容易だった。

時間と空間がいっしょになり、落ちつき場を掴まえられない、といった情態だった。

里子は睡っている自分の躯にあとからあとから雪が舞いおりてくるのをみた。
つめたくていい気持ちだった。

なぜ雪の夢ばかりみるのだろうか・・・。

「雪のなかにいると、さびしさを感じませんか」
「それはさびしいね」

いくら愛でても飽きない白磁だった。これまで、いろいろなものを愛し、
いとおしんできたが、対象にこれほど没頭したことはなかった。

雪のなかでの三日間は絵巻物だった。


 立原正秋 『残りの雪』(上下) 昭和49年4月 新潮社刊
   (昭和48・3・30 ~ 49・1・11 日本経済新聞284回連載)

青白磁

2006-02-23 00:37:22 | ・とにかくラブリ~☆
白磁青磁
わが魂をもっていかれてしまう。
とした佇まい、風格、静かに静かに語りかけてくる。
未熟な私は、そのすべてを受け止めることができないでいるけれど。
ただただせいいっぱいみつめ返す、を込めて。

今回の「美の伝統展」では、
中国・慶徳鎮窯の「青白磁」の美しさにひきこまれてしまった。
ひとつは『青白磁蓮果形碗・托』静嘉堂文庫美術館
ひとつは『青白磁爪形水注』イセ文化基金 

やさしい白に透き通るような青みがうっすらと重なる。
水柱は縦の彫りの部分に釉薬がたまって
そこが微妙に青みを帯びていて、
美しい。

白磁は空に浮かぶのような優しい白で、
青磁は雲が浮かぶ爽やかなに形容されるらしい。
その表現は、はるか昔というより、ちょっと現代モダンな感じがする。



焼き物の美

2006-02-22 23:40:03 | ・アート・展覧会
大阪市立東洋陶磁美術館→「東洋磁器の宝庫」
The Museum of Oriental Ceramics,Osaka
中国・韓国陶磁のコレクションとして世界的に有名な
安宅コレクション」(約一千点)を展示するために、1982に開館。
その質の高さに加え、最新の展示設備と中之島公園内という
恵まれた立地条件を誇る。

★美術館設計 横河隆一(日計設計)
焼き物をできるかぎり自然な状態で鑑賞できるよう
自然採光展示室など、さまざまな工夫が凝らされている。
 
★「秋の晴れた日の午前十時ごろ、北向きの部屋で観よ」
→青磁を鑑賞する際の理想として、昔から語り継がれている言葉。

                       青磁象嵌 牡丹文 梅瓶 →↑
 

近代工芸 → お気に入りへ追加 !!

2006-02-22 19:46:04 | ・アート・展覧会
板谷波山 『葆光彩磁延年文化瓶』 1920代
波山は東京美術学校で彫刻を学んだが、後に陶芸に転じ、
明治末から各種展覧会で活躍。

★葆光彩磁(ほうこうさいじ)開発 → マット調の効果を示す

河井寛次郎 『花魚扁壺』 

富本憲吉 『白磁蓋付壺』 1933(昭和8) 大原美術館

高村光太郎 『栄螺』 1930(昭和5) メナード美術館
   プリティーな木彫りのサザエなの。

平櫛田中 『禾山笑』 1914(大正3) 東京芸術大学
   しあわせな高笑いに、こっちもめっちゃ笑える。

         東京美術倶楽部 「大いなる遺産 美の伝統展」より出品 


あやめの衣

2006-02-22 01:24:17 | ・アート・展覧会
      ↓ 岡田三郎助 → ポーラコレクション →
右端に゛showaⅡ゛と(昭和2)サインが入っていた。

洋画もそうそうたるメンバーで、迫力がありすばらしかった。
浅井忠「グレーの秋」→ウレシイ★
三岸好太郎「雲の上を飛ぶ蝶」→カンゲキ★


梅原龍三郎「富士山図」作品保護のためキャンバスを傾けていた。
なぜだろう、まっすぐ立てていると絵の具が重みで剥がれ落ちるとか!?
達彦さんの好きな画家 中川一政「駒ヶ岳」もあった。

黒田清輝、藤島武二、藤田嗣治、小磯良平、
佐伯祐三、古賀春江、青木繁、 岸田劉生など。 
盛りだくさんだった。
こってりした油絵は、描き手の魂の格闘みたいなものを熱く感じたりする。
パッション゛と言ってもいいかもね。

東京美術倶楽部 創立100周年記念

2006-02-21 23:46:06 | ・アート・展覧会
「大いなる遺産 美の伝統展」 へ出かけた。
・国宝を中心とする古美術の名品。
・日本近絵画の巨匠たちの知られざる名作。
・新たな美を求めた近代工芸品。


ホンモノ、目に良い美しいものをたっぷり楽しんだ。
とにかく出展作品がどれも目玉で豪華で、息つく間もなかっほど。
横山大観や速水御舟、奥村土牛、小倉遊亀 川合玉堂、菱田春草、
他にも、橋本雅邦や富岡鉄斎、お宝鑑定団で耳にする有名どころばかり。
所属先をみると日本全国あちこちから、よくこんなに集まったとうれしいかぎり。
国内初公開の東山魁偉の「青い谷」がやはり荘厳な空気に包まれていた。
唐招提寺の御影堂の襖絵に通じるものがあった。 
村上華岳「秋谿之図」も色味が味わい深くよかった。

特に日本画に描かれる女性は色艶があって、しなやかで、美しいなぁと思う。
鏑木清方 「いでゆの春雨」 上村松園「櫛」↑や伊東深水「通り雨」
どの女性もそれぞれに趣があって好きだ。

国立劇場で「菊慈童」など日本舞踊の発表会をみる機会があったりするが、
やはり指先までしなやかで、その軽やかで細やかな動きに魅了される。
しなやかな美しさといえば、女子フィギアスケートも同じ。
もうすぐトリノオリンピックのシングルショートプログラムの時間だ。
日本の安藤、荒川、村主選手の三人にもぜひ全力で頑張ってもらいたい。
きっと今ごろはドキドキしているだろうな。
スケートリンクの氷上で、やはりしなやかに強く美しく舞ってほしい
ガンバレ! ニッポン女性


写真屋さんと桜の木

2006-02-21 12:00:05 | ・その他・暮らし・日常
棟が被害にあった近所の火事から、1ヶ月足らずが経ちました。
その衝撃の傷はまだ癒えないのですが、今日、ひとつうれしいことがありました。

現場と細い道を挟んだ向かいに、個人でやっている写真館があります。
わが家のバルコニーからみてみると、ひさびさに開いていました。
あの火事以来、ずっとシャッターが閉まったままだったので、
私も心配していました。
直接の被害はなかったようですが、やはりそのショックは大きかったに違いない。
とてもお店をオープンする気分にはならなかったのでしょう。
その心情は察することができます。

でも、今日は開いてて本当によかったです。安心しました。
これからは卒業・入学シーズン、とびきりの一枚をお願いしますよ。
やっぱりプロが撮る写真は違う、腕が違う、美しくすばらしいですものね。
店先のウィンドウに、お子さまや家族写真などが何枚か飾ってあるのですが、
どれもとても幸せな笑顔にあふれています。
写真は大切な記憶のしるし、心の宝物です。
桃の節句も近いですし、お雛様飾りを背景に記念写真も思い出に残りますね。


実は、もうひとつ気がかりなことがあります。
その写真屋さんの隣、道とのコーナーに一本の桜の木があります。
毎年、春になると私たちを楽しませてくれるのですが、
今回、彼女も間近な火事現場に居合わせたおもいっきりの目撃者です。
赤い炎の衝撃のあまり、ショックを受けて、
今年は桜の花を咲かしてくれないのではないか、なんて、
私はちょっと真面目に不安になっています。大丈夫かなぁ。
桜さん、みんなのためにも、いつものように元気にきれいな花を咲かせてね。
ぱっと明るい春の便りを心待ちにしています。

人も、街も、みんなどんなに傷ついても立ち直ることができる。
そう信じて、今日も生きていく・・・。