-"METROPOLIS" 85th Anniversary #23-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
先週の週明けから一気に冷え込みが増し、ようやく平年並みの気温になってきました。 ウチの店の前の銀杏も、ようやく黄色く色付き始めました。
さらに、店内放送では毎年恒例のクリスマスソングが流れ始めました。
もう……ってコトもないですね。 11月も半ばですもんね。
なんていうか、夏から秋を飛ばして冬になったような気がします。
それとは関係ありませんが、先週は大きな動きが色々とありましたね。
まずは、森光子さんの訃報。
昭和から平成にかけてTVドラマや舞台で活躍し、女優としては初の国民栄誉賞も受賞した大女優が亡くなりました。
しかし、享年92歳の大往生。
なので、僕はあえてこう言わせて頂きます。
お疲れ様でした。
ゆっくりお休み下さい。
そして、政界にも待ちに待った変動がありました。
衆院解散。
そして総選挙は来月12月に行われるとの事。
チキンハート野田がようやくカクゴを決めたようです。
ってゆーか、民主党は既に空中分解状態なので、もう諦めたのかもしれませんね。
いずれにしても、来月の総選挙で政権交代は確実。 ようやく日本がよくなる方向に向かえそうです。
と、いうワケで政権交代を祝して前祝だ!
はい、毎年11月の第3木曜日恒例のボジョレーでございます。
今年も、昨年同様ローソンオリジナルボトル、ドメーヌ・ド・トロワなんですが、今年は昨年までと違ってグラスや小物が付いてくるプレミアムセットがありませんでした。(注:左図のボジョレー以外、ワイングラス、ソムリエナイフ、注ぎ口は、全て昨年までのプレミアムセットの特典です)
まあ、ワインブームも聞かれなくなって久しいし、今年は異常気象もあってブドウの出来も良くなさそうだし、マスコミも全然騒いでないですしね。
しかしまあ、僕は毎年恒例なので買いました。
では失礼して、カンパ~~イ!
…………。
うん、まあこんなモンか。
去年のよりやや劣るやも知れず、といったカンジ。
まあ、ヴィンテージの違いが分かるほどワイン飲み慣れてるワケじゃありませんがね!(笑)
ともかく、皆さんも(お酒の飲める方は)ボジョレーで政権交代前祝、してみてはいかがでしょうか?
<今週の特集>
今週の特集コーナーも、引き続き映画『メトロポリス』の徹底解説シリーズ、連載第23回です。
今回が、いよいよ最・終・回ッ!!
長かった……。
結局半年かかっちゃいました。(^ ^;)
終章
・最後の“ナゾ”
以上述べてきたように、映画『メトロポリス』の有する“ナゾ”を様々な角度から調査研究し、考察、解説する事によってこの“ナゾ”のいくつかを解明してきた。
しかし、本作における“ナゾ”の中で、解明しなければならないモノがもう一つだけ残っている。
それが、本作の“設定年代のナゾ”である。
本書の冒頭、序章にて、筆者は本作の設定年代をミレニアムの年、“西暦2000年”と記したが、実はこの設定年代の根拠は極めて希薄で、修復された2001年版のDVDソフトの記述をそのまま鵜呑みにしているだけで、何かしらの根拠があるワケではない。
また、一般に言われている“西暦2026年”という設定年代に関しても、実はハッキリとした根拠があるワケではない。 筆者自身、英語やドイツ語の資料を色々探してみたが、設定年代に関する記述は全く見つけられなかった。(注:日本語のサイトでは、いくつかでこの設定年代になっている記述があった)
この“西暦2026年”という設定年代の根拠は、実は1984年公開のモロダー版で、この版の冒頭で“追加された”中間字幕にて“西暦2026年”という設定年代が示されているというモノである。
この年代は、映画の製作当時から100年後という理由で正しいだろうと考えられているが、飽くまでも“考えられる”だけで根拠としては極めて弱い。
もちろん、それは“西暦2000年”でも同じはあるのだが……。
設定年代がハッキリしていないそもそもの原因は、本作の劇中に設定年代を示すモノが全く登場していないという点にある。
本作の劇中、影なき男がニューススタンドで新聞を読んでいる場面(注:2010年版で復元されたシーン)があるが、ココで影なき男が手にしている新聞(注:“メトロポリス新聞”)に日付が入っていないかと思ったが、修復されたフィルムはもちろん、スティルでも文字がつぶれてしまっていて読めなかった。
同じシーンで、労働者11811号が車中で紙幣を抱えるショットがあるが、この紙幣は映画用に制作された小道具で、しかも実物が現存している。 ので、発行年が入っていないかと思ったが、……入っていなかった。つД`)゜。
そもそも、硬貨ならともかく、紙幣に発行年を入れる事ってあんまないしね。(注:日本の紙幣にも入っていない)
その他、入手出来た資料は全て探したが、やはり本作の設定年代を特定する記述は一切見つけられなかった。
筆者の探し方が悪かったのか、それとも元々ハッキリした年代設定がないのか……。
恐らく後者だろう。
しかし、これが“西暦2000年”であったと仮定すると、非常に重要な意味がある事に気付く。
何故なら2000年は、“ミレニアム”という宗教上極めて重要な意味を持つ節目の年であるからだ。
第6章で記したノストラダムスの大預言を再び持ち出すまでもなく、リアルタイムの世紀末というこの年は、1000年という区切りの年であり、キリスト教でも重要視されていたのは最早説明するまでもないだろう。
それどころか、クリスチャンでなくとも、リアルタイムにこの節目の年を経験した皆さんだって、この年に何か起きるのではないかと期待……いやいや、不安を感じていた事だと思う。
実際、筆者も祈っていた。
「何も起きませんように、何も起きませんように……。」
と……。
しかし、実際にその瞬間が訪れると、……結局何も起きなかった。 あれだけ騒がれていたノストラダムスの大預言も、結局は1999年7の月を過ぎたとたん、まるで台風一過のようにサッパリと聞かれなくなってしまった。
再検証するでもなく、批判するでもなく、目の前を通り過ぎた風のように、誰も気にも留めずに過ぎ去っていっただけだった。
……だが、本当は“何もなかった”ワケではない。
それは、ちゃんと起きていた。
ただ、時間が少しばかりズレていただけだった。
2001年9月11日。
そう、9.11である。
これに端を発したが如く、今世紀に入ってからというモノ、世界中で様々な出来事が同時多発的に乱発するようになった。
9.11に始まった対テロ戦争。
世界のあちこちで起った独裁政権打倒という革命。
自然災害、政治的混迷、経済的混乱。
その全てが次から次へと連鎖的に発生し、しかもそれは今もなお、現在進行形である。
今から85年前、未来を予見すべく制作された本作にて示された巨大都市メトロポリスのヴィジュアルは、驚くほど正確に現在の大都市を予見している。
バベルの新塔は高さ350mという設定だが、都庁に代表される高層ビルは実際にこの高さに匹敵する設計がなされ、2012年にいよいよオープンした東京スカイツリーは、これを遥かに超える高さを実現した。
バベルの新塔の屋上から飛び立つ小型飛行機は、映画の製作当時にはまだ発明されていなかったヘリコプターに代わって再現された。 鉄道や高速の高架が縦横無尽に走る様子も然りだ。
本作に登場した人造人間は、外見こそ大きく異なるモノの、ASIMOという独立した二足歩行を実現したロボットによって完璧に再現された。
映画『メトロポリス』で描かれたミレニアムの未来は、今現在極めて正確にリアルで再現されているのだ。
ならば、本作で描かれた革命、すなわち人間性の再発見たる“セカンド・ルネッサンス”はどうか? これもまた、今現在で正確に再現される可能性はないのだろうか?
恐ろしい事に、筆者は“ある”と断じる他選択肢はない。
これを書いている2012年6月現在、日本の政界はまさに危機的状況にある。 与党の独裁的政策によって、日本国民を本作の労働者たちのような過酷な現実へと陥れる法案が可決しようとしている。 日本は、いつ“革命”が起っても不思議ではないほど、国民の政治不信は頂点に達している。
3.11の復興支援の遅れや、原発問題がこれに拍車をかけているのは明白だ。
今の日本は、本作で描かれていた労働者たちの暴動がいつ起っても、全く不思議ではない状況にあるのだ。
事実、中東では独裁政権を打倒すべく革命が起き、しかもそれが成功している。
本作で描かれていた“セカンド・ルネッサンス”は、既に再現されているのだ。
こんな時だからこそ、筆者はもう一度、皆さんに本作を鑑賞してほしかった。
本作の語るメッセージに、耳を傾けてほしかった。
そして、“人間性の再発見”を今一度、“再発見”してほしかった。
“頭脳と手の仲介者はこころでなければならない”
筆者は、救世主的存在であるフレーダーが現れるのを待てと言っているのではない。 筆者が言いたいのは、仲介者がこころであるなら、その“こころそのモノ”を我々一人ひとりが取り戻す必要があるのだと言いたいのだ。
何故なら頭脳と手と仲介者は三位一体であり、内なる神として我々一人ひとりの中にあるこころ、すなわち人間性に他ならないからだ。
我々一人ひとりがこころ、すなわち人間性を“再発見”すれば、自ずから仲介者たるこころへと進化する事が出来るのだ。
だからこそ、本作の設定年代は“西暦2000年”であるべきだと筆者は考えた。 本作の有している聖書的世界観をベーシックにした様々な寓意を強調するには、キリスト教的意味合いの強い“ミレニアム”である事は、必然的と言って良いほど重要な事だからだ。
何故なら全ては、本作の観客一人ひとりが映画に学び、“人間性の再発見”という革命、“セカンド・ルネッサンス”をその内で経験させるためだからだ。
“頭脳と手の仲介者はこころでなければならない”
我々は、今こそこの“こころ”を識る必要があるのではないか?
だから筆者は、本書の執筆を決意したのである。
映画『メトロポリス』は、1927年の初公開時に興行的大失敗となり、駄作の烙印を捺されて大衆の関心を失うも、その先見性と現代性が再評価され、今日最も優れた映画作品の一つに数えられるほどの名作になった。 その影には、本作に魅せられた多くの人々による努力と献身があり、何より映画で示されていた“人間性の再発見”が、失われる事なく形を変えながら脈々と受け継がれていた事実があった。
そして、伝説から再生された映画『メトロポリス』は、85年の年月を経た今もなお、初公開当時の輝きを失う事なく、いやそれどころかより一層の輝きを放ち、極めて重要なメッセージを我々観客に語りかけている。
このテーマとメッセージがある限り、映画『メトロポリス』はいつまでも色褪せる事なく、人類共有の財産として輝き続ける事だろう。
そして筆者は、そうあり続ける事を願い、そして祈る。
映画『メトロポリス』が、一人でも多くの人々の“人間性の再発見”を促す事を。
そして本書が、その手助けとしてアナタの旅の道標になる事を。
・旅の終わりに
筆者の旅はこれで終わる。
全ての始まりには終わりがあり、物事は終わらせる事が重要だからだ。
しかし、ココが目的地というワケではない。 何故ならこの映画を巡る旅の本当の終着点は、1927年1月のプレミア上映版の“完全復活”にあり、それが成されていない今現在は、“旅の途中”でしかないのだ。
もちろん、第5章で既に述べたように、アルゼンチン版を以ってしても叶わなかった“完全復活”の可能性は、何をどう考えても極めてゼロに近く、故にこの旅はいつ果てるとも知れない終わり無き旅路であり、目的地にたどり着くのは夢のまた夢である。
しかし、終わりは無くとも、終わらせる事は出来る。 そして、こうして結論を得られた今こそ、筆者はその旅の目的を達成したモノと判断し、旅を終わらせる事が出来るのだ。
そしてそれは、決して諦めたからではない。 この終着駅が、筆者にとっての精一杯だからだ。
これまでに記してきた事、そして考察した全てに対し、筆者は確信と責任を持っている。 が、いかんせん日本語で記されている資料が極めて少なく、またあったとしても他の資料と矛盾する記述や間違いも多く、結局は英語やドイツ語の資料に頼らざるを得なかった現実がある。
しかし、筆者は決してパーフェクトバイリンガルというワケではなく、むしろ英語や、ましてやドイツ語など筆者の語学力の範疇外にある。 そのため、どんなに努力しても翻訳ミスの可能性が皆無にならないので、これで妥協するより他なかったというのが、正直なトコロである。
そのため、筆者の方で十分に検証は行ってはいるが、本書に記した事の中には翻訳ミスによる間違いや誤解が残っている可能性があり、自信が無いというのが正直なトコロである。
なので、これを読んだ皆さんにお願いしたい。
間違いがあったら、どんどん指摘してほしい。
翻訳ミスがあったら、どんな些細な事でも教えてほしい。
この映画について知っている事があるなら、どんな小さな事でもいいので筆者に一言言ってほしい。
そうしたご指摘を頂ければ、筆者は本書を書き直す用意がある。
そう、この旅は、これがオワリなのではない。
今この時が、新たなる旅のハジマリなのだ。
筆者一人ではココまでしか来れなかったが、もしも皆さんが手を貸してくれるのなら、ココよりももっと先、あるいは本当の意味での“旅の終わり”にたどり着く事さえ、出来るかもしれない。
さあ掴んでほしい。 筆者が差し伸べた手を!
そして共に、新たなる旅路へと足を踏み出そうではありませんか!
2027年、映画『メトロポリス』が、100周年を迎えるその時に向かって!
‐Data‐
メトロポリス(原題:METROPOLIS)
配給:ウーファ/パルファメット
出演:グスタフ・フレーリヒ
ブリギッテ・ヘルム
アルフレート・アーベル
ルドルフ・クライン=ロッゲ
テオドア・ロース
ハインリッヒ・ゲオルゲ
フリッツ・ラスプ
エルヴィン・ビスヴァンガー他
脚本:テア・フォン・ハルボウ
フリッツ・ラング
撮影:カール・フロイント(第1カメラ)
ギュンター・リッタウ(第2カメラ/ミニチュア/多重露光)
ヴァルター・ルットマン(アニメーション/特殊撮影)
コンスタンティン・チェトヴェリコフ(ミニチュア)
ヒューゴー・O・シュルツ(多重露光)
エルンスト・クンストマン(シュフタン・プロセス)
ホルスト・フォン・ハルボウ(プロダクション・フォト)
美術:オットー・フンテ
カール・フォルブレヒト
エーリッヒ・ケッテルフント
特殊効果監修:エーリッヒ・ケッテルフント(絵画トリック)
オイゲン・シュフタン(シュフタン・プロセス)
衣装:エンネ・ヴィルコム
ヴァルター・シュルツ=ミッテンドルフ
彫刻:ヴァルター・シュルツ=ミッテンドルフ
音楽:ゴットフリート・フッペルツ
製作:エーリッヒ・ポマー
監督:フリッツ・ラング
‐修復版‐
ソ連・チェコ版(61年):ウラジミール・ドミトリエフ(監修)
東独版(72年):ヴォルフガング・クラウエ(監修)
エッカルト・ヤーンケ(助手)
パタラス版(87年):エンノ・パタラス(監修)
2001年版:マルティン・ケルバー(監修)
フランク・シュトローベル(編曲・指揮)
2010年版:マルティン・ケルバー(監修)
フランク・シュトローベル(編曲・指揮)
フェルディナンド・マルティン・ペナ(アルゼンチン版発見者)
パウラ・フェリックス=ディデイエ(アルゼンチン版発見者)
公開年月:1927年1月(日本では1929年4月)
総製作費:600万マルク(推定)
興行収益:7万5000マルク(ベルリン初演時)
といったトコロで、映画徹底解説シリーズ『「メトロポリス」伝説』は今回を以って連載終了とさせて頂きます。 長い間お付き合い頂き、誠にありがとうございました。
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
ちなみに、PDF版は来月、12/25にアップ予定です。 お楽しみにっ!
さて、来週からは近況、雑記などでお茶を濁しつつ(笑)、“次の連載”に向けて精進していきたいと思います。
一応、連載開始は年明け早々を予定していますが、今まで以上に難産で、まだ連載が始められるほど原稿が上がっていないので、正直連載開始がいつになるか分かりません。 何せ今度の解説する作品は、映画作品ではない(!?)ので。
今しばらくお待ち下さい。
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!
さまようヨロイがあらわれた!
※HM2
韓国在住のクリエーターによるシリーズ第2弾。 前作がノンクエストMODだったのに対し、今回はクエストMODになっているので攻略ダンジョンを探す手間がないのでラク。
まさにさまようヨロイとしか言いようのないクリーチャー。 しかも結構デカい。 中盤から終盤にかけて登場するザコキャラだが、そこそこ強い上集団でエントリーする事が多い。
Thanks for youre reading,
See you next week!
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