太陽がいっぱい

2007-09-30 23:31:36 | ・山本達彦ミュージック
残念ながら運動会は延期、冷たい雨だったわ。
でも、届いたばかりの LE SOLEIL Automneを胸に
抱いてお出かけしたから、(緑がまぶしいよ、ナマ写真付き)
だいじょうぶぅ、あたたかかったの。

秋モードの小町ちゃん、登場!!
ブーティーできめてほしかったけれど、
バッグが旬な達彦色みたいだからいいんじゃないかな。
゛本で調べたらシャンパン、或いはマシコットなどと呼ばれる色だ。゛

友達にタツヒコソングをお届けするとお約束。
何をセレクトしようかな、うれしくも悩んでしまう。 

長月を顧みて

2007-09-30 00:16:00 | ・今月のまとめ
9月を振り返ってみよう。まず鎌倉に2度足を運べたことは我ながら喜ばしかった。レーモンドの展覧会とシンポジウムでは小町通りをあんなに早足で脇目もふらず歩いたことはない。そして、若宮大路の段葛をあんなに焦って歩いたこともない。しかもかなり暑かった。友人は神奈川近美から鎌倉商工会議所まで簡単にタクシーを拾えると思っていたらしく甘かった。その日は八幡宮のお祭りと重なり混雑していたのだ。だが大量の汗をかいて暑さで苦しかったが、とてもよい内容だったので行ってよかった。価値は大きかった。特にレーモンド夫人のノエミの人柄と仕事ぶりに初めて触れることができて新鮮だった。ノエミのファブリックやテキスタイルはバーナード・リーチや日本の民芸につながるようなテイストだと素敵に感じた。シンポでは特に注目していたアーキビストの中原まりさんの通訳や発表はきびきびとテンポよくすばらしくて、やはり優秀な若手研究者との印象を受けた。最後にこの展覧会はアメリカから巡回してきたのだが、どうしても日本に持ってきたかったと力強く自分の意見をきっちりと述べられまとめられた。

アートスタディーズの美術分野では芸術に対する審査の微妙さ、難しさなどの裏話が興味深かった。誰が審査員かで評価は変わる、そのために入選したければ傾向と対策を練る必要があるというのだ。だが、それでは自身のほんとうの表現したい純粋な芸術魂はどうなるのか、それでよいのかと、私は不思議に思う。作品を堂々と批評するのも躊躇されるような雰囲気、美術界には風通しの悪さが正直あるらしい。思えば明治の時代の美術界も黒田清輝や藤島武二などいろいろ複雑な歴史や人物関係があったではないか。美の価値観やそれを取り巻く諸々は色々とムズカシイのだろうと思わなくもない。美術館や博物館の学芸員・キュレーターに関しても、なかには努力、勉強、実力不足のひともいるのは否めないということ。確かにそれはあるのかもしれない。7月に西洋美術館で福富太郎氏の講演会があった。私は参加できなかったのだが、そのタイトルの広告チラシに間違いがあったことに気づいた。福富氏の著作本題名と同じであれば、その漢字は絵を゛あつめる゛なのに、゛ながめる゛と間違ったふりがなをわざわざふっていた。そのミスは美術館として専門家としてはかなり恥ずかしいのではないか。また未然のチェックの甘さも露呈されている。そういう陳腐なミスには自戒も込めて気をつけなければならないと思う。それからもしかしたら展覧会で贋作をみせられている可能性もあるという話には驚愕した。観る方が気づかないでよろこんでいるレベルだからしょうがないか、だが一流のというか、まぎれもない本物にはやはり感動を与えるほどのパワーがあるから、その出会いを信じてひとつでも多く大事にしたいと思う。

菊竹清訓さんのフォーラムはエピソードが満載でとても面白かった。菊竹さんの熱い建築家魂に少しでも触れることができて貴重な時間となった。やはりご本人に直接お目にかかって語って聞かせていただけるのはうれしい。こちらもコンペの審査に関しての不可解さ、難しさがあるようなお話にも触れられていたのが興味深かった。特に建築家は自分の設計プランや作品に対して強い自信と愛着を抱いているのだから当然かもしれない。菊竹さんは戦後日本の三大コンペの一つと言われる1963年京都国際会館のコンペで審査委員の前川國男さんに図面の読み違いで誤解されてとてもショックを受けたのだと話された。

みくちゃん

2007-09-28 23:58:30 | ・子どもの世界
暑かった!!  きっと今日が最後の真夏日よね。

美しい空と書いて、お名前は ゛ みく ゛ みくちゃんです。
「あたしが生まれたとき、空がきれいだったって、お母さんが言ってた!!」
美空ちゃん、好きな絵を描くときはいつもきまって空を描く。
きれいな青い空を元気よく描く。かわいい雲も浮かんでる。

あたしの空、きれいな空。
運動会の準備もバッチリ、日曜日、きれいな空だとイイね!!

★山崎覚太郎 漆器 空 小屏風 1950 → ↑
 電信柱がね日常的、いまの風景が似てるの。ちっちゃい鳥がいるよ。

背番号11

2007-09-27 23:54:43 | ・子どもの世界
けんとくんはサッカーが大好きでクラブに入っています。

南葛SCの背番号11は岬太郎くんです!!
サッカーの申し子大空翼くんとゴールデンコンビです。
お母さんがいなくて絵描きのお父さんと2人暮らしです。
でも、すごく性格のいいやさくしてさわやかな男の子です。

けんとくん、好き嫌いが多くて多くて、
あれがキライ、これが食べられない、
おやつのとき、ダダをこねて今日もお口がとんがっていました。
南葛11番のTシャツ着てるけど、
あーあーぜんぜん違うよぉ~~ ため息吐息のミッチであった。

ブーム当時、たぶんanimate阿倍野で買った下敷き、なぜか今もある →↑
゛C翼゛は女子のあいだでは、や○い系の同人誌がスゴカッタ!

ちょっとつれづれ・・

2007-09-27 23:00:25 | ・その他・暮らし・日常
最近、勘違いをしていたことがあった。ひさしぶりに観たい映画があったのだ。それは『お吟さま』1962、今東光の原作は高校生の頃に読んだ。物語は千利休の娘・吟が長い間高山右近に想いを寄せているという話。しかし右近には妻がいる・・。映画での吟役は有馬稲子、女優・田中絹代の監督作だそうで、とても面白そうなので観たいと思っていた。こういった日本の古き良き映画を上映しているのは東京国立近代美術館フィルムセンターだと疑う余地もなかった。その前日、アートスタディズの勉強会の会場がたまたまこちらの6階会議室だった。てっきり2daysだと、翌日も映画を観に来るのだと自分で思いこんでいた。スケジュール帳に書き込んでいるからあとは決行するだけだと思っていた。念のため勉強会の帰りに1階の受付で確認したところ、なんとそのようなプログラムはありませんと言われた。「あれぇ、可笑しいな、何か勘違いしていたのかなぁ。」と我ながら不思議に思って、家に帰ってからよくよく調べたら、それは川崎市市民ミュージアム映像ホールでのプログラムだった。おもいっきり勘違いしていた。
川崎市市民ミュージアムあそこに出かけるのは私の家からだとアクセス的に少々難儀なのだ。昨年の夏に展覧会で訪れたが、バスの本数が少ないのがネックになる。なので映画を観るは今回はあきらめた。建物はものすごく大きくて、誰が設計したのかと思ったら菊竹清訓さん1988の作品だった。いわば同じく菊竹さんの手による江戸東京博物館と同じようなイメージのミュージアムだ。→

サザンオールスターズの歌にも登場する湘南パシフィックホテル茅ヶ崎1967。しばらく廃墟となって今はなくなってしまったが、こちら独特のフォルムのホテルでやはり菊竹清訓さんの設計だ。しばらくずっと加山雄三と父上である上原謙さんの所有だった。当時はエレキな湘南の風を浴びて、白く燦々とまばゆくく輝いたのだろう。なんとなくその時代が想像ができる。若大将の母上は小桜葉子という女優さんで、愛らしい子役さん時代の写真がフィルムセンターにあった。彼女は岩倉具視の曾孫にあたるという、そうすると加山雄三氏はその5代目になる。明治維新の功臣である岩倉具視の亡くなる直前の病床での姿、重篤の彼を明治天皇がお見舞いにいらしたとき、手を合わせとてもありがたく感激している姿がある。この大きな絵画が明治神宮外苑の聖徳記念絵画館に飾られている。なかなか胸に迫るような歴史の一コマ、迫力のある絵なのだ。

昨日は建築家・菊竹清訓さんをゲストに日本大学理工学部建築学科のフォーラムがあって学生に交じって参加した。そのこちらのモデレーターは建築家であり同大学の教授である横河健氏が務めていらした。健氏は明治の終わりの帝国劇場、大正の三越呉服店(百貨店)を建てた偉大なる建築家横河民輔氏の孫にあたる。民輔は中国などの陶磁器のコレクターでも有名であり、私はどんなきっかけで民輔コレクションが誕生していったのか興味を持っている。

実は、今日、知った事実があった。この夏に銀座大通りでふらりと立ち寄ったギャラリー建築家の50人展。現代の建築家、いわば建築家さんと個人事務所の仕事ぶりを紹介する催し物だった。家づくりのポイントなどもアドバイスされている。そのなかに辰野武山建築設計事務所というのがあった。私はすぐピンと来て、辰野とはもしやと思った。そこですぐにその場にいらした男性の方に伺ってみたが、わからない、そんな質問をすること自体がまちがっていたのか、少し妙な顔をされた。辰野といえば辰野金吾でしょう。そのつながりをすぐに疑うのは間違っていないと私は思うのだが・・。そして、今日調べていてわかった。やはりこの辰野さんというのは辰野智子さんという女性で東京理科大学の建築学科のご出身、彼女の祖父は仏文学者の辰野隆(ゆたか)氏であり、一高時代の同級生には谷崎潤一郎、東大教授時代には評論家の小林秀男などの教え子がいる。つまりその父上が明治の偉大なる建築家辰野金吾である。辰野家では金吾以来、建築家がいなかったのだがひ孫である智子さんが建築家の血を受け継いだのだ。そして、智子さんは大学院を終えられてから横河設計工房に勤務されていた。それから独立してご結婚されご主人と連名の建築事務所を開かれた。横河設計工房とは横河健氏のところ、横河民大輔は辰野金吾の次の世代、弟子にあたる。彼らの孫やひ孫の代で、その師弟関係は逆転しているが、その建築家魂は脈々と現代に受け受け継がれていて、なんとも面白いつながりだと私は思わずにいられなかった。

ニコニコニコライ堂♪

2007-09-26 23:54:19 | ・お気に入り空間・街並み
お茶の水の駅で降りた。
聖橋を渡らずにこちらに行くはず・・・。
ちょっと歩くと楽しそうな青空バザーをやってた。
古本とか名画の複製とか、私の好きそうなもの、すっかりそちらに気をとられた。
で、ハッとなって、イケナイイケナイ、目的はこれではない。
目の前そびえていたのは明大、じゃなくて、私が今日行きたいのは日大なのよ。
道の筋をまちがえたか、地図をぐるぐるまわす、やってはいけないパターンだ。
すると おおっ、あれは・・・
前方、隙間から姿を現したのはニコニコニコライ堂ではないですか、カンゲキ★
コンドルさーんとか、岡田信一郎~と名前を呼びながら心がはしゃいだ。
しかーし、浮かれている場合ではない、まだ迷子なのだから。
でも、ちゃっかり一枚写真を撮った。早歩き途中一瞬、縦線がまっすぐでないけれど。
街角で、知り合いの建物が隙間から見えるって言うのは特別うれしいもの。
正面じゃなくて、こういう隙間からご対面というのが実に楽しい。
そして、写真に写っている道路工事現場のおじさまに日大理工学部は
どこかと聞いてみたが、知らない、わからないという。
しかし、たまたまよく見ると前のビルが日大歯学部だったので受付で尋ねた。
ていねいに場所を教えてくれてよかった。そりゃ同じ日大だもの知ってるわね。
無事に日大理工学部の建物をみつけられた。ホッとした。

李朝から・・・

2007-09-25 00:31:31 | ・映画・ドラマ・舞台
チャングムに、また、逢える。
12月日生劇場でのお芝居ですって。
宮廷女官チャングムは歴史恋愛!?ものだから
日本の大河ドラマみたいで男性にも楽しめますね。

職場の集まりは女性ばかりで、いまだ話題は韓流なのです。
取っつきは早いが熱しやすく冷めやすい私はブームがとっくに去ってしまった。
それでもこの前、六本木ヒルズに行ったら、初めて生イ・ビョンホンを見に来たことを思い出した。
かろうじで隙間から見えたよ、雨が降ってきて、傘は禁止でさ。でもかなりカンゲキしたよ。
横浜のランドマークタワーに行ったら、やっぱりパク・ヨンハ君を思い出す。
歌声がよかったよ、あれは初夏だった。もう何年も前のように感じるけれど。

韓ドラで印象に残っていて好きなのは・・・
1位はロマンス
さわやかなキムジェウォンくんの笑顔とキムハヌルちゃんのドジでかわいい先生とのラブロマンス。
2位は韓ブームきっかけとなったチャン・ドンゴンの王子様ぶりがステキということで、イヴのすべて。
あとは順位がつけられないな。
メジャーどころで、冬ソナ、天国の階段、美しき日々、ホテリア、悲しき恋歌、夏の香り、オールイン、
パリの恋人など。Happy Together これは韓国版ひとつ屋根の下のようなお話で好き。

韓国のバラードは情感たっぷり、沁みるなぁと思う。
五輪真弓の♪恋人よのカヴァーもイイ感じ。シン・スンフンなんかもね。
さいたまスーパーアリーナの韓流サミットにも行って、グォン・サンウにもキム・スンウにも会ったよ。
ビョンssiの東京ドームのファンイベントにも行ったからそれなりにブームの波には乗ってたわけね。