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週刊! 朝水日記

-weekly! asami's diary-

371.スタイリッシュホラー(二番煎じ)

2015年11月01日 | 映画を“読む”

-Movin' Movies #11-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 11月です! ハロウィンも終わって、東京モーターショーも開幕し、いよいよ秋本番ですね。 しかし、……。
 今週は、オープニングトークで書くネタが無いのでとっとといきます。(´・ω・`)
 ……あ、今月からスタート予定の『ミニ四駆を作ろう!』の第2弾は、まだ完成してないのでもうしばらくお待ち下さい。


<今週の特集>

 今週の特集コーナーは、90年代の映画をテーマ別に紹介するシリーズ第3弾!
 90年代は、新しい映画ジャンルが多数生み出された時代でもある。 中でも、1996年公開の映画、『スクリーム』の大ヒットをキッカケに、ホラーの定番ネタを多用しつつも、それまでにない、ただ血みどろスプラッタなだけではない、オシャレでクールなホラー映画が、90年代後半に頻作された新しい映画ジャンル、“スタイリッシュホラー”である。
 今回は、映画『スクリーム』に続けとばかりに頻作されたスタイリッシュホラー映画をいくつか紹介していきます。


・ラストサマー(1997年)

原題:I Know What You Did Last Summer
監督:ジム・ギレスビー
脚本:ケヴィン・ウィリアムソン
製作:ニール・H・モリッツ/エリック・フェイグ/ストークリー・チャフィン
音楽:ジョン・デブニー
出演:ジェニファー・ラブ・ヒューイット/フレディ・ブリンゼ・Jr/サラ・ミシェル・ゲラー/ライアン・フィリップ/ミューズ・ワトソン他

 まずはコチラ。 スタイリッシュホラーの生みの親、脚本家のケヴィン・ウィリアムソンが、『スクリーム』シリーズとは“別に”展開したシリーズの1作目。
 時は現代―。
 アメリカのとある地方都市。 港と海岸を有するこの町は、漁業と観光が主な産業の小さな町。
 この町の高校に通う4人の高校生、ジュリー(演:ジェニファー・ラブ・ヒューイット)、レイ(演:フレディ・ブリンゼ・Jr)、バリー(演:ライアン・フィリップ)、そしてヘレン(演:サラ・ミシェル・ゲラー)は、ヘレンのプロムクィーン優勝と独立記念日を祝うため、高校最後の夏の夜を楽しんでいた。
 しかしその帰り道、海岸線をクルマで移動中、4人の乗ったクルマは、不注意から道路を横断していた人物をはねてしまう。
 焦った4人は、人目がないのをいいコトに、遺体を車に積んで海岸に移動。 遺体を海に遺棄する。 そして4人は、この事を一生の秘密にすると誓い合った。
 1年後―。
 高校を卒業し、4人はそれぞれ別々の道を歩み始めた。
 その内の一人、ジュリーは、地元ではなく都市部の大学に進学。 しかし、あの出来事が忘れられず、見えない恐怖に怯える毎日を送っていた。 しかもそこに、ナゾのメッセージが届く。
“I know what you did last summer.(オレはオマエが去年の夏にナニをやったか知ってるぞ。)”
 それが、1年前のあの出来事であると考えたジュリーは、1年ぶりに地元に帰郷。 漁師になっていたレイ、地元の大学に進学したバリー、そして、地元の化粧品店で働くヘレンと共に、メッセージの送り主を捜し始めた。
 そして調査の末、ある人物が送り主として浮かぶのだが……?
 てなカンジの内容。
 映画『スクリーム』シリーズの脚本を手がけ、映画の新ジャンル、スタイリッシュホラーを確立した人気脚本家として一躍脚光を浴びたケヴィン・ウィリアムソンが、『スクリーム』とは異なるシリーズとして手がけた作品である。
 元々は、ロイス・ダンカンという作家が書いた同タイトルの小説が原作だが、原作との関連は薄く、ほとんどオリジナルの脚本になっている。
 映画『スクリーム』シリーズと同様に、この作品はホラー映画の定番ネタ、すなわち『13日の金曜日』のような、死んだはずの人間が生きていて、登場人物たちに復讐するというモティーフを使い、既存のホラー映画と同様に、周囲の人々も巻き込んで登場人物たちが次から次へと惨殺されていくというモティーフを使いながらも、ひとヒネリを加える事で、既存のホラー映画にはない、ただ血みどろスプラッタなだけではない作品に仕上がっている。
 さすが、ケヴィン・ウィリアムソンである。
 また、この作品は登場人物が比較的少ないワリに、その人間関係が極めて複雑で、特に犯人である“かぎヅメ男”の設定は、一度観ただけは理解出来ないのではないかと思えるほど、なかなかに複雑である。
 順を追って説明すると、まず事件の1年前、ある女子高生が死んでしまう。 その1年後、その女子高生の恋人だった男子高校生(デヴィッド・イーガン)が、彼女の命日である独立記念日に自殺しようとする。 ジュリーたち4人は、この自殺直前のデヴィッドをひいてしまい、遺体を海に遺棄したが、海に転落した事による事故死と判断された。
 しかし、実際にはこれはカン違いで、デヴィッドは本人の意思通りに正しく(?)入水自殺していた。 事故死と判断されたのは、自殺だと保険金を受け取れないため、保険金を受け取るためにデヴィッドの姉(メリッサ)が、デヴィッドの遺書を隠していたからであった。
 そして、ジュリーたちがはねてしまったのは、デヴィッドとは別の人物で、1年前に死んだ女子高生の父親、すなわち溺愛していた娘を亡くしたベン・ウィルスであった。
 ……とまあ、よーく考えて観ないと、デヴィッドとベンの関係を思わずカン違いしてしまいそうな、なかなかに複雑な設定なのである。
 ちなみに、この作品はシリーズ化され、続編が製作/公開されているが、そちらではベンの息子、すなわち死んだ女子高生の弟が登場し、さらに複雑な設定になる。
 しかし、この設定で続けるのは不可能と判断したのか、後にシリーズ3作目も製作/公開されているが、登場人物総入れ替えのリセット作品になっている。(注:映画『スクリーム2』みたく、ベンの奥さんを登場させれば、三部作完結編として製作出来たハズなのにナゼ?)
 また、映画『スクリーム』と同様、この作品も犯人が極めて特徴的なコスチュームと凶器で正体を隠しているのも、スタイリッシュホラーの特徴である。 そして、犯人は理不尽なまでに強く、また悪運もあり、警察官はナゼか間抜けばかり。(笑) 本来の復讐の対象である4人以外も、巻き添えで殺されてしまうのもスタイリッシュホラーらしい理不尽さである。
 映画としての面白さは、やはり主演のジェニファー・ラブ・ヒューイットだろう。
 当時、人気急上昇中だった彼女は、日本でもレディースジーンズのTV‐CMに出演して名前が知られ始めていた女優だけに、その主演作であるこの作品もアメリカと日本で大ヒット。 わずか1700万ドルという、かなりの低予算で製作されたにも関わらず、世界で1億2500万ドル以上(!)ものセールスを記録した。
 そして、映画『スクリーム』と並んで、スタイリッシュホラーの代名詞的な作品として高く評価され、サターン賞やIHGアワードの作品賞にノミネートされた他、Blockbuster Entertainment Awardという賞では、ヒューイットが新人賞と女優賞を受賞。 サラ・ミシェル・ゲラーが助演女優賞を受賞し、ゲラーはMTVムービー・アワードでも新人賞にノミネートされている。
 こうした高セールス、高評価のため、『最終絶叫計画』を始めとしたさまざまなパロディ作品を生んだ他、この作品で共演したフレディ・ブリンゼ・Jrとサラ・ミシェル・ゲラーは、後に結婚したそうだ。
 レイが、ジュリーではなくヘレンと結婚したワケだ。(笑)
 また、この作品をプロデュースしたニール・H・モリッツは、後に同じくスタイリッシュホラー映画の『ルール』(注:後述)もプロデュースしている。
 が、その『ルール』が比較的低評価に終わったため、スタイリッシュホラーを諦め、新たにプロデュースしたのが、日本でも大ヒットを記録し、シリーズ化されて計6作も製作される事になる大人気シリーズ、『ワイルド・スピード』シリーズである。
 ちなみに、1作目も2作目も、ラストシーンはホラー映画の定番であるお約束としてのネタなので、深く考える必要は全く以って無い。
 また、3作目はアメリカ国内でも劇場公開されておらず、DVDソフトとしてのみリリースされた作品なんだそうだ。(注:未鑑賞なんでよく知らない。 いかにも駄作っぽいし)
 そういったコトを抜きにしても、クールでスタイリッシュな映像と、複雑なキャラクター相関が織り成すストーリーは一見の価値アリ。 スタイリッシュホラーの二番煎じ作としては、唯一と言って良い成功例である。
 もちろん、ジェニファー・ラブ・ヒューイットとサラ・ミシェル・ゲラーのたゆんたゆんな巨乳も見どころだっ!(笑)


・ルール(1998年)

原題:Urban Legend
監督:ジェイミー・ブランクス
脚本:シルヴィオ・ホータ
製作:ニール・H・モリッツ/ジーナ・マッソーズ/マイケル・マクドーネル
音楽:クリストファー・ヤング
出演:アリシア・ウィット/ジャレット・レト/レベッカ・ゲイハート/マイケル・ローゼンバウム/ロレッタ・デヴァイン/ジョン・ネヴィル/ロバート・イングランド/ブラッド・ドゥーリフ他

 お次!
 これぞ二番煎じ!という作品である。
 時は現代―。
 アメリカはニューイングランドのとある大学の学生寮。 この大学に通うナタリー(演:アリシア・ウィット)は、同級生で学生新聞の記者であるポール(演:ジャレット・レト)が気になるお年頃。
 そんなある時、街でナタリーの同級生が惨殺される事件が起きる。 これをキッカケに、ナタリーの周りで都市伝説になぞられた猟奇殺人が続発。 ナタリーは、親友のブレンダ(演:レベッカ・ゲイハート)やポールと共に、事件の真相を探る。 しかしその裏には、ナタリー自身の隠された過去があった……。
 てなカンジの内容。
 前記した『ラストサマー』を成功させた映画プロデューサー、ニール・H・モリッツが、『ラストサマー』のシリーズ展開と平行してプロデュースした新シリーズ作である。
 原題の“Urban Legend(アーバン・レジェンド)”とは、“都市伝説”の意。 真偽のほどは別にして、誰に教えられたワケでもないのに、誰もが知っている虚実不明のウワサや民間伝承の事である。
 日本でも、口裂け女や人面犬などのウワサが実しやかに囁かれているが、アメリカにも似たような都市伝説はゴマンとあり、この作品はそれら都市伝説を集めてひとつにまとめた画期的な脚本と言える。
 誰もが知っているネタばかりなので、ひとつひとつの都市伝説の結果が分りやすく、また観客の期待通りの展開にし易いという点では、都市伝説は実はかなり映画向きのモティーフである。
 しかし、全ての都市伝説はそれぞれ独立して存在し、言わば1話完結のオムニバスで、しかし映画の題材としてはストーリーが短過ぎるため、それまで敬遠されていたが、この作品ではそれら都市伝説のひとつひとつに意味を与え、シーンを構成する要素として取り入れ、全体で1つの物語りを構成するという手法が採られた。
 とても画期的で、着眼点の良い脚本であると思う。
 実際、映画を観ていてもそれぞれの都市伝説が無理なくストーリーに組み込まれており、しかも観客がご存知の通りの結果になるので、観客が気軽に楽しめる映画に仕上がっている。
 もちろん、スタイリッシュホラーの定石で、犯人は特徴的な衣装と凶器で正体を隠し、神出鬼没で理不尽なまでに強く、本来は無関係な人々も惨殺していく。
 血みどろスプラッタな流血シーンもタップリで、セクシーな美女もふんだんに登場する。
 スタイリッシュホラーとしては、定石をシッカリと踏襲した良作である。
 しかし、真犯人の意外性がやや弱いと思う。 『スクリーム』や『ラストサマー』のような複雑な人物相関は特に無く、ナタリー自身の口から“過去の過ち”が語られた時点で、観客は誰もが事件の真相を理解するだろう。
 多数の都市伝説をひとまとめにするという着眼点が良く、まとまりも良かったが、肝心の事件の真相に意外性がなくありきたりなため、少なからず物足りなさを感じる作品である。
 実際、この作品は『スクリーム』や『ラストサマー』ほど売れなかった。
 この映画は、1400万ドルという当時としてもかなりの低予算で制作されたが、興行収益は7250万ドル程度と、ヒットはしたが『スクリーム』や『ラストサマー』には大きく劣る結果になった。
 そのため、シリーズ化されて続編が2作製作されるも、いずれもヒットには至っていない。(注:日本では、『ルール』というタイトルの作品が合計で実に7作もあるが、その内4作は、いかにもシリーズ作品のような邦題が付けられただけで、全く無関係な別の映画。 邦題の『ルール』、『ルール2』、『ルール‐封印された都市伝説』の3作が正しいシリーズ作品)
 事件の真相に、もうひとひねりがほしかった。
 映画としての面白さは、やはりキャスティングだろう。 意外と豪華なキャストである。
 主演のアリシア・ウィットはともかく(←オイ!)、ジャレット・レトはこの作品でブレイク。 『シン・レッド・ライン』や『ファイト・クラブ』、『パニック・ルーム』に出演した他、2013年の『ダラス・バイヤーズクラブ』という作品では、HIV患者という役の役作りのため、なんと30kgも減量(!?)して出演。 この演技が極めて高く評価され、ハリウッドオスカーやゴールデングローブ賞などを多数受賞している。
 また、大学の学長役で出演しているジョン・ネヴィルは、1950年代から活躍する名優。 『ゲーム』や『13F』などにも出演しているビッグネームである。(注:残念ながら、2011年に亡くなった。 享年86歳。 好きな役者だっただけに残念だ)
 さらに、ウェスクラー教授役は、ロバート・イングランド。 ホラー映画ファンならピンとくるだろうが、往年の大ヒットホラー、『エルム街の悪夢』で殺人鬼フレディを演じた役者である。
 さらに、オープニングだけの出演であったが、嗚咽症のガソリンスタンドの店員を演じたのは、ブラッド・ドゥーリフ。 後に、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作でグリマを演じる事になるが、ドゥーリフもまた、イングランドと同じく往年の大ヒットホラー映画、『チャイルドプレイ』で呪いの人形チャッキーの声優を務めた役者である。
 ね? 低予算とは思えないような、意外と豪華キャストでしょ?
 ……まあ、それでも映画は売れなかったワケで……。(´・ω・`)


 スタイリッシュホラーの二番煎じ作品は、これ以外にもかなりの作品数があるのだが、この2作以外はいずれも駄作。 観る価値無しである。
 さらに、今世紀に入るとアメコミヒーローやゾンビ映画を中心とした他のジャンルの作品がブームになった事で、スタイリッシュホラーは衰退するが、新しい映画が次から次へと生まれた90年代にあって、スタイリッシュホラーはホラー映画の新たな可能性を切り開いた画期的な映画ジャンルであると筆者は考える。


 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ


Thanks for youre reading,
See you next week!

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370.法廷ドラマにハズレ無し

2015年10月25日 | 映画を“読む”

-Movin' Movies #10-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 ウチの在住地域の樹木が、ようやく紅葉し始めました。 日もすっかり短くなり、午後6時ともなるともう真っ暗!
 秋ですねぇ~。
 しかし、それにしては雨が降らない。 秋雨前線おサボリ中?(笑)
 それはそれで良い事かもしれませんが、いい加減空気が乾燥しているので、そろそろ雨がほしい今日この頃。 予報では、週明け早々に降りそうですが……。
 ともかく、庭の土がカラッカラで庭の手入れが出来ないので、ひと雨来てほしい今日この頃です。


<今週の特集>

 今週の特集コーナーは、テーマ縛りで90年代の映画を紹介する映画解説シリーズ第2弾。 今回のテーマは、ドラマティックな展開と複雑な人物相関で映画としての一定以上の面白さがあり、ゼッタイにハズレ無しのオススメ映画ジャンル、“法廷ドラマ”です!(注:『逆転裁判』じゃねーッスよ?)


・レインメーカー(1997年)

原題:The Rainmaker
監督:フランシス・フォード・コッポラ
脚本:フランシス・フォード・コッポラ
製作:マイケル・ダグラス/スティーヴン・ルーサー/フレッド・フックス
音楽:エルマー・バーンスタイン
出演:マット・デイモン/クレア・デインズ/ジョン・ヴォイト/ダニー・デヴィート/ダニー・グローヴァー/ロイ・シャイダー/ミッキー・ローク他

 まずはコチラ。 法廷ドラマと言えば、ゼッタイに外しちゃならない作家、ジョン・グリシャム原作の小説を、名匠フランシス・フォード・コッポラが豪華キャストを配して映画化したこの作品。
 時は現代。 場所は、アメリカの地方都市、テネシー州メンフィス。
 ルーディ(演:マット・デイモン)は、ロー・スクールを卒業したばかりの新米弁護士。 しかし、知人の紹介で入った小さな法律事務所、ブルーザー・ストーン法律事務所は、代表のストーン(演:ミッキー・ローク)は、マフィアと共謀して違法行為に手を染める悪徳弁護士。 所属弁護士のディック(演:ダニー・デヴィート)は、10年以上も司法試験に落第しまくっている無免許弁護士。 しかも、入って早々にストーンがFBIに逮捕され、弁護士事務所は閉鎖されてしまう。
 しかしルーディは、そんな状況にも悲観する事なく、ディックと共に小さなオフィスを借りて独立。 ロー・スクールの授業を通して知り合った低所得者の女性の依頼で、彼女の息子に白血病の治療(注:骨髄移植)を受けさせるために、保険会社を相手取って保険金請求訴訟を担当する事に。
 時を同じくして、ルーディは病院で、DV被害に苦しむ女性、ケリー(演:クレア・デインズ)と知り合い、そして恋に落ちていく。
 そしてルーディは、アメリカ屈指の大企業と、ベテラン弁護士のドラモンド(演:ジョン・ヴォイト)を相手に、生まれて初めての法廷に立つのだが……?
 てなカンジの内容。
 作家ジョン・グリシャムは、法廷ドラマを書かせたら右に出る者無しのベストセラー作家であり、デンゼル・ワシントンの出世作となった映画『ペリカン文書』を始め、『評決のとき』や『ザ・ファーム‐法律事務所』など、複数の作品が映画化されているが、この作品は法律サスペンスよりも法廷でのやり取りや、人間同士のドラマ、そして“弁護士としての正義”に重点が置かれたドラマになっているのが特徴である。
 この作品のプロットは、大きく分けて二つある。 1つは、白血病の青年に骨髄移植を受けさせるためにその母親が起した保険金請求訴訟。 もう1つは、DV被害者の女性とのラブロマンス。 前者は民事訴訟で、後者は刑事事件に発展し、どちらも“弁護士”という職業の職業倫理が問われる。
 非常に難しい問題であると、筆者は考える。
 まず保険金請求訴訟であるが、日本ではあまり聞かない、あるいは問題として表面化する事がほとんどないようだが、アメリカでは、実は結構よくある事のようだ。 というのも、映画でも描かれているように、弁護士自身が訴訟を起すように“説得”するからだ。 何故ならこれは、弁護士の報酬の問題が大きく関係するからだ。
 日本でも、企業間の買収など、数百から数千億、時には兆単位の大金が絡むような訴訟では、弁護士に数百万から、最高数億円(!!)もの報酬が支払われる事もない事はないが、数は少ない。 しかし、ほとんどの場合、弁護士に支払われる報酬は1回数万円単位で、中には年収150万円程度の弁護士も少なくない。 また、弁護事務所によっては給料制になっているトコロもある。
 そのため、日本の弁護士はそれほど高額納税者というわけではないそうだ。
 しかしアメリカの場合、いわゆる“成功報酬”というモノがあり、これは正当に受け取る事が出来る報酬である。 すなわち勝訴した場合、勝訴によって原告が得られた賠償金の30%程度が、弁護士に成功報酬として支払われるのである。
 そのため、賠償金が高額になればなるほど、比例して弁護士の収入も増えるのである。
 だから、弁護士は些細な訴訟でも数百万単位、数千万単位、時には億単位の賠償金を請求して、自身の収入を増やそうとするのである。
 これに拍車をかけているのが、陪審員制度である。
 法律に関しては全くのド素人である一般人が判決を決める陪審員精度は、すなわち一般人の素人解釈が判決に影響を与えるのと同義である。 そのため、この作品でも描かれているように、「正当に保険金を請求したのに、悪徳保険会社の方針で保険金が支払われず、助かるハズの病人が死んでしまった、かわいそう。」と陪審員が判断、すなわち“同情”すれば、正当な保険金としての賠償金とは“別に”、悪徳企業に正義の鉄槌を下す意味で法外とも言える賠償金が認められる事も少なくない。 アメリカでは戦後、特に公民権法によって弁護士が活躍し、弁護士の地位が上がって弁護士が急激に増加した1960年代以降、このような天井知らずの賠償金が請求される訴訟が急増し、またこれが判例として記録に残ったために、80年代以降の訴訟ブームを巻き起こしたと言われている。
 だから、弁護士は“カネの亡者”を呼ばれるのである。
 そして、一度でもその甘い蜜の味を知ってしまうと、どんどん訴訟を起して、賠償金を請求しまくり、超えてはならない一線を越えて、正義もへったくれもないカネの亡者、すなわちこの映画に登場する保険会社のお抱えベテラン弁護士、ドラモンドになってしまうのである。
 だが問題は、その超えてはならない一線は、決して明瞭ではないという点である。
 弁護士にとっては、それが民事であれ刑事であれ、勝訴を勝ち取る事こそが本分であり、依頼人はそれを期待して弁護士に相談するのだ。 だから、弁護士が勝ちにこだわるのは、決して悪いコトではないのだ。
 実際、今現在、弁護士を夢見て大学で勉強している学生たちは、報酬がどうこうとか、勝訴がどうこうとか考える事なく、“法律による正義を守りたい”と誰もが崇高な理想を想い描いているハズである。
 しかし、実際の法廷に立つと、そこには理想と現実があり、高収入の甘い蜜に魅せられて、越えてはならない一線を無意識に越えてしまい、レインメーカー(注:雨が降るように大金を稼ぐ弁護士の事)となってしまったら、もう後戻り出来なくなってしまうのである。
 この作品におけるドラモンドも、「気付いたらこうなっていた」というのが本音だろう。
 この作品における保険金請求訴訟のプロットで問題にすべきは、ルーディの最初で最後の法廷ではなく、ドラモンドの方であると筆者は考える。


 もう1つのプロットであるDV(注:ドメスティック・バイオレンスの略。 近親者による一方的な暴力の意。 ただし、本来は夫婦間に限らず、親子や兄弟など、近親者であれば性別に関係なく適用される語)は、日本でも90年代以降度々問題になっている。
 日本でもアメリカでも、昔は男尊女卑社会で、女性は男性に黙って付き従うのが当たり前。 日本のオヤジは、「メシ、風呂、寝る」が当たり前だった。
 しかし、1980年代に入り、この状況に変化が現れた。 女性の社会進出が目覚しくなり、女性の権利意識が高くなった。
 そのキッカケとなったのは、やはり史上初の女性首相に就任したイギリスの政治家、マーガレット・サッチャー(注:在任1979~1990年)の存在が大きい。 20世紀初頭までは、選挙の投票権すらなかった女性が、政界のトップに立てるほどになった事に、男女平等の意識が高まったのは間違いないと思う。
 日本でも、男女差別撤廃に向けての法整備が進み、男女雇用機会均等法(注:1972年施行。 これまでに、何度か改正されている)が施行されたり、性別を限定した職業の呼称の改称(注:スチュワーデス→キャビン・アテンダント、看護婦→看護師、婦警→女性警察官など)が行われたりしたが、面白くないのは、古い思考に固執した男性上位主義者である。 女性を虐げる事にある種の快感を憶えるような輩である。
 こういう最低人間の精神構造は、死ぬまで治らない。 それが当たり前で、そうする必要があると思い込んでいるからだ。 何故なら、弱い者イジメしか出来ないヤツは、自分自身が弱い事に気付いていないからだ。
 弱者を虐げるのは、強さではない。 弱者を虐げるのは、弱さである。 何故なら、自分より強い相手に立ち向かう勇気がないから、自分より弱い相手を虐げて、相対的に自分は強いと思い込もうとしているだけだからだ。
 実際、DV加害者には、家庭の外では万年平社員で、上司や取引先にヘコヘコと頭を下げ、「使えないヤツ」とバカにされている者が多いのは事実である。 そうした社会で受けたストレスを、家庭内で発散しているのである。 大海を知らない蛙(かわず)は、井戸の中で内弁慶になるしかないからだ。
 この映画にも描かれている通り、こういうヤツに限って「愛してる」という言葉をよく口にする。 愛ゆえの暴力だと、自己弁護しているワケだ。
 それが愛だと言うなら、その愛し方は間違っている。
 ルーディに出会ったことで、ケリーもようやくこれに気付き、離婚調停に踏み切る。 そうして、人生をやり直すチャンスを掴むのである。
 結果的に、ケリーは相手を殺してしまうが、面白いのは、殺された男の親である。
「どうして殺したんだ!?」
 それが分らない親の子供だから、殺されるしかなかったのだ。 子供が子供なら、親も親である。
 ただ、ルーディ自身がモノローグで言っている通り、ルーディの行動は弁護士としての分を超えた危険な行為である。 ケリーに肩入れし過ぎている。
 もちろん、ルーディがケリーに惚れてしまったから、というのは理解しているし、ルーディ自身も分っている事だ。 しかし、だからといってココまでやってしまうのは、ある意味不正義である。 公平さを欠いていると言わざるを得ない。
 とは言え、DVヤローはあの世行き。 ケリーは、正当防衛が認められ無罪。 ルーディと共に人生をやり直す事が出来たのだから、ハッピーエンドで良かった良かった。 で良いんじゃなかろうか?


 映画としての面白さは、何と言っても、豪華なキャスティングである。
 映画『ゴッド・ファーザー』や『ドラキュラ』のフランシス・フォード・コッポラが監督し、脚本まで手がけるほどの熱の入れようなので、キャスティングも豪華になって当たり前ではあるが、現在ではまず再現不可能なキャストが揃ったのは奇跡のようである。
 主演には、当時ブレイクしたばかりの旬の俳優、マット・デイモンとクレア・デインズ。
 悪役には、人気女優のアンジェリーナ・ジョリーの実父としても有名な名優、ジョン・ヴォイトと、スピルバーグの出世作、『ジョーズ』に主演したロイ・シャイダー。(注:前回紹介した『裸のランチ』にも、悪役として出演している)
 脇を固めるのは、ダニー・デヴィート、ミッキー・ローク、ダニー・グローヴァー(注:ナゼかノンクレジットでの出演。 なんで?(´・ω・`)?)と、経験豊富な個性派揃い。 これで面白くないワケが無い!
 音楽は、エルマー・バーンスタイン。 ややノスタルジックな雰囲気のジャズが、登場人物たちが織り成すヒューマンドラマに合っていて、良い隠し味になっている。
 また、製作としてマイケル・ダグラスがクレジットされているのも面白い。
 映画『危険な情事』や『氷の微笑』などのエロティック・サスペンスや、『ウォール街』、『ブラック・レイン』などの名作映画で知られるマイケル・ダグラスだが、俳優業の傍ら、1970年代末からプロデューサー業も精力的にこなしており、この映画と同年公開の大ヒット作、『フェイス・オフ』もプロデュースしている。
 自身も、この映画の前にマイケル・クライトン原作の『ディスク・ロージャー』という作品でセクハラ裁判の被告を演じた事があるが、何かしら思うトコロがあったのかしらん?(笑)


 ちなみに、映画の終盤、保険金請求訴訟の判決直前に、裁判所の廊下のベンチで居眠りしているルーディをディックが叩き起こすというシーンがあるが、実はこのシーンで、ルーディ役のマット・デイモンは、本当に居眠りしていた。(!)
 当初の予定では、居眠りしている演技をするハズだったが、この短いショットの撮影の準備にナゼか手間取り、長い待ち時間の間にデイモンが本当にベンチで居眠りしてしまい、これを逃すまいとコッポラ監督がスタッフにカメラを回すように指示。 ディック役のダニー・デヴィートを呼び出し、デイモンを本当に叩き起こして撮影された。
 実際、映画を観ても、このショットのデイモンの眠気眼のリアクションは、演技とは思えないような極めてリアルなリアクションだが、それもそのハズ。 本当に寝ていたのだ。(笑)
 コッポラは、こういう突拍子も無い演出をよくやる監督だが、これはコッポラにとっても、嬉しい偶然の産物だったようだ。


・英雄の条件(2000年)


原題:Rules of Engagement
監督:ウィリアム・フリードキン
脚本:ジェームズ・H・ウェッブ/スティーヴン・ギャガン
製作:リチャード・D・ザナック/スコット・ルーディン
音楽:マーク・アイシャム
出演:サミュエル・L・ジャクソン/トミー・リー・ジョーンズ/ガイ・ピアース/ベン・キングスレー/ブルース・グリーンウッド他

 続いては、ちょっと毛色の変わった法廷ドラマ。 正確には90年代の作品ではないが、あのウィリアム・フリードキンが監督した問題作、『英雄の条件』である。
 1968年、ベトナム―。
 ソ連を中心とした共産主義勢力の支援を受けたホーチミン率いる北ベトナムの民族解放戦線と、資本主義勢力のアメリカが支援する南ベトナム政権との民族紛争は、アメリカが直接軍事介入した事によりベトナム戦争へと発展し、しかしアメリカ軍は北ベトナム軍のゲリラ戦術に翻弄され、泥沼の様相を呈していた。
 この戦争に、アメリカ海兵隊として派遣された若い2人の兵士。 黒人のチルダーズ(演:サミュエル・L・ジャクソン)と白人ホッジス(演:トミー・リー・ジョーンズ)は、人種の壁を越えた固い絆で結ばれた戦友であった。
 しかし、ホッジスはベトコンの待ち伏せに遭い、舞台はホッジス一人を残して全滅。 ホッジスも重症を負う。 チルダーズは運良く助かった。
 これが原因で、自信を失ったホッジスは、デスクワークに徹する事になり、しかしチルダーズは、結婚して家庭を築く事もなく、常に最前線で戦い続ける事になった。
 時は流れて現代。 中東、イエメン―。
 イエメンのアメリカ大使館には、アラブ系民族が連日デモを繰り広げる混乱の中にあった。 イエメンを始めとした中東各国で、平和維持のために駐屯しているアメリカ軍を西側諸国の侵略軍とみなすアラブ系民族が、アメリカ軍の撤退を要求するデモ隊だった。
 しかし、デモ隊はいつしか暴力的になり、投石や火炎瓶まで投げ込まれるほどに暴徒化。 最早手がつけられなくなったと判断した在イエメンのアメリカ大使、モーリン(演:ベン・キングスレー)は、本国に海兵隊の派遣を要請。 そうして派遣されたのが、歴戦の勇士となっていたチルダーズであった。
 チルダーズは、国際問題に発展する可能性を考えて、暴徒化したデモ隊に発砲する事なく、何とか大使とその家族の避難を成功させる。 が、暴徒の興奮は冷め遣らず、部隊の撤退もままならない状況に。 そのためチルダーズは、暴徒への発砲を命令。 女性や子供を含む多数の犠牲者を出し、暴徒はようやく鎮圧された。
 しかし、これが世界中で大々的に報道され、世論はいつしかこの事件を、“アメリカ軍による虐殺”と考えるようになった。
 事態を重く見たアメリカ政府は、大統領補佐官(演:ブルース・グリーンウッド)に事件の調査を指示。 最終的に、チルダーズの勝手な判断による“個人の過失”として、軍事法廷が開かれる事に。
 この法廷に、軍は検察として若いが優秀なビッグス(演:ガイ・ピアース)を指名。 そしてチルダーズは、弁護を親友のホッジスに頼む。
 かくして、軍事法廷が開廷するのだが……?
 てなカンジの内容。
 軍事法廷、軍法会議、軍事裁判。 いずれも同義だが、いかにも前時代的な響きがある語で、古臭いと考える向きもあろうが、日本はともかく、海外では今でも実際に開かれる事がある。
 日本でも、第2次世界大戦当時までは、帝国軍内に軍事法廷の規則があり、実際に行われていた。
 しかし、戦後になって帝国軍が解体され、代わりに自衛隊が設立されたが、自衛隊法には軍事法廷の規則が無く、どんな理由であっても裁判は一般と同じ司法省管轄の裁判所で行われるため、現在の日本には事実上、軍事法廷が存在しない。
 が、アメリカを始めとした欧米では、平和維持なども含めて海外に派兵する機会が多いため、この映画に描かれているような事態に備えた軍事法廷の制度が今でも存在し、実際に時折り法廷が開かれている。
 ただ、一般の裁判とは異なり、軍事法廷には独自の規則がいくつかある。 最も大きく異なるのは、法廷代理人、すなわち検察や弁護士(注:日本帝国軍では、“判士”と呼称していた)が、プロではなく軍内部の軍人が務める点である。 すなわち、法律の勉強はしているが、軍事法廷がしょっちゅうあるワケでは無いため、経験に乏しく、一般の法廷に立った事も無い者(注:一般の弁護士資格も無い)が、法廷代理人を務めるのである。
 また、法廷代理人を含めて、判事も軍内部で人選される。(注:陪審は無い場合がほとんどらしい) そのため、どうしても身内同士の意識が強く、判決が不公平になりがちである。
 さらに述べるなら、情報公開法によって近年は情報公開が進んだようだが、それでも審議内容によっては外交上、高度な政治的判断が必要になる事も多く、どうしても密室法廷になりがちである。
 こうした事から、軍事法廷は法廷そのモノが問題視される事も多い。
 とは言え、非常に微妙な問題である。 この映画に描かれている通り、審議内容によっては極めて重大な国際問題に発展する恐れがあるからだ。
 この映画では、先に発砲したのが暴徒化した群集か、それともチルダーズが命令したアメリカ海兵隊かが争点になっている。 そのため、法廷では交戦規定(注:原題の『Rules of Engagement』は、この意)の議論が沸騰する。 結局のトコロ、法律では「先に手を出した方が悪い」からだ。
 だが、間の悪いコトに、群集が発砲したのを目撃したのはチルダーズだけで、部隊の他の隊員は、誰一人として目撃していない。 しかも、唯一の物証である監視カメラのTVRには、確かにチルダーズの主張通り、群衆の中に発砲する者がいたのが映っていたが、大統領補佐官は映像を確認した上で、このVTRを焼却処分。 証拠を隠滅する。 何故か?
 それは、チルダーズが無罪になってしまうと、アメリカ政府がその責任を負わなくてはならなくなるからだ。
 チルダーズが無罪であろうがなかろうが、数十人ものアラブ人が惨殺された事実は変わらないワケで、誰かがその責任を負わなくてはならない。 しかし、アメリカ政府としてこの責任を負うとなると、コトは謝罪程度では済まなくなってしまう。 イエメンを始めとした中東諸国に駐留するアメリカ軍全体にまで責任が及び、最悪中東からの全軍撤退というコトになりかねない。 そうなると、平和維持に支障が現れ、いわゆるイスラム過激派のテロの横行を許す事になってしまう。
 こうした事態を避けるには、事件を“個人の過失”として処理してしまうのが手っ取り早い。 すなわち、チルダーズが軍や政府の意向を無視して、個人の勝手な判断でアラブ人を“虐殺”したという事にすれば良い。 チルダーズただ一人を悪者にして、言わば生贄にする事によって、アメリカ政府は責任の追及を逃れ、外交には大した影響も出る事なく、世論も納得する。
 アメリカに限らず、どこの国でも責任逃れとしてよく使われる汚いやり口である。
 しかし、これによって八方丸く収まるのも、また事実である。 そして、それを可能にするのが、密室法廷たる軍事法廷なのである。
 なんともスッキリしない、胸焼けにも似たモヤモヤとした感情が拭いきれないが、政治が絡む事だけに、たとえ不正義であっても大事の前の小事と割り切るしかないのかもしれない。


 またこの映画は、公開後アラブ人の扱いに関して論争を巻き起こした。 アラブ人を、反米感情のカタマリ的なテロリスト集団として描いた描写が、極めて人種差別的だと批判の対象になった。 アメリカにあるアラブ反差別委員会は、「恐らく、これまでのハリウッド映画で最もアラブ人に対して差別的な作品」と厳しく批判した。
 多数の各種メディアや映画評論家も、この映画の人種差別的な描写を批判している。
 ……が、この映画の公開から1年後、この映画の描写が、ある意味真実であった事を、大衆は思い知らされる事になる。
 2001年9月11日―。 アメリカ同時多発テロの勃発である。
 確かに、アラブ人はある意味“同情の余地有り”な人種である。
 20世紀初頭、第1次世界大戦の頃、中東のほとんどの国を支配していた巨大な多民族国家、オスマントルコ帝国は、しかし民族紛争が絶えず、常に分裂の危機を孕んでいた。 大帝国を支配していたトルコを打倒し、親英派のアラブを中東のリーダーにするため、イギリスが中東に派遣したのが、秘密諜報員のトーマス・E・ロレンス。 いわゆる、“アラビアのロレンス”である。 ロレンスは、アラブ人の部隊を率いて、トルコをかく乱する任務に従事した。
 結果、第1次世界大戦の終結と共に、オスマントルコ帝国は崩壊。 中東各国は、独立に向けた行動を開始する。
 トコロが、ココで太古からの民族紛争が再燃する。 国を持たない民族、ユダヤ系民族との対立である。 特に、ユダヤ教の聖地であるエルサレムを巡っては、イスラム教の聖地でもあるため、ユダヤ系とアラブ系が激しく対立した。
 この調停役として、イギリスが名乗りを上げたが、両者の対立は激しくなるばかりで、最早イギリスの手には負えない問題になっていく。
 そのため、イギリスは中東から撤退。 調停役を放棄した。
 さらに、第2次世界大戦後、ナチス・ドイツによる迫害を逃れた国を持たないユダヤ系難民がエルサレムに殺到。 イスラム教を信仰するアラブ系民族は、ユダヤ系難民の制限を主張したが、最終的にエルサレムを含む周辺の土地がユダヤ系難民に与えられ、ユダヤ人の国、イスラエルが建国される。
 当然、この建国はアラブ系民族にとっては容認出来ない事であり、両者の対立はさらに激化。 最終的に、本格的な武力衝突にまで発展する。(注:第一次中東戦争/1948年)
 この結果、アラブ系民族は敗北。 エルサレムから追い出され、難民になる。
 欧米諸国に支援されていたのに、イギリスに裏切られた上に国土まで取り上げられたアラブ系民族が、資本主義の象徴たるアメリカを恨むのは当然である。
 加えて、ソ連崩壊に始まった冷戦終結後の混乱期、紛争が続くアフガニスタンのイスラム系に対し、アメリカはCIAを通して軍事訓練を施し、強力な軍隊に育て上げる。 トコロが、アフガン紛争終結後も、治安維持の名目でアメリカ軍はアフガニスタンに止まったため、イスラム系民族はこれをアメリカによる支配と考え反発。 この運動の先頭に立ったのが、ウサマ・ビンラディン。 かつて、アメリカがCIAを通して軍事訓練したイスラム系民族の一人であった人物である。
 こうして、アラブ人が多いイスラム系民族がアメリカを敵と見なすようになった結果、9.11が勃発し、現在も続く対テロ戦争へと発展したのである。
 非常に微妙な問題であるし、軽々しくアラブ系民族を悪者扱いする事は出来ない。 先に記した通り、ユダヤ系民族に国土を取り上げられたアラブ系民族は、“同情の余地有り”なのだ。
 しかし、だからと言ってこの映画で描かれているような暴動を容認する事は出来ないし、してはならない。 主義主張は理解するが、やって良い事と悪い事は区別されなければならないからだ。 そうしなければ、9.11のような大規模なテロがまた再び起きないとも限らないからだ。
 かなりの誇張はあるにせよ、この映画の差別的な描写は、密室法廷たる軍事法廷の結果と同じく、我々一般人が知る由もない真実を描いていると言える。 そして、人種差別的描写と密室法廷たる軍事法廷を通して、正義とは何か?を問う映画であると、筆者は考える。
 大事の前の小事と割り切った結果、それは不正義の暴力と化す可能性を、この映画は示唆しているのではないだろうか?


 この映画の映画としての面白さは、フリードキンの監督作品らしい、ドキュメンタリータッチの徹底したリアリズムである。
 ウィリアム・フリードキンは、1970年代に映画『フレンチ・コネクション』と『エクソシスト』で一世を風靡したが、元々はTVのドキュメンタリー番組を多数手がけた経験があり、ドキュメンタリータッチに定評がある監督である。
 この映画でも、その手法は健在で、手持ちカメラの荒々しい映像を多用したり、特に前半のチルダーズによるアラブ人虐殺シーンでは、音響効果を演出する事で、暴動の極限状態、虐殺の悲惨さ、そして事件直後の放心状態を的確に描き出し、また劇的に演出している。 音響効果の教科書のようなシーンであると思う。
 また、キャスティングも面白い。
 主演のサミュエル・L・ジャクソンは、日本では『ダイ・ハード3』や『パルプ・フィクション』などのアクションやクライムモノで有名だが、『評決のとき』や『代理人』などの法廷モノにも出演しており、カンヌやイギリスオスカー、ベルリンなどで男優賞を受賞するほど、その演技に定評がある。
 相方のトミー・リー・ジョーンズも、日本では缶コーヒーのTV‐CMの“宇宙人ジョーンズ”でお馴染みだが、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』や『バットマン・フォーエバー』のようなキレ役から、『逃亡者』や『ボルケーノ』などのマジメな熱血漢、さらには、『メン・イン・ブラック』のようなコメディまで、あの独特の台詞回しでこなす演技派で、ハリウッドオスカーやカンヌ、ゴールデングローブ賞などを数多く受賞している。
 この2人の共演というだけで、この映画が面白くないハズがない!
 さらにココに、ガイ・ピアースが加わる。 映画『L.A.コンフィデンシャル』でも、優秀だが小生意気な若造を演じていたが、この映画でも同じような役柄である。 ハマリ役だと思う。
 もう一人、ベン・キングスレーも、日本では『シンドラーのリスト』での演技がつとに有名で、善人役が多い役者と思われがちだが、『スニーカーズ』や『スピーシーズ‐種の起源』などでは、この映画のような悪役や善人とは言えない役を演じており、正義か保身かで悩むこの難しい役を確かな演技で演じている。
 そして、良い味を出しているのが、バオアン・コールマン。 ベトナム戦争でチルダーズに脅されたベトナム兵、カオを演じた役者である。 映画の終盤、法廷の外でかつて敵として戦った相手であるチルダーズに、カオが誠意溢れる敬礼をするシーンは、この映画屈指の名シーンだと思う。 今となっては、コールマンにしかあの演技は出来なかったのではないかとさえ思えるほどだ。
 いずれにしても、色々と問題はあるだろうが、この映画はそれらの問題を真正面から、逃げる事なく真っ直ぐに描いた作品であり、“法廷ドラマにハズレ無し”を証明する作品だと、筆者は評価している。


 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ


Thanks for youre reading,
See you next week!

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369.超・難解カルト映画

2015年10月18日 | 映画を“読む”

-Movin' Movies #09-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 小春日和の穏やかな日が続く今日この頃ですが、南の海では台風が、しかも、またもや2連発で発生です。
 どうやら、日本列島への直接的な影響はなさそう(注:ただし、小笠原諸島や伊豆諸島は、大きな影響が出そう)ですが、10月ももう半ば。 今年は、それほど大きな台風被害が無いまま、台風シーズン終了になりそうで良かった良かった。


 それはそうと、asayanは現在、実はブログのネタが無い状態が続いていてかなり困っている。
 本当は、ゲームの攻略連載用にあるTPAゲームを買って、攻略に勤しんでいたんですが、このゲームが予想外の駄作で、正直ブログ記事を書く気になれないのです。
 ゲームとしては面白いし、ヴィジュアルもサウンドも、ストーリーも決して悪くない。 評価出来ない事も無いタイトルでした。
 が、それを補って余りあるほど、ゲームバランスが悪過ぎる。 ゲームに慣れるとか慣れないとかの問題ではなく、難易度が極端に低かったり高かったり、特定の方法でないと敵を倒せないとかミッションクリアにならないとか、最悪なのはゲームの攻略にコンプ要素が必須で、しかも最後の最後に開発者の人格を疑いたくなる超高難度のミニゲームが待ち構えている。
 恐らく、テストプレイを開発チーム内部でしか行っておらず、当然開発者なので攻略法は分りきっており、難易度が低いと感じて高くしたら、開発者以外には攻略不可能なほどの難易度になってしまった、てなトコロでしょうか?(注:よくある事だ。 『ブラッドレイン:クリムゾンスレイヤー』もこのパターンだろう)
 明らかに、テストプレイ不足です。
 ゲームバランスさえ調整し直せば、クォリティの高いヴィジュアルとサウンド、興味深い考察が出来そうな世界観とストーリー、そしてハデなアクションが楽しめるTPAとして高く評価出来そうなんですが、現状では、最悪なゲームバランスのため、全く以って評価に値せず、皆さんにもオススメ出来ないので、ブログ記事執筆を断念。 攻略するゲームが無くなってしまったので、記事にするネタが無い状態に。
 やってみたいゲームがいくつかあるが、まだリリースされたばかり、あるいはリリース前で、ゲームそのモノが遊べない状態なので、年内はゲーム攻略記事は書けそうにないです。
 あぁ……、やっぱり『閃乱カグラ』にしておくべきだった……。 と、後悔し切りのasayanなのです。つД`)゜。
 現在、鋭意製作中のミニ四駆も、来月から動画のアップを開始する予定ですが、完成がいつになるか分かったモノではない状態なので、これまた記事に出来ず。 加えて、興味を惹くイベントも無いので、どうしたものかと毎週悩む今日この頃です。
 あー! 面白いゲームがやりたいっ!!


<今週の特集>

 そんなワケで、ネタに困ってしまったので、今週の特集コーナーは、既に“完結”としていた『映画を“読む”』のコーナーをムリヤリ復活! 2009年以来、実に6年ぶりの新記事です。
 最近、実はちょっと古い映画、特に90年代の映画作品にハマっていて、ミニ四駆制作の作業BGM代わりに、手持ちのDVDソフトや、VHSからエンコードした動画ファイルを観直しているんですよ。
 90年代は、19世紀末に映画そのモノが誕生したのと同じく、20世紀末を迎えて映画という芸術兼娯楽産業が大きく様変わりしていった時代である。
 デジタル編集機器(注:Avid)の普及に始まり、CGI革命、ドルビーデジタルサラウンドの発明、モーションキャプチャー、デジタルカメラなど、それまでのアナログ手法が急速にデジタル化され、映画という産業そのモノが、“再誕生”と言って良いほど変革していった時代である。
 個人的には、新しい映像表現が次々に模索され、毎年のように“新しい映画”が次々と生み出され、映画が一番面白かった時代だったと思う。
 そこで今回は、久々に観た90年代の映画の中から、テーマを決めて3本ほどをピックアップ。 解説しようと思います。
 今回のテーマは、“超・難解カルト映画”です!


・裸のランチ(1992年)

原題:Naked Lunch
監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
脚本:デイヴィッド・クローネンバーグ
製作:ジェレミー・トーマス
音楽:ハワード・ショア
出演:ピーター・ウェラー/ジュディ・デイヴィス/イアン・ホルム/ロイ・シャイダー他

 1980年代、『ザ・フライ』で一世を風靡したカナダ出身の鬼才、デイヴィッド・クローネンバーグが監督した、90年代最初の作品。
 時は、戦後間もない1950年代。
 害虫駆除業者のビル・リー(演:ピーター・ウェラー)は、物書きになるのが夢だった。 しかし、職業にするのはリスクが高いと判断。 害虫駆除業者として、堅実な生活を送っていた。
 トコロが、妻のジョーン(演:ジュディ・デイヴィス)が、あろう事かビルが仕事で使っている殺虫剤(注:除虫菊。 50年代当時は、殺虫剤の主力だった)を薄めたドラッグにハマり、ビルも次第にその快楽にその身を溺れさせていく。 そしてビルは、ドラッグと酒に酔った勢いで、妻を殺してしまう。
 ビルはすぐさま逃げ出し、タイプライターを片手にインターゾーンと呼ばれる街に向った。 その街でビルは、死んだ妻にソックリな女性、ジョーン・フロスト(演:ジュディ・デイヴィス/二役)と出会うのだった……。
 てなカンジの内容。
 元々は、1950年代末に出版されたウィリアム・バロウズ(注:50年代のアメリカを代表するSF作家。 ビート・ジェネレーションと呼ばれる、戦後の新たなSF小説の潮流の中心的な作家の一人。 執筆業の傍ら、1980年代には多数の映画にカメオ出演している)の同タイトルの長編小説が原作。 しかし、どちらかと言うとインスパイアードノベルで、映画はクローネンバーグによって大幅に改変されたオリジナル作品になっている。
 クローネンバーグというと、日本でも大ヒットしたSFホラー、『ザ・フライ』に代表されるように、“テクノロジーへの警鐘”をテーマにした作品が多く、『ザ・フライ』はもちろん、『クラッシュ』や『イクジステンズ』など、90年代の作品は特にその傾向が強い。
 この作品も、その例に漏れる事なく、ドラッグによる幻覚と現実が交錯する世界観で構成しつつも、タイプライターという50年代当時の最新テクノロジーを絡め、テクノロジーへの警鐘がベーシックのテーマとして描かれている。
 ……が、幻覚と現実が交錯する世界観がとにかく難解で、何が幻覚で何が現実なのか、観客の理解力(=読解力)の限界に挑戦するストーリーになっている。
 正直、筆者も正確に理解出来ているかどうか、はなはだ自信がない。
 しかし、観れば観るほど、バッドトリップを思わせるその映像表現に引き込まれる。 グロテスクで、ややもすると不快感さえ覚えるほどの映像が、ドラッグ・カルチャーという未知の扉の向こうを垣間見る想いに駆られる。
 今観ても、そのショッキングさは鮮烈である。
 また、主演のピーター・ウェラー(注:初代『ロボコップ』の人、と言えば、分かる人も多いかな?)やジュディ・デイヴィスも然る事ながら、イアン・ホルムやロイ・シャイダーといった実力派の演技が、この荒唐無稽な世界観を支えている。
 映画『裸のランチ』は、映画『スキャナーズ』や『ヴィデオドローム』など、難解な作品が多いクローネンバーグ作品の中でも、一際難解な作品ではないかと筆者は考える。


・ロスト・ハイウェイ(1997年)

原題:Lost Highway
監督:デヴィッド・リンチ
脚本:デヴィッド・リンチ/バリー・ギフォード
製作:ディーパック・ネイヤー/トム・スタンバーグ/メアリー・スウィーニー
音楽:アンジェロ・バダラメンティ/トレント・レズナー
出演:ビル・プルマン/パトリシア・アークェット/バルサザール・ゲティ/ロバート・ロッジア/ロバート・ブレイク他

 難解なカルト映画と言えば、デヴィッド・リンチを忘れてはいけない。
 時は現代―。
 クラブジャズのミュージシャン、フレッド(演:ビル・プルマン)は、妻のレニー(演:パトリシア・アークェット)と二人暮らしの平穏な日々を送っていた。
 しかしある朝、鳴り響いたインターホンに出てみると一言、「ディック・ロラントは死んだ」とだけ告げて、インターホンは切れてしまう。 慌ててベランダから玄関先を確認するも、家の前には人影はなし。
 さらにその直後、自宅に送り主不明のビデオテープが届く。 そこには、なんと自宅のベッドで眠っているフレッドとレニーの姿が……。
 その後もビデオテープは送られ続け、最後に届けられたビデオには、惨殺されたレニーと、その傍らで泣き叫ぶフレッドの姿が映っていた。
 そしてレニーは、ビデオに映っていた通りに惨殺される。
 警察は、フレッドの犯行と断定。 第一級殺人で有罪となり、フレッドに死刑判決が下された。
 トコロが、刑務所で死刑の執行を待つフレッドは、ある朝独房から忽然と姿を消し、代わりに独房に入っていたのは、フレッドとは全く関係のない、服役している囚人ですらないハズの自動車整備士の青年、ピーター(演:バルサザール・ゲティ)だった……。
 てなカンジの内容。
 日本でもレンタルビデオで大ヒットを記録したTVシリーズ、『ツイン・ピークス』に代表されるように、リンチ作品は超・難解な作品ばかりと思われがちだが、実はそんなコトは全く無い。 『エレファントマン』や『デューン/砂の惑星』、『ストレイト・ストーリー』のように、比較的分かり易い作品の方が多い。
 しかし、『ツイン・ピークス』やこの作品のように、突出した超・難解作品を時々監督し、そしてそれらが代表作となっているため、難解映画の監督と認知されているのではないかと思う。
 とは言え、『ツイン・ピークス』がそうであったのと同じく、この作品も難解極まりない。
 この作品のモティーフになっているのは、“多重存在”という現象である。 全くの同一人物が、同一の瞬間に全く別々の場所で存在しているという現象である。
 映画では、映画らしくドラマチックにするためにかなり誇張された表現になっているが、似たような現象は実際に報告例がある。
 ココでは詳しく述べないが、同一人物が同瞬に別々の場所に存在するという現象は、真偽のほどは別にして、現実にあり得る事なのである。
 もちろん、極めて不可思議な現象であるし、にわかには信じ難い。 が、この現象が現実にあり得ると受け入れない限り、この作品を理解する事は困難である。
 そして、この作品の理解をさらに困難にしているのが、ロバート・ブレイク演じるナゾの男(ミステリーマン)の存在である。 彼はいったい何者なのか? ナゼ、フレッドの多重存在の事を知っているのか? そして、何の目的であのビデオを撮ったのか?
 映画では、ミステリーマンに関しては特にこれといった説明もないまま、エンドクレジットとなる。
 このキャラクターの事を考え始めたら、きっとアナタは夜も眠れなくなる事だろう。
 筆者には、それなりの解釈があり、多少ムリヤリだが一応理解しているつもりである。 が、イマイチ自信がないので、ココではその解釈を明言する事をあえて避けさせてもらうが、ヒントになりそうなセリフをひとつだけ。 映画の前半、パーティーでミステリーマンが初めてフレッドに直接接触した直後のフレッドのセリフ。

「あの男は誰だ? あの黒服の男(メン・イン・ブラック)だ。」

 重要なヒントだと、筆者は考える。


・π(1998年)

原題:π‐Pi
監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本:ダーレン・アロノフスキー
製作:エリック・ワトソン
音楽:クリント・マンセル
出演:ショーン・ガレット/マーク・マーゴリス/ベン・シェンクマン/サミア・ショアイブ他

 最後はコチラ。 これぞインディーズ映画!と言わしめるカルト映画の最高傑作、『π(パイ)』である。
 時は現代。 大都会ニューヨーク。
 服装にも寝癖だらけの髪型にも無頓着で、おまけにヒドい頭痛持ちの数学者、マックス・コーエン(演:ショーン・ガレット)は、3桁の割り算も瞬時に暗算出来るほどの天才的な頭脳の持ち主。 そんな彼の信条は、「数学は大自然の言語である」。 全ての事象は数字に置き換える事が可能で、森羅万象は数式によって一定の法則を見出す事が出来るというモノ。
 ならば、株式市場は?
 全てが数字のみで表される株式市場は、まさに数学という言語が支配する世界である。 ならば、そこには数式による法則があり、株価は法則によって予測可能である。
 この仮説を元に、マックスは自作のスーパーコンピュータ“ユークリッド”で株価の予測プログラムの開発に没頭していた。 しかし、開発は難航、プログラムは失敗を繰り返した。
 そんなある時、ユークリッドが216桁の数列を出力してクラッシュしてしまう。
 最初は、単なるバグと思って気にも留めなかったマックスだったが、その事を同じアパートに住む元数学者、ソル(演:マーク・マーゴリス)に言うと、かつて円周率の研究をしていた時のバグに似ていると言う。
 その日を境に、マックスは数列の魔力に取り憑かれていくのだった……。
 総製作費わずか6万ドル(!?)。 監督のダーレン・アロノフスキー自身が、知人友人から少しずつ資金を集めて製作された、文字通りのインディーズ映画。 そして史上初、世界唯一の“数学スリラー”。 それが、この映画『π』なのである。
 この映画の革新はいくつかあるが、1つは数学を作品のモティーフに選んだ点にある。
 数学というのは、概念である。 昔の偉い人が、物事の道理を決める基準として定めた“決まり事”に過ぎない。 “1+1=2”なんてのは、飽くまでも“約束事”に過ぎないのだ。 2つのボトルに入ったそれぞれ1リットルの水を2リットルのボトルに移し変えたら、確かに容量は2リットルだが、ボトルの数は1つしかない。 すなわち、“1+1=1”は、実際に成立する数式なのである。
 しかし、この概念によって定められている事象は、この世界に数限りなくあり、森羅万象全ての事象は、確かに数字に置き換える事によって定義する事が可能である。
 ならば、マックスの最大の目的である株価の予測も、あるいは可能なように思える。
 が、それが可能になると、株式市場というシステムは崩壊する。
 何故なら、株式に投資する全ての人間が、100%必ず儲かる、などというコトは、株式のシステム上あり得ない事だからである。
 “市場3:7の法則”というのをご存知だろうか? これは、全ての市場は“3割の人が儲かり、7割の人が損をする”という法則である。 何故なら、損をした人の損益分が、儲かった人の利益分になるからだ。
 株式だけではない。 ギャンブルにしても、これは同じである。
 作品に描かれている株価予測プログラムは、実際に研究している人がいる。 それと同様に、ギャンブルにしても“勝利の法則”を研究している数学者はかなり多い。 ポーカーやブラックジャックなど、確率によってある程度相手の手が予測可能なゲームの“必勝法”は、数式によって法則化出来るとされている。
 しかし、ココにも市場3:7の法則があり、全てのギャンブラーが勝つ事などあり得ない。 負ける人がいなければ、勝つ人の利益分が出てこないからだ。 カジノで全てのギャンブラーが勝ったならば、その利益分はカジノが負担し、店を畳むしかない。
 全ての市場は、損をする人があって初めて、儲かる人の利益が算出されるのである。
 だから、マックスの研究は、実は全く以って意味が無い。 あるいは、成功した時点で世界が崩壊してしまう危険性を孕んでいるのである。
 実例は既にある。
 世に言うブラックサーズデー。 1929年に起こったNY株式市場の大暴落、いわゆる“世界恐慌”である。
 空前の株式ブームにより、誰もが株に投資し、儲けようとした結果、株式システムが崩壊。 大暴落を招いた。
 1989年、日本を大混乱に陥れたバブル崩壊も、やはり同じである。
 全ての人が100%必ず儲かる市場などあり得ないし、ある意味存在してはならないのである。
 しかし、この映画ではそこにモーセ五書(注:いわゆる旧約聖書)を絡める事で、数学を“神の言葉”にした。
 この点がスゴい。 概念でしかない数学を、同様に概念しかない神と同一視するなんて……! 皮肉を含んだ面白さがある。
 もちろん、数学そのモノも様々な面白さがある。
 映画の中でも、ヘブライ語を数字に置き換える言葉遊びや、フィボナッチ数列と螺旋、そして黄金比の関係を分り易く解説していたりする。(注:黄金比の長方形から正方形を切り出すと、黄金比の長方形が残り、どれだけ繰り返しても面積が小さくなるだけで、黄金比は変わらない。 これを円弧で描くと、そこには螺旋が現れ、この螺旋はフィボナッチ数列によって数式化出来る) 映画のタイトルになっている円周率(π)も、不思議な数字である。 割り切れない数式は数あれど、3桁以上の同一の数列が2つとない数式は、円周率だけである。 すなわち、法則によって算出される円周率には、法則が存在しないのである。
 数学と神学を結び付け、スリラーの基盤にしたその着眼点は、賞賛に値する。
 もう1つの革新は、モノクロ映像である。
 98年公開の映画なので、当然カラーが当たり前だった当時、あえてモノクロフィルムで撮影されたのは非常に興味深い。
 これより以前に、スティーヴン・スピルバーグが監督した『シンドラーのリスト』(1993年)によって、モノクロ映像が再評価され始めていたが、スピルバーグがモノクロを選んだのは、第2次世界大戦という時代背景を映像で表現するためであり、流血シーンが多い作品なので、暴力表現のレーティングが引き上げられるのを避けるためであった。
 しかし、この映画であえてモノクロが利用されたのは、予算をかけられないインディーズ映画の貧弱な映像表現を、コントラストを強調したパワフルなモノにするためである。
 この映像が極めて高く評価され、98年のサンダンス国際映画祭では、見事監督賞を受賞している。 アメリカでは、この映画がキッカケでモノクロ映画の再評価運動が起き、『ブレアウィッチ・プロジェクト』や『マトリックス』にまで影響を与える結果になった。
 実際、映画を観てもカラーでこの力強い映像が可能だったかどうかは、はなはだ疑問である。
 3つ目の革新は、音楽である。
 それまでにも、映画にデジタルミュージックが利用される事は珍しくなかったが、タイアップとしての利用がほとんどで、サウンドトラック全曲をデジタルミュージックにしたのは、恐らくこれが世界初だと思う。(注:オールデジタルというワケでは無いが、オーケストラが利用されなかった例としては、ジェームズ・キャメロン監督の出世作、1984年公開の『ターミネーター』がある。 コンポーザーのブラッド・フィーデルは、自宅のガレージにPCを設置し、あの印象的なBGMを作曲した。 レコーディングもミックスダウンも、このガレージでやったそうだ。 本当はオーケストラを使いたかったが、予算が足りず仕方なくそうしたとか) 現在でもあまり例が無く、これに続いたのは、2001年の『I.K.U.』ぐらいだろう。
 この映画では、音楽コンポーザーとしてクリント・マンセルがクレジットされているが、実際にマンセルが作曲したのは、実はたったの3曲のみ。 それ以外は、全てアーティストが提供した既存の楽曲が使用された。
 とはいえ、テクノやドラムンベース、エレクトロニカなど、当時の最新のデジタルミュージックが、意外にもモノクロの映像に合っており、サスペンスを盛り上げる要素になっている。
 こうした革新により、映画は世界中で絶賛され、僅か6万ドルで製作された映画は、アメリカ国内だけで300万ドルものセールスを記録し、インディーズ映画としては記録的な大ヒットとなった。
 しかし、それでもこの映画は難解である。
 この映画を難解にしている最大の要因は、マックスの幻覚である。
 マックスは頭痛持ちで、激しい頭痛に気を失うほどだが、この時現実とも幻覚ともつかない体験をする。 この映像が、唐突に挿入されるため、果たして現実なのか幻覚なのかが分り難く、この映画の理解を困難にしている。 特に、ラストは実際にマックスがやった事なのか、それとも頭痛に苦しむマックスが見た幻覚なのか、正直筆者には判断出来ない。
 いずれにしても、低予算ながら豊かな創造性に満ちたこの映画は、インディーズ映画の1つの指針となる作品である。 これに続くのは、『ジャージー・デビル・プロジェクト』と『ブレアウィッチ・プロジェクト』ぐらいだろう。
 映画界を目指す全ての若者達に、一度は観てほしい映画である。


 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ふぅ。 今週も何とかしのいだ。(笑) 来週はナニ書こう?(´・ω・`)
 ともあれ、ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ


Thanks for youre reading,
See you next week!

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066.Be You True Mind

2009年11月01日 | 映画を“読む”

-Movin' Movies #08-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 先日の事―。
 いつものように当ブログのアクセス数をチェックしていたら、こんな事がありました。(↓)

Blog0452  赤いカコミの部分に注目して下さい。
 狙ってません。 マジで偶然です。
 これは、10月26日の午前9時40分頃の出来事だったんですが、初めて見ましたよ。ゾロ目。 しかも6ゾロて。(笑)
 3ケタじゃなかっただけ幾分マシですが、何やら悪い事が起きそうな予感が……!
 ……ってかありました。悪い事。(笑)
 大事に至るようなコトではないですが、あまり人様に言えるようなハナシでもないので詳細は省きますが、見事に予感的中です。
 元々、僕は占いとか運勢とか結構気にするタチで、特に悪い運気の時は結構信じ易いタイプです。
 もちろん、口では「良い占いは信じるけど、悪い占いは信じない!」と言っていますが、そうやって口に出して言ってしまうコト自体が、それは既に占いそのモノを気にしているという証であり、多かれ少なかれ、心の何処かで信じている証拠なのだと思います。
 もちろん、占いは預言ではないですから、“必ずしもそうなる”というモノではなく、日常生活の中で容易に見過ごされてしまう運気を呼び込む(あるいは悪気を逃がす)ためのアドバイスであり、目安に過ぎません。
 ですが、例えば新聞、例えば雑誌、ラジオやネットなどで、“今日の運勢”みたいな項目があると、思わず気になってしまうんです。
 これを気にし過ぎると、例えばヴードゥーの呪いみたく、「自分は呪われている」と思い込んだ被害者が、実際に原因不明の事故や病に見舞われるように、運勢に振り回されて逆に運気を下げる結果になる、なんてコトも起こり得るワケで、結局は占いを受け取る側の問題という、何とも味気ない結論になってしまいます。
 いや待てよ? つーコトは、もしかしたら、これだけ気にしてしまうというのは、頭ではそうじゃないと思っていても、心の何処かで「自分は不幸だ」と思い込んでいて、これを何とかしたくて占いという不確かなモノにすがってしまっているのかもしれません。
 と、するならば、僕は既にヴードゥーの呪いにかかってしまっている状態という事になり、これを何とかしたいと、心の何処かで思ってる???

………………。(´・ω・`)

 ……いやいやいやいやいやいや!
 ソンナコトナイデスヨ?
 あははははははは~。(←乾いた笑い)
 いずれにせよ、占いは結構気にするタチなので、これからは出来る限り悪い占いと折り合いを付けるように心がけたいと思います。



 それはさて置き、今週は久しぶりの『映画を“読む”』のコーナー。
 今回は、21世紀の幕開けにふさわしく、最高の視覚効果で“ヒトの心理構造の完全映像化”という難題に挑み、ヴィジュアル・モンスターの異名を持つターセムが、これを見事達成して世界的な大ヒットを記録したサイコスリラーの傑作、ジェニファー・ロペス主演、2000年公開作品、映画『ザ・セル(原題:The Cell)』を紹介します。
 今週も、最後までお付き合いよろすこ~~!


※注:以下には、映画『ザ・セル』の重大なネタバレが多々記されています。未鑑賞の方は、先に映画本編を鑑賞して頂く事をオススメします。


・Story

 時は現代―。
 小児精神科医のキャサリン(ジェニファー・ロペス)は、キャンベルセンターという精神治療センターで精神分裂症の少年エドワードの治療のため、長年研究されてきた新しい心理カウンセリングシステムを使って治療に当たっていた。
 そのカウンセリングシステムとは、人と人の精神をコンピュータでリンクし、文字通り他人の精神世界に入り込む事が出来るシステムだ。
 このシステムにより、自らの精神世界に閉じこもったままのエドワードを説得し、心を開かせようというのだ。
 しかし、1年半にも及ぶ精神カウンセリングにも関わらず、回復の兆候を見せないエドワードに失望した彼の両親は、治療の打ち切りをキャサリンに申し出る。
 同じ頃、街では女性ばかりを狙った猟奇的な連続殺人事件が発生していた。 それは、若い女性を拉致監禁し、溺死させた後漂白剤で全身を真っ白に漂白し、さらに首輪を着けて川に遺棄するというモノだった。
 捜査を担当するFBI捜査官ノヴァック(ヴィンス・ヴォーン)は、現場に残された車の塗料片と、被害者の遺体に付着していた犬の体毛から犯人を割り出す。
 犯人の名はスターガー(ヴィンセント・ドノフリオ)。 胎児の頃のウィルス感染による脳障害で、重度の精神分裂症を発症している男だ。
 だが、そんな中新たな被害者がスターガーによって拉致され、ガラス張りの小部屋(セル)に監禁されてしまう。 システムは全自動で、3日後には自動的に注水され、被害者は溺死してしまう。
 彼女を救うため、スターガーの住居を探し当てて特殊部隊が強襲する!
 ところが、スターガーは発作を起して意識不明の重態。 セルがある場所を聞き出そうにも聞き出せない。
 担当医はサジを投げるが、その時、キャンベルセンターの事を思い出す。
 キャンベルセンターに運び込まれるスターガー。 そしてノヴァックは、キャサリンにスターガーの心の中に入り、被害者の居所を聞き出して欲しいと頼むのだが……!?
 CM監督として鮮烈な映像に定評があり、“ヴィジュアル・モンスター”の異名を持つターセムが、劇場用映画作品として初めて手がけた本作は、その鮮烈なヴィジュアルと今までになかった斬新な設定とストーリー、そして、アーティストとしても活躍するジェニファー・ロペスを主演に迎え、ヒトの精神世界の完全な映像化に挑んだ意欲作。
 21世紀の幕開けを予感させる凄まじいまでのVFXは、観る者のを度肝を抜くインパクト。
 映画『ザ・セル』は、新時代の新しいサイコスリラーの方向性を示した傑作と言えるだろう。


・Cast&Staff

ジェニファー・ロペス/キャサリン・ディーン

 若いが優秀な小児精神科医、キャサリンを演じたのは、女優としてだけでなく、アーティストとしても活躍しているジェニファー・ロペスである。
 1969年、ニューヨークはブロンクスにてプエルトリコ系アメリカ人の両親の間に生まれたロペスは、幼少の頃から演技に興味を持ち、1986年に公開された『リトル・マイ・ガール』で映画デビューを果たす。
 1990年には、日本の大阪で開催された『国際花と緑の博覧会』(注:通称“花博”)の会場で公演されたミュージカル『シンクロニシティ』で舞台デビューも果たしている。
 これと前後して、映画『ランバダ/青春に燃えて』(注:日本でもブームになったセクシーなダンス、ランバダをモティーフにしたラブストーリー。90年公開)に出演。 95年公開の『ミ・ファミリア』で注目されるようになり、ウェズリー・スナイプス(注:映画『ブレイド』シリーズがつとに有名。無名時代には、今年他界したマイケル・ジャクソンのメガヒット曲『BAD』のショートフィルムにも出演している)やウディ・ハレルソン(注:クェンティン・タランティーノ脚本、オリバー・ストーン監督の『ナチュラル・ボーン・キラーズ』がつとに有名。 マイク・マイヤーズの『オースティン・パワーズ:デラックス』にも、本人役でカメオ出演している)と共演した映画『マネー・トレイン』(注:警察をクビになった警官が、現金輸送列車=マネー・トレインをハイジャックするという内容のクライムアクション。95年公開)や、初のゴールデングローブ賞候補になった『セレナ』(注:97年公開)、名優ジョン・ヴォイトと共演したUMA系パニック、『アナコンダ』(注:97年公開)など、共演者や作品に恵まれ、98年公開の『アウト・オブ・サイト』(注:ジョージ・クルーニー主演のクライムサスペンス。スティーヴン・ソダーバーグ監督作品。ダニー・デヴィートが制作でクレジットされている)が大ヒットし、その地位を確固たるモノにする。
 日本でも人気が高く、役所広司主演の日本映画をリメイクしたハリウッド版の『Shall We Dance?』(04年)にリチャード・ギアと共に出演したのも記憶に新しい。
 また、女優業の傍ら、99年のアルバム『On The 6』を皮切りにアーティスト業にも力を入れており、セカンドアルバムの『J.Lo』(注:タイトルの“J.Lo”は、ロペスのニックネーム。“ジェイロー”と発音する。アルバムは01年リリース)は、世界で800万枚ものセールスを記録し、複数のプラチナアルバム賞を受賞する大ヒットとなった。
 その美貌と多彩な才能により、“世界で最も美しい女性”と評されている。
 ちなみに、自由奔放な性格のためか、ハデな恋愛遍歴や、わがままな言動や行動が目立つ事でも有名で、宿泊先のホテルに細かい注文をつけたり、100人もの同行者を伴ってホテルを訪れた事もあるなどの伝説も絶えない。
 また、昨年2008年には、アーティストのマーク・アンソニーとの間に儲けた男女の双子を出産している。


ヴィンス・ヴォーン/ピーター・ノヴァック捜査官

 連続殺人犯スターガーを追うFBI捜査官ノヴァックを演じたのは、近年はコメディ映画への出演が多いヴィンス・ヴォーンである。
 1970年、ミネソタ州のミネアポリスで生まれたヴォーンは、高校時代にTVCMに出演したのがキッカケで俳優業を志すようになる。
 1991年に、『フォー・ザ・ボーイズ』という作品にノンクレジットで出演した後、93年の『ルディ/涙のウィニング・ラン』という作品で本格的な映画デビューを果たす。
 転機となったのは96年公開のインディペンデンス映画『スウィンガーズ』という作品で、この出演でヴォーンは注目されるようになり、翌97年には、スピルバーグがインディ・ジョーズシリーズ以外では初となる“続編”を監督(注:スピルバーグはヒットメーカーだが、どんなにヒットした作品でも続編を監督しない事で有名。例外的に、インディ・ジョーンズシリーズだけは、シリーズ全作品を監督している)した作品、『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』に出演する。
 さらに、98年にはヒッチコックの傑作サイコスリラーとして、今尚人気の高い名作中の名作、『サイコ』の完全再現リメイク版(注:ヒッチコックが監督した60年版と全く同じカメラワーク、カット割り、セリフで完全再現を試みた作品。60年版では技術的に撮影不可能だったシーンが追加されている)に、ノーマン役という重要な役で出演。
 本作出演後は、ベン・ステイラー主演の『スタスキー&ハッチ』(04年)や『ドッジボール』(04年)、『俺たちニュースキャスター』(05年)、『ウェディング・クラッシャーズ』(05年)など、コメディ作品への出演が多くなり、2008年には雑誌『フォーブス』(注:毎年世界長者番付を発表しているランキング雑誌)の『最もコストパフォーマンスの良い俳優』という、ありがたいんだかありがたくないだかよく分からない俳優賞に選ばれている。
 ちなみに、05年公開の『サムサッカー』という作品では、後述のドノフリオと再び共演している。(注:同作品には、ティルダ・スィントンやキアヌ・リーヴスらも出演している)
 また、ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーが結婚するキッカケとなった共演作、『Mr.&Mrs.スミス』(05年)にも出演している。


ヴィンセント・ドノフリオ/カール・スターガー

 精神障害から女性ばかりを狙う連続殺人犯であり、本作の最重要キャラクターであるスターガーを演じたのは、多彩な演技に定評のある名優、ヴィンセント・ドノフリオである。
 ニューヨークはブルックリンに生まれたドノフリオは、コロラド大学在学中に演劇に魅せられ、演技を学ぶために大学を中退。 ニューヨークに戻り、アメリカン・スタニラフスキー・シアターという劇団に入り、『二十日鼠と人間』(注:1937年に出版されたジョン・スタインの同タイトルn小説が原作。世界恐慌時代のカリフォルニアが舞台の悲劇。39年と92年には映画化もされている)などの舞台に出演。 ブロードウェイミュージカルにも出演する。
 1983年、『The First Turn-On!』という作品で銀幕デビューを果たすと、主に舞台に出演して演技力を磨く傍ら、映画にも出演するようになっていく。
 転機となったのは1987年、スタンリー・キューブリックの戦争モノの名作として今尚高い評価を得ている映画『フルメタル・ジャケット』に出演。 この演技が高く評価され、その後『JFK』(91年)、『ザ・プレイヤー』(92年)、『マルコムX』(92年)と、話題作、ヒット作に立て続けに出演するようになる。
 94年には、ティム・バートン監督の『エド・ウッド』にオーソン・ウェルズ役(注:詳細は、当ブログ記事『035.We are not Alone』を参照の事)で出演。
 95年には、ジェームズ・キャメロンが脚本を手がけた『ストレンジ・デイズ』に出演し、97年にはスピルバーグが製作総指揮した『メン・イン・ブラック』。 99年には、ローランド・エメリッヒが製作総指揮した『13F』と、様々な作品で多彩な演技を魅せ、確かな地位を確立していく。
 本作出演後は、『LAW&ORDER:犯罪心理捜査班』というTVシリーズ(2001年~)にレギュラー出演。 日本ではソフト化されていなかったが、昨年からCS放送のFOXチャンネルでOAがスタート。 2009年11月現在は、2ndシーズンがOA中である。


ターセム/監督

 ヒトの精神世界の映像化という困難な作品の陣頭指揮を執ったのは、CMディレクターとして数多くのCMを手がけた経験を持つターセム(本名ターセム・シン)である。
 61年にインドで生まれたターセムは、映像作家の勉強をするために24歳の時にアメリカに渡り、Art Center College of Designに入学。 映像技術を学ぶ。
 カレッジを卒業後、MTVやテレビCMの演出や監督を数多く務め、その鮮烈なヴィジュアルが高く評価され、売れっ子映像作家になっていく。
 彼が手がけた映像の中には、ナイキやリーバイス、ペプシ(注:出演者が違うが、日本でもOAされたクィーンの名曲『We Will Rock You』をフィーチャーしたペプシのCMシリーズは、元々はターセムのが手がけたモノらしい)などの大企業のテレビCMはもちろん、世界的な歌姫として名高いビョーク(注:アイスランド出身のアーティスト。グラミー賞を12回も受賞しており、自身が出演した2000年公開のミュージカル映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』では、ゴールデングローブ賞、カンヌ国際映画祭のパロム・ドールと女優賞など、多数の受賞、ノミネートに輝いた)のビデオクリップも手がけている。
 これらの実績が評価され、彼は満を持して本作を監督。 映画界に殴り込みをかけた。
 実際、その凄まじいまでの鮮烈な映像センスに、観客や批評家は度肝を抜かれ、映画は世界的な大ヒット作となった。
 しかし、ターセム自身は映画にはあまりこだわっていないらしく、本作監督後は再びCMディレクターに戻り、テレビCMやビデオクリップを手がけている。
 しかし、2004年頃から、ブルガリア映画から着想を得て自らが企画、脚本を手がけ、構想26年、制作期間4年の歳月をかけて、世界24ヵ国で13もの世界遺産を舞台に撮影された超大作、『The Fall/落下の王国』の制作に着手。 映画は2008年に公開され、シッチェス・カタロニア国際映画祭や、ベルリン国際映画祭で絶賛され、多数の賞を受賞している。


・Behind the Scene

 本作は、これがデビュー作となった二人のクリエーターの出会いにより、プロジェクトがスタートした。
 一人目は、後に2006年の『ポセイドン』(注:72年に『ポセイドン・アドベンチャー』というタイトルで公開されたパニックディザスターの傑作中の傑作をリメイクした作品。『アウト・ブレイク』のウォルフガング・ペーターゼン監督作品)や、ウィル・スミス主演の『アイ・アム・レジェンド』(2007年公開)も手がける事になる、脚本家のマーク・プロトセヴィッチである。
 ヒトの精神世界を描くという、荒唐無稽な内容の脚本を書き上げたプロトセヴィッチは、脚本の売り込みに奔走したが、これを映像化出来る監督に出会う事が出来ずにいた。
 しかしその時、意外なところからあるCMディレクターの名前が挙がった。
 撮影監督のポール・ローファーは、講師として映画学校で教鞭を取る事もあったが、その時学生だった一人から、「映画の仕事を探している」という連絡を受けた。 その元学生こそが、ターセムであった。
 既に本作の製作に決まっていたプロデューサーのフリオ・カロやエリック・マクレオドに、ローファーはターセムを引き合わせ、本作の脚本を読ませる。
 すると、プロトセヴィッチの脚本に書かれていた、ヒトの精神世界の映像化という初めての試みに、ターセムは映像作家の才能を触発され、二つ返事で本作の監督を引き受けた。
 こうして、プロトセヴィッチとターセムという、本作が映画デビューとなる二人の才能が出会った事により、本作のプロダクションはスタートした。


 本作の視覚的な魅力は二つある。
 一つは美術である。
 本作のプロダクション・デザインを手がけたトム・フォーデンは、リドリー&トニーのスコット兄弟が製作総指揮を務めたTVシリーズ『ザ・ハンガー』や、98年版『サイコ』を手がけたデザイナーで、本作の心理カウンセリングシステムはもちろん、スターガーの狂気に満ちた精神世界のセットを次々と作り出していった。
 特にスターガーの精神世界のセットは素晴らしく、例えば最初のエントリーで登場する長い階段(注:少年スターガーが駆け上っている階段。実際には、短い階段を子役に何度も上ってもらい、それをつなぎ合わせて長い階段に見せている)や、シュールレアリスムやサイコアートの絵画のような装飾を施されて小部屋に監禁されている被害者の女性たち(注:この女性たちの胸元をよ~く見てほしい。この直後に登場するマッチョガールも含めて、彼女達には乳首が無い。あるいは見えない。セルロイドの人形には乳首が無く、人形遊びが好きだったスターガーにとっては、女性は乳首が無いのが当たり前なのだろう)など、まさに狂気としか言いようのない美術デザインは、本作がそれまでのサイコスリラーとは一線を画する作品になった一つの要因と言えるだろう。
 もちろん、フォーデンが手がけたのは、このような荒唐無稽なセットだけでなく、終盤に登場するキャサリンの光に満ちた精神世界や、スターガーの少年時代の記憶の舞台である実家など、現実と非現実を見事に使い分けた美術は見事としか言いようが無い。
 また、スターガーの住居の地下にある巻き上げ機や、本作の重要なモティーフであるガラス張りのセル、さらには屋根裏にある大量の写真が散らばった部屋など、スターガーのリアルにおける狂気の象徴的モティーフも、非現実的でありながら現実的にあり得る理に適ったデザインが施されており、フォーデンの才能の多彩さと確かさを証明していると言えるのではないだろうか?
 もう一つの視覚的な魅力は、衣装である。
 とは言っても、ノヴァック捜査官のスーツや、キャサリンのスカートやキャミソールではない。
 これらリアルの衣装は、エイプリル・ネイピアが手がけているが、それよりも魅力的、かつ鮮烈な映像テクストとしてスクリーンに映し出されているのは、やはり精神世界でのキャサリンやスターガーの衣装である。
 例えば、オープニングの砂漠地帯を馬で駆けるキャサリンが着ている真っ白なドレスは、砂漠というロケーションとは全く以って不釣合いな衣装だが、精神分裂症を患っているエドワード少年の不健康な精神状態を表現するモティーフとしての砂漠と、そこに舞い降りたエドワード少年を救う天使としてのキャサリンという存在を表現するには、あの真っ白なドレスが不可欠だった。
 加えて言うなら、砂漠のオレンジにも似た砂の色と、雲ひとつ無い抜けるような青空、そして、キャサリンの真っ白なドレスという見事な色彩が、鮮烈なコントラストに良く映えている点も素晴らしい。
 また、最初のエントリーシーンで、スターガーは部屋の壁を多い尽くす巨大なマントとスカートを身に着けているが、このスカート、実は良く見ると日本の着物の一種、袴である。
 2度目のエントリーシーンで、バスタブに横たわる女性から内臓を引きずり出しながらスターガーが語るシーン(注:このシーンに登場するアルビノのハスキー犬の子犬に注目! もうオスカーをあげたくなるほどの名演技!)の直後、キャサリンは豹変したスターガーに捕らわれてしまうが、この時スターガーが着ているのも、やはり袴である。
 さらに、ノヴァックがエントリーした時にスターガーが着ている金色一色の王族のような衣装や、キャサリンの真っ黒なドレス、キャサリンの精神世界でキャサリンが着ている聖母のようなイメージの尼服や、ジャンヌ・ダルクを思わせるヨロイのような黒い衣装、そしてそこに現れたスターガーウロコのマントなど、リアルではパリコレのデザイナーでもデザインしないような素晴らしい衣装の数々が登場するが、これらの衣装を手がけたのは、92年にはフランシス・フォード・コッポラ監督の映画『ドラキュラ』で、アカデミー賞最優秀衣装賞を受賞した日本人デザイナー、石岡瑛子である。
 先ほど記したスターガーの袴は、日本人デザイナーである石岡ならではのデザインと言えるだろう。
 石岡は、後に『The Fall』でも、ターセム監督たっての希望で衣装を手がけている。
 ちなみに、精神世界でのスターガーは、顔に特殊なメイクが施されている。 眉毛から鼻筋にかけて、ハチドリが描かれているのだが、理由は……DVDの音声解説などで確認して下さい。


 本作を語る上で欠かせないのは、被害者女性の漂白された美しい肢体の死体(^ ^;)や、先の最初のエントリーシーンで登場する精神世界の被害者女性たちに施されたサイコアートのような特殊メイクも然る事ながら、やはり最も注目を集めたのはVFXである。
 本作のVFXを手がけたのは、デヴィッド・フィンチャー監督の97年の『ゲーム』と99年の『ファイト・クラブ』を手がけたケヴィン・トッド・ホウだが、当時、既に映画『マトリックス』(99年公開)や『ファイト・クラブ』でVFXの新時代が幕を開けていたが、本作ではそれさえも凌駕するほどのVFXが多数施されている。
 例えば、最初のエントリーシーン。
 リアルでキャサリンの顔にかけられた布の曼荼羅のような模様から、糸に絡め取られたセルロイド人形たちを経て、川に沈められるスターガーの洗礼式へと、流れるようなカメラワークで次から次へと映像が変わっていく一連のシーンは、実写プレートやブルーバック、CGアニメーションをつなぎ合わせており、その構成の複雑さは、『マトリックス』のバレットタイム以上と言える。
 また、この最初のエントリーでキャサリンは少年のスターガーと出会うが、そこに馬がいたのを憶えているだろうか?
 あの馬は、最初キャサリンが首筋を撫でる辺りまではホンモノの馬をセットに立たせて撮影しているが、その直後、ガラスの仕切り板で輪切りにされるトコロは、もちろん全て(注:ガラスの仕切り版も含めて)VFXである。
 その後、チラッとだけ写る動いている馬の内臓も、ガラス板に付いた半透明の粘液も含めて、全てVFXである。
 そのリアリティと完成度の高さは、見事としか言いようが無い。
 ちなみに、ガラス板が落ちてきた後、ガラス板が画面の横方向に向かって広がるが、カメラのフレームが一切変わっていない点に注目してほしい。 パナビジョン1:2.35(注:ワイドシネスコ、あるいはレターボックスサイズとも呼ばれる、現在の劇場用映画では標準的なアスペクト比の事。本作では、スーパー35フォーマットのパナビジョン1:2.35アスペクトが利用されている。ちなみに、パナビジョンはハリウッドで映画用のカメラをレンタルしている会社の名前)を、絵画のキャンバスのように活用した構図である。
 また、本作ではいわゆるスーパースロー映像(注:fps120以上の高速カメラで撮影し、それを通常のfps24で再生すると、超スロー映像になる。 映画『インディペンデンス・デイ』では、UFOのレーザー光線で破壊されるホワイトハウスの映像をミニチュア撮影で行っているが、この時はfps1200という、通常の50倍もの超高速カメラが使用された)も多用されているが、これとブルーバック撮影を組み合わせて作られたのが、2度目のエントリー直後、小さなセルに閉じ込められたキャサリンが落下するシーンである。
 このシーンでは、ワイヤーで吊るしたロペスをブルーバックでスーパースロー撮影し、同じようにブルーバック撮影した犬(注:ヴァレンタイン。こちらは通常のfps24)を組合せ、CGIで描いた背景を組合せ、色調や光源を統一化すると、宙に浮いているキャサリンの前で犬がお座りするという、あの何とも幻想的なショットになる。
 他にも、映画の終盤、リバースでキャサリンの精神世界にスターガーを招き入れたシーンでは、画面全体の光を強調し、アールデコ様式のようなフレームを描き加えるという演出が施されているが、これもVFXによるモノである。
 また、直後のプールにスターガーのウロコ状のマントが浮かび上がってくるシーンも、VFXによるモノである。
 ただし、オープニングのエドワード少年の精神世界である砂漠にあった朽ち果てた船や、ノヴァックがエントリーした時にセルの中で人魚のような姿で泳いでいた被害者女性は、実際に撮影現場に持ち込まれたガジェットや、シンクロのパフォーマーによるライブアクションであり、VFXではない。
 現在の技術であれば、どんなモティーフでもVFXで再現する事が可能だろうが、こういう実写とVFXの使い分けは、VFXの正しい使いドコロを熟知していないと出来ない事である。
 その意味では、ターセムやホウは、VFXを正しく理解しているスペシャリストと言えるだろう。
 しかし、時にはターセムの独特のセンスに、ホウが頭を抱える事もあった。
 ホウは、VFXを作ってターセムに見せる際、「やり過ぎたか?」と思う事が多かった。 トコロがターセムは、これを「いいね。」と一言。 そしてその後に、必ずと言っていいほど、「もっと出来るか?」と訊いてきたそうだ。
 自分にとっての「やり過ぎたか?」は、ターセムにとっては「まだまだ」だったようだ。


 本作に限らず、映画は脚本を元に製作されるモノだが、完成した映画が脚本とは異なる作品に仕上がる事も稀ではない。
 何故なら、映画には必ず“編集”という行程を経る必要があるからだ。
 実写であれCGIであれ、撮影した映像というのは映画の一部、素材の一つでしかない。 これを、編集という行程を経る事で、映画は初めて映画となる。
 本作の編集は、ポール・ラベルが手がけたが、ターセムの発案により、ラベルは脚本とは異なる編集を行う必要があった。
 最も顕著にその影響を受けたのは、映画のラストシーンである。
 本来、脚本ではスターガーの自宅の前で話しをしていたキャサリンとノヴァックが別れるトコロで終わり、スターガーの家の屋根裏部屋に散らばった写真をなめる映像をバックにしたエンドクレジットで締めくくる予定だった。
 しかし、これが編集によって変更され、本来は映画の中盤に挿入される予定だった、エドワード少年の精神世界で、キャサリンが船の模型を木の枝に飾るシーンがラストシーンに使用された。
 映画の序盤で、キャサリンがエドワードの夢を見て眠れずにいるシーンがあったが、本来はこのシーン前に、ラストシーンに使われたシーンが挿入され、ウミガメのヒレを付けたエドワードが、砂漠を水面のように泳いで去るシーンに続くハズだった。
 そのため、ラストシーンに使われたシーンには、本来は桜の花は無く、オープニングシーンとほぼ同じだった。
 これをラストシーンに使えるように、CGIで桜の花が書き加えられ、砂漠に雪と桜吹雪が舞い散るという幻想的なラストシーンが出来上がったのである。


 さて、本作の音楽についてであるが、本作の音楽を手がけたのは、カナダ人作曲家のハワード・ショアである。
 1946年、カナダのオンタリオ州トロントに生まれたショアは、幼少の頃から音楽の道を志し、バークリー音楽大学に進学。 作曲と音楽理論を学ぶ。
 1981年、同じカナダ出身の映画監督、デイヴィッド・クローネンバーグと知り合い、クローネンバーグの監督作品『スキャナーズ』で初めて映画音楽を手がけると、同じくクローネンバーグ作品の『裸のランチ』や『ザ・フライ』を初め、当ブログでも以前にご紹介した『羊たちの沈黙』や、『ルームメイト』、『硝子の塔』、『フィラデルフィア』、『セブン』など、これまでに100作近い作品で音楽を担当し、本作直後の2001年から2003年に公開されたピーター・ジャクソン監督作品、『ロード・オブ・ザ・リング』三部作では、念願のオスカーも獲得している。
 低音を多用したショア独特の不安定なイメージの音作りは、ヒトの精神世界をモティーフとした本作にはうってつけだった。
 実際、映画の中で映像のバックに流れるBGMは、リズムやメロディといった音楽理論を無視しているかのような、極めて不安定、かつ支離滅裂な音の集合体である。
 しかし、本作にはそれが必要だった。
 ヒトの精神世界という、矛盾かつ不安定なモティーフを音で表現するのに、ショア節と呼んでも良い独特の音楽は、まさに本作の音楽にふさわしいと言えるだろう。
 ……しかし、監督のターセムは、ショアの音楽をあまり気に入っていないらしく、DVDの音声解説でも、しきりに「気に入ってない」と言う。
 ……そんなコトナイデスヨ?
 個人的には、本作の音楽は、まさに「ショア節炸裂!」と評価している。


・Point of View

 本作に限らず、ヒトの心理的二面性というテーマは、様々な映画で頻繁に描かれるテーマである。
 当ブログでも、以前に『羊たちの沈黙』や『エクソシスト』で同じ事を書いたが、ヒトの心理的二面性、すなわち心の中に潜む陰と陽は、ヒトの心の中に無意識的に構築されるモノであり、その構築過程における家庭環境や周囲の状況に著しく影響を受け、三つ子の魂百までと言わんばかりに、その後の人格形成や価値観に多大な影響を与えるのである。
 しかし、これは少年期、すなわち経験不足から物事の正しい善悪や価値観が固まっておらず、不安定な自我しか持たない子供の頃から、無意識にインプリンティングされるモノであり、本人には、実はどうしようもない事だったりするからタチが悪い。
 しかも、本人はそれを“正しい”と思い込んでいるので、成長してからその価値観を変えようとしても、無意識下のそれと矛盾するため変更するのが難しく、始末が悪い事この上ない。
 しかし、以前から何度も記している通り、ヒトの心には善と悪の二つが背中合わせに同居しており、どちらが表面化するかによって、その人の人格が決まる。
 本作において、女性ばかりを狙う連続殺人犯として登場するスターガーは、幼少期の劣悪な家庭環境によって、物事の正しい価値観が養われず、内向的な性格は人形遊びへの執着(固着)へと帰結し、長じて人形では飽き足らなくなってしまったスターガーは、その対象を女性に向ける殺人衝動へと変容する。
 無意識下に間違った価値観を植えつけられたスターガーは、川に沈められる洗礼式がトラウマとなり、水という要素が引き金となって脳障害による重度の精神分裂症発作を起すようになってしまうが、先の価値観がこれに影響を与え、彼は閉ざされた心の中で、永遠に被害者女性たちを苦しめ続ける歪んだ狂気の王の妄想を続ける。
 だが、先にも記した通り、狂気の王としてのスターガーは、飽くまでもスターガーの心理的二面性の一面であり、悪、あるいは陰の心である。
 しかし、それと同時に背中合わせに存在しているのが、スターガーの心の善の一面である少年のスターガーである。
 映画の終盤、キャサリンの心の中に招き入れられた少年のスターガーは、聖母のようなキャサリンにこう訊ねる。

「僕もここにいていい?」

 それは、トラウマから生まれた殺人衝動から逃れようとしているスターガーの善の一面が望む事であり、自らの悪の一面から逃れようとするスターガーの心の叫びである。
 しかし、キャサリンがそれが出来ない事を告げると、光に満ちていた世界は急激に暗転し、スターガーの悪の一面、すなわち狂気の王のスターガーが、目を覚ます。
 だが、自らの精神世界ではないキャサリンの心の中では、何人もの女性の命を奪った狂気の王としての力は無く、悪を打ち破る正義の騎士となったキャサリンに叩きのめされる。
 しかしその瞬間、スターガーはようやく悟る。
 少年と狂気の王が、同じ“自分の心”である事を。
 だからスターガーは、剣を振り下ろすのを躊躇うキャサリンに言う。

「殺してくれ!」

 自らの心の闇を識ったスターガーは、狂気の王の蛮行を止めるために、善と悪とを相殺させて消滅する事を望む。
 何故なら、心の中の善と悪は、一心同体なのだから……。
 結局、スターガーは自らの心の闇に勝てなかったのかもしれないが、少なくとも負けてはいないと僕は思う。
 しかし重要なのは、物事の大事小事の違いはあれど、こうした心の中の善と悪との葛藤は、だれの心のにも起こり得る事である。
 何故なら、ヒトには誰しも心理的二面性があり、何らかのキッカケで簡単に反転してしまうからだ。
 心の中に潜む闇、これすなわち“本当の心(Be You True Mind)”―。
 これに打ち勝つ力が、アナタの善の心にはあるだろうか?
 もしも、それが無いのなら、…………。


・Reaction&Estimate

 本作は、アメリカでは2000年の8月に。 日本では2001年の3月に公開されたが、日本で公開されたのは、アメリカ国内版よりも2分ほど長いインターナショナル版である。
 これは、レーティング、特に暴力表現に対する規制のため、アメリカ国内版では流血シーンなどがいくつかカット、あるいは短くなっているためだが、日本では性描写に対する規制はかなり厳しいが、暴力表現に対する規制はあまり厳しくないためだ。
 それはともかく、本作は公開されるや否や、その鮮烈な映像が高く評価されて大ヒットを記録。 ワシントンポストを初めとする新聞や雑誌もこぞって本作を絶賛し、最終的な興行収益は、世界で総製作費の3倍以上という記録的な大ヒットとなった。
 また、この人気を裏付けるかのように、アカデミー賞では特殊メイキャップ賞を受賞している。
 本作に限らず、今世紀に入ってからの映画はヴィジュアル重視の作品が多く、実際そういった作品の方が高い興行収益を上げる傾向にある。
 もちろん、それは映画の撮影技術やVFX技術の向上に伴う結果であり、映画の一つの進化の方向性としては、至極正しいと言える。
 しかし、視覚的な面に捕らわれ過ぎて、映画の本質、すなわちテーマやストーリーがおざなりになってしまっては意味がない。 VFXやSFXは、飽くまでも映画のテーマ、あるいはストーリーを分かり易く表現するための手段であり、映画を娯楽としてより高いレベルにするための道具である。
 その意味においては、本作はテーマをしっかりと描き切るストーリー構成の脚本で、これを視覚的に分かり易く、そして娯楽としてより高いレベルにするためにVFXを多用し、視覚的に観客を楽しませようとしている。
 本作は、これからの映画に必要な、“道具としてのVFX”が正しく利用された作品として、筆者が映画製作を志す人々に手本にしてもらいたいと思う作品の一つである。
 ちなみに余談だが、今年2009年には、本作の続編として『ザ・セル2』が公開されている。 既にDVD化もされているが、駄作っぽいので筆者は観てない。


・Data


ザ・セル(原題:The Cell)

配給:ニューラインシネマ
出演:ジェニファー・ロペス
   ヴィンス・ヴォーン
   ヴィンセント・ドノフリオ
脚本:マーク・プロトセヴィッチ
音楽:ハワード・ショア
撮影:ポール・ローファー
編集:ポール・ラベル
製作:フリオ・カロ
   エリック・マクレオド
監督:ターセム

総製作費:3300万ドル
上映時間:109分
公開年月:2000年8月(日本では01年3月)



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



きょーのはちゅねさん♪


第二試合!

Th3067 Thanks for youre reading,
See you next week!



‐参考資料‐
※今回の記事では、以下のウェブサイトの記事を参考資料として適宜参照しました。

・Wikipedia英語版
 検索ワード:The Cell
※毎度お馴染みのWikipediaですが、日本語版には記事がなかったので英語版の方を参照しました。


‐オススメアイテム‐
※今回ご紹介した作品のDVDソフトです。 未鑑賞の方は、ぜひ一度ご覧下さい。

ザ・セル デラックス版〈特別プレミアム版〉 [DVD]
ジェニファー・ロペス,ヴィンス・ヴォーン,ヴィンセント・ドノフリオ
パイオニアLDC

※メイキングや視覚効果など、約97分の特典映像を収録した2枚組特別版。本編ディスクには、複数種の音声解説も収録。

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056.Fire, Wind, Water, Earth and …….

2009年08月23日 | 映画を“読む”

-Movin' Movies #07-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 さて、8月も下旬に入り、学生の皆さんはそろそろ学校が始まる時期なのではないでしょうか? 夏休みの宿題は終わってますか?(笑)
 とは言え、今週の一発目のネタは、やはりなんと言ってもコレでしょう!(↓)

Blog0419  今回は俯瞰で撮ってみました。
 毎度お馴染みのC76の戦利品でございます。
 いや~買った買った。(笑) 数的には前回とほぼ同じぐらいだと思いますが、今回は単価の高いモノが多くて、金額的には前回の1.5倍ぐらい使っちゃいましたよ。
 これからじっくりと一品一品堪能させて頂きたいと思います。
 ……まあ、ウェブ通販の追加発注分がまだ届いてないんですけどね。(^ ^;)


 それとは関係ありませんが、先日当ブログのアクセス解析機能でデイリーアクセス数をチェックしていたトコロ、こんな事になってました。(↓)
 
Blog0420  何があったんだ8月18日ッ!?
 あまりのあり得ない数字にビックリしたので、ちょっと調べてみました。
 すると、どうやら『ツイッター』とかいうウェブサービス(注:一言で言えばBBSサービスの一種らしい。ですが、詳しくはよく知らないです)から、短時間に集中してアクセスがあった様子。 どうやら、僕のブログ記事を読んだ人が、アドレスを書き込んだためにそれを見た複数のユーザーさんに連続してアクセスされた結果、こんな事になったようです。
 ちなみに、ツイッターからのアクセスだけで24アクセス(!)もありました。
 さらに言うなら、どうやら『棚から一掴み』のRRのサントラ盤紹介記事が書き込まれていたらしい。
 なら問題は、その書き込みをしたのは誰か?
 書き込みがされていたページにアクセス出来たので、ハンドルネームを確認してみたら、なんとぉッ!!!

Yamajet

 そう! RRのサントラと合わせて紹介させて頂いた同人アレンジCD、『ルージュレーサー』のヒトです!
 Hooverシリーズのquad様に引き続き、またしてもアーティストご本人様に見つけられてしまいました。

Yamajetオマエもか。

 ……いや、嬉しいんですけどね?
 おかげでこんなにアクセスして頂けたし、これのおかげで、トータルアクセス数も5000アクセス超えたし。
 それにしてもビビッたっス。 数字見た時は、何かの嫌がらせかと思いました。(笑)
 Yamajet様、そして、ツイッターからアクセスして頂いた皆さま、ありがとうございました。(多謝)



 それはさて置き、今週はこれまたお久しぶり~の『映画を“読む”』のコーナー。
 何か新シリーズを始める予定でしたが、結局何シリーズにするか決まらなかったので、とりあえず好きな作品を紹介していこうかなと。(笑)
 で、今回取り上げる作品は、フランス映画界を席巻したリュック・べッソン監督が、ハリウッド進出2作目として手がけた渾身のSFアクション超大作! 1997年公開作品、『フィフス・エレメント(原題:The Fifth Element)』です!
 今週も、最後までお付き合い下さいませませ。


・Story

 20世紀初頭―。
 エジプトで発見された遺跡を調査していた考古学者は、石板から5000年に一度訪れるという“大いなる災い”の存在を発見する。
 しかしその時、宇宙の遥か彼方から巨大な宇宙船に乗ってやってきた地球外生命体、モンドシャワン人によって、考古学者は殺されてしまう。 彼らは、この遺跡に保管されていた生命を象徴する4つの石と、いずれ訪れるであろう災厄に対抗出来る唯一の力、『第五の要素』を回収しに来たのだ。
 彼らは、遺跡を管理する僧侶に、300年後に訪れる災厄と、『第五の要素』の帰還を待つように言い残し、遺跡のカギを僧侶に渡す。
 それから300年後―。
 宇宙を警備する地球軍の艦隊は、宇宙に突如現れた謎の惑星を探知する。 しかも、この惑星は意志を持つ生命体であった。
 未知の存在に当惑する統一宇宙連邦政府は、大統領の命令によりこの惑星の破壊を決定する。 しかし、善戦虚しく地球軍は壊滅してしまう。
 遺跡のカギを受け継いだコーネリアス神父(イアン・ホルム)は、大統領に掛け合い、この惑星が5000年に一度訪れる災厄である事を説明し、これに対抗出来るのは『第五の要素』だけだと説く。
 同じ頃、モンドシャワン人たちは、地球を災厄から救うために保管していた4つの石と『第五の要素』を携えて地球圏にやってくる。 しかし、連邦政府によって故郷を失った宇宙人、マンガロイド人によって、モンドシャワン人の宇宙船は撃墜されてしまう。
 残骸からモンドシャワン人の遺体を回収した連邦政府は、最新のクローン再生技術を使って一人の女性を再生する。彼女こそ、全宇宙を災厄から救う唯一の存在、『第五の要素』たる女性、リー・ルー(ミラ・ジョヴォビッチ)だった。
 しかし、古代宇宙語(ディヴァイン語)しか話せないリー・ルーは、研究所から逃走。 そして、偶然からタクシードライバーで元特殊部隊の軍人、コーベン・ダラス(ブルース・ウィリス)に助けられる。
 コーベンは、リー・ルーをコーネリアス神父の下に送り届けるが、軍からの命令により水の惑星フロストン星に飛び、4つの石を持ち帰るように命令される。
 しかし、災厄に協力するゾーグ社の社長、エマニュエル・ゾーグ(ゲイリー・オールドマン)の手引きで、マンガロイド人がコーベンを追いかけてくる。
 果たして、コーベンは世界を救えるのか?
 そして、『第五の要素』の真実とは……!?
 映画『ニキータ』、『レオン』で世界中に一大旋風を巻き起こしたフランス映画界の巨匠、リュック・べッソンが、若い頃から温め続けていた物語を、最高峰のスタッフとキャスト、そして、約100億円の予算と(当時の)最新のデジタルVFXを駆使して映像化した渾身のSFアクション超大作!
 映画『フィフス・エレメント』は、間違いなく世界最高峰のSF映画の一つである。


・Cast&Staff

ブルース・ウィリス/コーベン・ダラス

 本作の主人公、タクシードライバーで元軍人のコーベン・ダラスを演じたのは、映画『ダイハード』シリーズでお馴染みのブルース・ウィリスであるが、過去の記事と内容が重複するため、詳細は割愛させて頂く。
 ウィリスに関する詳細は、当ブログの過去記事、『012.The Future is History』を参照して頂きたい。
 余談だが、コーベンは当初、タクシードライバーではなくロケット工場の技術者という設定(注:元軍人という設定は変わらない)だったが、コンセプチュアル・アーティストのメジエールが描いた未来のニューヨークの街並みに小さく描かれていたタクシーに着想を得て、ベッソンが設定を変更したらしい。


ミラ・ジョヴォビッチ/リー・ルー
 
(Leeloominai Lekatariba Lamina-Tchai Ekbat De Sebat)

 ヒロインで物語のカギを握る女性、リー・ルーを演じたのは、元スーパーモデルのミラ・ジョヴォビッチである。
 ジョヴォビッチは、旧ソ連の首都キエフで医師の父と女優の母との間に生まれる。
 5歳の時にアメリカに移住するも、両親が離婚。 加えて、80年代の冷戦末期という時代背景もあり、学生時代は同級生から酷いイジメを受けた。
 しかし1987年、ジョヴォビッチ11歳の時、モデルとして事務所に籍を置き、88年にはレブロンという化粧品メーカーのモデルに選ばれ、一躍モデル業界で注目されるようになる。
 多数のファッション雑誌の表紙を飾るようになり、ミラノやパリ、ニューヨークのファッションショーやコレクションショーに出演し、カルバン・クラインの降水のイメージキャラクターにも選ばれ、スーパーモデルとしての地位を不動のものにしていく。
 同時に、女優だった母親の影響からか、演技にも興味を持ち、88年には『トゥー・ムーン』という作品で子役として映画女優デビューを果たしている。
 しかし、その後も91年には『ブルーラグーン』。 92年には『カフス!』(注:クリスチャン・スレーター主演のクライムサスペンス。ジョヴォビッチはスレーターの恋人役)と、『チャーリー』(注:俳優経験もあるSirリチャード・アッテンボロー監督作品。喜劇王チャーリー・チャップリンの生涯を描いた傑作で、ロバート・ダウニーJr、ダン・アイクロイド、アンソニー・ホプキンス、デイヴィッド・ドゥカブニーなど、豪華キャストが出演。チャップリンの実子であるジェラルディン・チャップリンも出演している)に出演するも、映画はヒットしたが、ジョヴォビッチ自身はほとんど注目されなかった。
 しかし、97年に本作のヒロイン役を射止める(注:オーディションで一度落とされるも、直接ベッソンと交渉してリー・ルー役に抜擢されたらしい)と、その演技と美貌が高く評価され、99年には、同じくベッソン監督の映画『ジャンヌ・ダルク』(注:フランス100年戦争の英雄、ジャンヌ・ダルクの生涯を描いた作品)に主演し、順調にキャリアを重ねていく。
 2002年には、日本を初めアメリカでも高い評価とセールスを記録したカプコンの大ヒットアクションADVゲーム、『バイオハザード』のハリウッド映画版に主演。 2004年と2007年には、この作品の続編シリーズにも同じ役で出演し、さらに2006年には、後にアニメシリーズが製作されることになるVFXアクション大作、『ウルトラヴァイオレット』に主演し、アクション女優としての地位を確固たるモノにしている。
 現在は、自身の代表作である『バイオハザード』シリーズの全ての脚本と1作目の監督を務めたポール・W・S・アンダーソン(注:2004年の映画『エイリアンv.s.プレデター』もこの人の仕事)との間に生まれた子供の育児のため休暇中らしい。
 また、2003年からは、モデル仲間のカルメン・ホークと共に『ジョヴォビッチ=ホーク』というブランドを立ち上げ、LAとニューヨークを拠点にファッションデザイナーとしても活躍している。
 ちなみに、ジョヴォビッチは語学が堪能で、英語とロシア語、フランス語もペラペラで、本作中に彼女が話している謎言語(注:古代宇宙語。設定上は、“ディヴァイン語”というらしい)は、フォントをベッソンが担当し、発音は、ジョヴォビッチがフランス語とロシア語と英語をごちゃ混ぜにして自ら作ったモノだそうだ。
 さらに余談になるが、本作の日本語吹替え版では、声優の松本梨香がジョヴォビッチの吹替えを担当しているが、松本はこの謎言語を完璧に再現している。
 元々、松本はジョヴォビッチと声質が似ている事もあり、日本語吹替えが大っ嫌いな僕も、本作の吹替え版は極めて高く評価している。


イアン・ホルム/ヴィト・コーネリアス神父

 本名、Sirイアン・ホルム・キャスバートCBE。(注:Sir、及びCBEについては、当ブログ記事『031.子羊たちはもう鳴き止んだか?』を参照の事)
 医者の父と看護婦の母との間に生まれたホルムは、しかし医学の道に進む事はなく、7歳の時に観劇した『レ・ミゼラブル』の舞台に影響を受け、演劇の道を志すようになる。
 王立演劇学校で演技を学んだホルムは、名門劇団『ロイヤル・シェークスピア・カンパニー』に入り、以降14年間に渡って舞台俳優として活躍する。
 この舞台での演技が高く評価され、1967年にはトニー賞を受賞。 同時に、多数のTVドラマや映画にも出演するようになる。
 1968年、バーナード・マラマッドの伝記小説を、巨匠ジョン・フランケンハイマー監督が映画化した『フィクサー』という作品で銀幕デビュー。 その後も、舞台で活躍する傍ら、主にTVドラマを中心に映像メディアでも卓越した演技を見せるが、ホルムが世界的に注目されるようになったのは、ホルムと同じイギリス出身のリドリー・スコット監督の2作目の監督作品、『エイリアン』(1979年公開)である。
 この作品で、ホルムはアンドロイドのアッシュ役を熱演し、この作品が銀幕デビュー作となったシガニー・ウィバーと共に、映画界でも注目される役者になる。
 その後、81年には『炎のランナー』。85年には『未来世紀ブラジル』。91年には『裸のランチ』と、ジャンルや役柄を問わず、多数の映画に出演。名脇役としての地位を確固たるモノにする。
 本作出演後は、『イグジステンズ』(99年)、『フロム・ヘル』(01年)、『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズ(01年~03年)、『デイ・アフター・トゥモロー』(04年)と、ジャンルや役柄にこだわらない、様々な作品で卓越した演技を見せ、名脇役として今なお、観客を魅了している。
 ちなみに、06年の『ルネッサンス』と07年の『レミーのおいしいレストラン』では、声優として出演。 特に、『レミーのおいしいレストラン』では、その演技が高く評価され、アニー賞(注:アニメ界のアカデミー賞と呼ばれる権威ある賞。2002年には、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』が作品賞を受賞している。映画部門とTV部門が分かれているのが特徴)の映画部門、声優賞を受賞している。


クリス・タッカー/ルビー・ロッド

 本作でも一際強烈なインパクトを見せ付けたキャラクター、ルビー・ロッドを演じたのは、コメディ俳優のクリス・タッカーである。
 10代の頃から、スタンダップ・コメディアン(注:舞台に一人で立ち、観客を笑わせるお笑いの事。微妙に異なるが、日本で言うトコロの漫談)クラブなどの舞台で活躍し、TVにも多数出演したタッカーは、1995年に『ダーク・ストリート~仮面の下の憎しみ~』と『Friday』という2作品で銀幕デビューを果たす。
 特に、『Friday』は人気ラッパーで俳優のアイス・キューブが主演した作品でもあり、同作品でタッカーは得意の超絶マシンガントークで注目される。
 これがベッソン監督の目に留まり、本作出演のキッカケを得たタッカーは、持ち前の超絶マシンガントークを武器に、ウィリスやホルムといった名優を相手にルビー役を熱演。コメディ俳優として高い評価を得る。
 本作出演後は、同じく97年公開のチャーリー・シーン主演の『Money Talks』に出演。 端役だが、クェンティン・タランティーノ監督、パム・グリアー主演の『ジャッキー・ブラウン』にも出演している。
 が、それより何より、タッカーの人気を不動のものにしたのは、『ラッシュ・アワー』シリーズ(98年、01年、07年)に日本でも人気の高いアクションスター、ジャッキー・チェンとダブル主演した事だろう。
 これらの作品で、タッカーは超ハイテンションな超絶マシンガントークで観客を魅了し、コメディ俳優として高い人気と評価を得ている。
 ちなみに、今年2009年には、『Mr.S:My Life with Frank Sinatra』という作品に出演している。


ゲイリー・オールドマン
 /ジャン-バプティマス=エマニュエル・ゾーグ

 本作の悪役、巨大企業ゾーグ社の社長ゾーグを演じたのは、名悪役として日本でも人気の高いゲイリー・オールドマンである。
 イギリスはロンドンに生まれたオールドマンは、しかし7歳の時にアルコール依存症の父親に捨てられ、寂しい幼少期を送る。
 歌やピアノに才能を見せ始めたオールドマンは、しかし音楽の道には進まず、俳優を志して王立演劇学校の門を叩く。 しかし、入学が認められず、オールドマンは奨学金を得てローズ・ブルフォード・カレッジで学び、演劇の学士号を取得。 グリニッチ・ヤング・ピープルズ・シアターでも演劇を学び、演劇の舞台に立つようになる。
 舞台で活躍する傍ら、82年に『Remembrance』という作品で銀幕デビュー。 その後、イギリスの伝説的なパンクロックバンド、セックス・ピストルズのベーシストとして有名だったシド・デイビスの半生を描いた『シド・アンド・ナンシー』でシド・デイビス役で主演。 この演技が高く評価され、90年には同じイギリス出身のティム・ロスと共演した『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(注:傑作! シェークスピアの『ハムレット』に登場する脇役の二人に注目した舞台劇の映画化作品。 ロスとオールドマンの息の合った演技は超必見!)に主演。 その後も、『JFK』(注:オリバー・ストーン監督、ケビン・コスナー主演、トミー・リー・ジョーンズ、ケヴィン・ベーコン共演。オールドマンは、ケネディ大統領暗殺事件の犯人とされているオズワルド役で出演。91年の作品)、『ドラキュラ』(92年)、『トゥルー・ロマンス』(93年)と、立て続けにヒット作に出演し、名悪役としての地位を不動のモノにする。
 94年には、本作と同じベッソン監督のハリウッド進出第1作目となった世界的大ヒット作、『レオン』にやはり悪役として出演する。
 これがキッカケとなり、ベッソン監督と意気投合。 本作と同じ97年に公開された『ニル・バイ・マウス』という作品では、ベッソン監督が製作を担当し、オールドマンは監督と脚本を手がけた。(注:オールドマン自身の体験を基にした作品で、自身の自伝的な内容になっているが、オールドマン自身は監督と脚本に集中し、出演はしていない)
 しかし、オールドマン自身は、悪役として演じるのに不満を持っており、善人役での映画出演を熱望していた。
 念願叶って、本作出演後の98年に『ロスト・イン・スペース』(注:スピルバーグの製作総指揮で実写映画化もされた『原始家族フリントストーン』のハンナ・バーバラプロダクションのカートゥーン、『宇宙家族ロビンソン』の実写映画化作品)に主演するも、映画そのモノが興行的に大失敗に終わり、オールドマンのイメージチェンジも失敗に終わる。 01年の『ハンニバル』では、レクター博士を執拗に追う大富豪、メイスン・ヴァージャー役で再び悪役を演じている。
 しかし、2004年に『ハリー・ポッター』シリーズの3作目、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』で、物語のキーパーソンであるアズカバンの囚人ことシリウス・ブラック役を熱演。 この演技が高く評価され、以降同シリーズや『バットマン・ビギンズ』(05年)、『ダークナイト』(08年)で、ようやく善人役も演じられるようになった。
 また、今年09年には、『レインフォール/雨の牙』で日本の椎名桔平、長谷川京子らと共演しているが、やはり善人役である。
 ちなみに、08年にはActivision社のPCゲーム、『コール・オブ・デューティー:ワールド・アット・ウォー』に声優として出演している。


リュック・ベッソン/監督・脚本

 本作の監督と脚本を手がけたのは、監督として以外にも多数の作品で脚本や製作を手がけているリュック・ベッソンである。
 1959年にフランスのパリに生まれたベッソンは、両親が共にスクーバダイビングのインストラクターだった事もあり、自身もスクーバの道を志す。
 しかし、17歳の時、潜水中の事故でスクーバが続けられなくなり、ダイバーの道を断念。 幼少の頃から暇潰しに書いていた小説の才能を生かし、映画の道を志すようになる。
 パリで雑用係として働く傍ら、映画製作を学んだベッソンは、80年代に自身の映画製作会社を設立。ショートムービーを手がけるようになる。
 この頃、ファンだったバンドのメンバーだったエリック・セラと出会い、以降はベッソン作品の重要なパートナーとして多数の作品でコンビを組むようになる。
 1988年、自身のダイバーとしての経験を生かし、後に多数の映画でパートナーとなるジャン・レノを主演に迎えた作品、『グラン・ブルー』を監督。 映画はフランス国内(後に日本やアメリカでも)で大ヒットし、監督したベッソンも注目されるようになる。
 90年には、『ニキータ』を監督。映画はフランス国内で大ヒットを記録。フランス映画の人気の高い日本はもちろん、アメリカやヨーロッパ各国でも大ヒットし、ベッソンの名は世界的なモノになっていく。
 91年に『グラン・ブルー』の続編に当たる『アトランティス』を監督後、ベッソンはハリウッドに渡り、子供の頃に書いた小説の映画化に着手する。 それが、本作だった。
 しかし、映画化直前まで至りながら、資金難のため映画化を一時断念。 ベッソンは、本作の製作費を稼ぐため、低予算で製作可能な脚本をわずか2日で書き上げる。それが、後に自身の代表作の一つとなる世界的大ヒット作、『レオン』である。
 この作品で、ハリウッドでも高い地位を気付いたベッソンは、スポンサーを募って約100億円規模の予算を集める事に成功する。 そうして、97年に製作したのが、映画の道を志すキッカケとなり、自身が映画化を熱望していた本作である。
 本作で念願叶ったベッソンは、99年の『ジャンヌ・ダルク』を以って監督業を一時休業。フランス映画の『TAXi』シリーズ(97年、00年、03年)や、『ダンサー』(99年)、『WASABI』(01年)、『YAMAKASI』(01年)、『キス・オブ・ドラゴン』(01年)、『トランスポーター』シリーズ(02年、05年、08年)、『ミッシェル・ヴァイヨン』(03年)など、多数の作品で製作や脚本を担当。
 2005年に、『アンジェラ』で監督業に復帰し、2006年には、自身が著した児童文学、『アーサー』シリーズ(注:02年から刊行が開始された全4作品のファンタジー。邦訳版も出版されている)の1作目と2作目を映画化した『アーサーとミニモイの不思議な国』を監督。 現在は、同作品の続編となる2作目と3作目を製作中との事。
 また、予てからベッソン監督は10作程度で監督業は引退する事を公言していたが、2006年に『アーサー』シリーズ3部作を以って、監督業の引退を発表した。
 ちなみに、大変な親日家でもあり、映画のプロモーションで多数来日しており、03年には、『TAXi3』とのタイアップで日本のマツダのクルマ、アテンザのTVCMとインターネット限定公開のショートフィルムを手がけたりしている。


・Behind the Scene

 本作は、ベッソン監督のハリウッド進出第2作目に当たる。(注:ただし、製作そのモノはフランスのゴーモン社が行っている。詳しくは後述するが、ベッソン監督がハリウッド式の映画製作スタイルを嫌ったためと思われる)
 既にビッグスターだったブルース・ウィリスや、演技力に定評のあるゲイリー・オールドマンやイアン・ホルム。そして、本作をキッカケにブレイクする事になるミラ・ジョヴォビッチやクリス・タッカーといったキャストを迎えて製作された本作は、ベッソンが子供の頃に書いていた小説を基に製作された作品なのは先に記した通りだが、本作を製作する上で重要だったのは、ベッソンのプロットも去る事ながら、ベッソンの思い描いた未来の世界を構築するためには、独走的なアイディアが必要だった。
 そこでベッソンは、そのアイディアを自身が大好きなコミック界に求めた。
 メビウス、ジャン=クルード・メジエール、シルヴァイン・デプレッツに、パトリス・ガルシア。
 日本と並んで世界的にも人気の高いフランスコミック界(注:実際、後に脚本を手がける事になる『ミッシェル・ヴァイヨン』は、フランスコミックが原作でベッソン自身がコミックのファンだったために映画化が実現した)、特に、SF、サイバーパンク系の作品を得意とするバンドデシネ系アーティスト(注:フランスコミック界において、SF、サイバーパンク系の作品は“バンドデシネ”と呼ばれ、日本にもファンが多い。特にメビウスは、その中でも筆頭に挙げられるアーティストで、邦訳版が出版されているほど)が参加し、それまでのSF、サイバーパンク系の作品とは一線を画する独走的なヴィジュアルを有する宇宙船や宇宙人、警察官や武器、あるいは街並みやセットのデザインが描き起こされた。
 こうして描き起されたデザイン画は、(当時の)最新のVFX技術によって忠実に再現され、スクリーンに映し出された。
 ちなみに、本作のVFXを手がけたのは、同年に公開されたジェームズ・キャメロン監督の世界的大ヒット作、『タイタニック』でオスカーを獲得したデジタル・ドメイン社(注:ILMからの独立を考えていたスコット・ロスが、IBMなどから融資を受け、ジェームズ・キャメロンやスタン・ウィンストンと共に93年に設立したVFX製作会社。94年の『トゥルー・ライズ』や『アポロ13』など、多数の世界的ヒット作でVFXを手がけているが、98年にキャメロンとウィンストンがオーナーを辞任。2006年に『ザ・ロック』や『アルマゲドン』、『トランスフォーマー』シリーズのマイケル・ベイ監督に買収され、現在はベイがオーナーを務めている)だったりする。


 本作のヴィジュアルにおいて、セットやVFX以上に独創的なのは、キャストの衣装である。
 それまでのSF映画と同様に、ベッソンは未来の世界を描くために独走的な衣装を要求したが、それまでのSF映画にありがちな衣装になるのをベッソンは嫌った。
 そこで、衣装デザイナーとして招集されたのが、フランスニューモード界の重鎮、ジャン=ポール・ゴルチエである。
 祖母から洋裁を学んだゴルチエは、自ら描いたデザインのスケッチをスタイリストなどに送り、これが認められてピエール・カルダンのアシスタントになる。
 76年に、初めて自身のレディース・コレクションを発表すると、その鮮烈なデザインが高い評価を得て瞬く間に注目されるようになる。
 78年には、日本のアパレルメーカーであるオンワード樫山とスタイリスト契約を結び、80年代には下着ルックやボンデージ・ファッションを発表するなどして話題になった。
 84年からはメンズのコレクションも手がけるようになり、97年からはオートクチュールコレクションのGAULTIER PARISも手がけるようになる。
 また、2004年からはエルメスのレディース・プレタポルテのデザイナーも兼任するようになり、今やフランスファッション界の第一人者の一人として評されるほどの人気と評価を得ているファッションデザイナーである。
 そんなゴルチエがが手がけた本作の衣装は、コーベンやリー・ルーのオレンジを基調とした衣装や、コーネリアスのシックな僧服、あるいはキャビンアテンダントのタイトでセクシーな衣装や、歌姫プラヴァラグナのコンサートに集まった各界の有名人たちが身にまとう独走的な衣装に至るまで、映画に登場したほとんど全ての衣装は、ゴルチエらしい、それでいてそれまでのSF映画とは似ても似つかないながらも、妙な説得力のある衣装ばかりである。
 これは僕の想像だが、恐らくほとんど全ての衣装を一人のデザイナーが手がけた事で、全体にある種の統一感が生まれ、ファッションの時代的な流行が形作られたためと思われる。
 この独走的なファッションが高く評価され、映画のプロモーションを兼ねたファッションショーがカンヌ国際映画祭の開催に合わせて開催された。
 ちなみに、一際独走的なデザインのゾーグの衣装は、もちろんゴルチエがデザインしたモノだが、デザインにはヘアスタイルも含まれていた。
 ゾーグ役を演じたオールドマンは、カツラではなく地毛で、このヘアスタイルを再現した。
 本作以前にも、ゴルチエは『コックと泥棒、その妻と愛人』(89年公開のフランス映画。日本では90年公開)や、『キカ』(注:93年公開のスペイン映画。日本では94年公開。残念ながら、AV並みの無意味なベッドシーンのオンパレードの超駄作)、ジャン=ピエール・ジュネ監督の『ロスト・チルドレン』(注:95年公開のフランス映画。90年代のサイバーパンク系映画を語る上では欠く事が出来ない重要な作品。日本では96年公開)などでも、既に衣装デザインを手がけている。


 ところで、本作では音楽がかなり重要なウェイトを占めているが、本作の音楽を担当したのは、当時既に15年来のベッソンのパートナー、エリック・セラである。
 59年、ベッソンと同じ年に同じくフランスのパリに生まれたセラは、5歳の時にギターを弾き始め、15歳でバンドを結成して音楽の道を志す。
 17歳の時、スタジオミュージシャンとしてトップアーティストのレコーディングに参加した後、彼のファンだったベッソンと18歳の時に知り合う。
 ベッソンと意気投合したセラは、ベッソンが監督した短編映画、『最後の戦い』(83年)のスコアを手がける。 これを皮切りに、セラは以降のベッソンの全ての監督作品でスコアを手がけ、ベッソンの最も重要なパートナーとして、常に素晴らしい音楽を提供している。
 本作では、製作のかなり早い段階からプロジェクトに参加し、音楽を先行してレコーディング。 ベッソンは、レコーディングされた楽曲を撮影現場に持ち込み、撮影の際に実際に現場で音楽を流して、映像と音楽の同期、いわゆる“ビートシンク”を取った。
 これが功を奏し、コーベンの登場シーンや、コンサート中のリー・ルーの格闘シーン、そして、それに続く本作でも一際派手なアクションが展開されるシーンが撮影され、音楽と映像が一体となったプロモーションビデオのような映像は、本作を特徴付ける映像表現と言えるだろう。
 また、そんな本作にあって、一際音楽が重要視されたのが、歌姫プラヴァラグナのコンサートのシーンである。
 このシーンでは、前半部ではロンドンフィルの演奏をバックに、ソプラノ歌手のインヴァ・ムラが歌うガエターノ・ドニゼッティ作曲のオペラ、『ランメルモールのルチア』の『甘いささやき』という曲が使われているが、これに続いて演奏されるアップテンポな楽曲、『ディーヴァ・ダンス』は、セラのオリジナルスコアである。
 歌っているのは、『甘いささやき』と同じインヴァ・ムラだが、歌姫プラヴァラグナは異星人であり、地球人には歌う事が不可能なメロディ、あるいはキーで歌う事が出来るという設定のため、セラはテノール並みの低音からソプラノを超える超高音まで、人間には絶対に歌う事が出来ないような楽曲を作曲した。
 実際、レコーディングしたインヴァ・ムラも、あまりに広い音域と、高音と低音が複雑に絡み合ったメロディを歌う事が出来なかった。
 そこでセラは、レコーディングしたインヴァ・ムラの歌声をコンピュータで加工して、人間には歌う事が出来ない、宇宙人の歌姫だからこそ歌う事が出来る一際特徴的な楽曲に仕上げた。
 その効果のほどは、映画を観ての通りである。
 ちなみにセラは、ベッソン監督作品や関連作品以外では、ジェームズ・ボンドシリーズの『007/ゴールデン・アイ』(95年)や『ローラーボール』(02年)、チョウ・ユンファ主演の『バレット・モンク』(03年)などにも楽曲を提供している。
 それとは関係ないが、先のシーンでは、歌姫のコンサートと同時進行でリー・ルーがマンガロイド人と格闘するアクションシーンが音楽に合わせて挿入されるが、この格闘アクションは、リー・ルー役のジョヴォビッチ自身がスタントしている。


 トコロで、本作を監督したベッソンは、以前から自らカメラを回して演出するという方法を取っている。
 これは、カメラのファインダーを通して実際の映像を確認しながらの方が、キャストとの距離も近いため演出し易いからだが、ハリウッドではこれが問題になった。
 というのも、ハリウッドには映画製作に参加するスタッフの役職毎に労働者組合があり、カメラや照明、小道具や大道具はもちろんの事、音楽や脚本、監督や製作に至るまで、ありとあらゆる役職に労組や協会がある。
 これは、映画産業が極めて重要な生活基盤となっているハリウッドでは当然の事で、スタッフの労働者としての権利を守るためには必要な組織である。
 しかし、この労組があるために、フランスや日本では特に問題にならない事も、時にはストライキに発展するほどの問題になる事がある。
 先にも記したように、本作でベッソンは、それまで通りの自らカメラを回す演出方法を行おうとしたが、これがカメラマン組合の規定に引っかかり、カメラは労組に加盟しているカメラマンに回させる必要があった。
 が、ベッソンはこれを嫌い、従来通り自らカメラを回す事にこだわった。 そのため、ハリウッドのスタジオでは映画が製作出来ないため、本作のプロダクションは、フランスの映画会社であるゴーモンで製作される事になった。
 ……のだと思う。
 映画製作は、確かに総合芸術としての芸術活動だが、それと同時に重要な娯楽産業でもある。 サーカスや演劇、コンサートやアミューズメントパークなどと同じく、映画製作に携わるスタッフやキャストにとっては、芸術活動であると同時に仕事だから生活がかかっているのだ。
 それから考えれば、このような労組が存在するのは納得出来るし、決して悪い事ではないと思うのだが、ココに映画製作の理想と現実が見え隠れしているのではないかと思うのは僕だけだろうか?


・Point of View

 さて、本作を観てもらえば分かる通り、本作のテーマは『勧善懲悪』。そして、悪に打ち勝つのは『愛の力』である。
 本作は、絶対悪として“ミスター・シャドー”を名乗る“大いなる災い”が登場し、それに対抗出来る唯一の存在として、四大元素を象徴する4つの石、すなわち火、風、水、地と、第五の要素として愛を象徴するリー・ルーが、コーベンの愛の力で悪に打ち勝つ物語である。
 これは、本作でも劇中に語られている通りであり、実に明確に語られており、僕はただ、『宇宙戦争』の時と同じく、「映画を観て下さい。観れば分かります。」と言えばいいだけだ。
 しかし、それより何より重要なのは、ベッソン監督の作品を丹念に観ていくと、多くの作品でこの『愛は勝つ』がテーマとして語られている点である。
 ベッソンが監督として世界的に高い評価を得るキッカケとなった作品、『ニキータ』では、愛する事も、愛される事も知らない無表情な不良少女が、特殊工作員として任務をこなしていく中で、偶然知り合った男と恋に落ち、愛する事、愛される事を知った事でヒトとしての尊厳を取り戻していく。
 ベッソン監督の代表作として高い評価を得た『レオン』では、人を殺す事しか知らない文盲の殺し屋と、酷い家庭環境に育った少女が偶然から一緒に暮らす事になった事で、殺し屋レオンは人としての本当に大切なもの、すなわち愛する事、愛される事を知る。
 ベッソン監督は、この2作で描いた『愛は勝つ』をさらに発展させ、四大元素を象徴する4つの要素に、5つ目の要素として愛を加え、本作のプロットとした。
 冷めた人であれば、これを「なにをキレイ事を」と一笑に伏してしまうだろうが、人類に普遍として存在している要素である事は、理解出来るハズだ。
 それを証拠に、映画のみならず、音楽の世界でも、世界中の様々なアーティストが、この『愛は勝つ』をテーマにした楽曲を多数発表している。
 『All need is love』(ジョン・レノン)、『Power of love』(ヒューイ・ルイス・アンド・ザ・ニュース。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の挿入歌。ホンダのインテグラのCMソングでもある)はもちろんの事、日本ではKANがそのモノズバリの大ヒット曲、『愛は勝つ』をリリースしている。
 さらに、これ(注:特に映画『レオン』)に影響を受けた虚淵玄は、『愛は勝つ』をテーマにしたゲームシナリオを数多く手がけ、現在TVアニメがOA中の代表作、『Phantom』は、まさにベッソンが映画『レオン』で描いた『愛は勝つ』を、完璧に再現した名作である。
 また、このゲーム『Phantom』に影響を受けた奈須きのこは、同人ゲーム『月姫』を初め、この夏映画版シリーズがいよいよ完結する小説『空の境界』や、商業デビュー作となったゲーム、『FATE-Stay Night』や、小説の最新作『DDD』など、全ての作品でこの『愛は勝つ』をテーマに作品を描き続けている。
 映画や音楽、あるいは小説やマンガ、アニメに至るまで、キリスト教の教えである“汝、隣人を愛せ”を持ち出すまでもなく、『愛は勝つ』というテーマは、人類に普遍として存在する永遠のテーマなのである。


・Reaction&Estimate

 本作は、1997年に公開されたが、この年はジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』を初め、『コン・エアー』や『L.A.コンフィデンシャル』、『エイリアン4』、『スターシップ・トルーパーズ』、『スピード2』、『ジャッキー・ブラウン』、『バットマン&ロビン-Mr.フリーズの逆襲』などなど、話題作、ヒット作が集中して公開された当たり年だった。
 そんな中公開された本作は、他の作品に観客を奪われて興行記録が低迷するのではないかと思われたが、同年のカンヌ国際映画祭で行われたプレミア上映で絶賛され、アメリカ国内はもちろんの事、日本を初め世界中で大ヒットを記録。 最終的に、世界で2億6000万ドル以上という記録的な興行収益を上げ、ベッソン監督作品としては、この前作の『レオン』に引き続き、またしても世界的な大ヒット作となった。
 しかし、ベッソン監督自身は、この後に『ジャンヌ・ダルク』を監督するも、監督業を一時休業。 脚本や製作に専念し、先に記した様々な作品の製作に監督以外で参加するようになる。
 しかし、先の項で記した通り、ベッソン監督の影響は計り知れない。 特に日本では、ベッソン監督の作品に多大な影響を受けていると感じられる作品を、多くの作家がこぞって発表している。(注:相田裕の『Gunslinger Girl』なんかもそうだね)
 ベッソン監督自身は、現在09年と10年に公開予定の『アーサー』シリーズの続編を製作中で、これを最後に監督業を引退する予定だそうだが、そんな事言わないで、もっともっと多くの作品を手がけ、我々に愛する事、愛される事の大切さ、そして『愛は勝つ』というテーマを明確に描いた傑作を作り続けて欲しいモノである。


・Data

フィフス・エレメント(原題:The Fifth Element)

配給:ゴーモン/コロンビアピクチャーズ
出演:ブルース・ウィリス
   ミラ・ジョヴォビッチ
   イアン・ホルム
   クリス・タッカー
   ゲイリー・オールドマン
脚本:リュック・ベッソン
   ロバート=マーク・ケイメン
音楽:エリック・セラ
撮影:ティエリー・アルボガスト
編集:シルヴィー・ランドラ
製作:パトリス・ラドゥックス
監督:リュック・ベッソン

総製作費:9000万ドル
上映時間:126分
公開年月:1997年5月(日本では97年9月)



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



きょーのはちゅねさん♪


井戸端会議実況。

Th3057 Thanks for youre reading,
See you next week!



-参考資料-
※今回の記事では、以下のウェブサイトの記事を参考資料として適宜参照しました。

・Wikipedie日本語版
 検索ワード:フィフス・エレメント
※この記事内に、キャストやスタッフのリンクが多数あります。それらも合わせてご覧下さい。

・Wikipedia英語版
 検索ワード:The Fifth Element
※日本語版だけでは情報不足だったため、英語版も参考にしました。同様にリンク先も合わせてご覧下さい。


-オススメアイテム-
※今回取り上げた映画作品のDVDソフトです。未完賞の方はぜひ一度ご覧下さい。

フィフス・エレメント-アドバンスト・コレクターズ・エディション
※dts音声、及びメイキングビデオクリップなどを収録したコレクターズ版。 特典が無い廉価版も有ります。

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