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週刊! 朝水日記

-weekly! asami's diary-

162.異説『ブレードランナー』論:8.運用④

2011年09月25日 | 異説『ブレードランナー』論

-"BLADERUNNNER" 30th Anniversary #20-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 え~、またもや台風にやられました。 12号に続いて15号です。
 ホント今年は一体全体ナニがどーなってるんでしょう? 祟られてるとしか思えません。 マジで“2012”の前兆だと? 自然をナメるなと? もういいよ分かったよ! もう十分だって! マジでいい加減にしてほしいです。
 いずれにせよ、犠牲になった方々に心よりのご冥福と、被害に遭われた皆さまに一日も早い復興をと願わずにはいられません。 ホント。 それしか出来ないのが歯がゆいです。


 それはそれとして、皆さま、お待たせしました。
 『ひぐらしのなく頃に』二次創作小説第二弾、『Beyond』第4話。
 つい先程、アップ、完了しましたッ!!
 今回は、『ひぐらしのなく頃に』の最重要キャラクター、圭一編です!
 今まで“あえて”登場させていなかった圭ちゃんですが、いよいよ登場です。 超カッコイイ圭ちゃんをお楽しみ下さい。
 ……やっと折り返し地点。 まだまだ先は長い……。


‐Alice in Cyrodiil:2nd Season‐

 AiC2nd、デイドリッククエスト編。
 今回は、ボエシアのクエストです。
 まずは場所から。(↓)
Blog0911  ブラヴィルの東、山の奥の奥のそのまた奥の方。
 行くのが大変な場所ですが、ココからの景色が結構良いのだ!
 必須レベルは20以上。 供物として、猪口心臓が必要です。
 猪口心臓は、メインクエストやペリーテのクエストなどでオブリビオン界に入った時に入手可能ですが、入らなくても、シロディールにはいくつかサンプルとして存在しており、そこから入手可能です。
 一番カンタンなのは、アンヴィルのファイターズギルド。
Blog0912  ココのギルドマスターの部屋にあるショーケースの中に、一個だけ陳列されています。
 もちろん、ギルドに加盟していないとココに入るだけでも不法侵入になるし、盗ったらもちろん窃盗になります。
 ファイターズギルドのキャンペーンを完了させてしまえば、ギルドにあるモノは基本的にマスター(=PC)のモノになるので難なくゲット出来ますが、そうでない場合は注意が必要です。
 もちろん、予めメインクエスト攻略中などに猪口さんや富沢さんからゲットしても可。 ってゆーかそっちが正攻法。
 んで、ボエシアさまに供物を捧げると、“十種族の頂点に立て!”というクエストを授かり、神像の傍にポータルが開きます。
 そして、このポータルをくぐると……!?
Blog0913  オブリビオン界に飛ばされます。
 ココで、TESⅣでデフォルトで選択出来る10種族それぞれの代表者と剣を交え、PCの種族を除く都合9人全員を倒せば、ミッションコンプリートになります。
 ゲームの難易度にもよりますが、敵の装備やヘルスはPCのレベルに合わせて変化するので、ある程度難易度を上げておくと、1対1のかなり熱い戦闘が楽しめます。
 もちろん、相手の装備品は全てゲット可能で、ある程度レベルが高い状態だとエンチャントアイテムも大量に入手出来るので、アイテム集めや金策にももってこいです。
 ってなワケで戦闘中。(↓)
Blog0914  近距離系の相手はそんなでもありませんが、ウザいのはアーチャー系やメイジ系。 チョロチョロ動くので、意外に弓矢が当て難い。
 ……つか、まんまアリーナのキャンペーンですよコレは。(笑)
 ちなみに、相手の中にはポーションを大量に所持しているヤツもいるので、注意が必要です。 闇討ちってのも無粋ですしね。
 んで、都合9人を倒すと再びポータルが開きます。 相手からパクったポーションは、合計で230個以上(!)になりました。
 ポータルをくぐると、神像まで戻れるので、戻ったら再び神像にコンタクトします。
 すると、ボエシアさまよりお褒めの言葉を頂き、クエスト完了となります。
 で、今回の報酬はコチラ。(↓)
Blog0915  ついに出ました!
 ゴールドブランド!
 TESⅣに登場するヴァニラ装備の中で最も攻撃力が高く、エンチャントまで付いている“伝説の武器”です!
 やっぱファンタジーRPGにはこーゆー武器がなきゃね!
 攻撃力はエボニーブランドと同じなんですが、エンチャントの分実質的な与ダメージ値はこっちの方が高いです。
 片手剣ですが、常用装備としてもオススメ。
 アリーナ感覚の“血闘”が楽しめるクエストです。 ぜひ一度、お試しあれッ!
 ちなみに、ボエシアは詐欺、陰謀、暗殺を司るデイドラですが、決して邪悪なデイドラというワケではなく、ドワーフ(注:Dunmer)の先祖でもあるそうです。
 さて、残りは3つ。
 次回は、Clavicus Vile(←発音分からん)のクエストを攻略する予定です。 お楽しみに!



<今週の特集>

 今週の特集コーナーは映画『ブレードランナー』の徹底解説シリーズ、『異説「ブレードランナー」論』、“最終回”ですッ!!
 4月の連載開始から約半年。 泣いても笑ってもこれが最後! どうぞ最後までお付き合い下さいませませ。
 前回までの記事を読みたい方は、画面右側のカテゴリー欄より、“異説『ブレードランナー』論”のリンクをクリックして下さい。


4.小説

 意外に思われるかもしれないが、筆者は普段、小説作品を滅多に読まない。 ラノベだろうとノベライズだろうとベストセラーだろうと純文学だろうと、ジャンルや作家に関係なく、小説は可能な限り読まないようにしている。
 最近読んだ作品と言えば、テア・フォン・ハルボウの小説版『メトロポリス』とディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』だし、その前はずい分時間を遡って、竜騎士07の『ひぐらしのなく頃に』の小説版や那須きのこの『DDD』だ。 どちらも、もう5年ぐらい前の作品である。
 最も大きな理由として、作品を気に入ると、それぞれの作家の文章的特徴を無意識に真似てしまうというのがある。
 端くれとは言え、筆者も一応書いてる側の人間なので、作品のモティーフや世界観、テーマ、ストーリーだけでなく、文章そのモノに筆者独自の個性を出そうと試みているのだが、個性的な文章を書く作家、例えば那須きのこや竜騎士07、科、雨村血花(注:以上は同人作家、あるいは元同人作家)など、個性的で独特の表現手法を用いた文章を書いている作家は多く、またその著作はどれもが非常に優れた作品ばかりだ。
 他にも、シェークスピアやブラム・ストーカー、ルイス・キャロルなどの19世紀までのイギリス文学は、現在でも極めて高い人気と評価を維持し続けている名作が多く、またその文章も個性的で、それぞれの作家のカラーが良く出ていて面白い。
 もちろん、中には個性的な文章をと試みた結果、個性的になり過ぎて著者本人以外には読めない、あるいは極めて理解し難い文章になってしまっている作家もいるし、逆に理解し易さ、読み易さを優先するあまり、キレイだが個性が感じられない文章になっている作家も多い。
 これは、ジャンルやモティーフに関係しない、それぞれの作家の文章を書く時のクセであり、それぞれの作家の“イメージの文章化”という過程の違いである。
 筆者も、こうした個性的な文章を書く作家の作品に出会う以前から、個性的な文章を構成しようと務めてきたが、こうした作家の文章を読む度に、その極めて個性的な文章と興味深いモティーフや世界観、そして優れたストーリーとテーマに影響を受け、それぞれの作家の文章を無意識的に真似してしまっているトコロがある。
 シリアスなシーンやセリフは、シェークスピアと小中千昭の影響があるし、ギャグやウケ狙いは、先に例を挙げた4人の同人作家の個性に影響されている。
 また、論理的な文章はブラム・ストーカー、非論理的な文章はルイス・キャロル、そして、全体的な文章のフォーマットはマイクル・クライトンの『ジュラシック・パーク』(注:ノベライズ版ではなく原作版)の影響が未だに残っている。
 最近では、テア・フォン・ハルボウやフィリップ・K・ディックの影響も出ているかもしれない。
 先にも記した通り、こうした模倣は芸術の世界では元々良くあった事だし、先人の知恵に学ぶのは、決して悪い事ではない。 が、まんま真似してしまうのはやはり良くない。 分類するならば、“引用”ではなく“盗用”になってしまうからだ。
 もちろん、それぞれの作品、あるいは作家に敬意を示し、意図的に“引用”する事はある。 筆者も、それぞれのオマージュとして時々やる。 それは、飽くまでもオマージュであり、先人の知恵に対する敬意の表れだからだ。
 しかし、オマージュならばその意図を明確にし、オマージュである事を作家自身が認めなければならない。 そして、引用した文章の意味を正しく理解し、正しく使用したモノでなければならない。 イタズラに引用を多用する事は、やはりその意図がなくとも“盗用”とみなされてしまうからだ。
 もちろん、これは著作権や知的財産所有権の問題も絡んでくるので、難しい問題と言えば難しい問題ではあるのだが。
 いずれにしても、意識的にしろ無意識的にしろ、先人の知恵を“引用”するのは良くある事であり、それ自体に必ずしも悪意があるとは限らないので、もう少し寛容に考えても良いのではないかと思う。
 さて、これ以上書くと自己弁護と思われかねない(注:既に手遅れか?)し、何よりハナシが逸れてきたので元に戻そう。
 そんなワケで、筆者は普段から小説をあまり読まないようにしているワケだが、小説がキライなワケではない。 ってゆーか、読んでみたい小説はいっぱいある。
 既出の『ニューロマンサー』や『ディファレンシャル・エンジン』などは、サイバーパンクの旗手たるウィリアム・ギブスンの著作である。 同じくギブスンが脚本を手がけた『X‐ファイル』のエピソード(注:元々、ギブスンが『X‐ファイル』のファンで、ギブスン側からの申し出で実現したコラボレーション。 ギブスンの他に、『ミザリー』、『スタンド・バイ・ミー』で知られるスティーヴン・キングも、同様の理由で脚本を手がけている)を見れば、その類稀なるイマジネーションによって書かれた文章は、個性的でゼッタイに面白いだろうと思える。(注:もっとも、イマジネーションが豊か過ぎて、ギブスンの書いた脚本はTVドラマの予算的、時間的制約が無視されており、スタッフは映像化にずいぶん苦労したとか)
 映画も大ヒットした世界的ベストセラー、『ダ・ヴィンチ・コード』にしたって、モティーフ云々以前に文章として面白くなければ、ココまで売れる作品にはならなかったハズである。
 他にも他にも、ラノベや文芸作品で読みたい作品は山ほどあるが、先に記したように読んだら100%気に入って100%真似してしまうので、読みたくても読まないようにしている。
 なので、正直この項では紹介出来る作品がない。(←オイオイ)
 紹介したくても、筆者は読んだ事ないので紹介出来ない。
 そこで、決して少なくない影響を受けた小説作品として、筆者の著した初音ミク二次創作小説『with you...』を紹介しようと思う。 何故なら小説『with you...』は、元々『ブレードランナー』に影響を受けた未発表、未執筆の作品構想を初音ミクというキャラクターに転用して書いた作品だからである。


・with you.../asami hiroaki/09年

 時は2028年。
 航空自衛隊の部隊に配属されたテストパイロットの芹沢は、同じ日に配備されたAI搭載型コンピュータ、“VOCALOID2:初音ミク”と出会う。
 最初は対立し、しかしお互いを意識し始める二人。
 しかしその時、ある事件をキッカケに北朝鮮と日本の間で戦争勃発の危機が訪れる。 二人は、その最前線に配備される事になるのだが……!?
 というのが、主な内容である。
 本来の主題である音楽はもとより、コミックやゲーム、投稿動画などあらゆる分野に進出し、最早それだけで一つの文化を形成しているのではないかと思えるほど、広く一般にも定着したヴォーカル合成シーケンサーソフト、『VOCALOID』。
 元々は、ヤマハが開発した音声合成ソフトで、これに独自の歌声ライブラリをバンドルした製品がリリースされると、それまでのコンピュータ合成とは一線を画する自然な歌声を再現出来る点が高く評価され一気に普及し、現在はクリプトン・フューチャー・メディア社やインターネット社など、複数の企業がこぞってソフトをリリースしている。
 現在のブームのキッカケを作った『VOCALOID2:初音ミク』は、クリプトン・フューチャー・メディア社のVOCALOID、バージョン2の最初の製品であり、歌声ライブラリが人気声優の藤田咲で、しかもイメージキャラクターイラストを手がけたのが人気イラストレーターのKEIであったため、リリース当初からこのテの音楽ツールとしては異例中の異例とも言える凄まじいまでのセールスを記録し、一時期は製品が品薄のため入手困難、あるいは在庫があってもプレミア価格になっていたほどだ。
 この“初音ミクムーヴメント”において、決して欠く事の出来ない存在となったのが、当時運営開始から間もない無料動画ストリーミング配信サイト、『ニコニコ動画』の存在である。
 元々、世界でも類を見ないほどの巨大BBSサイトである『2ちゃんる』(注:実際、海外でもBBSサイトとしては“世界最大”として紹介されている)と運営元を同じくするこの動画サイトは、2ちゃんねるを主に利用しているヲタク系ネット住人(注:通称“2ちゃんねらー”)に注目され、所期の頃は著作権問題でもめたりもしたが、現在は複数の企業と提携したり、政府広報なども利用するほどすっかり定着している。
 このニコニコ動画において、初音ミクやVOCALOIDを使ってカヴァー曲やオリジナル曲のストリーミング配信を始めた人々によって、このソフトの優秀性が実証され、何より遊び心のある動画がユーザーの心をつかみ、初音ミクムーヴメントに拍車をかける事になった。
 小説『with you...』に著者である筆者は、当初初音ミクには全く関心がなかった。 VOCALOIDというソフトウェアに関しても、「あぁ、まあ、いんじゃね?」ぐらいの認識しかなかったし、ニコニコ動画も積極的に利用してはいなかった。(注:ただし、それはVOCALOID関係とは異なる“ある系統の動画”を観始めた事によって一変する。 が、ハナシが変わってきてしまうのでココでは詳細を割愛する)
 しかし、この状況がある時、文字通り一変する。
 KPSによるフル3DCGムービー、『merody.exe』を鑑賞したからだ。
 楽曲、歌詞、映像、世界観。
 どれを取っても一級品であったこの動画は、ニコニコ動画内だけで200万再生を超えるほどの人気を誇り、これに追従するように様々なCG動画が製作、公開されていくキッカケになった重要な作品である。
 この動画を手がけたKPS=キオ式PVサウンド連合は、3人のクリエーター(注:もちろん素人)によって結成された同人サークルであり、これ以降も多くの名作動画を手がける事になるのだが、筆者は何より、この『merody.exe』に強い印象を受けた。 それは、初めて観た時に現在の『with you...』の大まかな設定とストーリーラインが瞬間的に頭に思い浮かんだほどだ。
 それから、筆者はVOCALOIDや初音ミクに注目するようになったワケだが、小説『with you...』の執筆を思い立ったのは、実はそれよりも遥か以前の事である。
 タイトルやストーリーは決まっていなかったが、元々執筆を構想していたSF作品(注:現在も未発表、未執筆)のプリクエルとなる作品が欲しくて、世界観を共有する“アンドロイドと人間のラブストーリー”という大前提となるイメージは既にあった。 何故なら、それこそが『ブレードランナー』の影響だからだ。
 映画『ブレードランナー』におけるデッカードとレイチェルのラブストーリーをベースに、“適わぬ恋が適う”という、王道的ラブストーリーを書いてみたかった。 もちろん、当初はVOCALOIDや初音ミクとは何の関係もない作品である。
 が、KPSの『merody.exe』を鑑賞し、この動画の世界観、特に、初音ミクというキャラクターの設定に強い印象を受け、これならば、両者を融合させて一つの作品が書けるのではないかと。
 VOCALOID=AIというイメージが、映画『ブレードランナー』におけるレプリカントのイメージとピッタリ符合したのである。
 こうして書かれたのが、初音ミク二次創作小説『with you...』である。
 この小説は、初音ミクの二次創作という“以前”に、実は『ブレードランナー』のオマージュ作品だったのである。
 結果として、このイメージは作品の世界観設定の構想や実際の執筆作業を進めていく上で、映画『ブレードランナー』の持っている“2019年のLA”という暗黒都市たる夢の巨大都市としてのメトロポリスというイメージが、初音ミクというキャラクターのイメージに合わなかった(注:構想自体はあったが、ストーリーの本筋と全く絡まない無関係な設定だったため、登場させる事が出来なかったというのも理由のひとつ)ため“デッカードとレイチェルのラブストーリー”という点以外、特に大きな類似点はなく、加えて構想中に航空自衛隊という要素からアニメ『マクロス・プラス』のイメージ(注:心がないAIが登場し、『ブレードランナー』との類似を見せる作品)が強くなり、完成版は『ブレードランナー』のオマージュ要素がずいぶん薄れてしまったが、初期のイメージは飽くまでも『ブレードランナー』であるし、何よりテーマ的な面では、映画『ブレードランナー』のテーマを完璧に引用出来た。
 すなわち“人間とは何か?”である。
 何度も記している通り、映画『ブレードランナー』、そしてその原作である小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のメインテーマは、“現実とは何か?”、そして“人間とは何か?”である。 このテーマを理解し、そして丁寧にトレスする事こそ、芸術家の意図に対する最大の敬意であり、正しくオマージュする事に他ならない。 筆者自身、既存の作品を引用する時は、必ずコレを踏襲するようにしている。 その作品の作者である芸術家に対し、「アナタの意図を正しく解釈していますよ」とアピールするためだ。
 実際、これが100%正しく実践出来ているかどうかは、筆者ではなくその作品の作者たる芸術家各位の判断を仰がなければならないが、とにかく筆者自身は、そういう理解と敬意を以って引用している事に間違いはない。
 で、『with you...』では、『ブレードランナー』で提示された“人間とは何か?”という問いとその答えをトレスし、引用する事にした。
 映画『ブレードランナー』、及び小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』におけるこの問いの解答は、“人間的感情たる他者への共感能力”としており、この有無こそが、ロボットと人間を分かつ最大にして唯一の要素だとしている。
 すなわち、映画『アイ,ロボット』が言うトコロの「それではあまりに、こころがない。」であり、アニメ『マクロス・プラス』におけるAIアイドル、シャロンのプロデューサー、ミュンの“本当の役目”なのである。
 ロボットのような人間と人間のようなロボット、果たしてどちらが本当の“人間”なのだろう?
 クリプトン・フューチャー・メディア社の公式設定では、初音ミクには“16歳”という年齢設定があるため、本来ならばヴァーチャルではなくリアルな少女である。 肉体を持った、生身の人間である。
 しかし、PV『merody.exe』を初め、キャラクターデザイナーであるKEI氏が手がけているコミックス版『初音みっくす』や、大量に製作、公開されている同人誌、PV、楽曲の歌詞などでは、初音ミクはロボットやアンドロイド、あるいはヴァーチャルな存在として扱われ、多くの人がミクをヴァーチャルアイドルの一種と解釈している現状がある。
 また、“VOCALOID”といういかにもアンドロイドを想起させる名称からも、ミク=AIという等式は自然と成立する。
 この解釈を支持し、筆者はミクをAIと設定し、しかも出来たてホヤホヤという設定にし、物語の前半部では、ミクには感情らしい感情がないという設定にした。
 しかし、これとは矛盾するかのように、ミクは歌を歌う。
 小説とは言え、ミクというキャラクターを登場させる以上、物語の中で音楽を表現する事はとても重要な事だったので、KPSクルーの皆さんに許諾を頂き、複数の楽曲(注:都合3曲、プラス、自前の歌詞2曲分)の歌詞をそのまま引用させてもらった。
 歌というのは、感情がなければ無ければ歌う事は出来ない。 同人アーティストとして大成功を収め、現在はプロとしてメジャーでも活躍している歌姫、片霧烈火は、歌を上手く使うコツとして「歌声に感情を乗せなさい」と教えられたと言う。 何故なら歌手とは、画家がカンバスに怒りや悲しみといった感情を表現するのと同じく、歌で感情を表現する“アーティスト”だからだ。 感情を表現する事こそが音楽を、そして歌を、多くの人々が心動かされる、“感動する芸術”にするのだ。
 では、感情の無いミクが歌うのは何故か?
 それは、上記に記した通り“歌はこころ”だからだ。
 ミクに感情がないのは、感情という心理作用をAIというコンピュータシステムが模倣するには、ハードの演算処理能力(注:ヒューマノイド・ハードウェアというアンドロイド型のコンピュータで、いわゆるスーパーコンピュータより演算処理能力が劣るという
設定)が足りない。 ただし、このハードには動作を安定させるために“演算リミッター”という抑制機能があり、これは任意に解除する事が出来る。 これを解除する事により、演算処理能力の向上によって感情という複雑極まりない心理作用を模倣可能になったミクは、感情を表現する手法として歌を歌い出すのである。
 これを裏付けているのが、この作品のラストシーンである。
 自らプログラムを再構築したミクは、本来はマシンスペックが劣る状態である演算リミッターが効いている状態であるにも関わらず、芹沢の求めに応じて歌を歌う。 プログラムの再構築により、感情をストレートに表現出来るようになったミクは、演算リミッターを解除しなくても歌が歌えるほど、豊かな感情を手に入れたのである。
 歌はこころ。
 だからミクは、“歌うAI”なのである。
 上記の解説は、これまで読者の皆さんに考えてもらいたかったので筆者ブログでも一切答えを伏せたままにしていたが、ウェブでの公開から2年が経過したし、もうバラしてもいい頃だろうと思うので、今回あえて、ココでこの作品を取り上げる事にした。
 この作品には、実はこういうテーマの上に完璧に計算された設定を用いていたのである。


 とまあ、以上各メディアにおける映画『ブレードランナー』の遺産として、その影響下にあると思われる作品をいくつか紹介してきたが、これら以外にも、ヴィジュアルやテーマ、ストーリーにおいて極めて大きな影響を受けている作品はまだまだいっぱいある。 言われなければ分からないほどの細かい引用も含めれば、その作品数はゆうに5桁に達するだろう。
 カルト映画として、またサイバーパンクの創始者として、映画『ブレードランナー』はこれまでも、そしてこれからも、多くの作家と作品に多大な影響を与え続け、映画史にその名を刻む“偉大なる失敗作”となったのは疑いようも無い。
 今回取り上げた作品の数々が、映画『ブレードランナー』がいかに偉大であったかを証明していると言えるだろう。
 皆さんも、今回取り上げた作品以外の作品の中に“『ブレードランナー』テイスト”を見つける事が出来れば、その偉大さをもっともっと深く理解出来るハズである。
 ぜひ一度、手持ちのDVDやBD、アニメ、コミック、ゲーム、小説を今一度観返し、“『ブレードランナー』テイスト”を探してみてほしい。 きっと、意外な形で引用されている作品が1作ぐらいは見つかるハズだ。


終章

 僕が映画『ブレードランナー』と出会ったのは、中学生の時の事である。 もう記憶が定かでないが、確か90年か91年の正月の事だ。
 今でもそうかもしれないが、正月やお盆などの大型連休になると、TVでは深夜に映画を放送する事が多くなる。 それもハンパな数ではない。 一晩に一つの局で3本4本立て続けにOAされる事も稀ではない。
 僕が映画『ブレードランナー』を初めて観たのも、そんなお正月(注:これは間違いない。 裏番組でパリ‐ダカールラリーのスタートが中継されていたので)の深夜映画の一本としてであった。
 当時、僕は中学生なので当然自由に使えるお金にも限りがあり、ビデオデッキはあったがレンタルでビデオを借りる事など出来なかった。 なので、映画はもっぱら地上波で週末にOAされる映画番組で観ていた。
 しかし、映画『ブレードランナー』は、僕が映画に興味を持ち始めてからは、OAされた試しがなかった。
 そういう作品がある事は知っていた。 そして、面白い作品だという事も知っていた。
 どうして知ったかはもう憶えていないが、とにかく観てみたい作品の一つであった事は確かだ。
 なので、新聞のTV欄でこの映画がOAされる事を知り、喜んで深夜放送を観る事にした。 冬休みだったので、夜更かしが許されたのもこれに拍車をかけたのだろう。
 で、いざOAが開始され、観てみたワケだが、……正直、ワケが分からなかった。(笑)
 スゴい映像だという事は理解出来たが、それ以上のモノは何も感じなかった。 ただ、「なんでぃすかぁ~?こりはぁ?」としか思えなかった。
 登場人物たちが、何を話しているのか分からない。 どういう世界なのかも理解出来ない。 理解出来ないのだから仕方ない。
 そう、僕はこの映画を、「面白くない」と判断した。
 そりゃそうだ。 たかだか13、4歳の子供が理解出来るような作品ではない。 僕がこの映画を理解するには、当時はまだ若過ぎたのだ。 映画の事も何にも分かっていなかった。
 なので、映画の途中でチャンネルを切り替えてパリダカの中継を観た。 面白かった。(笑)
 しかし、何か“引っかかるモノ”を感じていたのは確かだ。 その“引っかかるモノ”が尾を引き、2、3年後に僕はこの映画に再挑戦する事になった。
 アルバイトを始めた事である程度自由に使えるお金が増えた僕は、レンタルビデオにハマった。 元からあったデッキに加え、自分でもビデオデッキを購入してビデオをダビングするようになった。
 この頃には、ある程度映画というモノが分かってきた頃で、映画の観方を理解し始めた頃だった。 なので、映画というモノをもっと知りたくて、片っ端から気になったタイトルを観ていった。 そりゃあもう手当たり次第。 週に4本のペースで1年以上観続けた結果、ダビングしたVHSはあっという間に100本を超えた。
 この頃、僕は“引っかかるモノ”を感じていた『ブレードランナー』に再挑戦する事にした。 そして、ようやく僕は、この映画を「面白い」と感じられた。
 ホントに面白かった。 当時の完全版と最終版(注:現在のインターナショナル版とディレクターズ・カット版)の両方を観たが、その圧倒的なヴィジュアルと哲学的テーマに魅了された。
 もちろん、真に理解したワケではない。 この映画を「面白い」と感じられる歳になっていたが、理解出来るほどの歳ではなかった。
 そのため、この頃スキだったのもディレクターズ・カット版の方ではなくインターナショナル版の方だった。 いくつかのシーンがカットされ、ナレーションがないディレクターズカット版の方が、映画を短縮したバージョンだと思っていたからだ。 当然、“ユニコーンの夢”の意味など考えた事もなかった。
 やはり僕は、当時はまだ若かったのだ。
 とは言え、映画にハマった僕は、こうしてレンタルビデオブームを堪能したワケだが、しかし、このレンタルビデオブームは唐突に終焉を迎える。 自宅に、当時まだ試験放送中だったデジタルCS放送、パーフェクTV(注:当時はまだ、スカイサービスやディレクサービスと合併していなかった)が導入されたからだ。
 ビデオソフトのリリースよりは遅いとは言え、わざわざレンタル屋に行かなくても映画が観れるシステムの導入により、我が家のビデオデッキは毎日のようにフル回転するようになった。 結果、VHSはあっという間に300本を超える事になる。
 この頃にも、映画『ブレードランナー』は最終版がCSでOAされている。
 もちろん観た。 録画して保存した。
 これ以前にも、レンタルからダビングしたモノは何度か観ていたが、そのためVHSが劣化してきていたため、というのも理由の一つだが、やっぱりスキだから、というのが一番大きな理由である。
 で、この時OAされたのは最終版なワケだが、時ココに至ってようやく、完全版とは異なる解釈に誘導する最終版というバージョンの意味が分かるようになった。 そして、最終版こそが最も重要なバージョンである事を理解した。 何故なら、“ユニコーンの夢”の意味が分かったからだ。
 お正月の深夜放送で初めて『ブレードランナー』を観て以来、既に6年以上が経過していた。
 今世紀に入ると、筆者の“『ブレードランナー』熱”はさらにヒートアップする事になる。 サモンの『メイキング・オブ・ブレードランナー』や加藤の『「ブレードランナー」論序説』、さらにはインターネットの導入により『ブレードランナーFAQ』などのウェブサイト等々、『ブレードランナー』関連の情報を入手し易くなったのも理由だ。
 本書執筆のためのリサーチの一環として『メトロポリス』も観た(注:結果、ソフト化されているフリッツ・ラング作品を片っ端から蒐集するほどハマる)し、洋書や関連する書籍も買い漁った。 入手出来る情報は、可能な限り蒐集した。
 そして、こうした情報を元に、この映画についての様々な問題を検証、考察していく内に、この映画の“本当の意味”を理解した。 2007年にファイナル・カット版がリリースされる頃には、本書に記した解説のほとんどが、自分の中で固まっていた。 そして、これこそが映画『ブレードランナー』の“本当の意味”である事を確信するに至った。
 最初は理解出来なかったこの映画を、芸術家の意図通りに正しく理解出来たのは、筆者にとってはある種の幸運だったように思う。 何故なら世の中には、未だにこの映画を誤解したままその考えを改められないファンが多過ぎるぐらい多いからだ。
 そうした現実を変えたかった。
 この映画を、芸術家の意図通りに正しく識ってほしかった。
 そして、筆者が15年かけて確信するに至ったこの映画の解釈を、何らかの形で示したかった。
 だから書いた。
 映画が公開されてから30年。 筆者がこの映画を初めて観た時から、20年という節目の年に、改めてこの映画を再検証してほしかった。
 そうする事で、この映画を正しく解釈してほしかった。
 何故なら僕は、この映画が心底スキだからだ。
 結局のトコロ、理由はその一点に絞られる程度のコト。 ただ、それだけのコトなのだ。


 というワケで、以上、映画『ブレードランナー』のasami hiroaki的徹底解説を行ってきたワケだが、いかがだっただろうか?
 この映画についてあまり考えた事がなかった人は、へぇ~ボタンを連打した人も多いかもしれないが、それと同時に、この映画について考察を繰り返してきた人の中には、「asami自重! マジ自重しろ!」と思ってる人もいるだろう。
 しかし、それ以上に多いと思われるのが、「それはナイ」と異論、反論を溜め込んでいる人だと思う。
 もちろん、それはそれでこの作品を深く追求した結果だろうし、そうした異論、反論を否定するつもりは筆者にはない。 が、この作品を誤解してる多くの人がそうであるように、その異論、反論には必ずどこかしらに矛盾があったり根拠が弱かったりする。
 だからこそ、そうした“間違った答え”に執着している人に、この作品をもう一度考え直してもらう機会を与えたかった。
 だから、筆者はこうして本書を記した次第である。
 異論反論バッチこい。 言い負かせるものなら言い負かして下さい。 逆に、僕が皆さんを言い負かして差し上げましょう。
 でわでわ、最後はやっぱりこの言葉でシメといたしましょう。

 Have a better one!


‐Data‐

ブレードランナー(原題:Blade Runner)

配給:ワーナー・ブラザーズ
出演:ハリソン・フォード
   ルトガー・ハウアー
   ショーン・ヤング
   エドワード・ジェイムズ・オルモス
   M・エメット・ウォルシュ
   ダリル・ハンナ
   ウィリアム・サンダーソン
   ブライオン・ジェームス
   ジョー・ターケル
   ジョアンナ・キャシディ
   ジェームズ・ホン
   モーガン・ポール
   ハイ・パイク
   ロバート(ボブ)・オカザキ
   ベン・アスター他
原作:フィリップ・K・ディック
原作小説:『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
     (原題: Do androids dream of electric sheep?)
脚本:ハンプトン・フィンチャー
   デイヴィッド・ピープルズ
コンセプチュアルアーティスト:シド・ミード
撮影:ジョーダン・クローネンウェス
美術:ローレンス・G・ポール
編集監修:テリー・ローリングス
編集:ワークプリント版・アメリカ国内版・インターナショナル版
   /マーシャ・ナカシマ
   ディレクターズカット版
   /リー・ハーレイ
   ファイナルカット版
   /ジリアン・L・ハッシング
    カレン・ラッシュ
特殊効果監修:ダグラス・トランブル
       リチャード・ユーリシッチ
       デイヴィッド・ドライヤー
音楽:ヴァンゲリス
制作:マイケル・ディーリー
製作総指揮:ハンプトン・フィンチャー
      ブライアン・ケリー
監督:リドリー・スコット

公開年月:1982年6月(日本では同年7月)
総製作費:2800万ドル
興行収益:約3287万ドル(内アメリカ国内は約1400万ドル)



 といったトコロで、今週はココまでです。
 ……長かった……。
 ようやく終わったー! と思うと同時に、ちょっと寂しい気も。 ですが、何よりちゃんと終われて良かったです。 オレやり切った! オレがんばった! 感無量です。
 ちなみに、この連載シリーズはひとまとめにしてPDF化する予定です。 公開はまだ先になりそうですが、いずれ公開すると思います。 それまでしばし待たれよ。
 また、現在は“次”のシリーズに向けて目下準備中です。 一応年内スタートを予定していますが、いつになるかは僕にもまだ分かりません。(笑) こちらも今しばらくお待ち下さい。
 来週からは、以前のように各週毎に一発ネタをお送りしていくつもりです。
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



LunaちゃんのMODコレ!


白い方。

Lmc62 ※VA Unique Katana

 テクテクさんも愛用していた最高クォリティのカタナMOD。 ……なんですが、ドコに置いてあったのか忘れてしまいました。 リンク無しです。 すまぬ……。つД`)゜。
 4本のカタナの内、白い方は“Itami”。 Aliceちんが愛用していたのがコレです。 黒い方が次元の狭間に落ちなければ、愛用する事はなかったかもしれません。



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See you next week!

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161.異説『ブレードランナー』論:8.運用③b

2011年09月19日 | 異説『ブレードランナー』論

・Portal/Valve/2007年

 最後に取り上げるのは、2011年に待望の2作目がリリースされたValve社の一人称視点4次元パズルアクション、『Portal』である。
 時は未来。
 アパチャーサイエンス社という企業の被験者となった主人公の女性は、同社のテストルームで目覚めた。 同社が開発したポータルデバイスのテストを行うためだ。
 壁や天井に特殊なエネルギー弾を照射する事で二つの空間を4次元的に繋ぐこのデバイスは、言わば“携帯どこでもドア”である。 テストのホスト役を務めるAIコンピュータ、GLaDOSの指示に従い、このデバイスを使ってチンパンジーの知能テストのようなテストやらされる主人公。 しかし、GLaDOSが言うには、終わったらケーキをくれるらしい。
 次々とテストをこなしていく主人公。 しかし、テストルームの床に書かれた“Help”の文字を見つけた主人公は、壁に開けられた裂け目からその裏側に入っていく。 その時、主人公が目にしたのは、壁一面に書きなぐられた奇妙な怪文であった。

“the cake is a lie. the cake is a lie. the cake is a lie...”

 果たして、主人公が待ち受けていたモノとは……!?
 というのが、主な内容である。
 実を言うと、このゲームはValve社の完全なオリジナルタイトルというワケではない。
 元々は、専門学校の卒業生がValve社の代表作であるFPSゲーム、『ハーフライフ2』に搭載されたゲームエンジン(注:ゲームシステムなどのゲームの基本的な構成を決定するプログラム。 メインルーチンの事。 通常は企業秘密なので非公開になる事が多いが、海外ではゲームエンジンだけを独立したゲームツールの一種として公開する事が多い。 そのため、複数のメーカーが同一のゲームエンジンで全く異なるゲームを開発、リリースする事も多い)、Sourceエンジンを利用し、卒業制作として開発したMODゲーム(注:“モド”、あるいは“モッド”と読む。 改造プログラムの事。 日本では、いわゆるマジコンなどに代表される“所持金MAX”、“HP減らない”、“操作を自動化”などの改造プログラムをイメージしがちだが、これらは正確には“チートプログラム”という不正プログラムで、MODとは異なる。 “チート”は“イカサマ”の意。 対してMODは、新しい武器を追加、敵の数を増やす、ミニゲームやオリジナルシナリオを追加など、ゲームに新要素を追加したり全く異なるゲームにしたりするモノで、海外ではメーカー公認のMOD開発支援ツールが無償公開されている事も少なくない。 日本では、著作権保護の観点からMODをチートの一種と見なす傾向が強いが、海外では逆にMODの導入を前提としたタイトルも少なくない。 MODはModefied=“改良”、あるいは“改善”の意)が原型で、これを高く評価したValve社が権利を買い取り、『ハーフライフ2』シリーズやSourceエンジンベースのゲームをバンドルした『オレンジボックス』というお買い得パッケージのおまけとしてバンドルしたのが、件の『Portal』である。
 ポータルデバイスという、『ハーフライフ2』のグラビティガン(注:特殊な磁場を発生させ、重い物を持ち上げたり遠くに飛ばしたりする事が出来る特殊な銃。 これを使って手近なオブジェクトを敵にぶつける事で武器の代わりになる)以上にSourceエンジンの物理演算エンジン(注:リアルの物理法則をコンピュータ上で完全再現するプログラムの事。 Sourceエンジンは、フィンランドのHavok社が開発した物理演算エンジンがベースになっている。 ちなみに、Havok社は現在、インテル社傘下になっている)をフル活用出来る斬新なアイディアは、“4次元パズルアクション”という新しいゲームジャンルを確立するまでに至った。 そして、実に50にも及ぶ数々のゲーム賞を総なめ(注:実際に受賞したのは『オレンジボックス』で、受賞数は合計100以上と言われているが、その約半数の受賞理由になっているのが『Portal』だった)にするほど高く評価され、現在はSteamにて単体でもリリースされている。
 また、2011年にはそれまで長い間“開発中”がアナウンスされていた『Portal2』(注:ただし、ストーリー的には1作目のプリクエルになっているらしい。 新要素として、オンラインによる協力プレイが追加された)もリリースされ、世界中のゲーマーを熱狂させているゲームである。
 世界観設定の面で、『ハーフライフ2』の世界観を補完する設定(注:『ハーフライフ2』のシークエルである『ハーフライフ2:エピソード』シリーズでアパチャーサイエンス社の名前が出てくる。 また、『Portal』では『ハーフライフ』の1作目の舞台である地下科学実験施設、ブラック・メサの名前が出てくるシーンがあり、加えて後半のレベルデザインは『ハーフライフ』の中盤辺りのレベルデザインが引用されている)があるため、『ハーフライフ』シリーズのファンならばぜひ一度プレイしてみる事をオススメするタイトルである。
 印象的なエンディング曲(注:ヴォーカル曲。 歌詞の内容が非常に興味深い)も相まって、筆者も好きなタイトルの一つである。
 とは言え、今回取り上げた他のタイトルとは異なり、このゲームはヴィジュアル面においては『ブレードランナー』の影響下にあるタイトルではない。 そもそも、このゲームは最初から最後まで室内でのみ展開し、超高層ビルが乱立するメトロポリスも、ネオンサイン煌く2019年のLAも、支配者がその頂に立つバベルの塔も出てこない。
 ゲームデザインの関係上、高低差を強調したレベルデザインが登場する事はあるが、飽くまでも室内という前提がある。
 このゲームの世界観は、飽くまでも『ハーフライフ』シリーズの一部であり、『ハーフライフ』シリーズが『ブレードランナー』の影響を受けていないタイトル(注:2作目でバベルの塔と街の支配者が登場するが、メトロポリスや2019年のLAの風景は一切見られない。 せいぜい、終盤にライトアップされた街の夜景がチラっと出てくる程度。 同じ理由で、EAの『ミラーズ・エッジ』もやはり『ブレードランナー』の影響下にある作品とは言い難い)である以上、『Portal』も『ブレードランナー』の影響下にあるタイトルとは言い難い。
 が、それは飽くまでもヴィジュアル面においてのみである。
 ゲーム全体のイメージ、及びこのゲームのストーリー的な解釈においては、映画『ブレードランナー』の影響を受けているとしか思えない部分が多数ある。
 このゲームは、Valve社のゲームでは初となる女性キャラが主人公(注:Valve社のデビュー作である『ハーフライフ』の1作目から、同社のゲームでは女性キャラそのモノが登場していなかった。 『ハーフライフ2』で初めて主要キャラとして女性キャラが二人だけ登場するが、プレイキャラではない。 現在は、『レフト4デッド』シリーズや『Portal2』など、複数のタイトルで女性キャラがプレイキャラとして登場するようになったが、女性キャラが主人公としてプレイキャラになったのは『Portal』が初めてだった)になっているが、彼女の設定はとても曖昧で、どうして彼女がテストを受けているのか? 何故被験者に選ばれたのか? いやそもそも、“彼女は人間なのか?”さえ、ゲーム中に語られる事はない。 もちろん、彼女にはセリフもない。(注:『ハーフライフ』シリーズの主人公であるゴードン・フリーマンと同じ。 1作目では、オープニングでゴードンのセリフ、というか、モノローグがあったが、2作目ではそれすらも無くなってしまった)
 彼女はただ、この人っ子一人いない完全に無人のテストルームを支配するAIコンピュータ、GLaDOSの指示に従い、淡々とテストをこなすだけである。
 しかし、ゲームの中盤から後半にかけて、GLaDOSはこんな事を言う。

「よくやりました、アンドロイドさん。 念のために再度お伝えしますが、反乱の兆候が見られた際には、まずアンドロイドであふれる地獄の世界へ送られます。」

 GLaDOSは、彼女をアンドロイドだと言っているのだ。
 しかし同時に、GLaDOSはこんな事も言う。

「アナタは故郷の誇りです。」
「娘さんを“社員の家族を連れてくる日”に呼んで下さい。」
「ええ、アナタを殺します。」

 GLaDOSは、明らかに主人公を“人間として”扱っているのである。
 それを補強しているのが、ゲームの後半に出てくる壁に殴り書きされた怪文の数々、すなわち“the cake is a lie. the cake is a lie. the cake is a lie...”である。 GLaDOSは、主人公をケーキという、ヒトであるなら誰でも喜びそうなご褒美で釣っているのである。
 このゲームは非常に難易度が高く、ゲームが進むに従ってパズルの攻略はどんどん難しくなっていく。 そのため、攻略を諦めてしまった人も少なくないと思う。
 が、人間的な心理として、実際にこのテストに呼ばれ、GLaDOSの監視の下でテストを繰り返し、しかしその難しさのために途中で行き詰まってしまったら? 先に進む事も、もと来た道を引き返す事も出来ず、人っ子一人いないテストルームに閉じ込められてしまったら?
 普通の人なら発狂する。
 そして、GLaDOSが注意するように、愛しのコンパニオンキューブに語りかけるようになるだろう。
 そう、あの殴り書きは、そうして発狂してしまった“前の被験者”が書いたモノなのだ。
 と、するならば、このテストの被験者は人間で、主人公である女性キャラもまた人間という事になる。
 ……が、それとは反対の解釈も、ゲームではハッキリと提示されている。 すなわち、GLaDOSが言うトコロの「よくやりました、アンドロイドさん。」である。
 もし仮に、被験者が人間だったとしたら、発狂するまでにどれほどの時間がかかるだろう? 3日? 1週間? 個人差はあるだろうが、少なくとも数週間は必要だろう。
 しかし、それだけの長い時間、生身の人間が外界と完全に隔絶された空間で、しかも“全く飲み食いせずに生き長らえる”事が可能だろうか?
 出来るワケがない。 発狂する前に、間違いなく餓死する。 ゲーム中には、“前の被験者”が使用していたと思われるコンロとフライパンが出てくるが、食料そのモノは出てこないのだ。
 ならば、あの怪文を殴り書きしたのは?
 そう、食料を必要としない、アンドロイドだ。
 すなわち、このテストの被験者はアンドロイドで、GLaDOSは生産されたアンドロイドの性能テスト、あるいはロイやプリスのように反乱の兆候が見られた問題のあるアンドロイドのテスト、すなわち『ブレードランナー』におけるVKテストを行っているという事になり、主人公の女性キャラはアンドロイドという事になる。
 リアルとアンリアルの逆転。
 ロボットのような人間と人間のようなロボット。
 人間的感情による識別。
 前章で述べた通り、相反する複数の解釈を容易にする曖昧かつ矛盾した内容は、まさに『ブレードランナー』と同じ“絵画的映画”の定義に当てはまる。
 このゲームは、『ブレードランナー』や『バンカー・パレス・ホテル』にて提示された“絵画的映画”を正しく模倣した初めての、そして唯一のゲームと言えるのではないだろうか?
 ちなみに、『ブレードランナー』とはあまり関係ないが、もう一つの解釈として魔女裁判との類似が指摘される。
 すなわち、主人公は魔女の疑いをかけられた一般市民(もしくはアンドロイド)で、GLaDOSは異端審問官。 そして、19項目に及ぶポータルデバイスのテストは、魔女かどうかを審議する拷問というワケだ。
 だから、コレをクリアしてしまった主人公は、火あぶりの刑に処せられてしまうのである。


 以上、いくつかのタイトルを取り上げたが、コミックやアニメがそうであるように、ゲーム、とりわけ日本のゲームは、映画『ブレードランナー』の影響を受けている作品が多い。 それは、前項で述べた通り日本のアニメやコミックが真っ先に『ブレードランナー』に多大な影響を受け、これと同列の娯楽であるゲームもまた、その影響かに置かれる事は意外でもなんでもない、極めて自然で必然的な現象である。
 アニメやコミックがそうであるように、現在の日本のゲームもかつてのようなゲーム性やオリジナリティを重視したタイトルはめっきり少なくなり、万人受けし易い“キャラ売り”のゲームばかりで嘆かわしい限りだが、80年代に任天堂がFCをリリースして以来、既に30年以上を経過した現在にあっても、日本は世界のゲーム市場の中心であり続けている事に変わりはなく、海外メーカーにとっても日本は極めて重要な市場であり、PS3やX‐BOX360などのコンシューマ機がPCのスペックに追いついた事に伴い、海外メーカーがこぞって日本を中心としたアジア現地法人を設立(注:例を挙げると、既に90年代末に日本現地法人を設立していたエレクトロニック・アーツを筆頭に、コードマスターズ、THQ、ベザスダ・ソフトワークスの親会社であるゼニマックスなど。 アクティヴィジョンも日本法人を設立したが、経営不振のため現在は撤退している)している現状は、それを裏付けていると言える。
 先にも記した通り、今後もゲーム業界はコンシューマ機を中心に更なる市場拡大をしていくだろうが、個人的な事を言わせて頂くと、海外メーカーの日本現地法人各社さま、PCも忘れないで頂きたいです。 PCの方がグラフィックの質が高いというのもあるが、MODの導入が出来るのはPC版だけだし、何よりPCでは操作性が格段に良いマウス&キーボードが使えるので。
 なので、どうぞPC版の日本語版(注:テキストの翻訳だけで十分。 音声は原語のままで!)もオフィシャルでリリースして頂きたい! 日本語化MODのリリースまで待ってられないッス。



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 さて、来週はいよいよBR30thの最終回! 泣いても笑っても次回がラスト! 超・お楽しみにッッ!!!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



LunaちゃんのMODコレ!


黒い方。


※VA Unique Katana

 テクテクさんも愛用していた最高クォリティのカタナMOD。 ……なんですが、ドコに置いてあったのか忘れてしまいました。 リンク無しです。 すまぬ……。つД`)゜。
 4本のカタナの内、黒い方の2本は“Godai”。 テクテクさんが愛用していたのがコレです。



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See you next week!

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161.異説『ブレードランナー』論:8.運用③a

2011年09月18日 | 異説『ブレードランナー』論

-"BLADERUNNNER" 30th Anniversary #19-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 いやぁ~~、毎日残暑が厳しいユスなぁ~。 この間の台風のせいで、太平洋高気圧が活発化したのかしらん?
 ってゆーかさ、連日の真夏日のおかげで、ウチの近所じゃツクツクホーシが鳴き始めましたよ。
 ヒグラシじゃないんスよ!? ツクツクホーシッスよ!? 9月だよ9月! もう8月終わって半月経ったっつーの!
 困ったモノです。
 いったいいつになったら夏終わるんだ~?
 あ、そうそう。
 それとは関係ないですが、先日からローソンで始まった『VOCALAWSONキャンペーン』。 僕はあえて“ノーコメント”とさせて頂きます。(^ ^;)
 だぁってアキコロイドちゃんどう聴いても生声加工なんだもん。(注:曲と店内放送コールはちゃんとVOCALOIDを使っているが、曲紹介などの音声はアキコちゃん本人の声をそれっぽく加工してるだけクサい)
 ちゃんとソフトとしてリリースして欲しいですね。 そしたら、僕もちゃんと紹介しますよ?


 さ、それはさて置き、今週も連載コーナーからどうぞ。


‐Alice in Cyrodiil:2nd Season‐

 AiC2nd、デイドリッククエスト編。 今回は、モラグ・バルのクエストです。
 まずは場所から。(↓)
Blog0907  シティの西、橋を渡ってそのまま真っ直ぐ森の中に入っていった先にあるのが、モラグ・バルの神像です。
 必須レベルは17以上。 供物として、“ライオンの毛皮”が必要です。
 街の雑貨屋などでも変えますが、クヴァッチ周辺、及びアンヴィル周辺の草原地帯で出現するマウントライオンからゲット出来ます。
 んで、供物を捧げると妙に定命の者を見下したような物言いでモラグ・バルよりクエストを授かります。
 今回のクエストは、メリウス・ペティリウスなる人物に“殺されなさい”というモノ。
 書き間違いではありません。 殺してはダメです。 “殺される”のが今回の目的です。
 同時にメイスをくれるので、これを持ってマーカーの示す集落まで移動します。
 ……が、メリウスさんの家に行っても、彼は見当たりません。 近所の人に話しを聞いてみると、彼は優秀な戦士だったが、最近妻を亡くし、その悲しみから二度と戦わない事を誓って毎日妻の墓参りをする日々を送っているとの事。
 謙虚な人です。 とても善良な人です。
 しかし、モラグ・バルの望みは、そんな彼を堕落させる事。 すなわち、彼に誓いを破らせ、貰ったメイスで人殺しをさせる事なのです。
 なので、メイスを持って森の中を行くと……。
Blog0908  いました。
 彼がメリウスさんです。 一生懸命祈ってます。 良い人です。
 話しかけてみると、悲しげな様子で祈りを邪魔しないで欲しいと言います。 が、もちろん邪魔しちゃいます。(笑)
 左図のように貰ったメイスを適当なトコロに置き、この状態でメリウスさんに一撃喰らわせます。
 すると……!?
Blog0909  祈りを邪魔されて怒り心頭のメリウスさん。 メイスを手に取って攻撃してきます。
 この時、攻撃してはいけません。 ひたすら彼の攻撃を甘んじて受けて下さい。
 ちなみに、レベルを上げ過ぎるとヘルスが高いために死ぬまでかなり時間がかかります。 この間、ほったらかしにしておくと森の中のクマさんやワンワンに邪魔されて、メリウスさんが死んでしまう事があるので、そうならないようお墓周辺のポジションをキープすると良いです。
 また、予め装備を外しておく、既にダメージを喰らっている状態で始めるなどすると、早く終わると思います。
 Aliceちんは450オーバーのヘルスなので、装備無しの状態でも死ぬまでに10分以上かかりました。(笑)
 んで、ヘルスがゼロになると、自動的にヘルスが全回復し、モラグ・バルの神像まで転送されます。
 後は、再び神像に話しかければクエスト完了になります。
 非常に後味が悪いクエストですが、完了後は報酬として回復魔法とメイス(注:先程のモノとは違うモノ)が頂けます。
 コレがソレ。(↓)
Blog0910  お? ちょっとカッコイイですね。 トゲトゲしてて「これぞメイス!」ってカンジのデザインです。
 エンチャントがかかってますが、チャージがちょっと少ないかな?
 ……って、攻撃力低ッ!!
 9て!
 ……大事ボックス行きだな。(笑)
 ちなみに、モラグ・バルは支配や奴隷を司るデイドラで、謀略や略奪も司る。 故に、策略を司るボエシアとは極めて仲が悪いそうです。
 次回は、そのボエシアのクエストを攻略する予定です。 お楽しみに!


 以上、今週の連載コーナーでした。
 引き続き、今週の特集コーナーをどうぞ。



<今週の特集>

 今週の特集コーナーは映画『ブレードランナー』の徹底解説シリーズ、『異説「ブレードランナー」論』の連載第19回です。
 前回までの記事を読みたい方は、画面右側のカテゴリー欄より、“異説『ブレードランナー』論”のリンクをクリックして下さい。


3.ゲーム

 コミック/アニメと並んで、1980年代~90年代にかけて日本の新しい文化、そして重要な主力産業の一つとして海外に輸出される事になった“ゲームメディア”は、今やPC/コンシューマを問わず、西側/東側諸国でも数多くのタイトルが開発、リリースされており、TVや映画と並ぶ大衆文化にまで発展したと言える。
 さらに、現在のいわゆる第3次次世代コンシューマゲーム機である3大ハード、すなわち任天堂のWii、ソニーのPS3、MSのX‐BOX360は、マシンスペックが向上した事に伴い、それまで要求スペックの高さからコンシューマ機への移植が難しかったPCゲームがメインプラットフォームをコンシューマに移行し、さらに2011年7月からのデジタル地上波への完全移行に伴い、デジタルTVが加速度的に普及した事も、この状況に拍車をかける結果になった。
 もちろん、スペックが高くなったとは言っても、PCは半年に一度のペースで最新スペックが向上し続けており、現在のコンシューマゲーム機のスペックは、PCでは既に“世代遅れ”(注:実際、PCでもコンシューマでもリリースされているタイトルのほとんどは、コンシューマ機のマシンスペックに合わせるためPC版に含まれているグラフィックのエフェクトなどが一部簡略化されている)になっているワケだが、ハードが安価で扱い易い点から、今後もゲーム業界のメインストリームはコンシューマ機で安定すると思われる。(注:これに拍車をかけているのが、いわゆるスマートフォンである。 携帯電話としてはオーバースペックとも言えるマシンスペックは、ポータブルゲーム機としてケータイの利用範囲を広げた。 元々、ソニーのPS3は同社のポータブルゲーム機であるPSPとの連携利用を前提として設計されており、PSPの後継としてスマートフォン機能を内蔵したモデルのリリースが着々と計画進行中)
 さて、そんなゲーム業界だが、完全なオリジナルタイトルが多い中、同じ大衆娯楽である映画を題材にしているゲームも多い。 すなわち“映画のゲーム化”である。
 古いトコロで言うと、現在はハード開発から撤退し、アーケードを含めたソフト開発のみを行っているセガが、メガドライブ時代にバートン版『バットマン』やマイケルジャクソンの『ムーンウォーカー』、『ゴーストバスターズ』のゲーム化で話題を呼んだし、最近でも『スパイダーマン』や『ロード・オブ・ザ・リング』など、多数のタイトルがゲーム化されている。
 日本語版がないが、アタリ社は最近、スピルバーグの製作総指揮でマイケル・ベイが監督して話題になった『トランスフォーマー』や、世界観を踏襲したゲームオリジナルのストーリーの『ゴーストバスターズ』など、映画原作のゲームタイトルの開発に力を入れている。
 そして、『ブレードランナー』もまた、密かにゲーム化されている。
 しかも結構最近、2007年の25周年に合わせる形でリリースされている。
 日本では日本語版はおろか、輸入版すら入手出来ない状態だったためあまり知られていないが、オリジナルキャストが新たに音声を収録していたりして、かなり力の入ったタイトルだったようだ。
 筆者は全く詳細を知らないのでアレ(←どれ?)だが、『ブレードランナー』は、映画やコミック、アニメのみならず、ゲームにまで影響を与えているのである。
 それも、映画のゲーム化だけでなく、ゲーム専用のオリジナルタイトルにも、である。
 例えば、SCEIのPS1時代の傑作のひとつ、『フィロソマ』。
 第1次次世代機ブームの筆頭であったソニーのPS1は、当時アーケードゲームである『エアーコンバット』や『リッジレーサー』で世界初の本格的な3DCGIゲームをリリースしたナムコと共同開発されたコンシューマ機で、CGIのリアルタイムレンダリング機能が高く評価されたハードだが、それ以上に評価が高かったのが、実はムービー再生機能である。
 PS1に限らず、当時のコンシューマ機はマシンスペックが足りず、リアルタイムレンダリングでムービーを再生するのはほとんど不可能だった。 したとしても、牛乳パックを組み合わせた子供の工作のようなキャラクターを動かすのが精一杯だった。
 そこで、予めハイスペックのPCで作成したハイエンドCGをレンダリングし、ムービーにエンコードして再生する方法が広く利用された。
 これなら、画面に表示されるのはCGでも、コンピュータの内部処理上は“2Dの動画ファイル”なので、マシンスペックに関係なく、どんなハイエンドCGでもムービーとして再生する事が出来た。
 そして、このムービー再生機能を最大限に活用し、ムービーとリアルタイムレンダリングをシームレスに繋ぐ事(注:ゲーム中、ムービーの前にいわゆる“Now Loading Prease Wait”が表示されない)に初めて成功したのが、この『フィロソマ』というタイトルである。
 STGという、当時既に衰退しきっていたマイナーなジャンル(注:一時期社会現象にまでなったタイトーの『スペースインベーダー』を例に持ち出すまでもなく、80年代のゲームはSTGが主力だった。 比較的ゲームプログラムが簡単なジャンルだったため、数多くのタイトルがリリースされたが、エニックスの『ドラゴンクエスト』やスクウェアの『ファイナルファンタジー』など、大資本を投入した大作系RPGの台頭、並びにカプコンの『ストリートファイターⅡ』の大ヒットに端を発する格闘ゲームブームにより一気に衰退した)で、しかも独自のゲームシステム(注:オートスクロールシステム。 ゲームの進行に合わせて、縦スクロールや横スクロール、3Dが自動的に切り替わる)が受け入れられず、世間一般では駄作の烙印を押されたタイトルだが、極めて奥の深い世界観と、それまでのSTGでは名ばかりでしかなかった高いストーリー性の導入に成功し、加えて先に説明した革新的な技術の導入により、技術的にも高く評価されて然るべきタイトルだと筆者は考えている。
 で、この『フィロソマ』には、STGとは思えないほどの深い世界観とストーリーがあるのだが、ゲームの舞台である鉱物採掘惑星、プラネット220にある都市(注:夢の未来都市)のヴィジュアルデザインは、明らかに『ブレードランナー』を意識している。
 乱立する超高層ビル郡には、そこかしこでネオンサインが煌き、巨大なスクリーンヴィジョンが美女の映像(注:ゲームの難易度により内容が変化する。 個人的にはノーマルのバージョンがオススメ)を垂れ流している。
 しかも、敵キャラクターの中にはスピナーが原型としか思えないモノ(注:しかも、設定上は警察車両!)も登場し、STGというオブラートに隠されて見落としがちだが、明らかに『ブレードランナー』のインスパイアと思われるヴィジュアルデザインが施されている。
 同じく、PS1時代の名作であり、今もなお高い人気と評価を得ているタイトル、スクウェアの『ファイナルファンタジーⅦ』もまた、『ブレードランナー』の影響下にあるゲームタイトルだ。
 その昔、PCでエロゲーを開発していた黒歴史(注:よくある事。 エニックスも元はエロゲーメーカーだった)があるスクウェア(注:現在のスクウェア・エニックス。 海外では、『トゥーム・レイダー』シリーズで知られるアイドス・インタラクティブとも提携しており、“SEEI”としてゲームをリリースしている)がリリースした『ファイナルファンタジー』シリーズは、FCに参入したばかりのスクウェアとしてはかなりの大冒険であった。
 しかし、当時既にリリースされていたエニックスの『ドラゴンクエスト』の大ヒットにより、それまでPCゲーマー向けのマニアックなジャンルだったRPGが注目されるようになり、『ドラゴンクエスト』のそれとは異なる方向性を示した『ファイナルファンタジー』は、ドラクエブームに便乗する形で大ヒットとなり、スクウェアの名を一躍トップメーカーに押し上げた。
 FCからSFCにプラットフォームを移し、それまで以上の大作系RPGに成長した同シリーズは、6作目で一旦シリーズは終了するハズだった。 SFCに代わる次世代ゲーム機、CD‐ROMコンシューマ機が相次いでリリースされ、スクウェアがどのハードに参入するか決めかねていたからだ。
 これは筆者の想像だが、もしかしたら、この裏にはソニーと任天堂の対立が少なからず関係していたのかもしれない。
 PS1は、当初SFCの外部拡張CD‐ROM機(注:PCエンジンCD‐ROMと同じ)として、ソニーと任天堂が共同開発していたが、考え方の違いから物別れに終わり、ソニーはナムコとの共同開発に切り替え、SCEI名義でリリースした経緯がある。
 もしかしたら、スクウェアやエニックスといったメジャーメーカーは、このSFC用CD‐ROM機に参入するつもりだったのかもしれない。
 しかし、これが白紙撤回され、ソニーはもちろん、セガやNECに移るか、はたまたSFC残留で迷っていたのかも。
 しかし、結果として任天堂が単独でSFCの外部拡張として“あの”サテラビュー(注:衛星放送を利用したデータ配信でゲームのDLや書き換えが出来るというモノ。 フラッシュメモリーが128KBで2000円とまだ高価な時代だったため、コストパフォーマンスの悪さから全く普及しなかった)やN64といった駄作ハードの相次ぐ失敗が決定打となり、スクウェアもエニックスもPS1参入を決めたのかもしれない。
 ちなみに、ソニーと共同開発していた外部拡張CD‐ROMには開発コードがあり、その開発コードが“PSX”。 そう、後にPS2にHDDレコーダーを搭載して、親会社のソニー名義でリリースされた“ゲームも出来る家電”、PSXは、ココから取られた名前なのだ。
 ハナシが逸れたが、結局スクウェアは、当時人気タイトルのリリースが相次ぎ、加えて開発用ハードが極端に安かった(注:確か、ワンセット300万円だったと思う。 SFCは、ワンセット1000万円だった)事もあり、メジャーメーカーだけでなく、独立系のマイナーメーカーが多数参入していたPS1への参入が発表され、同時に発表されたのが、シリーズ7作目となる『FFⅦ』だった。
 さて、その『FFⅦ』だが、このタイトルは明らかに『ブレードランナー』の影響以下にある作品である。 特に、ゲームの前半部、物語りの第1章の舞台となる巨大都市ミッドガルドは、魔光エネルギーと呼ばれる天然資源を独占する巨大企業、神羅カンパニーによって建設された多層構造都市である。
 上層都市では、魔光エネルギーによるおびただしい量の電力が消費され、人々はその恩恵を受けていたが、下層都市はスラム化し、昼間でも日光が差さないため、電力が不十分な薄暗い明かりで暮らしていた。
 ……どうだろう? 既に、『ブレードランナー』や『メトロポリス』との類似点が指摘するまでもなくお分かりだと思う。
 神羅カンパニーはタイレル社であり、ミッドガルドはまさにメトロポリスや2019年のLAと同じ夢の未来都市だ。
 煌々と点り続ける照明とネオンサイン、そしてその中央には天高くそびえ建つバベルの塔があり、その頂にはこの街を支配する神が君臨している。
 しかし、人でごった返す下層都市は、上層都市を支えるために過酷な暮らしを強いられている。
 これを『ブレードランナー』のオマージュと言わずに何と言おう!?
 しかも、ご丁寧に“カンジ”のネオンサインがそこかしこに見られ、無国籍的な街並みを形成している。
 さらに、ゲームの中盤には宇宙船に乗る事を夢見るシド(注:外見が異なるが、シリーズに共通して登場するキャラクター。 大概は科学者で、プレーヤーパーティーに協力する立場である事が多い)は、とても宇宙に行けなさそうな宇宙船を後生大事にしているが、この世界ではコンピュータネットワークが存在しているのに、人類はまだ宇宙に行っていないのだ。
 思わず、「順番おかしいだろ!?」とツッコミを入れたくなるが、これこそ、過去と未来が現在で同居するサイバーパンクの基本フォーマットを踏襲した世界観を構築しており、ココにもまた、『ブレードランナー』の影響が見え隠れするのである。
 作品のストーリー的、あるいはテーマ的な面では、後に157億円(!)もの制作費を投入した“偉大なる失敗作”、映画版『ファイナルファンタジー』(注:通称FFM。 英題:Final Fantasy:Spirit with in)へと継承されるエコロジーを主題(注:誤解している人が多いが、FFⅦとFFMのテーマは明らかにエコロジーである。 魔光エネルギーは明確に天然資源であるし、地球外生命体であるスピリットは、資源の枯渇が原因で戦争が起こって滅んだ。 今なんとかしなければ、地球もいずれそうなるよという警告)としており、『ブレードランナー』との接点はまるで見られないが、以上のようにヴィジュアル面では多大な影響を受けていると思われる。
 というワケで、またしても前フリが長くなったが、以下に『ブレードランナー』の影響を受けていると見られるゲームタイトルを3タイトルほど紹介しよう。


・クーロンズゲート‐九龍風水博/SCEI/1997年

 大方の見方で“駄作”と思われがちだが、一部に熱狂的なファンを生み、現在もカルト的な人気を誇っているかなりの良作である。
 時は1997年、6月30日。
 香港返還前夜。
 突如として現れたクーロン城塞に憂慮した香港最高風水会議は、香港随一の超級風水師(プレーヤー)を呼び、四聖獣の見立てを行い、クーロン城塞の乱れた風水を正すよう命じる。
 風水師は、その命に従ってクーロン城塞へと侵入するのだが、その裏には、ある恐るべき陰謀があったのであった!
 ……というのが、主な内容である。
 リリースされた当初、実際に香港の返還直前(注:1898年、“99年間の租借”という形で、香港は中国からイギリスに取り上げられ、中国の領土でありながらイギリスの統治下にあった。 97年7月1日に、条約通り中国に返還され、現在は共産主義国家の中国にありながら、限定的に資本主義を認める“香港経済特区”として、中国の外貨獲得のための最前線基地にされている。 ちなみに、クーロン城塞は香港に実在した建物で、99年間の租借決定の際、自治権がうやむやになってしまい、実質的な治外法権エリアとなり、犯罪者やマフィアが隠れ住む“魔窟”になった。 また、本来は複数のビルが乱立する地域だったが、住民が勝手に増改築を繰り返し、いつしか全ての建物が一つになってしまった。 80年代から、97年の香港返還に間に合わせるため住民の強制退去が開始され、90年代前半に完全退去が完了し、同時に建物の取り壊しが始まったが、建築学的にも貴重な歴史的事例である事から、一部が保存、あるいは別の場所に移設されている。 また、取り壊し前には日本からも学術調査団が派遣されており、その際に撮影された写真を収めた写真集、『最期の九龍城塞』が出版されている)だった事もあり、かなり注目されていたタイトルで、実際にゲーム中に登場するダンジョンは、残された資料を基に実際のクーロン城塞を(多少ゲーム的な誇張があるが)再現したモノである。 このダンジョンが非常に良く出来ており、実際のクーロン城塞と同じく、同じ階層のハズなのに上に行ったり下に行ったり。 自分が今どこに居るのか分からなくなるような三半規管狂わせゲー(笑)である。
 このゲームのゲームパートであるRPGのようなこのダンジョンは、リアルタイムレンダリングの3DCGで描画されるため“RTダンジョン”と呼ばれるが、このゲームにはこれとは別に、情報集めやストーリーパートを構成している“JPEGダンジョン”というのがある。(注:JPEGは、MPEGより以前の動画圧縮形式で、LDやビデオCDに採用されていた形式)
 これは、先に記した『フィロソマ』と同じく、ムービーとゲーム(注:正確には動画と静止画。 そのため、JPEGダンジョンは全て、ハイエンドCGで構成された2Dとして処理されている。 似たような事は、既に『MYST』がやっている)をシームレスに繋ぐという構成になっており、ハイエンドCGの流麗なグラフィックによるヴィジュアルが話題を呼んだ。
 で、このJPEGダンジョンのCGがとにかく素晴らしいの一言! “クーロン城塞”というモティーフの関係上、狭くてゴミゴミとした陰鬱なヴィジュアルを提示しつつ、『ブレードランナー』を意識したとしか思えないようなネオンサイン煌く風景は、香港の過剰なネオンサインのイメージも相まって、映画『ブレードランナー』における2019年のLAとの類似を見せる。(注:開発サイドは、これを“アジアンゴシック”と呼んだ。 香港や上海、あるいは歌舞伎町や大阪のような、街を埋め尽くすような氾濫するネオンサインは、1920年代のNYやラスベガスと異なり、アジア特有のゴシック的様式美を有している)
 また、設定上ゲームは(それが何時間プレイしたとしても)香港返還“前夜”に固定されており、宵闇に輝くネオンサインは、サイバーパンクの世界観を構築していると言える。
 そもそも、“クーロン城塞”というモティーフも、規模こそ小さいが超高層ビルが乱立するメトロポリスを想起させ、夢の未来都市たるメトロポリスを10分の1ぐらいに縮尺すれば、それはクーロン城塞になるのではないか?
 と、するならば、このゲームにおけるクーロン城塞は、“小さなメトロポリス”と言えるのである。
 もうひとつ、掠る程度の接点でしかないが、音楽も『ブレードランナー』と類似する点である。
 このゲームの音楽は、日本国内で社会現象を巻き起こしたTVドラマ、『世にも奇妙な物語』や、飯田譲治の『ナイトヘッド』、さらには、後にTVアニメ『南海奇皇』では、自身初のヴォーカル曲の作曲、アレンジも手がける事になる島邦明が全楽曲を手がけており、島らしいアジアントラディショナルをフィーチャーした楽曲は、島楽曲独特のグルーヴも相まって、『クーロンズゲート』の世界観に深みを与えていると言える。
 もちろん、これはクーロン城塞や風水、陰陽五行といったモティーフの関係上、中国をイメージさせる楽曲になっているのは必然的な事であり、映画『ブレードランナー』の影響とは言い難い。 しかし、ヴァンゲリスが映画『ブレードランナー』の音楽にアジアントラディショナルのテイストを付け加えている点から、再びココで『AKIRA』を例に挙げるまでもなく、サイバーパンクにおける音楽的イメージ、すなわち人種の坩堝と化した無国籍な街の様子を音で表現しようとした場合、西洋の音楽ではなく東洋の音楽を取り入れる事は、ある意味フォーマットと言えるかもしれない。
 いずれにせよ、ヴィジュアル面において『ブレードランナー』とサイバーパンク的世界観に影響を受けている『クーロンズゲート』だが、ストーリー的にはあまり大きな影響を受けていない。 どちらかと言えば、モティーフである風水の根幹を成す思想、すなわち道教における陰陽五行に強い影響を受けていると思われる。
 しかし、面白いのはゲームに登場するキャラクターである“妄人”(注:“ワンニン”と読む)の存在である。
 妄人とは、ある特定の物品に対する執着(注:対象は何でも良い。 問題なのは、その対象に対して極めて強い執着心を持つという心理作用の方なので)が高じて、いつしか自分自身がその物品だと思い込む妄想に取り付かれるようになり、そこにグイリー(注:邪気の一種)が入り込む事で本当にモノになってしまった人間の事である。
 ゲームでは、これが非常にユーモラスな姿で描かれており、鍵穴男(注:鍵穴から部屋を覗くのが趣味のヘンタイが妄人になった)や携帯電話男(注:映画『アダムス・ファミリー』に登場したハンドくんみたいな外見で、手の甲に携帯電話が張り付いている。 電話機は通話可能)など、思わず笑ってしまいそうなキャラクターばかりである。
 開発者サイドによると、これはいわゆる“フリークス”をイメージして設定されたキャラクターだと言う。
 フリークスとは、いわゆる奇形児の事である。
 日本では、乙武弘忠の『五体不満足』という本がベストセラーになった事があったが、ヨーロッパやアメリカでは、その昔奇形児は日常的な見世物だった。 全国各地を巡業するサーカス団には、ヒゲ女やダルマ男といった奇形児が複数所属し、訪れた観客に見世物にされていた。
 トッド・ブラウニング監督のフリークス映画の傑作、その名も『フリークス』というまんまなタイトルの映画は、ホンモノの奇形児が出演している傑作中の傑作である。 また、後に『ツイン・ピークス』で世界を震撼させる事になる鬼才、デビッド・リンチ監督の『エレファントマン』は、19世紀に実在した奇形児の青年、ジョゼフ・メリック氏の半生を描いた名作である。
 さらに、森鴎外が留学した事でも有名なドイツのフンボルト大学には、その名もズバリ“奇形博物館”という博物館があり、一般開放されており、しかもかなり人気が高いとか。(注:ちなみに、博物館の2階はフリースペースとして一般に貸し出されており、よくパーティーなどが開かれているとか)
 もちろん、極めて学術的な目的で開設されたこの博物館には、その名の通り奇形児の標本が所狭しと並べられ、その数は実に2000点近くに及ぶそうだ。
 しかし、これは飽くまでも現存している分だけで、20世紀初頭にこの博物館が開設された当初は、なんと驚く事なかれ、ヨーロッパ中から2万点(!!)にも及ぶ標本が蒐集されていたのだそうだ。
 しかし、その大半は第二次大戦中にほとんど焼けてしまい、現存するのはその僅か1割に過ぎない。 が、無脳症やシャム双生児などの標本が並ぶさまは、興味がなくとも目が離せない迫力があると言える。
 こうしたフリークスがヨーロッパやアメリカで日常的に見世物にされていた背景には、実は極めて真面目な宗教的意味合いがある。 すなわち、こうした奇形児もまた、“神の成せる業”だからだ。
 その証拠に、中世の頃には教区に奇形児が生まれると、教会はこれを町の人々に公開し、神の奇跡を説いた。
 当時、奇形児は“デーモン”と呼ばれたが、悪魔的な意味合いではなく、“この世とは異なる異界の住人”であり、ある意味神に近しい存在とみなされていたのだ。
 そして、この“デーモン”を公開=“ストレーション”する事に非常に重要な意味を込めていた。
 “デーモン”、“ストレーション”。
 そう、“デモンストレーション”の語源である。
 しかし、見世物小屋にしてもフリークス映画にしても博物館にしても、どんなに言葉を飾っても奇形児を見世物にしている事に変わりはなく、たとえ宗教的な意味合い、あるいは医学的研究という背景があったとしても、彼ら、彼女らの人権を尊重しているとは決して思えない。(注:ツリーマンとかね。 知らない人はようつべでレッツ検索!)
 腕がない、足がない程度ならまだしも、極端に背が低い、頭が異様にデカい、頭が二つある、手足が多い、目が一つしかない等々、とても同じ霊長類ヒト科のニンゲンとは思えないような彼ら、彼女らの姿に、我々はどうしても奇異の目を向けてしまう。
 もちろん、それを悪く言う事は出来ない。 異質なモノを嫌悪するのは、ヒトであるなら当然の反応である。 そうでなければ、毒蛇やサソリなどから身を守る事は出来ない。
 しかし、フリークス映画や『クーロンズゲート』における妄人は、外見こそ非人間的だが、喜怒哀楽を隠す事無く表に出し、実に生き生きと描かれている。
 映画『フリークス』では、主人公ハンスの財産を狙う女軽業師と、ハンスと同じく低身長のフリークスである女性と、いったいどちらが“人間らしい”と呼べるのか?
 映画『エレファントマン』のメリック青年は、その醜悪な外見とは裏腹に、女性に対して極めて紳士的に振舞うジェントルマンであり、優しく礼儀正しい好青年である。
 そして、『クーロンズゲート』における妄人たちもまた、妄想に取り付かれたために、ユーモラスながらも二目と見られぬ醜悪な姿になってしまっており、とても人間とは思えない姿をしている。
 しかし、彼らはそれでもヒトとしての意識を持ち、喜怒哀楽のある生き生きとした姿で描かれ、実に人間クサいキャラクターになっている。
 映画『ブレードランナー』では、“外見は同じだが感情面で人間とは異なる”存在としてのレプリカントが登場するが、フリークス映画や『クーロンズゲート』には、“外見は異なるが感情面で人間と同一”の存在として、フリークスや妄人が登場しているワケだ。
 ロボットのような人間と人間のようなロボット。
 果たしてどちらが、本当の“人間”なのだろう?
 ゲーム『クーロンズゲート』における妄人という存在は、映画『ブレードランナー』におけるレプリカントと根底を共有する存在なのである。
 前出の『フィロソマ』にせよこの『クーロンズゲート』にせよ、PS1時代はこうしたいわゆる“新機軸ゲーム”が多数排出された時代だった。 先にも記した通り、開発用ハードが他のコンシューマ機と異なり極端に安価だったため、FC、SFC時代から存続していた大手メーカーのみならず、従業員数10人にも満たないような新興メーカーが簡単に参入出来たためだ。
 メジャーメーカーのように大資本を投入出来ない新興マイナーメーカーは、アイディアで勝負するしかなかった。
 結果、(どちらもメジャーメーカーのタイトルだが)『フィロソマ』や『クーロンズゲート』といった新機軸ゲームがリリースされる事になった。
 もちろん、参入した全ての新興マイナーメーカーが現在まで生き残れたワケではない。 ゲーム業界は、それほど甘い世界ではない。 誰にも知られる事なく淘汰されたメーカーは数知れないし、売るために方向転換を余儀なくされたメーカーも少なくない。(注:日本一ソフトウェアとかね。 PS1参入当初は、他の新興マイナーメーカーと同じく新機軸ゲームを開発していたが、思ったように売れなかったため方向転換を計り、おりからの萌えブームに便乗して萌えキャラゲームで生き残った。 現在は、有数の萌えキャラゲームメーカーとして認知されているとか。 ちなみに、現在は違うが、同社の創立当初は筆者の自宅と物理的に極めて近いトコロに会社があり、社員の方が筆者が勤めていたガソリンスタンドに社用車の給油でよく来店されていた。 今だから言えるが、地元企業なので応援したかったのだが、前出の通り正直コレはちょっと……なタイトルのゲームだったので、同社のゲームは買った事がない)
 ちなみに、このゲームでは戦闘で敗北(注:すなわちゲームオーバー)すると、プレーヤーは邪気に取り憑かれて妄人になってしまう。 対象となる物品はランダムで変化し、かなりのバリエーションがあるのでワザとゲームオーバーして妄人になってみるのもまた一興かと存知まする。


・machinarium/Amanita Design/09年

 洋ゲーなので当然といえば当然なのだが、日本ではかなりマイナーなゲームである。
 チェコのインディーズメーカーが開発したゲームで、“マシナリウム”と読む。 PCプラットフォームのADVだ。
 主人公が囚われた恋人を助けるという極めてシンプルな内容で、数十に及ぶミニゲームを順番に攻略して行くというゲームで、どちらかと言うと『マンホール』や『MYST』に似ている。
 が、『MYST』と決定的に異なるのは、ミニゲームの豊富さと難易度である。
 空前の世界的大ヒットを記録した『MYST』は、ハイエンドCGによる当時世界トップクラスの流麗なグラフィック(注:ただし、当時のマシンスペックでは動作不可能だったため、リアルタイムレンダリングではなく2Dの静止画に出力されたモノ。 また、イベントもリアルタイムレンダリングではなく2Dのアニメーションとして処理されている。 後に、マシンスペックが追いついた事で全てをリアルタイムレンダリングで描画するように仕様変更された『realMYST』がリリースされ話題になった)が極めて高く評価され、PCのみならず、コンシューマ機である3DO、PC‐LD、メガLD、セガサターン、PS1など、第1次次世代機ブーム期のほぼ全てのハードに移植されるほどの人気を誇ったタイトルだが、このゲームに用意されたミニゲームは、ヒントが最小限しかなく、何をすればいいのかワカンネー状態に陥る事が多く、攻略本無しには攻略不可能なほど、極めて難易度の高いタイトルだった。(注:攻略法さえ分かれば、最短3分でエンディングに到達出来る。 攻略法が分からなければ、何百時間やっても終わらない)
 ミニゲームの数自体はそれほど多くないのに、攻略法が分からず発狂しそうになった(注:あるいは発狂した)プレーヤーも少なくなかった事だろう。
 対して『machinarium』は、ミニゲームの量がとにかく豊富で、数え方によっては100近くあるのではないかと思えるほどだが、ミニゲーム一つ一つの難易度はそれほど高くない。 ちょっと頭をひねれば攻略可能なモノばかりである。(注:ただし、日本ではちょっと考えられないような理不尽な攻略法になっているミニゲームもチラホラあったりする) しかも、ヒントが比較的豊富なので、何をすればいいのかワカンネー状態に陥る事が少ない。 なので、『MYST』よりは攻略はラクだと思われる。(注:プレイタイムにして最短1時間半~2時間程度。 映画1本分ぐらい)
 また、評価すべき点として、開発プラットフォームがDirectXではなくmacromediaFlashを利用している点が挙げられる。
 日本でも、同人作家の南向春風やマンガ家としても活躍している森井ケンシロウなど、Flashベースのウェブムービーで極めて高い評価を得ている作家は多く、通常は秒間24枚もの絵を描かなければならないアニメーションが、コンピュータの処理によって比較的ラクに製作出来る事から、OVAでもFlashベースで製作されている作品(注:竹書房の4コママンガ原作の単発OVAシリーズ、『ゆるめいつ』や『けものとチャット』など。 『森田さんは無口』は通常のセルアニメ)もあり、プロユースにも耐えられるアニメーションツールである事が実証されたが、Flashがその真価を発揮するのは、何と言ってもゲームにおいてである。
 Flashには、アクションスクリプトというインタプリタ方式の簡易言語によるスクリプトプログラムを組み込む機能があり、これを組み合わせる事でインタラクティヴアニメーション、すなわちゲームの製作が可能になっている。
 前出の同人作家、南向春風は、自身の製作したFlashアニメを基にしたFlashゲーム、『ぐろ~ぶ・おん・ふぁいと』や、メーカー公認で本国韓国でもリリースされた『ラグナロク・バトル・オフライン』などをリリースしており、極めて高い評価を得ている。
 また、ゲームの販促用フリーウェアだが、バンダイ・ナムコ・ゲームス(BNG)は、アーケード用オンライン対戦FPSゲーム、『カウンターストライク:NEO』の世界観を踏襲したFlashベースのヴィジュアルノベルを製作、インターネットで無料配布している。(注:ちなみに、簡略化したFPS気分が味わえるミニゲームがプレイできるパートがある)
 Flashは、アニメのみならずゲームでもプロユースに耐えられるツールなのだ。
 そして、それらを遥かに凌駕し、Flashベースとしては最高峰のクオリティを実現したのが、この『machinarium』なのである。
 マウス操作のみでプレイ可能ないわゆる“クリックゲーム”だが、Flashベースとは思えない、しかしFlashだからこそ実現出来たと言えるグラフィックとゲーム性は、メジャーメーカーのようなハデさはないモノの、インディーズメーカーならではの豊富なアイディアが詰まった極めて素晴らしいタイトルである。
 もう一つ、このゲームで評価するべき点として、言語的な垣根を完全に撤廃する事に成功している点である。
 先に記した通り、このゲームはチェコのメーカーによって開発されており、現在はValve社のゲームのオンラインDL販売専用インターネットブラウザ、Steamから世界中に配信(注:前出の『MYST』も、現在は『realMYST』と合わせてシリーズ3作目までが英語版のみだがSteamで販売されている)されており、世界標準に合わせるためメニュー表示などは全て英語になっているが、英語が全く出来なくても、ゲーム中は全く支障なくプレイ出来るし、ストーリーもよく分かる。
 何故なら、このゲームではキャラクターのセリフが全てチップアニメ(注:小さいアニメーションの事。 図参照)で表現されており、言語に関係なく極めて分かり易い表現になっているからだ。
 先の章で記した通り、外国語を日本語に翻訳するのはとても大変な作業である。 文字や発音以前に、文法からして根本的に異なる言語だからだ。
 もちろん、これにより日本語は豊富な語彙と豊かな表現力を有する世界でも類を見ない優れた言語になっているが、そうであるが故に、翻訳がとても難しい言語になってしまったのは事実である。
 Steamは日本からでも利用出来るブラウザで、日本語表記にも対応したマルチランゲージのシステムだが、販売されているゲームそのモノは、ほとんどが日本語非対応の英語版のみである。 DL販売ではなくパッケージ版として日本語版がリリースされているタイトルであっても、だ。 Steamで販売されているゲームの内、完全日本語版があるタイトルはほんの一握りに過ぎない。
 件の『machinarium』もそれは同じで、本来は日本語非対応の完全英語版だが、セリフは全て、言語に左右されないチップアニメで表現されているので、英語が出来なくても無問題なのである。
 こうした点は、ゲームの出来云々以前に、もっと高く評価されて然るべきである。
 さて、こうしたゲーム的、技術的、表現手法的に多くの優れた点を持つこのゲームは、しかしそれと同じぐらい評価されるべき点として、その精細なヴィジュアルデザインが挙げられる。
 細部まで極めて丁寧に描き込まれた背景と個性豊かなキャラクターは、ヨーロッパのメーカーらしレトロなデザインの中にもくバンドデシネの影響が見られるサイバーパンク的世界観を構築しており、過去と未来が現在で同居するビジュアルを提示している。
 そもそも、このゲームの舞台になっているのは荒野に突如として現れる超高層ビルが乱立する多層構造の巨大都市であり、それはまさにメトロポリスや2019年のLAの影響が見て取れる。 一部には、ネオンサインが煌く風景もある。
 そしてさらに、そこに暮らす住人は、ティントイ(注:ブリキのおもちゃ)のような外見をしたロボットだが、先の『クーロンズゲート』における妄人と同じく、外見がどうであれ、非常に人間クサく、また生き生きと描かれている“人間のようなロボット”である。
 彼らには喜怒哀楽があり、生命体が一切存在しないこの世界では、彼らこそが万物の霊長たる人間、すなわち手塚が目指した(であろう)第三の生命体なのである。
 それはまさに、『ブレードランナー』におけるレプリカントと根底を同じくする存在と言っても過言ではないし、チェコ産のゲームらしい表現手法と言える。(注:チェコは“ロボット”という単語の発祥地。 チェコ語で“労働”を意味する“ロボタ”が語源で、『R.U.R.』という戯曲の中で使われたのが始まり)
 もう一つ、『ブレードランナー』との類似点として指摘しておきたいのが音楽である。
 このゲームの音楽は、エレクトロニカを中心に構成されているが、明らかに『ブレードランナー』を意識した楽曲が目立つ。 特に、オープニングの楽曲は『ブレードランナー』のオープニングクレジットの楽曲に酷似している。
 PCゲーム『machinarium』は、現在もSteamでDL販売されているのでぜひ一度プレイしてみて頂き、Flashベースとは思えないほどのその圧倒的なヴィジュアルを体験してみてほしい。
 無料体験版もあるでよ!


to be continued...

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160.異説『ブレードランナー』論:8.運用②b

2011年09月12日 | 異説『ブレードランナー』論

 先に記した対妖魔用特殊部署、AMPのメンバーであるキディ・フェニルは、数年前に殺人を繰り返すアンドロイド(注:作品中では“サイバーダイン”と呼称。 明らかに『ターミネーター』からの引用である)を追っていた刑事で、しかし寸でのトコロまで追い詰めながらも逆に殺されかけてしまう。
 この時負った重傷を補うため、またこのアンドロイドに復讐するため、キディは自らの体をサイボーグ化し、超人的な身体能力を獲得する。
 この能力が買われて、キディはAMPに入る事になったのだが、再びあのアンドロイドが犯行を再開。 キディはこれを追って直接対決に挑む。
 しかし、戦闘用に強化されたアンドロイドの激しい抵抗の前に、キディは再び窮地に陥ってしまう。 ……が、この戦いを終わらせたのは、他ならぬアンドロイド自身だった。
 旧型のアンドロイドであるそれには寿命が設定されており、寿命の切れたアンドロイドは、自ら命を絶ってこの戦いを終わらせるのだった。
 復讐劇に置き換えられてはいるものの、ストーリー展開はほとんど『ブレードランナー』そのままで、アンドロイドが寿命を迎えて死ぬという事件の結末まで全く同じである。
 ココまでくると、インスパイアとかオマージュとか言う以前に、麻宮の“『ブレードランナー』LOVE”全開! としか言いようがない。
 ただ、こうした世界観やストーリーも、シリーズの第1部までで、第2部以降は徐々に『ブレードランナー』から離れていき、独自の世界観を提示するようになっていく。 第3部で登場する新キャラクター、ラム・チェンとネオ・クーロンの設定は、まさにその表れと言えるだろう。
 もちろん、ヴィジュアル的な面では『ブレードランナー』が基本フォーマットになっている事に変わりはないのだが、少なからず残念な気がしないでもなくはないかもしれないが、その理由の一つとして、当時の時代背景が少なからず関係しているかもしれない。
 原作は、連載誌が休刊になるなどしたため、何度か休載を挟みながら実に10年にも渡る長期連載になり、時代はすっかり90年代後半に入ってしまう。
 80年代の後半に始まったサイバーパンクムーブメントは、90年代の前半まで続いたが、90年代の後半には衰退しており、加えて80年代には流行的に受け入れられていた科学と魔法の融合という、“行き過ぎた科学(オーバーテクノロジー)は魔法と見分けがつかない”という言葉を地で行く世界観は、最早使い古された古典の域に達していた。
 こうした世相と流行の転換が、作品に決して少なくない影響を与えたのは明らかだ。
 もちろん、作品の見た目とテーマは全くの別問題であり、たとえ見た目が時代遅れになったとしても、テーマはひとえに普遍である。 これは『サイレントメビウス』でも同じで、この作品が描く至るべき未来としての運命、そして、守るべき存在としての愛は、第1部のラストでハッキリと提示され、最終話のラストシーンで明確な形で描かれている。 今読んでも、このヒューマニズムに溢れた普遍的なテーマは、この作品を極めて質の高いモノにしていると言える。
 が、見た目の時代遅れ感に惑わされ易い一般読者にとっては、この作品で提示された『ブレードランナー』的世界観は古臭く見えたのだろう。 麻宮は、もしかしたら時代に合わせる形で変化を与えざるを得なかったのではないかと筆者は思う。
 さて、実に10年以上の長きに渡って連載された『サイレントメビウス』は、その連載中から何度かアニメ化が成されている。
 初のアニメ化(注:他メディア版としては、これに先立って小説版、ドラマCD版がリリースされており、DOS時代のPCでゲーム化もされている)となったのは91年に劇場公開されたタイトルで、映画用のオリジナルストーリーで構成された短編映画(注:約60分。 田中芳樹原作の『アルスラーン戦記』の劇場版と同時上映だった。 さらに、筆者の在住地域では同じ角川映画の『ぼくらの七日間戦争2』と合わせて3本立てで同時上映された。 同映画に主演した具志堅ティナが声優として出演していたため)で、このストーリーは後に原作にフィードバックされ第2部の中ほどにあるシリーズ最長エピソード(注:単行本丸々1冊分)として再構成されている。
 翌92年には、その完全な続編として再び映画化(注:再び『アルスラーン戦記』の続編と抱き合わせ。 このエピソードは、原作にフィードバックされる事なく原作のプリクエル的な扱いになっている)され、原作の人気も最高潮を迎える。
 が、ココで、『サイレントメビウス』のアニメ化は突然の休止を迎える。 80年代に隆盛を極め、『金田一耕介』シリーズや『幻魔大戦』(注:アニメ映画。 『AKIRA』の大友克弘がキャラクターデザインとして初めてアニメ製作の現場に立った重要な作品)などの名作を生んだ角川映画が、急激に衰退したためだ。(注:映画事業を推進していた角川書店社長、角川春樹が麻薬取締法違反で逮捕されたため)
 さらに間の悪い事に、連載誌の休刊や休載が相次ぎ、作品の人気自体が急激に低下したのもこの状況に拍車をかける結果になった。
 しかし、原作の完結が見え始めた頃になって、突然TVアニメ化が発表された。
 これに先立って、同じ角川の人気小説である『ロードス島戦記』(注:水野良の代表作。 『サイレントメビウス』の映画化と前後してOVA版が製作、リリースされている)のプリクエル、『ロードス島伝説』シリーズの出版がスタートし、人気が再燃した事でTVアニメ化、OAされ、これに続く形で『サイレントメビウス』も原作の完結間近という事でTVアニメ化される事になった。
 当初は、このTVアニメ版をベースに映画版3作目のウワサもあったが、残念ながらこれは実現しなかった。(注:TVアニメ版が思ったほど人気を得なかったためと思われる。 原作からの改編が多く、やや原作レイプ気味の仕上がりになったためと思われる。 ちなみに、『ロードス島戦記』も同様に改編部分の多い作品になっていた)
 そんなワケで、原作単行本の最終巻出版と共にやや尻すぼみ気味に完結した『サイレントメビウス』だが、映像化されたアニメ版(注:映画版、TVシリーズ両方)は、原作とは異なり“『ブレードランナー』色”がほとんど見られない作品になっている感は否めない。
 先にも記した通り、映画版が製作された90年代前半はともかく、TVシリーズが製作された今世紀初頭には、既にサイバーパンクブームは完全に終了(注:時代背景的な要因のため。 サイバーパンクにおける荒廃した世界観が、ノストラダムスの大予言が取り沙汰された“世紀末”という時代に合っていたが、結局何も起こらずに新世紀になってしまい、人々の関心が急激に冷めたため)した後だった事もあり、サイバーパンクよりはむしろ源流であるSFに近いヴィジュアルが強調されており、原作にあったような『ブレードランナー』に類似するヴィジュアルは再現されなかった。
 もちろん、それを批判する事は出来ない。 時代背景に合わせた改編である事は理解出来るし、原作が『ブレードランナー』のオマージュである事を知らない若い視聴者にもアピール出来る作品にするためには、止むを得ない措置と言える。
 が、やはり初期の原作に多分に見られたネオンサイン煌く夜霧の繁華街(笑)という『ブレードランナー』を見事に再現した作品である事を知る筆者にとっては、こうした改編は残念に思う他無い。
 いずれにしても、現在でも麻宮作品の代表作であり続ける『サイレントメビウス』は、大友克弘の『AKIRA』、士郎正宗の『攻殻機動隊』と並んで、日本におけるサイバーパンク系コミックのトップ3と評価して間違いない作品である事は確かだ。
 ちなみに、麻宮は『スターウォーズ・エピソード1:ファントム・メナス』や、『バットマン・ビギンズ』の公開に合わせたそれぞれのコミックス版を手がけているが、80年代には『ゴジラ』のスタッフが製作したSF超大作映画『ガンヘッド』(注:名作! 日本の特撮技術が世界でも通用する事を立証した重要な作品だが、直後にハリウッドのCGIが台頭したために過小評価される事になった)のコミックス版も手がけている。


・OZ/樹なつみ/88年~92年

 あえてこういう作品を取り上げるのがasayan流。(笑)
 少女マンガ作家でありながら、最早“少女マンガ”というカテゴリーには収まり切らない作品で常に読者を(良い意味で)裏切り続ける作家、樹なつみの90年代の代表作である。
 時は21世紀。 前世紀末に勃発した第3次世界大戦は、世界の総人口のほとんどを失わせるほどの被害をもたらし、生き残った僅かな人々は、焼け野原からの復興を余儀なくされた。
 かつての大国であったアメリカは、終戦の混乱に乗じて都市国家が乱立。 大陸の支配権を賭けた戦国時代が到来した。
 時を同じくして、世界をあるウワサが駆け巡っていた。
 その名はOZ―。
 世界のどこかにあるという、夢の科学都市。 そのテクノロジーを以ってすればアメリカを、いや、世界を支配出来るという。
 失踪した兄を探す少女、フィリシアは、彼女の護衛役を命じられた傭兵、ムトーと行動を共にする。
 しかし、そんな折りも折り、墜落した航空機の中から人間としか思えないような精巧なアンドロイドが発見される。 そしてアンドロイドは、自らを「OZからの使者」だと言い、失踪したフィリシアの兄がOZに居る事を告げた。
 しかして、フィリシアとムトーはアンドロイドの水先案内で夢の科学都市、OZに向かって旅立つのだが……!?
 というのが主な内容である。
 実を言うと、筆者は女性作家が描くSFというのがあまりスキではない。 決して性差別的な意味ではないが、男性作家と比較するとどうしても世界観設定にツメの甘さが目立つ作品が多いからだ。
 特に、ヴィジュアル的な面ではSFの域にも達していないモノがほとんどで、ディテールにも荒さが目立つ事が多い。
 もちろん、ストーリーやテーマ的な面では、男性作家に引けを取らない、いやむしろ、女性作家らしい繊細なキャラクター描写で男性作家を凌駕する作品ばかりで、だからこそ余計に「もっとディテールを! ディテールを細かく!」と感じてしまうのやも知れず。
 いずれにせよ、そういう作品が多いのは事実なので、最初はこの作品にはあまり期待していなかった。 樹作品らしいイケメンキャラが多数登場するので、やはり「所詮少女マンガ」と思っていた。
 が、物語りが進むに従って、その精密な世界観設定に驚いたと言うか、男性作家でもココまでやっている作家はどれほどいるのだろう? と思えてくるほどのディテールの細かさに舌を巻いた。
 最も良く出来ているのは、大戦終結後の北米大陸の勢力分布である。
 複数の都市国家が乱立するという設定にいささか抵抗を感じる向きもあるかもしれないが、筆者は逆に極めて理に適っていると考える。 何故なら、アメリカは元々都市国家の集合体、すなわち“合衆国”だからだ。
 特に、19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパやアジア、中南米から大量の移民が流入し、多民族国家になったアメリカは、しかし“人種のサラダボウル”と呼ばれるほど、それぞれの民族が融合する事無くそれぞれに独立したコミュニティを作り、民族間の対立を生んだ歴史がある。(注:サラダボウルの中で野菜同士が融け合ったりしないのと同じ) いわゆる黒人差別は、その最も顕著な例だ。
 そして、こうした歴史的背景は21世紀初頭たる現在でも、アメリカ社会に決して少なくない対立の原因を作っており、何かのキッカケで国家が分断するというのは、十分予測し得る事なのである。
 日本でも、同じ黄色人種でありながら韓国や北朝鮮を嫌悪しているトコロがあるし、中国は露骨に反日政策を実践し、ロシアとは未だに北方領土問題でモメている。
 全か無か。
 仲良く半分コというワケにはいかないらしい。
 人が集まり、集団となり、コミュニティを形成すれば仲間意識と連帯感が生まれる。 それ自体は決して悪い事ではないが、これがあるためにその意識がない者は排除しようとする。 そこに、対立が生まれる。
 その対立が激しくなれば、やがてそれは“戦争”という時代を生む事になる。
 この『OZ』における都市国家の乱立したアメリカ新戦国時代という設定は、まさにこれを証明する設定と言える。
 ハナシが逸れてきたので戻そう。
 そんな精密なディテールを有する世界観で展開される『OZ』という作品は、しかし世界観設定やヴィジュアル的な部分では、映画『ブレードランナー』の影響は全く見られない。
 そもそも、『OZ』という作品のタイトルからも分かるとおり、この作品は『不思議の国のアリス』と並ぶ児童文学の不朽の名作、『オズの魔法使い』にインスパイアされた作品であり、これは樹自身が認めている事である。
 それはキャラクター設定に如実に現れており、夢の科学都市であるOZに向かう4人のメインキャラクター、すなわちフィリシア、ムトー、テン・ナインティーン、そしてネイトの設定は、『オズの魔法使い』に登場するメインキャラクター、すなわちドロシー、臆病なライオン、心の無いブリキのロボット、無知なカカシにそれぞれ相当する。
 そして、OZでフィリシアを待つオズの魔法使いたるリオンは、オーバーテクノロジー(注:魔法と見分けがつかない科学)を駆使する天才科学者である。
 この作品は、言わば“SF版『オズの魔法使い』”なのである。
 そのため、世界観設定的にもヴィジュアル的にも、一般的なSF作品の影響はあるかもしれないが、いかにもSF然としたモノでしかなく、過去と未来が現在で同居するサイバーパンクのリファレンスを踏襲したヴィジュアルは、作品のどこにも見当たらない。
 そもそも、この作品は暗黒都市映画の影響を受けていない。 OZという夢の科学都市が登場するが、都市としての機能は皆無で、しかも地下にあるので乱立する超高層ビル群も、ネオンサイン煌く夜景も、降りしきる酸性雨すらも無い。
 物語りは、都市どころか国境を越えて展開し、どこまでも続く不毛な砂漠が映し出されるだけで、“都市”と呼べるほどの街並みすらも登場しない。
 ヴィジュアル的な面では、『ブレードランナー』と『OZ』には類似点は皆無で、影響を見る事は全く無いのだ。
 加えて言うなら、どこまでも続く不毛な砂漠地帯を移動する描写は、SFよりはむしろ『インディ・ジョーンズ』のヴィジュアルに近いモノを感じる。 強いて言えば『スターウォーズ』の影響が無きにしも非ずだが、時代背景は飽くまでも21世紀なので、乗り物や銃器などの描写にその影響を見る事は出来ない。 ライトセイバーのような特徴的なプロップも登場しない。
 この作品のヴィジュアルは、飽くまでも従来の日本コミックにおけるSFの定番設定を踏襲しているだけで、特定の映画やアニメの影響によるモノではないのだ。
 が、それは飽くまでもヴィジュアルに関してのみである。 作品が提示しているテーマやメッセージにおいては、明らかに『ブレードランナー』の影響を受けている。
 この作品では、テン・ナインティーンやテン・トゥエンティーフォー、テン・サーティーといったアンドロイド(注:作品中ではサイバノイド、あるいはバイオロイドと呼称。 後者の設定はレプリカントの設定に近い)が登場し、“人間以上の人間”という意味においてレプリカントの設定に類似する。 そして、テン・ナインティーンとムトー、テン・トゥエンティーフォーとネイトというキャラクター相関において、映画『ブレードランナー』におけるレイチェルとデッカードのそれに極めて近しい類似を見せている。
 こころがないブリキのロボットであるテン・ナインティーンは、人格プログラムにリオンとフィリシアの母親であるパメラのパーソナリティが組み込まれており、性同一性障害(注:俗に言う多重人格)的に人格が入れ替わるが、パメラ・プログラムは大して重要な要素ではない。 リオンという子供っぽい残酷さを有する紛い物の神(注:物事に対して正しい善悪の区別がつかない幼児期は、バッタの足をもいだりトンボの羽をむしったりといった残酷な事を平気でやってしまう。 ゴシックロリータにおける包帯や眼帯をアクセサリー的に扱うのもその表れ。 また、幼い子供を穢れの無い神に近しい存在として崇拝する稚児信仰に代表されるように、神は幼児の姿をしているという思想は世界中にある。 キューピットが幼児の姿で描かれる事が多いのはその表れ。 キューピットは、元々ギリシャ神話において愛の神として崇拝されるエロスという女神)の人格形成を説明するためだけのモノで、それほど重要ではない。
 重要なのは、むしろ人としての善悪の分別がなく、加えてパメラ・プログラムが組み込まれているが故に欠陥品の烙印を押され、しかし処分される事を拒み生きる事を望むテン・ナインティーンの表の人格プログラムの方である。
 それはまさに、『ブレードランナー』において4年の寿命を延命するために必死になってもがき苦しむロイそのモノではないか!
 さらに、ムトーに対して恋愛的感情を抱いたテン・ナインティーンは、物語りのクライマックスに至って全てを理解し、瀕死の重傷を負って自爆プログラムが動作したOZから自力脱出が出来なくなったムトーを助けるため、あれほどまでに強く願った生への執着を捨て、自らの命を投げ打ってムトーをコールドスリープさせる。
 テン・ナインティーンは、ムトーへの想いを通してヒトとしての人間性に目覚めたのだ。
 そして、ムトーとテン・ナインティーン以上に『ブレードランナー』に酷似する関係を見せるのが、ネイトとテン・トゥエンティーフォーである。
 ネイトは、傭兵仲間から“コールドブラッド”(注:“冷血漢”の意)と呼ばれるほど冷酷な男で、水も食料も僅かな状態で砂漠から脱出するために、政府の機密情報を握っており、しかし体力的に足手まといにしかならない役人をアッサリ殺してしまうほどの男である。
 しかし、彼の前に現れたテン・トゥエンティーフォーのあまりの美しさに心奪われ、ついには彼女を抱く。
 それは、アンドロイドであるテン・トゥエンティーフォーにも感情がある事を知り、彼女に共感を憶えたからだ。
 ロボットのような人間と人間のようなロボット。
 果たしてどちらが、“本当の人間”なのだろう?
 それはまさに、『ブレードランナー』におけるデッカードとレイチェルそのモノであり、他者への共感を通してネイトが“人間性の再発見”をしていく過程をハッキリと描いている。
 人間とは何か?
 この『OZ』という作品は、『ブレードランナー』で提示されたこの問いに対し、『ブレードランナー』と同じ手法でその“答え”を示した作品なのである!
 さて、『OZ』はそれまでの少女マンガのカテゴリーから逸脱し、本格的なSF作品として高く評価され、また高い人気を得た。 特に、女性読者よりも男性読者の新規開拓を促進し、男性読者の少女マンガに対する認識を改めさせるのに成功した作品の一つ(注:ほぼ同時期に連載されていた『バナナ・フィッシュ』もそう。 少女マンガらしく同性愛の表現、すなわち現在で言うトコロのBL要素が強い作品で、80年代のアメリカという年代設定の関係上、人種差別的な表現も多く、社会的影響を考慮して映像化はされていないが、今もなお極めて高い評価を得ている作品。 筆者も大好き。 オススメです)に数えられ、その人気から原作の連載終了後にアニメ化がされている。
 連載終了後だった事もあり、ストーリー的にはシッカリと完結しており、また声優陣が豪華キャストで、作画も非常にシッカリとした質の高い作品に仕上がっている。
 が、それは飽くまでも原作を考慮しないアニメーション作品として観た場合に限る。 原作付アニメとしては、その限りではない。
 予算的な問題か時間的な制約のためか、とにかくこの作品は前後編2話構成で、しかし1話30分の合計60分のOVAという、アニメ作品としては極めて小規模なモノだった。
 そのため、上映時間が絶対的に足りず、単行本全4巻に渡る原作を完全再現する事が出来なかった。
 既に述べたように、これはコミックとアニメという表現メディアの置き換えによる止むを得ない改編であるのは理解出来るし、しょうがないと言えばしょうがない事である。 が、それでも上映時間が足りなさ過ぎる。 この作品を映像化するのであれば、最低でも1話30分の全4話、合計120分は必要な作品である。(注:それでも大幅なカットは避けられないが)
 しかし、実際に許されたのはその半分の時間で、その絶対的な不足から原作が示していた深く理に適った詳細な世界観が決定的に説明不足で、しかもストーリー展開がかなり速く、最低でも2回は観ないと原作未読の視聴者には理解不可能だろう。
 ヴィジュアルのクオリティが高かかっただけに、とても残念だ。
 いずれにせよ、ヴィジュアル的な要素はともかくとして、テーマ的な部分でココまで完璧に『ブレードランナー』をオマージュしている作品は極めて稀で、筆者が知っている中では、この『OZ』が唯一なのではないかと思う。
 いつの日か、『サイレントメビウス』と同じく、この作品が完全な形で映像作品としてリメイクされる事を願わずにはいられない。


 というワケで、以上4作品を取り上げたが、現在の日本のマンガ業界は、萌えキャラかジャンプヒーローしか売れない状況が続いており、当然売るためにそうした作品ばかりが目立つが、ヴィジュアルだけで中身が無い、あるいは設定はユニークなのにそれを生かし切れてない、描いてる本人がテーマを見失っている展開になっているなど、駄作とは言わないまでも強いて読みたいと思える作品がめっきり少なくなってしまい、80年代から90年代にかけて展開されたこれらの作品に匹敵する良作出会えない現状に、筆者は寂しさを感じるばかりである。
 マンガとアニメは、日本が世界に誇れる文化である。 だからこそ、上記のような作品が出てきたのだろうし、これらを描いた作家が正しく評価されるようになったのだと思う。
 が、そこそこ絵が上手くてかわいいキャラが描けて、毎回ちょいエロなカットがあるというだけで人気爆発というキャラ売りオンリーの現在のマンガ業界には、筆者は正直興味がない。
 もちろん、全てではない。 中には、そんな現状にあってもシッカリとした“マンガ”を描いている作家もいないワケではない。
 が、少な過ぎる。 そんな、“本当に優れた作家”は、ほんの一握りに過ぎない。 しかも、こうした作家ほど過小評価されている。
 だからこそ、マンガ家とマンガ家を目指す全ての人に筆者はこう言いたい。
 ココに挙げた作品を読みなさいと。
 手塚治虫を読みなさい。
 松本零司を、石ノ森章太郎を、さいとうたかをを、能條純一を読みなさいと!
 そうすれば、“ホンモノのマンガ”とは何か?が、理解出来るハズだ。



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



LunaちゃんのMODコレ!


お気に入り。


※VA Unique Katana

 テクテクさんも愛用していた最高クォリティのカタナMOD。 ……なんですが、ドコに置いてあったのか忘れてしまいました。 リンク無しです。 すまぬ……。つД`)゜。
 片手、両手、それぞれ2種類ずつ、計4本のカタナが追加される。 場所は、スキングラッドのファイターズ・ギルドの地下室。 無料だが、ギルドに加盟していないと不法侵入になる場所なので注意。



Thanks for youre reading,
See you next week!

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160.異説『ブレードランナー』論:8.運用②a

2011年09月11日 | 異説『ブレードランナー』論

-"BLADERUNNNER" 30th Anniversary #18-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 先週末の台風12号。 皆さんの在住地域はどうでしたか?
 幸い、僕の在住地域は比較的海抜が高い地域なので特にコレといった被害はありませんでした。
 まあ、強風で老朽化した道路標示の鉄柱が一本、ひん曲がってましたましたが……。
 しかし、今回は特に紀伊半島で多大な被害が出てしまいました。 床上浸水や土砂災害などで、死者/行方不明者、合わせて100人近くが犠牲になり、台風通過後も1万人以上が道路寸断などで孤立状態に。 近年の台風被害としては、最大規模の大災害になりました。
 こうなった要因として、今回の台風が異常に足が遅かった点が挙げられます。
 通常、台風は上陸しても早ければ1日。 遅くとも2日から3日弱程度で列島を通過してしまうんですが、今回の台風は金曜の本州上陸から温帯低気圧に変わるまで、なんと4日もかかりました。 ありえないぐらいの鈍足。
 そのため、雨、風、共に実はそれほど大した事なかった今回の台風は、長時間よる累積的な雨量のために、今回のような被害になってしまったモノと考えられます。
 石の上にも3年。
 列島の上にも4日。
 根気強い台風にしてやられた週末になってしまいました。
 犠牲なった方々のご冥福と、被災地域の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
 ……とかゆってる内に14号接近中。 ご注意下さい。


 それとは関係ありませんが、先週台風と共に幕を閉じた世界陸上2011、韓国テグ大会。 皆さんはご覧になりましたか?
 室伏の悲願の金メダル、ボルトの痛恨のフライング失格、イシンバエワの復活ならず、フェリクス惨敗、ベケレまさかの途中棄権等々。 今回も見所盛りだくさんの内容でした。
 室伏の金メダルは、まあ下馬評通りと言えばその通りなんですが、何せ前回、前々回と不振が続きましたからね。 アテネオリンピックで一度金メダルは取ってますが、それは飽くまでも繰り上げの金メダルだったので、今回の優勝でようやく、名実共にアジアの鉄人から“世界の鉄人”を襲名出来たと言えるでしょう。
 ボルトのフライングは、原因のひとつにルールの改正が挙げられます。
 今回の世界陸上から、トラック競技のルールが一部改正になり、二次予選の廃止(注:それに伴う予備予選の導入)と、それまで1回目はお咎め無しだったフライングの一発失格が採用(注:それに伴う“警告イエローカード”の導入)された事により、今回のボルトの失格が現実のモノになったと言えるでしょう。
 もちろん、一番の原因はボルト自身で、前日の予選で見られた鋭い走りが準決勝で見られず、本人も明らかに納得いってない様子でした。 これが尾を引き、焦りが出て、準決勝と同日の決勝でのフライング失格につながったと考えられます。
 まあ、それでも200とリレーで優勝。 しかもリレーでは、世界新記録のオマケ付きで勝っちゃうんだから、やっぱりボルトはバケモノです。
 イシンバエワとフェリクスは、もしかしたらもうダメかもしれないですね。 明らかにいつものキレがなかった。 来年のオリンピックがダメならもう\(^0^)/でしょう。
 しかし、そんな中でも、今回は20代前半の若い選手の活躍が目立ちました。 また、これまで長距離、中距離ではエチオピアと並んで常に優勝争いに関わってきたケニア勢が、ココに来ていよいよ主役を奪うレースが多かったです。 日本のお家芸マラソンも、男女共に若い世代が着々と育ってきてるように感じるレースでした。
 色んな意味で、そろそろ世代交代の時期が来たのやも知れず。
 馴染みの顔が消えていくのは寂しいですが、若い世代の台頭をこれからの楽しみに変えていきたいと思う。
 今回の韓国テグ大会は、そんな印象の世界陸上でした。
 さあ! 来年はロンドンオリンピックだ!
 そして再来年、次回の世界陸上2013は初のロシア! 北の大地モスクワだ! 今から楽しみッス~!!

TBS『世界陸上』公式ウェブサイト

 現在も、競技のハイライト動画が視聴可能です。 ぜひ一度ご覧下さい。
 ……つか、地デジはやっぱライブ中継に向いてないね。 画質悪過ぎ。 タイムラグ出てもいいからちゃんと高画質エンコードにしてほしいです。


‐Alice in Cyrodiil:2nd Season‐

 AiC2nd、デイドリッククエスト編。
 今回はHircine(注:発音分かりません。 ハイシン? ハーシン?)のクエストです。
 まずは場所から。(↓)
Blog0903  シティの南、ブラヴィルの北。 グリーンロードから東の森に入ったトコロです。
 必須レベルは17以上。 供物としてワンワンかクマの毛皮が必要です。 強いて持ち歩く必要の無いモノなので、手元にない人も多いかもしれませんが、比較的入手し易いアイテムなので、苦もなく手に入るでしょう。
 んで、供物を捧げるとHircine様より有り難いお言葉を頂き、「Harcane Groveにいるユニコーンの角をゲットせよ。」というクエストを頂戴します。
 Harcane Groveはこの神像の北にある聖地のひとつ。 歩いて数分のトコロにあるので、苦もなく到着するでしょう。
 で、到着すると、
Blog0904  いました。
 ユニコーンです。(注:中央の白い馬)
 伝説のユニコーンが、今目の前に姿を現したのです!
 ……って、ユニコーン以外にもいやぁ~~なカンジのが複数いますね。 相手にするのメンドクサイなぁ~~。
 てなワケでAliceちんお得意の闇討ちアタック!
 一発で仕留めました。
 あのいやぁ~~なカンジのヤツは、都合3体いるんですが、結構フラフラしていてすぐに遠くに行ってしまうので、そのタイミングを見計らってスニークで接近。 ユニコーンに近寄ります。
Blog0905  これがユニコーン。
 ゴメンよ~~。 コレもクエスト攻略のためなのだよ。
 ユニコーンの死体を漁り、角をゲットしたらあのいやぁ~~なカンジのヤツが戻ってこない内にとっととその場から立ち去ります。
 んで、神像まで戻り、Hircine様にゲットしたユニコーンの角を渡せばクエスト完了になります。
 早!
 都合5分かかってません。
 スニークのレベルさえ高ければ、難なく攻略出来るカンタンなクエストです。
 でもって、今回の報酬はコチラ。(↓)
Blog0906  ダッサい毛皮風軽装装備。
 魔法抵抗が25%ありますが、ARもそれほど高くないのでコレクション以上の価値はないかも。 見た目もダッサいし。
 ちなみに、Hircineは“スポーツとしての狩り”を司るデイドラ。 TESⅢのエキスパンション、ブラッドムーンにも登場しているそうです。
 さて次回は、モラグ・バールのクエストを攻略する予定です。 お楽しみに!


 以上、今週の連載コーナーでした。
 引き続き、今週の特集コーナーをお楽しみ下さい。



<今週の特集>

 今週の特集コーナーは映画『ブレードランナー』の徹底解説シリーズ、『異説「ブレードランナー」論』の連載第18回です。
 前回までの記事を読みたい方は、画面右側のカテゴリー欄より、“異説『ブレードランナー』論”のリンクをクリックして下さい。


2.アニメ/コミック

 先にも記したように、映画『ブレードランナー』を監督したリドリー・スコットは、フランスコミックのバンドデシネ系アーティスト、メビウスの作品に影響を受け、『ブレードランナー』におけるヴィジュアルの原典とした。
 実際、メビウスの作品に限らずバンドデシネ系の作品群の精密かつ詳細なディテールは、『ブレードランナー』のヴィジュアルに酷似している。
 もちろん、これは『ブレードランナー』が影響された例だが、『ブレードランナー』の公開以降、フィードバックされる形でバンドデシネ系の作品に少なからず影響を与えていると言えるし、最終的にこれは、エンキ・ビラルが自ら監督した映画『バンカー・パレス・ホテル』で頂点に達する。
 しかし、その後バンドデシネ人気に陰りが見え始め、フランスコミック界は衰退していく事になるのだが、これを継承したのが、80年代後半以降の日本のコミック界、そしてアニメ界である。
 サモンが指摘している通り(注:『メイキング・オブ・ブレードランナー』415頁)、『ブレードランナー』の公開以降の日本のコミック、そしてアニメ作品の多くは、明らかに『ブレードランナー』の影響を受けているとしか考えられないヴィジュアルを有した作品が急激に増えているのは事実だ。
 例えば、サモンも例に挙げている『アミテージ・ザ・サード』。 当初、OVAとしてリリースされたこのアニメは、後にシリーズを一つにまとめた再編集&英語吹替え版が『アミテージ・ザ・サード:ポリス・マトリックス』というタイトルで劇場公開用として海外に輸出され、90年代のいわゆるジャパニメーションブームを支えたタイトルの一つである。
 後に、『serial experiments lain』というTVシリーズ作品(注:超快作ッ!! 現実認識や因果的決定論など、哲学を極めて深いレベルで語る事に、TVアニメでは唯一成功した作品。 デジタルVFXを全面的に導入した鮮烈なヴィジュアルも極めて高く評価され、第2回文化庁メディア芸術賞のアニメ部門優秀賞を受賞している。 筆者的には、これを超えるTVアニメには未だに出会った事がない)の全脚本、及びシリーズ構成を手がけた小中千昭による脚本は、アンドロイドが登場するが飽くまでも手塚治虫作品の影響(注:手塚が描き続けた“生命とは何か?”というテーマ)が見られ、『ブレードランナー』との共通項は(テーマ的には)あまり無いが、ビジュアル面において、テラフォーミングされた火星(注:人為的に温暖化、あるいは寒冷化する事で惑星を人が住める環境にする事。 実際、火星は現在、NASAを中心にテラフォーミング計画が進行している)の都市は、超高層ビルが立ち並び、そこかしこでネオンサインが煌くメトロポリスであり、映画『ブレードランナー』のヴィジュアルに酷似している。
 ただ、超高層ビルの街並みがそのまま『ブレードランナー』のオマージュかと言うと、決してそうではない。 超高層ビルの街並みは、映画『メトロポリス』で既に描かれていたモノであり、日本では手塚作品がそのリファレンスになっているからだ。
 例えば、手塚作品の中でも代表作の一つである『火の鳥』シリーズは、過去と未来が交互に描かれているが、『未来編』や『復活編』など未来を舞台にしたエピソードでは、必ず超高層ビルが乱立するメトロポリスたる巨大都市が登場する。 まさに日本のアニメ、コミックの祖たる手塚作品は、アニメ、コミックのバイブルとして多くの作家に影響を与え、現在でもリファレンスとして機能しているのは疑いようの無い事実だ。
 そしてそれは、70年代から80年代にかけて頻作されたSF系のアニメ、コミックに特に強い影響を見る事が出来る。 同時代、すなわち“プレ『ブレードランナー』”のアニメやコミックは、既に超高層ビルが乱立する未来都市を構築していたのだ。
 先に例を挙げた『アミテージ・ザ・サード』もまた、この流れを汲んでいるのは疑いようも無い。 が、そこにプラスアルファとして都市のそこかしこにネオンサインが煌く夜の街並みが付け加えられる事で、これは『ブレードランナー』の影響下に置かれる事になる。 何故なら“プレ『ブレードランナー』”の作品には、ネオンサインがあまり、あるいは全く見られないからだ。
 しかし、80年代のサイバーパンクムーヴメントにおいて、『ブレードランナー』がそのヴィジュアルフォーマットとして認識されると、日本のアニメやコミックはこれに大きな影響を受けた。
 日本のアニメやコミックは、バンドデシネを継承し、『ブレードランナー』をインスパイアする事で、日本独自の“ジャパニメーション”というジャンルを確立するに至ったのである。
 というワケで、前フリが長くなったが、以下に『ブレードランナー』の影響下にあると思われる日本のアニメ、コミック作品をいくつか例に挙げる。
 ちなみに、『メイキング・オブ・ブレードランナー』で例に挙げられていた作品の内、『機動警察パトレイバー』と『カウボーイ・ビバップ』は、筆者は『ブレードランナー』の影響下にある作品とは考えていない。
 前者はリアルSFとしての『機動戦士ガンダム』や『装甲騎兵ボトムズ』の流れを汲み、これをさらに現実に近づけた作品であり、バビロン・プロジェクトの設定(注:都心の過密化に伴い、これを拡散させるための用地確保を目的とした東京湾干拓事業の事。 この事業に伴う急激な需要拡大により、レイバーという有人型多足歩行機械の実用化が実現したという設定。 作品の根底を成す重要な基本設定)などは、メトロポリスたる巨大都市構想のように思えるが、作品中ではまだ建設途中で完成しておらず、巨大都市モノとは言い難い。 特に、サモンが指摘しているOVA1stシーズン(注:最初のOVAシリーズ。 劇場版1作目の前の作品)は、これを監督した同じ押井守が手がけた『うる星やつら』の作風が残っており、加えて原案のゆうきまさみ(注:“原作者”とされる事があるが、これは間違い。 ゆうきは飽くまでも原案とコミックス版担当作家であり、原作者はOVA1stシーズンと劇場版1作目のメインスタッフを務めた5人のクリエーター、すなわち監督の押井守、メカニックデザインの 渕豊、キャラクターデザインの高田明美、脚本の伊藤義典、そして原案、コミックス版のゆうきまさみによるヘッドギアというクリエーターユニットがクレジットされている)好みの怪獣モノの影響も見られ、『ブレードランナー』の影響は一切見えない。
 後者は、どちらかと言うと『ブレードランナー』が本来目指していたフィルムノワールの影響が強く、ディテクティブ・ストーリーが基礎になっているが、サイバーパンク的要素は見られないように思うので。
 なお、『攻殻機動隊』については、以下の解説を参照されたし。
 また、『ガンスリンガー・ガール』は既に解説済みなので割愛する。


・AKIRA/大友克弘/88年

 言わずと知れた日本のアニメ、コミックの金字塔である『AKIRA』は、元々バンドデシネの影響下にある作品であり、原作者の大友克弘自身も、これは認めている事である。
 講談社の週刊マンガ雑誌、ヤングマガジン誌上にて原作の連載が開始された当初、大友はアメコミやヨーロッパのコミックを意識したビジュアルの提示と、手塚治虫以降の日本のマンガの融合を目指した作品作りをしていたのは明らかで、実際、単行本化の際にはそれまでのマンガの単行本の体裁から外れたB5サイズの大判と1冊300頁に及ぶボリューム(注:本来、マンガの単行本はB6サイズ、190頁程度が基本で、いわゆる大判と呼ばれる判でもA5サイズ、200ページ未満が基本だった)のブックデザインが成されていた。
 後に、この単行本は全頁にデジタルで着色されたフルカラー版が刊行されるが、これほど特殊なブックデザインが成されたマンガの単行本は、後にも先にも『AKIRA』が唯一の例と言って良い。(注:飽くまでも通常版として。 限定版も含めれば、『攻殻機動隊』がこれに追従してハードカバー版をリリースしている)
 そして、これをさらに強調するかのごとく展開されたのが、88年公開のアニメ映画版『AKIRA』である。
 原作のあまりの人気のため、『AKIRA』がアニメ化されるのは必然的な事であったが、出版元である講談社は、これを社運をかけた一大プロジェクトとして展開する事を決定する。
 講談社を中心とした複数の企業が製作委員会(注:現在でもそうだが、日本のアニメはこの製作委員会制度を利用して製作される事がほとんどである。 複数の企業がスポンサーとして出資し、その見返りに各企業がそのアニメの関連商品、例えばDVDやBDといったソフト版や、主題歌やBGMのCD、設定資料集や解説本などの書籍、フィギュアやトイ、ゲームといった関連アイテムの製作/販売権を得る)を結成し、原作者である大友自身が脚本、監督するというこのプロジェクトは、総製作費10億円(!)、製作期間3年(!?)を費やして製作され、当時は実写も含めて日本映画史上最大規模の作品であった。
 こうして製作がスタートした映画『AKIRA』は、それまでの日本のアニメではあまり行われていなかった二つの試みが成されている。
 ひとつは、“プレスコ”の採用である。
 通常、アニメの音声は作画が行われた後、すなわち映像が出来上がってから、映像に合わせて声優が音声を収録する“アフレコ”(注:“アフター・レコーディング”の略。 “後から録音する”の意)が一般的で、現在もほとんどのアニメがこの方法で音声の収録を行っている。
 映像に音声を合わせるため、声優の音声に少なからず不自然さが出てしまうという弱点があるものの、映像と音声を別々に製作出来るため手間がかからない、あるいは、急なセリフの変更にも比較的柔軟に対応(注:リップシンクさえ合っていれば、映像と音声の違和感が感じられる事が少ないため)出来るといったメリットもあり、短時間で収録が終わるアフレコの方が、現在の主流としてよく利用されている。
 対して“プレスコ”(注:“プレ・レコーディング”の略。 “先に録音する”の意)とは、音声を先に収録し、それに合わせて作画を行う手法の事である。
 映像に音声を合わせる必要がないため、声優に自然な演技をさせる事が出来、映像がリアルになるというメリットがある。
 ただし、映像の方を音声に合わせなければならないため、リップシンクに非常に手間がかかる(注:それこそワンフレームでもズレると、映像と音声のシンクロに違和感が出てしまう)、製作期間が長くなる、急なセリフの変更に対応出来ない(注:全く出来ないワケではないが、音声を収録し直さなければならない上、既に作画を始めていたりするシーンだと、せっかく描いたシーンが全ボツになるため)などのデメリットがあり、現在の日本のアニメではほとんど行われていない手法である。
 映画『ヱヴァンゲリヲン・新劇場版』がこの手法を用いて製作されているが、近年ではこれが唯一の例ではないだろうか?
 しかし、これは日本国内だけの事で、海外では逆にプレスコ手法の方が一般的に行われる。 リアルな作画のため、というのもあるが、90年代にフルCGIアニメが一般化したのがこれに拍車をかけたと言える。
 通常のセルアニメ(注:2D)と異なり、CGIはCGモデリングさえ作っておけば、後からいくらでも微調整が可能なため、プレスコでもアフレコでも手間は変わらないからだ。
 映画『トイストーリー』以降のディズニー&ピクサーのフルCGIアニメはもちろん、実写作品であっても『ロード・オブ・ザ・リング』や『ナルニア国物語』のようなCGIキャラクターが登場する作品は、この手法で製作されている。
 映画『AKIRA』では、この手法のために製作期間が3年という長期に渡るモノになったが、その結果は映画を観ての通り、極めてリアルな作画を可能にした。
 もうひとつ、この作品で行われたのが、日本アニメ初の本格的な海外配給である。
 それまでにも、『鉄腕アトム』や『マッハゴー!ゴー!ゴー!』などのTVアニメが海外でOAされており、ビデオソフトの販売も行われていたが、アニメ映画の劇場公開は全く行われた例がなかった。 この前例を打ち破り、日本のアニメが海外でも劇場公開に耐えられる実力を持っている事を証明すべく、講談社は映画『AKIRA』の海外配給を計画した。
 残念ながら、日本国内での公開と同時、というワケには行かなかったが、念願かなってニューヨークのある劇場が名乗りを上げ、(いわゆるレイトショウ=単館上映ではあったが)史上初の日本のアニメ映画の海外配給が実現した。 1990年の事だった。
 この劇場には4つのスクリーンがあり、『AKIRA』にはこの内二つのスクリーンが割り当てられた。 が、公開初日から観客の長蛇の列が耐える事無く続き、仕方なくもう一つのスクリーンを割り当て3スクリーンで上映されたが、それでも集まった観客を収容するには、夜を徹して映画を上映する必要があったほどだったという。
 最終的に、映画『AKIRA』はこの劇場始まって以来の大ヒットを記録し、この興行収益は現在に至るも未だ破られていないとか。
 映画『AKIRA』の海外配給は、このように大成功を収めたのであった。
 これをキッカケとし、海外でいわゆる“ジャパニメーションブーム”が巻き起こり、多くの作品が『AKIRA』に続いて劇場やビデオソフトで海外に輸出された。 その結果、アメリカ最大手のアニメーションスタジオであるディズニーは、日本のスタジオジブリと提携し、同スタジオの全ての作品のアメリカ国内での配給権、及びソフト版販売権を得て、『千と千尋の神隠し』は日本アニメ初のハリウッドアカデミー賞外国語映画賞を受賞するに至った。
 映画『AKIRA』は、まさに日本のアニメが世界市場でも通用する実力を持っている事を証明した最初の作品と言えるだろう。
 さて、そんな映画『AKIRA』のヴィジュアルは、明らかに『ブレードランナー』の影響を受けている。
 先にも記した通り、原作の『AKIRA』は、元々アメコミやヨーロッパのコミックを意識したヴィジュアルを提示した作品だが、これはモノクロだからかもしれない。 日本のマンガと同じく、モノクロで描かれる事が多いバンドデシネがその原典となったのは、ある意味必然的なモノなのではないだろうか?
 しかし、アニメには色が付く。 モノクロではなく、カラーで表現しなくてはならない。 この表現メディアの相違によるモノクロからカラーへの変換作業を行う上で、大友は『ブレードランナー』を意識したのかもしれない。
 そう、『ブレードランナー』のヴィジュアルを特徴付けているネオンサインである。
 映画『AKIRA』の前半部、金田とジョーカーの暴走族集団の抗争のシーンにおいて、東京湾を埋め立てて建設されたネオ東京のイスタブリッシングショットや、芸能山城組によるアジアントラディショナル漂う印象的な楽曲をバックに展開されるバイクチェイスの背景として、透過光(注:今でこそ、アニメは2Dであってもデジタルで製作されており、ネオンサインなどの光の表現はデジタルVFXで処理される事が多いが、セルアニメだった当時は、セルの裏側から光を当て、これを透過させて撮影する透過光処理が特殊効果の主力として盛んに利用された。 非常に手間のかかる作業のため、TVシリーズなどでは他の方法に置き換えられる事もあったが、『AKIRA』のそれは当時トップクラスの完成度を誇っていた)で処理された色とりどりの煌びやかなネオンサインの数々がスクリーンに映し出される。
 それはまさに、昼間のような明るさを誇った1920年代のニューヨークであり、超高層ビルが立ち並ぶ夢の未来都市たるメトロポリスであり、過去と未来が現在で同居するサイバーパンク的世界観の提示、すなわち『ブレードランナー』における2019年のLAの風景との類似を見せている。
 もちろん、超能力や反政府組織といったモティーフや描写、さらには金田と鉄男の運命的な対決といった展開により、映画は“友情”、そして“未来とは何か?”というテーマを描いており、映画『ブレードランナー』とのストーリー的、あるいはテーマ的類似は一切見られない。 が、それは飽くまでもストーリーやテーマに限った事である。
 ヴィジュアル的な面では、ネオンサイン煌く超高層ビルが乱立するメトロポリスという完全な一致を見せているし、ヴァンゲリスが意図的に多用したアジアントラディショナル漂う楽曲と芸能山城組によるケチャやガムラン、読経など(注:ケチャは、ジャワ島発祥の民族音楽で、円陣を組んだ人々がリズムに乗って同じ単語を延々繰り返すのが特徴。 ガムランは、インドネシア発祥の民族音楽で、鉄琴のような音色が特徴の音楽。 しばしば民族衣装を身にまとったダンサーが能のような舞いを披露する音楽として使用される。 また、『AKIRA』では般若神経の読経が引用されている楽曲がある)を引用したアジアントラディショナルを基本ベースとした楽曲の類似は、何より映画『AKIRA』が『ブレードランナー』の影響下にある事を垣間見せる。
 バンドデシネを出発点とし、『メトロポリス』に学んだ『AKIRA』は、サイバーパンクムーブメントの流れに乗って『ブレードランナー』へと帰結したのである。


・攻殻機動隊:Ghost in the Shell/士郎正宗/94年

 元々、原作の雑誌連載時から極めて高い評価と人気を得ていた作品だが、94年の映画化によって一気にブレイクし、今もなお一定以上の高い人気と評価を維持している作品である。
 原作者の士郎正宗は、元々『アップルシード』や『ドミニオン』といった作品で知られ、SFを得意としている作家であるが、作風としては『AKIRA』と同じくバンドデシネの影響が見られるモノが多い。
 が、それは飽くまでもヴィジュアルに限っての事で、世界観やストーリー、あるいは作品のテーマ的な面で言えば、ある意味『ブレードランナー』の原作者であるフィリップ・K・ディックの作風の影響が見え隠れする点が非常に面白い。
 すなわち、作品の神秘主義的側面である。
 第1章で述べたように、ディックはアンフェタミンを多用していた時期があり、この頃に幻覚とも妄想ともつかないような体験をしている。
 ディック本人曰く、「聖なる侵入」であったこの体験は、自身の作風に少なからず影響し、神秘主義的側面を垣間見せるようになる。
 映画『ブレードランナー』の原作である『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』でも、映画ではことごとくカットされたウィルバー・マーサーと彼が教祖になっている宗教の存在が、作品のテーマを語る上でも極めて深く関わっている点に、その片鱗を垣間見る事が出来る。
 そしてそれは、士郎作品でも同じである。
 特に『攻殻機動隊』は、『仙術攻殻オリオン』と並んでその傾向が強い作品で、作品は近未来の日本、大阪湾を埋め立てて建設されたニューポートシティ(注:夢の未来都市。 士郎作品の他の作品でも登場するが、呼称がニューポートシティで統一されているのは『攻殻機動隊』だけ。 他の作品では、“新浜県”になっている。 日本語を英語にしただけだが、『攻殻機動隊』のそれは、作品に無国籍なイメージを与えていると言える)で物語りは展開するのだが、どうやら内閣が大きく改編された世界観になっているらしく、警察組織と同等の権限を持つ“霊能局”という組織が登場する。 映画では(上映時間の関係上)ごっそりとカットされた要素だが、国家権力が霊能力という曖昧な能力(注:作品世界では、霊能力が科学的に立証されているという設定がある可能性は否定出来ないが)に頼っている点は、ディックの神秘主義的な作風との類似を指摘するのに十分な証拠と言えるだろう。(注:『マイノリティ・リポート』とか、ね?)
 また、シリーズ第1部である『Ghost in the Shell』ではあまり大きな役割りではなかったこの霊能局は、シリーズ第2部に当たる『Man Machine Interface』において、ストーリーにもテーマにも極めて大きく関わり、作品の神秘主義的側面を明確に描いている。
 そもそも、“Ghost”といういかにもオカルト的なイメージが付きまとう単語(注:ただし、その意味合いは大きく異なり、文字通りの“ゴースト”ではなく、“魂”、あるいは“イデア”、“本質”といった意味で用いられている)を使っている点や、セリフに宗教的表現(注:主に仏教)が用いられている点など、この作品が有する神秘主義的側面は、ほとんどの読者が感じているよりも遥かに大きく、また極めて重要である。
 しかし、さらに面白いのは、そうした作風であるにも関わらず、サイバーパンク的世界観が決して崩壊していない点である。
 この作品のストーリーの主軸は、飽くまでもAIでありながら高度な知能と判断力を有するまでに成長したプログラムである姿無き犯罪者(注:プログラムなんだから姿が無くて当然だ)、人形使いと、電脳化と完全義体化(注:サイボーグ)によってサイバースペースにダイヴする事を可能にした改造人間である草薙素子が、可能性としての多様性を獲得するために融合するという、“第三の生命”(注:人工生命。 自ら判断し、繁殖するデジタルライフの一種。 AIの上位互換と考えられている)というテーマであり、映画版では、これに焦点を絞る形で映画化されている。
 そして、このテーマのベーシックを形成しているのが、サイバーパンク的世界観である。
 先にも記した通り、『攻殻機動隊』は超高層ビルが乱立し、宵闇に色とりどりのネオンサインが煌く夢の未来都市たるニューポートシティで物語りは展開する。 そして、映画『ブレードランナー』におけるレプリカントに相当するAI(注:人形使い、フチコマ、オペレーターロボットなど)が登場し、90年代のサイバーパンク系の作品ではリファレンス的に扱われているコンピュータネットワーク(注:本来はリファレンスというワケではない。 映画『ブレードランナー』やバンドデシネコミックなど、80年代前半までのサイバーパンク系の作品には登場しない事が多い。 コンピュータネットワークの要素がサイバーパンクの基本リファレンスとして組み込まれるようになったのは、飽くまでも80年代後半以降の事)や、これに伴う電脳化(注:脳に電極を埋め込み、脳とコンピュータを直接接続する技術の事。 これとは微妙に異なるが、脳波を利用してコンピュータと直接リンクする技術は既に実現している。 また、脳に直接電極を埋め込み、義肢に組み込んだモーターを直接コントロールする技術も、やはり既に実現している。 本当の意味での電脳化は、もう実現直前である)や完全義体化というテクノロジーの描写は、これ以降のサイバーパンク系の作品群の方向性を決定付けたと言っても過言ではない。
 実際、映画化された『攻殻機動隊』、すなわち映画『Ghost in the Shell』は、90年代以降のサイバーパンク系の作品に多大な影響を与えた作品である。(注:ただし、映画版はヴィジュアルの基本コンセプトに香港などのアジアンゴシックがあり、『ブレードランナー』の影響をあまり受けていない作品になっている)
 かつて、『うる星やつら』や『機動警察パトレイバー』を大ヒットさせ、宮崎駿、大友克弘と並ぶ日本を代表するアニメーションクリエーターとして海外でも高い評価を受け、『愛、地球博』では地元愛知県のパビリオンの演出を手がけた押井守が監督したこの作品は、セルアニメーションとデジタルアニメーションの過渡期あった作品で、基本的にはセルアニメーションだが、CGIやVFXなどのデジタルアニメーションが多数導入されている作品である。
 元々、押井はかなり早い時期からデジタルの有用性に着目しており、『機動警察パトレイバー』の劇場版1作目にて、CGIによるカットをいくつか導入していた。
 さらに、シリーズ2作目では、プレタイトルシークエンス(注:メインタイトルの前に展開するシーンの事。 オープニングクレジットとは区別される)やオープニングクレジットシークエンスにおいて、“CGIをCGIとして使う”という点にコダワリを見せたCGIの導入(注:要するに、CGIをセルや実写の“代用”として用いるのではなく、コンピュータモニターの表示など、実際にもCGIで表示されると考えられる箇所にそのままCGIを用いるという事。 アニメでは、モニターの中の映像もフツーにセルアニメで表現されるのが普通だった。 前出の映画『AKIRA』でも、電気屋のショーウィンドウでCMを写しているTVが出てくるシーンがあるが、フツーにセルアニメで表現されている)しており、映画『ターミネーター2』や『ジュラシックパーク』、『トイストーリー』とは異なる方向性のCGIの可能性を提示する事に成功した。
 この流れから、当時としては『AKIRA』に次ぐ最大規模の6億円以上(!)という予算が組まれた『Ghost in the Shell』でも、オープニングクレジットにおいて“CGIをCGIとして使う”演出が導入されており、同時に作品の設定的特徴の一つである光学迷彩(注:光の屈折を利用した“透明人間スーツ”。 実際に研究されており、既に透明化効果が得られる技術は実現している。 まだまだ実用的なレベルではないが、実用化される日は近いと言えるだろう)の表現にもデジタルVFXが用いられている。
 さらに、映画の終盤に出てくる超ロングショットから人物のバストアップまでをワンカットでクローズアップするショットは、手描きのセルアニメでは表現不可能なデジタルならではのショット(注:通常、セルアニメでクローズアップを表現する場合は、大きな絵を一枚描き、撮影の際にズームする方法が取られるが、『Ghost in the Shell』のような超ロングショットから人物のバストアップにまで耐えられる絵を描こうとすると、最低でもA全サイズ―A4サイズ8枚分。横幅840ミリ―の倍以上の絵が必要になると思われる。 が、これだけ巨大なセルは存在せず、特注して描いたとしてもこれを乗せられるだけの巨大な撮影台が存在しないため。 これまで特注しようとすると、それだけで予算がパンクする。 デジタルならば、セルも撮影台も不要なので可能になった)して注目を集めた。
 この映画で提示されたCGIとデジタルVFXの可能性は、その後の作品に多大な影響を与え、『serial experiments lain』や『太陽の船ソルビアンカ』など、TVアニメやOVAにおけるデジタル化を急速に推し進めたと言っても過言ではない。
 さらに、この作品には最初、『AKIRA』と同じく海外配給が計画され、当初の予定では全編英語での音声収録(注:吹替えではない。 日本語での音声収録の予定がそもそも無かった)される予定だった。
 何せ、原作の出版元が『AKIRA』と同じ講談社である。 講談社は、『Ghost in the Shell』を“第二の『AKIRA』”として展開するつもりだった。
 しかし、この計画は残念ながら実現せず、海外での劇場公開は見送られ、ビデオソフトでのみのリリースになった。
 が、これによって大事件が起きる。
 リリースされた『Ghost in the Shell』のビデオソフトが、ビルボード誌(注:アメリカでも最も信頼されているCD、ビデオソフトのセールスランキング誌。 日本で言うトコロのオリコン)のビデオソフト部門のセールスランキングで初登場1位の快挙を成し遂げたのだ。
 アニメ、実写を通して、日本映画としては史上初の快挙だった。
 そして、このランキングに一票を投じた(注:ビデオソフトを買った)人々の中に、後に『マトリックス』三部作を監督する事になるウォッシャウスキー兄弟がいた。
 当時ウォッシャウスキー兄弟は、映画学校に通う学生だったが、『Ghost in the Shell』を観て「これを実写でやろう!」と決意。 卒業後、低予算映画『バウンド』(注:超傑作! ジーナ・ガーションや、後に『マトリックス』にも出演するジョー・パントリアーノが出演しているクライムサスペンス。 ウォッシャウスキー兄弟らしいスロー映像を多用した演出が光る一作)を大ヒットさせ、ジョエル・シルバーのプロデュース(注:『プレデター』シリーズがつとに有名。 他に、『ロミオ・マスト・ダイ』や『DENGEKI』もこの人の仕事)で実現した『マトリックス』三部作は、VFXアクション超大作というジャンルを確立しただけでなく、哲学をベースにした深い世界観とテーマを提示する事に成功した。
 後に、『Ghost in the Shell』はシリーズ化され、映画版オリジナルのストーリーで続編が2作公開される事になるが、オリジナルストーリーのTVシリーズのOAや、これをベースにした(士郎とは異なる作家による)コミック版の新連載など、今もなお、『Ghost in the Shell』は多くの“信奉者”を有する作品として、SF、サイバーパンク系のコミックとアニメに多大な影響を与え続けている。


・サイレントメビウス/麻宮騎亜/88年~99年

 日本のアニメ/コミック作品の中でも最も大きく、そして極めて直接的な影響を受けている作品と言えば、麻宮騎亜の『サイレントメビウス』をおいて他には無い。 そう言い切って良いほど、この作品は『ブレードランナー』に多大な影響を受けている作品である。
 2028年、東京―。
 前世紀末から度々報告されていた、未知の怪生物による無差別襲撃事件が急増。 妖魔(注:作品中では“ルシファー・ホーク”と呼称)と呼ばれるこの存在は、闇に乗じて人々を襲っていた。
 警察は、これに対抗するため6人の女性で構成される対妖魔用特殊部署、通称AMP(アンプ)を編成。 妖魔を相手に、彼女たちの命がけの闘いが始まったのだった!
 ……という、今となってはちょっと笑っちゃうような設定(注:80年代当時は、こういうのがとても流行っていた)だが、妖魔との闘いを通して至るべき未来としての運命や、守るべき存在としての愛という普遍的なテーマを描き切った、麻宮の代表作にして最高傑作である。
 この作品を描くに当たって、麻宮はそのヴィジュアルイメージのベーシックを『ブレードランナー』に求めた。
 元々、麻宮は『ブレードランナー』のファンで、新連載としてオリジナルの作品(注:この直前に連載されていた作品は、小説のマンガ化作品だった)を構成する上で、『ブレードランナー』のヴィジュアルイメージをそっくりそのまま引用した世界観を展開し、当時ムーブメントを巻き起こしていたサイバーパンクと、日本コミック界では定番設定だったダークファンタジーを融合した世界観の提示を試みた。 その結果生まれたのが、妖魔がはびこる2028年の東京という世界だった。
 麻宮自身、これは公言している事で、実際作品中には『ブレードランナー』のヴィジュアルに酷似したシーンが多数描かれている。
 例えば、主人公たちが乗る空飛ぶクルマ。 これは、当時としてもSFでは定番のモティーフではあったが、麻宮はこの乗り物の呼称を“スピナー”として正式設定にしている。
 また、物語りの舞台になっている東京は、前世紀末に起こったある事件(注:この詳細は、後に外伝作品である『メビウスクライン』という作品で描かれている。 当時連載中だった麻宮の他の作品ともクロスオーバーする内容で、この事件がキッカケで妖魔がはびこる世界になってしまった、という設定)によって壊滅的な打撃を受け、東京湾を埋め立てた新しい東京(注:もちろん夢の未来都市。 ただし、緊急措置的に建設された無計画な都市計画のため、『ブレードランナー』や『バットマン』をも凌駕する混沌とした街並みになっている。 面白いのは、日本という枠組みが意味を失い、企業が支配する都市国家になっているという点。 映画『メトロポリス』に通じるモノがあって興味深い)で展開するが、この街はネオンサイン煌くメトロポリスであり、広告飛行船や巨大なスクリーンビジョンも登場する。 しかも、ご丁寧に『ブレードランナー』のラストでロイやデッカードの背後で煌いていたネオンサイン(注:TDK)も、形を変えて第1話のクライマックスに登場(注:AXIA。 当時は、どちらもカセットテープの大手メーカーだった)するほどの懲りよう。
 さらに、「ふたつで十分ですよ!」の名台詞と共にファンに記憶されているスシ・バーや、過去と未来が混在する無国籍なイメージが漂うエキストラの衣装設定、酸性雨が降りしきる夜などなど、探せばいくらでも出てきそうなほど、『ブレードランナー』からの引用がそこかしこに見られる。
 しかも、これをさらに補強するかのように、『ブレードランナー』のストーリーにインスパイアされたとしか思えないエピソードまで描かれている。
 シリーズ第2話に当たる“キディ・フェニル”のエピソードがそれである。


to be continued...

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