-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #15-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
先週の“嵐”はスゴかったですなぁ~ッ!!
300人近くの負傷者。 最高風速40メートル以上。 もうほとんど台風。 ってゆーか、あの天気図はまんま台風だろ!?
今年も有り得ない異常気象の年になりそうです。
<今週の特集>
今週の特集は、映画『未知との遭遇』徹底解説シリーズ第15回です。
最後までお楽しみ頂けたら幸いです。
・UFO事件ファイル
UFO事件としては前回の3つが突出した知名度と影響力を持っているが、これ以外にも有名なUFO事件は多数ある。 ココでは、それらを掻い摘んで紹介していこう。
1947年、ロズウェルに先立つ事僅か1週間前の6月24日に起こった“ケネス・アーノルド事件”は、まさに戦後最初のUFO事件になったと言えるだろう。
実業家のケネス・アーノルドは、この日ワシントン州チェハリスからヤキマに向けて自らの操縦で自家用飛行機を飛ばしていた。
しかし、離陸して間もなく、付近で消息を絶った海軍機の捜索に協力してほしいとの無線連絡が入る。 これを了解したアーノルドは、レイニア山の上空に向けて操縦桿を倒した。 しかしそこで、アーノルドは信じられないような光景を目にする。
山頂付近の上空、高度2900メートル付近を飛行中の午後3時ごろ、目も眩むような光を放つ9機もの飛行物体と遭遇。 飛行機には不可能なジグザグ飛行を目撃する。
手元の器具で測定したトコロ、編隊の全長は8キロにも及び、飛行物体1機の大きさは15メートル。 速度に至っては、なんと時速2700km(!)にも達していた。(注:当時は、ジェット機がまだ発明されたばかりで、実用化されたジェット戦闘機はまだ音速の壁を破っていなかった)
着陸後、アーノルドはこの遭遇を公式に報告。 ロズウェルに先駆けて、公式な記録に残った最初のFUO目撃事件になった。
しかし、アーノルドの報告によると、飛行物体はいわゆる“空飛ぶ円盤”ではなく、ブーメランのような形状をしており、アーノルド自身が描いたイラストからは、かつてナチスが研究開発していた全翼機の印象がある。
もちろん、既にナチス崩壊後の事だし、全翼機は結局実用化には至らなかったので、可能性が低いと言えば低いのだが……。
ちなみに、アーノルドはこの後、UFO研究家に転身する。
ロズウェル事件以降、アメリカ国内ではその後を追うようにUFOの目撃情報が次々と報告されたが、1952年7月19日に起こった事件は、極めて重大な事件に発展した例である
同日午後11時40分、首都ワシントンD.C.のワシントン国際空港管制センターのレーダーが、7つもの奇妙な飛行物体の機影をキャッチした。
内2つはすぐに消失したが、残りの5つは凄まじいスピードで飛行を続け、レーダーのカバーエリアを行ったり来たり。 消えたかと思うと、その直後に全く別の場所に出現するなどの不可解な飛行を繰り返した。
この事態を憂慮した空軍は、午前3時になってようやく重い腰を上げ、2機のF‐94戦闘機の出撃を命令した。
……が、戦闘機が出撃して間もなく、機影は跡形もなく消え、その晩は二度と現れる事はなかった。
ところがそれから1週間後、同じ時間帯に再びこの機影が、しかもワシントンD.C.の上空に現れた!
事態を重く見たホワイトハウスは討議を重ね、時の大統領トルーマンは、かのアインシュタインに自ら電話をかけてアドバイスを請うた上で、前回と同じく、しかし今度は大統領命令を以って、2機のF‐94戦闘機に出撃命令を下した。 しかもこの命令は、飛行物体の“迎撃”を前提にしたモノだった。
しかし、これまた結果は空振りに終わり、飛行物体は何事もなかったかのように姿を消した。
事実上、政府が公式にUFOの“撃墜命令”を下した事件だった。
もちろん、52年と言えば既に朝鮮戦争の勃発によってアメリカとソ連との対立が激しくなり、東西冷戦が始まっていた時代である。 トルーマンは、あるいはこれを“ソ連の攻撃”と判断したのかもしれないが、後の公式発表は「自然現象だった。」というモノ。
この矛盾は、いったい何を意味するのだろうか?
UFOの目撃も然る事ながら、やはり一際インパクトがあるのはUFOの乗組員、すなわち宇宙人と遭遇した“コンタクティ事件”である。
先のUFO撃墜命令事件から2ヵ月後の52年9月12日、ウェストバージニア州のフラットウッズという、人口僅か300人程度の小さな村に住むエドワードとフレッドのメイ兄弟、そしてその有人のトミー・へイヤーらが、光る物体から降り立った身長3メートルにも及ぶ巨大な宇宙人、フラットウッズの怪物と遭遇したと話題になった。
これとは対照的に、55年5月21日には、身長1メートル程度の小さな宇宙人も出現している。 ケンタッキー州ホプキンスビルに住むビリー・テイラーが遭遇した宇宙人で、全身銀色に輝いていたそうだ。
まだある。
61年4月18日、ウィスコンシン州イーグルリバーでは、地元住民のジョー・シモントンは、自宅の鳥小屋の前に降り立った円盤状の飛行物体から降り立った黒い姿の3人の宇宙人と遭遇した。
コレだけならば、よくあるコンタクティ事件と大差無いが、シモントンはこの時、なんと宇宙人から“クッキーのようなモノ”を受け取った。 厚さ3ミリ、直径10センチ程度の楕円形のこの物体を3つ受け取ったシモントンは、再び飛行物体に乗り込んで飛び去る彼らを見送ったと言う。
ちなみにこのクッキー、シモントンによると「ボール紙のような味がした。」そうだ。
また、その後の分析の結果、トウモロコシと小麦粉が主成分である事が判明したと言う。
彼らは、いったい何の目的で???
コンタクティ事件と同時に報告される事が多いのが、いわゆるエイリアン・アブダクション、宇宙人による誘拐事件である。
主に、突然現れた光る物体(=UFO)を目撃した直後、気が付くと元の場所、あるいは全然違う場所で意識を取り戻すという体験で、光の目撃から意識の回復までの数分、あるいは数時間もの時間が飛んでいるという、いわゆる“時間の消失”が報告される事が多いのが特徴だ。
その中でも、1961年に起こったヒル夫妻の事件は、その先駆けとなった有名な事件である。
61年9月19日、休暇をカナダで過ごしたバーニーとベティのヒル夫妻は、この日ニューハンプシャー州ポーツマスにある自宅に向けて車を走らせていた。
しかし午後11時過ぎ、国道を走行中に前方に見える異様な“光”を二人は発見。 最初はさして気にも留めていなかった夫妻だったが、この“光”はいつまでも近付く事なく、遠ざかる事もない。 この“光”に、夫妻は追跡されていると思ったそうだ。
そこでクルマを止め、持っていた双眼鏡を覗いてみると、その“光”は大きなホットケーキのような形(注:すなわち円盤状)をしており、側面の窓から中に入っている人影らしきモノを見たと言う。
怖くなった夫妻は、慌てて車に戻って家路を急いだ。
が、それも束の間、いつの間にか意識は遠のき、完全に記憶が途切れてしまう。
気が付いたのは、“光”の目撃現場から50kmも離れた場所で、しかも2時間も時間が飛んでいた。
ワケが分からず恐怖心に駆られた夫妻は、その日から原因不明の悪夢にうなされるようになり、ついにはノイローゼに陥ってしまう。
64年になって、夫妻はようやく精神科医の下を訪れ、失われた2時間の記憶を取り戻すべく退行催眠(注:催眠術により、時間を遡って記憶を蘇らせる心理療法。 80年代までは広く一般的に行われていた心理療法だが、90年代に入ってから精神科医の間でも効果を疑問視する声が聞かれるようになり、現在はあまり行われていないそうだ)を試みる事にした。
すると、失われた2時間の間、夫妻はUFOにアブダクトされ、皮膚やツメ、髪の毛のサンプルを採取されたり、様々な検査を受けた記憶が蘇った。
この催眠中、ベティはUFO内で宇宙人に見せられたという星図を描いているが、そこにはなんと、64年当時は未発見だった星が描かれていたという。
現実か? はたまた夫妻の狂言か?
真相は、今もってナゾのままである。
ナゾと言えば、1980年代に報告例が急増した“キャトル・ミューティレーション”は、家畜などの動物が殺され、体の一部を切り取られたり、全身の血液が抜かれたりするという、UFO事件の中でも最もナゾが多く、また残酷なケースである。
そもそも、このような家畜の惨殺事件は古くからあり、現在でも野良猫や飼い犬が殺される事件が後を絶たないが、ミューティレーションの特徴は“殺し方が分からない”点にある。
通常、人間も含めた動物というのは、全身の血液の20~25%、すなわち僅か4分の1を失っただけでも失血死する。
動脈を損傷すると、心臓がポンプの役割りを果たして大量に出血する(注:時代劇などで、切られた相手が首元から噴水のように出血して絶命するのをご覧になった事があるだろうが、あれは誇張でも何でもなく、実際に動脈を切ると噴水のような出血をする)が、全体の4分の1程度の血液を失ったトコロで失血死、すなわち心停止し、心臓はポンプの役割りを終えるため、“全身の血液を失って死ぬ”などというコトは、医学的に有り得ないのである。
トコロが、ミューティレーションの被害に遭った家畜は、中には全身の99%以上の血液を抜かれている例も少なくなく、文字通り“全身の血液を失って死ぬ”のである。(注:もちろん、機械などを使って吸い出す事は可能だが、かなり難しい。 死後に筋肉が萎縮するなどして、血管が塞がれる事があるため)
さらに、肉体の一部を切り取られている事が多いのもミューティレーションの特徴で、主に頭部や性器が切り取られる事が多い。
が、これも刃物の類ではなくレーザーメスのような器具でもない限り出来ないような見事な切除技術で切り取られている事がほとんどで、逆に言えば切り口が雑なのは人間の仕業と判別出来るほどなのだそうだ。
同様の事件は、既に1960年代に報告例があり、67年9月7日にコロラド州アラモサで報告された馬のスニッピー殺害事件が、その第1号だと言われている。
その前日まで、元気に牧草地を駆け回っていたスニッピーは、その夜厩舎に帰って来る事はなかった。 翌朝、飼い主が牧草地を捜してみると、そこには3歳になったばかりのスニッピーの変わり果てた姿が……。
彼は、なんと“首の肉だけ”を切除されて死んでいた。(注:頭部や首の骨はそのまま。 文字通りの“首だけ”を切られていた)
しかし、周囲は血の海というワケではなく、少量の血痕があったのみで、しかし何かを燃やしたような焦げ跡や、緑色の液体を含んだ肉片、さらには放射能まで検出された。
結局、事件は未解決のまま迷宮入りを余儀なくされたが、80年代に入ってこうした事件が全米各地で続発し、その前後にUFOの目撃証言が報告された例が多い事から、これがUFOと関連付けられ、宇宙人による動物実験の痕跡と考えられるようになった。
同様の事件は、今もなお、報告が耐える事はない。
なお、当時から被害動物が家畜=キャトルに限っていたワケではない事から、近年は“アニマル・ミューティレーション”と呼ばれるようになっている。
これらの事件の陰で、常に囁かれているあるウワサがある。 それは、目撃者やコンタクティの下を訪れては、「誰にも喋るな」と警告する黒衣の男たち、そう、“メン・イン・ブラック(MIB)”の存在である。
映画にも描かれた事で一気に知名度が上がったMIBだが、その歴史はかなり古く、実は1953年に初めてその出現が公式に記録されている。
この年、コネチカット州で“巨大な火球”が落下するという事件が起きた。 この情報を聞き、現地に残された火球の残留物と思われる金属片を回収、分析と調査を行ったのが、UFO研究家のアルバート・ベンダーだった。
しかし、調査開始早々、彼の周りでは不可解な出来事が頻発するようになり、ある夜彼の前に姿を現した3人の男こそが、MIBであった。
彼らは一様に真っ黒なスーツとネクタイ、さらには靴や帽子まで黒という異様な姿で、「カッターシャツ以外は全て黒色だった。」とベンダーは語っている。
そして、彼らはベンダーに調査を止めるように警告する。
恐怖に駆られたベンダーは、すぐさま調査を止め、主催していたUFO研究団体も解散した。
それからというモノ、彼の周りで起こっていた不可解な出来事の数々は、何事もなかったかのようにピタリと止んだという。
これが、記録に残る最古のMIB出現例である。
その後も、MIBはアメリカ各地に出現し、一説には先に紹介したエイリアン・アブダクションの被害者、ヒル夫妻の夫バーニーの死にも関わっているとかいないとか。
さらに、出現場所もアメリカ国内に止まる事なく、隣接するカナダやメキシコ、さらには大西洋を隔てたイギリスやイタリア、さらにはニュージーランドや中国にまで現れているというから驚きである。 まさに、『インディ・ジョーンズ』や『007:ジェームズ・ボンド』もビックリの世界を股に駆けた活躍ぶりである。(注:最も、それが同一人物とは限らないワケだが……)
彼らの正体については諸説あり、いわゆるアメリカ政府の陰謀説に引っ掛けて政府の秘密組織、あるいはエリア51に関わる組織に属するUFO事件の証拠隠滅を目的としたいわゆる“掃除屋”という説が有力視されているが、秘密結社“フリーメーソン”のメンバーという説や、CIAとは異なる“アメリカのスパイ”という説、さらには、MIB自身が異性人である“宇宙人説”なども有力候補である。
いずれにしてもナゾだらけの存在である事は確かだが、全身黒ずくめという以外にも、“ぎこちなく酔っ払ったように歩く”とか、“抑揚のない棒読みに近い喋り方”、“アクセントがおかしい”といった特徴も多数報告されている。
もしもそのような人物がアナタの前に現れたのなら、その時は素直に彼らの言葉に従うのが最善策だろう。 UFOに関係していなくても、こんなヤツは間違いなくアブナいヤツだからだ。(笑)
さて、本作の公開をキッカケに始まった1980年代以降の第二次UFOブームは、最終的にSETI(注:Search for Extraterrestrial Intelligence=地球外知的生命体探査計画の略。 実際には、1960年代に既に同様の探査計画が始められていたが、本格化したのは80年代に入ってから。 本作が公開された1977年に、オハイオ州立大学の研究チームがいて座の方向の地球外から送られたとしか考えられない電波を受信。 この記録を見た研究者が思わず「Wow!(ワオ!)」と叫んだ事から、“Wow!シグナル”と呼ばれた。 これがキッカケになり、探査が本格化した。 この計画には、一時期スピルバーグも出資していた)の本格的な調査が進められる事になった。 同時に、UFOの目撃情報や宇宙人と思しき怪生物との遭遇報告は後を絶たず、UFOと宇宙人に対する大衆の関心はヒートアップを続け、エイリアン・インベージョン系のTVシリーズや映画作品の頻作(注:詳細は次章にて)を促した。
しかし、これらの目撃情報や遭遇体験に対し、大衆の反応は次第に冷ややかになっていく。 関心は相変わらず高かったが、こうした証言に対しては過剰に反応する事はなかった。
何故なら、その多くがフェイクであった事が科学的に立証されいったからだ。
本作のテクニカル・アドバイザーを務めたハイネック博士が行っていたのと同じく、80年代には多くの科学者によってそれぞれ独自に、目撃情報や遭遇体験、あるいは写真や映像の真偽を鑑定する追加調査が盛んに行われた。 その結果、ほとんどの証言が証言者の狂言であったり、見間違いやカン違いであったり、また写真や映像が偽造であった事が立証されていった。 こうした証言に対する信憑性が、常に疑われるようになったのだ。
そのため、大衆もこうした証言が報告される度に、「またか。」と冷ややかな反応しかしなくなっていったのだ。
そう、その存在を立証する、確かな“証拠”が求められたのだ。
ハイネック博士が定義した第一種接近遭遇では、誰も驚かなくなってしまったのだ。
過去の事例でも、第二種接近遭遇に分類される“物証を伴う目撃、または遭遇”があった事はあったし、その検証も行われてきた。
先に紹介した、宇宙人に“クッキーのようなモノ”をもらったシモントンの遭遇体験は、その最たる例と言えるだろう。
それらとは別に、80年代に入って報告が急増した第二種接近遭遇が、いわゆる“ミステリー・サークル”である。
ミステリー・サークルとは、のどかな穀倉地帯に生い茂る麦やトウモロコシが一夜の内になぎ倒され、畑一面に奇妙な幾何学模様が現れるという現象の事である。
1980年代に入って、主にイギリスの穀倉地帯を中心に世界各国に出現しており、その出現数は年を追う毎に増え続け、中には凍った池や湖の氷の上に出現する“アイス・サークル”や、雪原に現れる“スノー・サークル”といった亜種まであるほど、出現エリアは全世界規模にまでなっていく。
とは言え、出現報告が急増したのは確かに80年代以降の事だが、同様の現象が記録されたのは実はもっと古い。
ってゆーか“かなり”古い。
記録に残る最も古いサークル出現例は、イギリスのハートフォードシャーの穀倉地に現れたモノだと言われており、なんと1678年(!)に記録されたモノである。
当時は、悪魔が出現してこんなイタズラをしたのだと考えられていたようだ。
サークルの特徴としては、前日まで何もなかった穀物が、一夜の内になぎ倒され、測量したような見事な真円形の幾何学模様が描かれている点だが、不思議な事に穀物の茎は根元から折れているのではなく、まるで元からそのように育ったかのように“曲がっている”点が挙げられる。 この穀物は、地面に寝たままの状態でそのまま普通に育って収穫も可能なのだそうだ。
また、そのサイズがとにかくデカいという点も特徴である。 直径にして、数メートルから数十メートルにも及ぶ大きさで、真円が描かれているのである。 どんなに人を動員しても、一晩の内に、しかも誰にも気付かれずにこのような事をやってのける人間はいない。
そのため、これらのサークルは出現当初から、“UFOの着陸跡”と騒がれた。
が、出現報告が続出する内に、これに疑問を投げかける出現例が報告されるようになっていく。
幾何学模様が、年を追う毎に複雑化していったのだ。
最初は、ただ単にデッカい真円が描かれていただけのサークルは、しかし年を追う毎にそれが三つ同時に現れたり、サークルの周りに同心円状の輪が描かれたり、正方形や正三角形、直線などの様々な図形が組み合わされたりと、出現するサークルの形状は複雑化の一途をたどり、最早一種の芸術の領域にまで達したと言っても過言ではないほど、芸術的で美しい図形が描かれるようになっていく。
そのため、ただ単にUFOが着陸したのではなく、宇宙人が何らかの意図でこれらを“描いた”のではないか?という説も有力視されていく。
ナスカの地上絵を例に持ち出すまでもなく、遥か上空を飛行する航空機からしか鑑賞する事が出来ない巨大な地上絵の存在は、この地球上に多数あるし、このサークルもその一種なのではないか? というワケだ。
トコロが90年代に入って間もなく、これらの仮説を真っ向から否定する証言がイギリスの新聞トゥデイ紙上に掲載された。
1991年9月9日付けの同紙に、イギリスに住む二人の初老の男たちが、「全てのサークルは我々が作ったモノだ!」と主張する記事が掲載されたのである。
当然、これは大きな波紋を呼んだ。
結局、サークルも多くの情報と同じくフェイクだったのかと呆れられた。
こうして、サークル現象は終結する、……ハズだった。
その後も、サークルは毎年穀倉地帯に現れ、この現象は現在も続いている。
真偽のほどは別にして、個人的には芸術的で美しいこれらの図形の数々を、アートの一種として鑑賞している。 それが誰の手によるものか?は、最早関係ない。 誰が、あるいは“何が”コレを作ったにせよ、現代アートの一種として楽しむのが一番面白くて楽しめるのではないかと思う。
芸術的と言えば、今世紀に入ってから新たに目撃されるようになったUFO、“ストレンジ・エアクラフト”もその一つである。
これまでのUFOは、いわゆる“空飛ぶ円盤”に代表されるように、形状そのモノは比較的シンプルなモノが多く、本作でも再現されているように色とりどりの“眩い光”を放っているのが特長だった。 実際、UFOを写したとされる写真の数々には、強烈な光を放つ円盤状の飛行物体が写っている事が多く、また目撃者の証言も同様である。
トコロが、21世紀に入って数年が経過した2007年頃から、光ではなく形状に特徴がある異型UFOの目撃が急増した。
これらは“ストレンジ・エアクラフト=奇妙な航空機”と呼ばれるようになり、ケータイカメラの普及などもあって、数多くの写真に撮影されるようになっていく。
特徴は、何と言ってもその形状である。
先のミステリー・サークルと同じく、一つ一つの形状は比較的シンプルなのだが、これらが複雑に組み合わされ、とても航空機としてのていを成していない、すなわち地球上のテクノロジーで飛行しているとは考えられないモノばかりなのである。
しかも、先のサークルの例と同じく、これらも年を追う毎にその形状がどんどん複雑になっていき、とても人類が生産したとは思えないような奇妙キテレツエレキテルなモノになっていった。
共通した特徴として、機体のどこかに必ず、輪っかが付いているという点である。
また、一応航空機っぽい機首や翼のようなモノも付いているが、何より一緒に写っている樹木などと対比すると、その全長はせいぜい人の背丈ほどで、これまでのUFOと比較して極端に小さいというのも特徴の一つである。
また、そのサイズ的な問題から、とても誰か(あるいは“何か”)が乗っているとは考えられない事から、これらは宇宙人によって開発され、地球に送り込まれた無人偵察機の一種なのではないか?と考えられるようになり、現在はストレンジ・エアクラフトではなく“ドローン=無人機”と呼ばれている。
もちろん、時代はもう21世紀である。
個人で使用出来るPCでも、かつては1台何百万もする専用のワークステーションが必要だった3DCGIが手軽に作れるようになり、画像加工ソフトと組み合わせれば、このような写真は(その気になれば)誰でもカンタンに作成出来、しかも上手い人なら一見しただけでは加工跡が全くない、“ホンモノとしか思えない”フェイク写真を作る事も可能になった時代である。 そのため、これらストレンジ・エアクラフトも、出現当初からフェイクの可能性が繰り返し審議されてきた。
トコロが、コレが“ホンモノ”である可能性を示唆する証言がインターネット上に出現する。
アイザックと名乗るエンジニア兼コンピュータ科学者の運営するサイトによると、ストレンジ・エアクラフトは彼が80年代に関与していたプロジェクトで研究、開発されていた“反重力テクノロジー”による産物だと証言。 サイトでは、合わせて彼が所有する当時開発したパーツの一部も公開されている。 その形状は、まさしくストレンジ・エアクラフトのパーツそのモノである。
とは言え、この証言は逆の可能性も示唆している。 すなわち、ストレンジ・エアクラフトがアイザック自身によって作られたフェイクの可能性である。 作った本人なのだから、彼がそのパーツ(と称するCGIモデリングの一部)を所有していても何の不思議もないからだ。
もちろん、実際に反重力テクノロジーは世界各国の科学者によって今もなお研究が続けられており、将来の航空、宇宙科学における新テクノロジーと期待されている。
が、それが実現するのはまだまだ先のハナシである。 個人的には、「今世紀中に実現出来ればかなり早い方」と考えている。
ただ、そうしたテクノロジーや宇宙人との関連という要素を抜きにしても、ストレンジ・エアクラフトはある意味評価されて然るべきモノである。
何故ならこれもまた、先のミステリー・サークルと同じく極めて芸術的で美しい姿をしており、一種の現代アートと言えるからだ。
近年は、残念ながらブームが終わってしまったので新たな個体の目撃情報が全くない状態だが、これを誰が(あるいは“何が”)作ったにせよ、アートの一つとして楽しむのが最も楽しめる見方だと思う。
ってゆーか、誰かこれのプラモデルとか作ってくれませんかね? 海洋堂さんかWAVEさん辺り。 ゼッタイ売れますよ!? 少なくとも僕は買う。
ハナシが逸れてしまったが、ともかくこのように、UFO事件は多種多様を極め、その情報量は時間の経過と共に増える一方である。
もちろん、その全てが“ホンモノ”とは言い難く、僕の見積もりでは、全ての情報の90%は狂言、見間違い、カン違い、フェイクの類と判断して良いと思う。 実際、ハイネック博士が調査の結果、最終的に「説明不可能」と反した事例も、全体の1割程度に過ぎない。
では、その「説明不可能」な事例である1割程度の情報は、“ホンモノ”と言えるのだろうか?
そこが、実は一番の問題なのである。
結論から言えば、「それこそ説明不可能」と答える事しか出来ない。
何故なら、それを証明する事は、現代の人類の科学力ではムリだからだ。
仮に、宇宙人が存在していて、現在の人類が到達していない星間移動が可能な宇宙船、すなわちUFOを生産出来るほどの技術を持っていて、UFOやドローンを地球に送り込んでいるのだとしたら、その科学力は人類のそれを遥かに凌駕する“魔法と見分けが付かないオーバーテクノロジー”という事になる。
彼らのテクノロジーは、現在の人類にとっては魔法と同義なのだ。
かつて、人間社会が信じて疑わなかった魔法や祈祷は、科学の発達と共に科学的根拠が立証され、その真実を証明してきた。 何故なら科学が、“魔法という真実”に追いついたからだ。
ならば、現代の魔法たる地球外オーバーテクノロジーは、それと同じ“オーバーテクノロジーという真実”であり、今はただ、人類がその真実に追いつけていないのだと結論付ける事が出来る。
すなわち逆に言えば、“真実に追いつけていないから証明出来ない”という事になるのだ。
もちろん、「人類の科学力はその真実に追いつけない。」と言っているのではない。 かつての魔法がそうであったように、彼らのオーバーテクノロジーにもまた、人類の科学力は追いつく事が出来る。
僕は、そう信じている。
何故ならそれを可能にするのは、科学だけだからだ。
幽霊の存在も、UFO現象も、あるいは神の存在にしても、いつの日か必ず、人類の科学力はその真実に追いつく事が出来る。
それが、本当に“真実”ならば、だ。
結果として、かつての魔法がそうであったように、科学はその真実を“否定”という形で立証する事になる可能性は否定出来ないが、真実に追いつく事に変わりはないのだ。
だから、僕は科学を信じる。
いつの日か、科学が真実に追いつける日が来ると信じる。
願わくば、その日が一日でも早く訪れる事を。
……出来れば、僕が生きてる内に。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
さて来週は、以前から告知していた通り、『Watch the Skies』の連載を一時お休みし、2週に渡って“特別編”をお送りする予定です。 お楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)
ザ・ビキニ!
※- Mania Episode1
お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
ビキニキターーーーー(゜∀゜)ーーーーーッッ!!!
これはアンヴィルやシティの港が似合いそう。 マフラーとニットキャップがあれば、ブルーマもイケますネ!(←マニアック過ぎ)
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #14-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
さぁ~くぅ~らぁ~(チントンシャン)
さぁ~くぅ~らぁ~(トンテンチン)
のぉ~やぁ~まぁ~もさぁ~とぉ~むぅお~~~♪
というワケで桜です。(↓)
これは、2年ほど前に出来た近所の市民センター(兼小学校の体育館)の桜並木なんですが、まだ出来たてなので樹が小さいです。
しかし、若い樹だけあって、開花が早いんですよね。 なので、今年は一足お先にお花見出来るコレを撮ってみました。
あと10年もすれば、きっと立派な桜並木になる事でしょう。 その時が、今からとても楽しみです。
……って、あ!
そう言えば、今日はエイプリル・フールですね!
大変だ! 何かウソ吐かなきゃ!(←決してそういう日ではない)
えっと、うんと、そーだなぁ~~……。(考え中・考え中・考えt)
……え~~っと……。
カノジョができました?
…………………………。(´・ω・`)
……バレバレ過ぎ。つД`)゜。
<今週の特集>
今週の特集は、映画『未知との遭遇』徹底解説シリーズ第14回です。
最後までお楽しみ頂けたら幸いです。
第5章:UFO事件‐真実を求めて…
本作は、“第三種接近遭遇”、すなわち“地球外知的生命体との直接的な遭遇”をモティーフにした映画作品である。
そして、本作でも一際印象的なクライマックスシーンに登場したUFOと呼ばれる存在は、地球発祥ではない地球外に発生した高度な知能を有する生命体、すなわち地球外知的生命体(Extra Terrestrial Inteligence)が乗り込んでいる(と、考えられる)星間移動を可能にした乗り物の事である。
ただし、正確な意味でのUFO、すなわち未確認飛行物体とは、正体不明の飛行物体全般を指す語のため、いわゆる所属不明機などもこれに含まれ、必ずしも“宇宙船”とは限らない。
とは言え、レーダーや機体識別のための技術が向上した現在においては、所属不明機であっても機種の判別程度は可能で、その機種を保有している国を調べれば、何者なのか?という推測は非常に容易い。
そのため、本書ではUFOという語を“地球外宇宙船”に限定して使用し、この章を書き進めていく事にする。 予めご了承頂きたい。
さて、このUFOという存在は、その語が示す通り正体不明なワケだが、UFOとして報告されている事件の証言には、いくつか共通項がある。 中でもほぼ全ての目撃証言に共通するのが、“目の眩むような眩い光”、そして、“現在の航空力学では不可能な動き”の2つである。
もちろん、これが見られるからと言って即それが“=UFO”と判断するのは早計だが、これが共通項として大多数の目撃証言で一致しているという点は、事実として見過ごせないのは確かだろう。
本作でも、この2つの要素はUFOを表現する上で非常に重要視され、様々なシーンで再現されている。
ある意味、UFOを定義する上での絶対条件と言っても過言ではないだろう。
本作の公開と前後して、映画界では80年代まで続く事になる空前のSFブームが起き、UFO関連のみならず、様々なSF映画が頻作され、90年代から今世紀に至るまで、作品数こそ減ってきてはいるモノの、年間数作のUFO関連の映画作品が製作されている事実は、このモティーフが今もなお、大衆の興味を惹き付けて止まない事実を浮き彫りにしている。
特に、SFブーム全盛期の80年代は、本作をキッカケにしたUFOブームが世界中でピークを迎え、SF映画の頻作と比例して大量の目撃情報が世間に氾濫した時代だった。
しかし、UFOブーム、そしてUFOという存在そのモノは、なにも80年代になって突然出てきたモノではない。 先に記した共通項、すなわち“目の眩むような眩い光”、そして“現在の航空力学では不可能な動き”という要素を有するUFOと“考えられる”目撃証言は、遡れば1950年代から40年代、はてはそれ以前の19世紀からそれより前、さらには伝説や神話の時代にまで、類似した多くの目撃証言があった事が分かる。
この章では、本作のモティーフになっているUFO事件とその遍歴を、時代を追いながら有名ドコロをいくつか紹介し、その検証を試みる。
UFOとは何なのか?
そして、果たしてそれは本当に存在するのか?
皆さんと一緒に、考えてみたいと思う。
1.UFO事件の歴史
UFO事件の歴史は驚くほど古い。 遡れば有史以前、伝説や神話の中にもそれと考えられる現象が多数記録されている。
例えば、ピラミッドで有名なエジプトのカイロから南方に行ったトコロにサッカラという土地があるのだが、ココで発見されたプタ・ホテップという人物の墓には、ある奇妙なレリーフが彫られていた。 それはなんと、人類とは大きくかけ離れた外見を有する人型の生命体の姿、すなわち宇宙人と思しきレリーフなのである。
この墓は、古代エジプトの第5王朝時代のモノで、今からなんと4000年も前のモノである。
しかも、この墓に入っているホテップという人物は、どうやら賢者として名を馳せた人物で、王の執政の役割りも担っていた人物だと考えられている。
このレリーフがもし、本当に宇宙人を描いたモノであれば、つまりこれは、歴史上公的機関が正式にその存在を認めた最初の事例という事になる。
紀元前1347年、古代エジプトはいわゆる多神教を信仰する国家だったが、ココに一神教を信仰する集団が現れる。
時のファラオであったアメンホテプ4世は、ある時ナイル河の畔で“光り輝く円盤”を目撃する。 そして、その円盤に神託を受け、アメンホテプ4世は改名と遷都を行い、この“光り輝く円盤”だけを信仰する宗教を興す。
これは、キリスト教が誕生する1400年も前の事であり、歴史上初の一神教は、なんとUFOを信仰する宗教だったのである。
かなり時間が飛ぶが、15世紀のイタリアは、いわゆるルネッサンス全盛の時代だった。 ダ・ヴィンチやラファエッロといった巨匠たちが、その才能を開花させ新しい芸術を次々と生み出していった時代だった。
そんなルネッサンス芸術を代表する絵画の中に、なんとUFOが描かれている絵が存在する!
ルネッサンスの中心地、フィレンツェに建つヴェッキオ宮殿に飾られた絵(注:正確には木版画)の一つ。 『聖母マリアと聖ヨハネと子』と題されたこの絵は、聖母子と洗礼者ヨハネが描かれ、キリスト誕生を描いた作品である。
トコロが、この絵に描かれた聖母マリアの背中、画面の奥に岬の上に立って海上の上空を見上げている兵士と思しき人物が小さく描かれている。 そして、その視線の先、すなわち上空には、UFOとしか思えない奇妙な飛行物体が描かれているのである。
これを描いたのは、ルネッサンス芸術を代表する芸術家の一人、フィリッポ・リッピ。(注:あるいはその弟子という説もある) 当時の芸術家は、絵や彫刻を作るだけでなく、貴族や王族に様々なアイディアを提供する知識人でもあった。 リッピのような芸術家が、何の意味もなくこのようなモノを描くとは考え難い。
ならば、これは……?(注:付け加えるなら、聖書ではキリストの誕生を知って贈り物を届けにきた東方三博士は、“星に導かれた”と描写されている。 その“星”が、もしかしたら、あるいは……?)
これ以外にも、旧約聖書にはUFOと遭遇したと考えられる預言者の話しがあったり、11世紀に建設された聖堂の壁を飾るレリーフにNASAの宇宙飛行士が着る宇宙服としか思えない衣服を身に着けた人物が彫刻されているなど、探せばこうした事例はいくらでも出てくる。
そもそも神、あるいはそれに近しい存在は、常に神々しいばかりの光に包まれた姿で現れ、人々に預言や神託を与える存在として描かれている事が多い。 こうした存在が、まだ科学文明の発達していなかった当時の人類社会に生きる人々には、“行き過ぎた科学は魔法と見分けが付かない”オーバーテクノロジーを有した宇宙人としてではなく神、あるいはそれに近しい存在としか認識出来なかった可能性は極めて高いと考えられる。
そうと考えれば、UFOは有史以前、遥か太古の昔から、地球に何度となく訪れていた、と考えられるのではないだろうか?
そして、これが科学文明が発達した19世紀末に、ついに写真という形で科学的証拠を残す事になる。
1871年の新年早々、アメリカはニューハンプシャー州にあるワシントン山という山の山頂付近で、雲を背に悠然と飛行するUFOと思しき飛行物体(注:いわゆる葉巻型UFO)が写真に収められた。
この写真がどのような経緯で撮影されたのかは定かではなく、写真そのモノも2002年にインターネットのオークションサイトに出品されたモノで、真偽のほどは正直定かではない。 ってゆーかむしろアヤしすぐる。 船体の中央に、いわゆるカギ十字(笑)が確認出来るらしいし。
しかし、加工の跡は一切なく、複製の可能性も考えられないという。
ともかくこうして、19世紀末にはUFOは、神話や伝説の領域から現実へと踏み出したのである。
・ロズウェル
UFOの目撃情報が多数寄せられるようになり、第一次UFOブームが起こった1940年代後半から1950年代。 伝説や神話の類ではなく、現実に起こった現象として世間を賑わせたこれらの情報は、しかしある小さな事件をキッカケに急激に増加した。
そう、UFOを語る上では欠く事の出来ないUFO墜落事件、通称“ロズウェル事件”である。
コトのハジマリは終戦間もない1947年7月1日。 アメリカ南部、ニューメキシコ州のアルバカーキ、ホワイトサンズ、そしてロズウェルにあるアメリカ軍の各基地のレーダーが、奇妙な飛行物体を補足した。
通常では考えられないスピードで飛行するこの飛行物体は、3日後の7月4日、アメリカ独立記念日にも現れ、深夜の航空ショーを披露した。
しかしその時、この飛行物体は突如レーダーから消失。 完全に行方を眩ました。
トコロが同刻、ロズウェルの北西、約120キロに位置する牧場の管理人は、異様な爆発音を耳にした。 管理人は、夜が明けるのを待って牧場をくまなく探してみると、牧草地に散乱する奇妙な残骸を発見した。
管理人は、翌7月6日になってようやく地元の保安官事務所に通報し、通報を受けた保安官と共に現場を確認した。
しかしさらに翌日の7月7日になると、誰が呼んだのか陸軍航空隊(注:後のアメリカ空軍)や憲兵が大勢やってきて、現場は軍の厳重な管理下に置かれた。
軍が撤収した後に管理人らが現場を確認すると、辺りはキレイサッパリ片付けられていた。
現代的な感覚で言えば、コレで事件は闇から闇へと葬り去られ、目撃者となった管理人と保安官はウソつき呼ばわりされるか狂人扱いされるかのどちらかで、世間は新しいゴシップネタに興味を逸らされる、と考えるのが普通だ。
トコロがこの事件に限っては、翌7月8日に急展開を見せる。
ロズウェル基地の報道官、ウォルター・ハウト陸軍中尉が、なんとコトもあろうか回収した残骸を「空飛ぶ円盤の残骸だった。」と発表してしまったのだ!
米軍が、墜落したUFOの回収に成功したと“公式に”発表したのである!
もちろん、これは全米の注目を浴び、マスコミはもちろん一般市民をも巻き込んでの論争合戦が巻き起こった。
しかし同日、事件は再び意外な急展開を見せる。
ハウト中尉の発表から数時間後、第8航空軍司令官の名義で、回収した残骸はUFOではなく、「レーダー標的を取り付けたレーウィン気象観測気球だった。」と発表。 先のハウト中尉の発表を“誤認”とし、軍の極秘テストに使用されていた気球が、何らかの原因で墜落したのだと説明した。
これにより、世間とマスコミの注目は時間の経過と共に事件から離れていき、事態は収束の方向へと向かった。
ト・コ・ロ・が。
事件から30年後の1978年、最早ロズウェルの事を憶えている人もいなくなった頃になって、事件は意外な形で掘り起こされる。
UFO研究家のスタントン・T・フリードマンは、実際に残骸の回収に携わったジェシー・マーセルという陸軍少佐から「軍がUFO回収を隠蔽したと確信している」という証言を得た事を公表した。
これをキッカケに、ロズウェルで本当は何があったのか? と、様々な憶測や論争が飛び交う事になった。
1980年、UFO研究家のウィリアム・ムーアとチャールズ・パーリッツは、著書の中で墜落したのはUFOで、軍はこれを操縦していた宇宙人の遺体も回収したと主張。
1988年、民間のあるUFO研究団体が独自に調査し、当時の目撃者を複数捜し出し、彼らから「軍がUFOの残骸と宇宙人の遺体を回収していた」という証言を得たと発表。
さらにこの頃、“回収された宇宙人の遺体”という触れ込みでエリア51のS‐4(後述)で撮影されたとされる写真が公開されたり、1995年には、この回収された宇宙人の“解剖記録フィルム”という触れ込みで合計91分にも及ぶ16ミリのモノクロフィルム14巻(注:サイレント)が公開されている。(注:ただし、これは11年後の2006年になって、ジョン・ハンフリーなる彫刻家が、「私が作った」と告白。 物議を呼んだ)
このように、終息ドコロかますます事態が混迷していく中、アメリカ空軍もようやく重い腰を上げた。
1997年、軍はこの事件を公式に調査し、実に1000頁にも及ぶレポートを提出。 そしてレポートには、当時ハウト中尉の前言を撤回した司令官と同じく、「気球の残骸」と結論付けている。
もちろん、これらがカヴァーストーリー(注:表向きの発表)で、本当は“何か”を回収したと考える事も出来るが、現実的な側面から考えると、これらのカヴァーストーリーが軍の極秘任務の隠蔽、すなわち新兵器開発を隠匿するために行われたモノなのではないか? という結論も導き出せる。 その影に見え隠れするのが、当時アメリカ政府によって行われていた極秘任務、“ペーパークリップ作戦”である。
ペーパークリップ作戦とは、戦後アメリカ政府が実際に行っていた極秘プロジェクトで、なんと戦犯として裁かれるべきナチス・ドイツの科学者やスパイを無罪放免にする代わりに、アメリカに亡命させるという計画である。
これは、冷戦終結後にアメリカ政府が確かにやっていたと公式に認めているモノである。
この作戦の一環で、ナチの科学者によって極秘に開発されていたのが、核兵器搭載用円盤型輸送機、通称“LRV”(注:Len-ticular Reentry Vehicle=レンズ状再突入翔体)である。
これは、アメリカ空軍の委託により、ノースアメリカン・エヴァエーション社(注:F‐86セイバーなど、40年代から50年代にかけて第1、第2世代のジェット戦闘機を開発した会社)の技術者らがオハイオ州のライト・パターソン基地で開発されていたモノで、現在の宇宙ロケット発射台のような施設から打ち上げ、大気圏外から核弾頭を発射するという、当時としては大胆な発想の元に設計された兵器である。
このLRVの形状が、携帯ゲーム機PSPに利用されているUMDのような形をしており、一見するといわゆる“空飛ぶ円盤”とも言えるような形をしているのである。
このような形状の航空機は、実は第二次大戦末期の1940年代、実際にアメリカ海軍などが試作機を開発しており、当時としては最新の航空理論による画期的な設計だった。(注:要するに、機体全体を翼のような形状にする事でエアロダイナミクスを向上し、揚力を得易くするという発想。 ナチス・ドイツでも、全翼機という翼のみの機体形状をしたテスト機を開発していた。 現在でも、アメリカが実戦配備しているB‐2爆撃機やF‐177攻撃機などは、このアイディアを応用した機体設計がされている)
すなわち、ロズウェルには実際に気球が墜落したが、積荷が違っていた。 気象観測レーダーではなく、極秘に開発されていたこのLRVで、その重さ(注:推定だが乗員、装備無しでも7トンもあったらしい。 当時のプロペラ戦闘機は、せいぜい4トン~5トン程度)に耐え切れなくなって気球が墜落。 輸送中だったLRVの試作機はあえなくスクラップになり、このスクラップと気球を操縦していたパイロットの遺体が、軍によって回収された。
当然、極秘プロジェクトなので軍内部でもLRVの事を知っている者は少なく、これを知らなかったハウト中尉は、その形状から“空飛ぶ円盤”だと誤認。
あろう事かこれを公表してしまったため、軍は慌ててこれを撤回する発表を行う必要に迫られたが、極秘プロジェクトで、しかもナチの戦犯の手を借りて開発していたなどとは口が裂けても公表出来ないので、気象観測レーダーという無難なトコロで手打ちにした。
……という解釈が、最も現実的で理に適っている。
が、ちょいとお待ちよおぜうさん? 何か忘れてやしませんかえ?
もしそうならば、1947年の7月1日と7月4日、軍の、しかも3ヵ所の基地のレーダーが捉えたという“ナゾの飛行物体”は、どうやって説明する? “考えられない速度で飛行”してたんだよ? 気球は、確かに風向きや風速によって急激に早くなったり遅くなったり、時にはあらぬ方向へ方向転換したりするが、移動速度は何がどう間違っても常識の範囲内。 せいぜいクルマぐらいのスピードしか出ない。
ならば、レーダーが捉えたという飛行物体と、墜落した気球が同一とは考え難い。
で、あるならば、この両者は全く“異なるモノ”なのではないか?
そして、レーダーが捉えたというソレは、あるいは……???
真相が何であれ、このロズウェル事件が戦後から1950年代のUFOブームを作るキッカケになったのは確かだし、現在でも重要視されている事件であるのもまた確かだ。
そして、これを決定付けたのが、かの有名な“MJ‐12”の存在である。
・MJ‐12
1984年12月11日、TVプロデューサーであったジェイム・シャンドラの下に、未現像の35ミリフィルムが送られてきた。
送り主は不明。 シャンドラも、心当たりのないコレには困惑した。
しかし、フィルムを現像してみると、それは映像や写真ではなく、いわゆるマイクロフィルム化されたドキュメントだった。 そしてそこには、ある驚くべきモノが写されていた。
それは、時の大統領トルーマンから、後任のアイゼンハワーに向けた1952年11月18日付の政府の機密文書で、なんとロズウェル事件にて回収されたのが気球ではなく、UFOの残骸であった事を示すモノであった。
さらに、ロズウェル事件から2ヵ月後の1947年9月24日付の大統領命令が記された機密文書まで含まれていた。
その文書には、MJ‐12なる秘密組織の結成を指示するモノであった。
MJ‐12とは、ロズウェル事件当時のCIA長官、ロスコー・ヒレンケッターを中心とした政治、軍事、科学分野における重要人物12人によって構成される大統領直属政府の秘密組織で、UFOに関する情報の隠蔽工作を目的とした組織であるという。(注:ちなみに、“MJ”は“Majestic=マジェスティック”の略。 “威厳、堂々とした、雄大な”などの意味があり、“主権、陛下”を意味する“Majesty”の形容詞形)
驚いたシャンドラは、UFO研究家として84年当時名を馳せていたウィリアム・ムーアとスタンフォード・フリーマンに相談する。
二人も、この驚くべき内容の機密文書に仰天したが、二人はすぐさまこの文書のウラを取るべく調査を開始。
すると、国立公文書館からMJ‐12に言及する文書、いわゆる“カトラー=トワイニング・メモ”を発見! これでウラが取れた事を確信した3人の発見者は、1987年になっていよいよ、この文書の存在を公表した。
当然、この発表は波紋を呼び、様々な角度からこの文章の信憑性を検証するリサーチが行われた。
その結果、……コレがまぁ~~~“アラ”が出てくる出てくる。
代表的なトコロを挙げると、機密文書である事を示す“TOP SECRET”のゴム印が、ムーアが個人所有していたゴム印のフォントと全く同じモノであったり、文書の作成に使用されたタイプライターは、そのフォントから1960年代以降に製造された機種だった事が判明したり、決定的だったのは文書に記されたトルーマン大統領直筆のサインは、1947年10月1日に、トルーマン大統領からヴァニヴァー・ブッシュ(注:当時のMIT学部長で、第二次大戦当時に原爆開発を行っていたマンハッタン・プロジェクトに携わっていた人物。 戦後、“memex=記憶の拡大構想”を提唱し、これは後のハイパーテキストやインターネットの基本コンセプトになった重要なアイディア。 1890年~1974年)に送られた文書の署名と全く同じモノである事が判明し、文書そのモノの信憑性は疑われ、結局は人騒がせな売名行為と考えられるようになり、事態は収束していった。
1989年には、ムーア自身が「情報かく乱のために軍の情報提供者、リチャード・ドーティと共にニセ情報を流していた。」と告白。
2007年には、同じくUFO研究家のロバート・プラットが84年以前にムーアと共著でMJ‐12という組織を“デッチ挙げたノンフィクション本”を計画していたと告白。
MJ‐12とその存在を示す文書は、こうして発案者たち本人の手によって、真っ赤なウソである事が明らかになった。
……しかし、問題は文書の内容で、“デッチ挙げた”とは言っても、組織の概要やそのメンバーの人選、そして文体も非常に良く出来たモノであったという。
そのため、問題点は数多くあったモノの、もしかして“内容そのモノ”には真実が含まれているのではないか? という憶測が囁かれるようになり、現在でも一部のUFO研究家はこの文書を信じているモノもいるとか。
それを示唆しているのが、89年のムーア自身の告白である。
「情報かく乱のために軍の情報提供者、リチャード・ドーティと共にニセ情報を流していた。」
何故、“情報かく乱”の必要があったのだろう?
この告白もウソだったと考えられなくもないが、これがある意味真実で、ムーアが実際に“情報かく乱”をしていたのなら、その理由は何だったのだろう? そのウラには、いったい何が?
こんな憶測まで可能にしてしまうウラには、実しやかにウワサが囁かれる“ある施設”の存在があるからだ。
それが、今もなおナゾのヴェールに包まれている軍事基地、通称“エリア51”の存在である。
・エリア51
アメリカのカジノの都、ネバダ州ラスベガス。
砂漠地帯に突如として現れるこのネオンサインの不夜城は、まさに一攫千金を夢見る多くの人々で連日賑わうギャンブルの街である。 それは、街の空港や駅にまでスロットマシーンが常設してあり、観光客は街に着いたその瞬間から、ギャンブルに興じる事が出来るという“配慮”がされているほどだ。
この街から北西へ約150キロほど行くと、グルーム山脈という山々に囲まれた地域にたどり着く。 グルーム湖やパプース湖といった塩湖(注:海が隆起して出来た海水湖の事)があるが、水があったのは遠い過去のハナシ。 今では水は完全に干上がり、カラカラに乾いた真っ白な塩が、湖があったのを記憶に止めている程度の乾燥地帯で、砂漠以外は何にもないトコロである。
しかし、そのグルーム湖の畔に広大な敷地を有するある施設が建設されている。
それこそが、通称“エリア51”と呼ばれるアメリカ軍の秘密施設である。
正式名称を“グルーム・レイク基地”と言い、軍の秘密基地として有名だが、アメリカ政府が発行している地図にはこの基地の存在を示す表記は一切書かれていない。
基地はもちろん、周囲も立ち入り禁止区域に指定されており、一般人は近付く事すら出来ない。
唯一、インターネットのデジタル世界地図、グーグル・アースで航空写真が公開されている程度で、この基地が軍のどの部署に所属しているのか? そして、この基地が何の目的でこのような砂漠地帯に建てられたのかすら、政府は公式な発表を行っていない。
明らかにアヤしすぐるこの基地は、長い間その存在が知られる事はなかったが、1989年3月になって一気に注目を集める事になった。
ラザーという物理学者の証言によると、この施設には“S‐4”と呼ばれる地下施設があり、47年のロズウェル事件で墜落したとされるUFOの残骸と宇宙人の遺体が運び込まれた。 そして、政府は密かに地球にやって来た宇宙人と密約を交わし、彼らから情報提供を受け、この施設内で宇宙人のテクノロジーを利用した新兵器、すなわち“地球産のUFO”を開発しているのだと言う。
この証言が真実だとすると、UFOの存在を間接的に証明する事にはなるが、UFOの存在を巡る様々な目撃情報は、その信憑性が危うくなってくる。 何故なら、目撃したのが“ホンモノのUFO”ではなく、エリア51で開発された“地球産のUFO”の可能性が出てきてしまうからだ。
確かに、現在のF‐177攻撃機やF‐22戦闘機、B‐2爆撃機などに代表されるステルス機の技術は、日本や中国なども国産機の開発を進めてはいるが、いち早く実用化&実戦配備したのはアメリカで、その技術力は他の国の20年、30年は先行している画期的な技術である。
これらの技術が、仮に宇宙人の情報提供によってもたらされたモノであるなら、このような突出した技術革新も納得出来、なおかつエリア51が最新の兵器を開発している施設であるなら、情報漏えいを防ぐ意味でも、このような辺ぴな場所に建設され、極めて厳重な警戒態勢が取られているのも納得出来る。
特に80年代までは、東西冷戦によるソ連との軍拡競争が続いていた時代なので、軍が機密保持に神経質になるのも説明がつく。
すなわち、エリア51が軍の秘密基地である事は、論理的に考えて“有り得る事”である。
ただし、それがイコールUFOが云々というワケではない。
軍の最新兵器の開発が行われている事は事実でも、それが“UFO由来”かどうかは、確かめようがないからだ。
もちろん、逆の解釈も成立する。
ステルス機などの科学技術がUFO由来のモノではなく、純粋に人類が到達した最新の科学技術であり、しかしエリア51で開発されたモノではなく、実際に生産を行った複数の民間企業(注:ボーイング、ロッキード・マーティン、ノースロップ・グラマンなど)によって開発されたモノで、エリア51にはウワサ通り、ロズウェルから回収されたUFOと宇宙人の遺体が運び込まれ、今もなお大切に保管されている、という解釈である。
前者は飛躍しているとは言っても、極めて論理的で現実的である。
後者は飛躍していないが、極めて妄言的で非現実的である。
が、どちらの可能性であっても、その奥にはUFO、そして宇宙人の存在が見え隠れするように思うのは僕だけだろうか?
いずれにしても、エリア51が未だに“地図にも載らない秘密基地”であるのは紛れもない事実であり、これ以上の事は何一つ証明されていないのも、また事実なのである。
このように、アメリカ政府と宇宙人の密約といういわゆる“UFO陰謀説”をとりまく“ウワサ”は数限りなくあり、しかもこれを否定する証言が出てくれば出てくるほど、その証言すらもアヤしく思えてきてしまう。
何が真実で何が虚構なのか?
もう一つ、このような陰謀説が実しやかに囁かれる背景に、UFOと宇宙人の“目的が分からない”という事がその理由に挙げられると思う。
例えば、宇宙人が地球を占領するために飛来してきているのであれば、多くのエイリアン・インベージョン映画で描かれている通り、人類を遥かに凌駕したそのオーバーテクノロジーでさっさと占領すればいい。 人類は、なす術もなく降伏するしかないだろうからだ。
しかし、現実にそうした侵略が起こっていないのであれば、本作で描かれたように地球と友好を結ぶために来たようにも思える。
が、それならばアメリカ政府がこれほどまでに血眼になって証拠隠滅に奔走するのはおかしい。 堂々と公表し、我々に“We are not alone”と言えばいいのだ。
そのどちらもが現実に起こっていないから、このような陰謀説が実しやかに囁かれるのである。
あるいは、そのどちらでもなく、ただ単に目撃者や証言者たちの全くの妄言の可能性も100%否定出来るモノではない。
何故なら人間は、都合の良いように自らの記憶を作り変えてしまう事があるからだ。
特に、本作をキッカケに始まった80年代の第二次UFOブームは、本作や50年代の第一次UFOブームなどの情報が大衆の間に広く定着しており、その影響で自らが体験した不思議な出来事をUFO現象や超常現象と結びつけて考えてしまいがちになるため、その体験をUFO“だった”と思い込んでしまう事があるからだ。
これは、心理学的にも実証されている事である。
いずれにせよ、真実が未だに解明されていないのは事実であり、今後の新たな証言、あるいは証拠の発見が待たれる。
……が、それがどんなモノであるにせよ、信じている人は否定するし、信じていない人は肯定するという現在と何ら変わりない堂々巡りが繰り返されるのは間違いないだろう。
それぞの人が自ら求めている真実を見つける、その時まで……。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)
体の一部がホットホット。
※- Mania Episode1
お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
タンクトップ(?)とローライズのホットパンツ。 どちらかと言えば、ダークブラザーフッド向きかな?
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #13-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
今週は書く事も特にないのでさっさと特集コーナーにいきます。
<今週の特集>
今週の特集は、映画『未知との遭遇』徹底解説シリーズ第13回です。
最後までお楽しみ頂けたら幸いです。
3.ファイナル・カット版(初出:1998年3月/RT:137分)
1980年の特別編が一応の成功を収め、『1941』の失敗を無かった事に出来たスピルバーグは、1981年、盟友ルーカスとの初めての本格的なコラボレーション作品、『レイダース‐失われた聖櫃』を監督した。
この作品は、『ジョーズ』や本作のオリジナル版と同様に世界的な大ヒットを記録し、主演のハリソン・フォードを一躍アクションスターの地位に押し上げ、ルーカスとスピルバーグの最強コンビはまさに世界の映画界を“征服”した。
この作品は、元々ルーカスの『スターウォーズ』が公開されていた77年初夏、ハワイで休暇を取っていたルーカスとスピルバーグの雑談から生まれた作品だった。
当初、ルーカスは『スターウォーズ』と共に考古学者が主役のアドベンチャー映画を製作しようと考えていたが、休暇中に監督してみたい作品の話しをしていたトコロ、スピルバーグは意外にも、「『007』シリーズを監督してみたい」と言った。 アクションとアドベンチャーが満載の、血沸き肉踊る映画を撮ってみたかったと言う。
そこでルーカスが提案したのが、『レイダース』の原案だった。(注:実際、『レイダース』を初めとした『インディ・ジョーンズ』シリーズは『007:ジェームズ・ボンド』シリーズと共通項が多い。 専門知識を持つスペシャリストが主人公、絶世の美女とのロマンス、オープニングからド派手なアクションが展開する、憎々しい敵に捕らえられ辛くも脱出する、世界中を股にかけてアドベンチャーが展開する等々。 『インディ・ジョーンズ』シリーズ3作目では、初代007のショーン・コネリーが出演し、両作品が奇妙にクロスオーバーする作品になっている。 また、『007:ジェームズ・ボンド』シリーズもスピルバーグ作品に影響を受けており、“ジョーズ”という名前の敵キャラが登場する、本作の代名詞であるあの“5つの音”がそのまま使われている等。 スピルバーグの「『007』を撮りたい」という夢は、間接的に叶えられているワケだ) スピルバーグはこの提案を気に入り、二人で本格的なコラボレーションをして作品を作ろうと同意した。
実際には、実現までに4年もかかってしまったが、二人の念願は叶い、映画も大ヒットした。
同時に、スピルバーグは念願だった自身の映画製作スタジオ、アンブリン・エンターテイメント社を設立。 同社名義での初監督作品となったのが、空前の大ヒットを記録する事になる『E.T.』(82年)であった。(注:この前に、『Oh!ベルーシ絶体絶命』という作品がアンブリン名義で製作されており、スピルバーグは製作総指揮としてクレジットされている。 後に、シリーズ19作目の『007:ワールド・イズ・ノット・イナフ』を監督する事になるマイケル・アプテット監督作品。 またしても間接的に……)
少年時代、ユダヤ系という理由でイジメを受けていたスピルバーグは、寂しさを紛らわすために空想の友達を作り上げ、そのイメージが本作のラストに登場した宇宙人に重なった事で、『E.T.』の構想が生まれた。 スピルバーグ曰く、この作品は「もっとも個人的な映画」だと言う。
実際、映画ではスピルバーグの少年時代の思い出がいくつか再現されており、エリオット少年がランプを使って仮病で学校を休むシーンは、実際にスピルバーグがやった事がある手口なのだそうだ。 スピルバーグは、8ミリで撮った映画を編集するために学校を休みたかったのだそうだ。(注:ただし、母親にはバレバレだった。 それでも母親は、何も言わずに休ませてくれたという。 理解のある親だ)
しかし、そんな“もっとも個人的な映画”であるこの作品は、公開期間が延長されるほどのロングランヒットを続け、最終的に当時の世界歴代興行収益記録を樹立するに至った。(注:この記録は、後に93年の『ジュラシック・パーク』で自らの手で更新する事になる)
これら『インディ・ジョーンズ』シリーズや『E.T.』を監督する傍ら、スピルバーグはアンブリンの重役として多数の映画をプロデュースする。
例を挙げると、『グレムリン』(84年)、『ヤング・シャーロック‐ピラミッドの謎』(85年)、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85年)、『グーニーズ』(85年)、『マネー・ピット』(86年)、『インナー・スペース』(87年)、『ロジャー・ラビット』(88年)等々、いずれもヒットした作品ばかりである。
こうした製作総指揮としてのオンクレジットは、スピルバーグのネームバリューをウリにするためのいわゆる“名義貸し”だと思われがちだが、実は違う。
本来、製作総指揮というのは制作スタジオの重役の名前がクレジットされ、実際の映画製作には全く携わらないのがほとんどだが、スピルバーグの場合は、スタッフやキャストの人選、脚本やプロダクション・デザインなどにも口出しする事が多く、撮影現場に足を運ぶ事も決して少なくない。 最近の例で言えば、『トランスフォーマー』シリーズがその最たる例で、映画化を企画したのはスピルバーグで、マイケル・ベイに監督をオファーしたのもスピルバーグ自身である。(注:ある日突然、ベイの下にスピルバーグ本人から電話が掛かってきたらしい。 元々面識はあったが、ベイは「全くの寝耳に水だった」と語っている)
さらに、撮影現場にも何度か足を運び、脚本やデイリーをチェックし、時にはアイディアを提供した事もあったとか。
本来は、オフィスで革張りの椅子に座ってふんぞりかえっているのが製作総指揮の仕事なのだが、スピルバーグは決してじっとしているだけの製作総指揮ではないのだ。
それはともかく、自身の監督作品と、アンブリンの重役として製作総指揮した作品は、80年代だけでなんと実に30作以上(注:しかもTVシリーズを除いて!)にも上り、まさに目の回るような忙しさの中にあった。
プライベートでは、85年にエイミー・アーヴィング(注:女優。 76年の『キャリー』や78年の『フューリー』などに出演。 近年は、『トラフィック』や『エイリアス』などのTVシリーズにも出演している)と結婚するも、4年後の89年に離婚。
公私共に忙しかったようだ。(注:91年には、84年の『インディー・ジョーンズ‐魔宮の伝説』に出演したケイト・キャプショーと結婚し、子宝にも恵まれ、現在も円満な夫婦関係が続いている。 ちなみに、キャプショーも離婚を経験しており、お互いの連れ子を含めて現在は7人の子の親になっている)
90年代に入ると、製作総指揮としてのクレジット数はさらに増え、『タイニー・トゥーンズ』(90年~92年)や『アニマニアックス』(93年~98年)などのアニメーションも手がけるようになり、多忙を極めていく。
しかし、ルーカスが製作、あるいは製作総指揮に徹するようになった反面、スピルバーグは“本職は映画監督”のスタンスを崩す事なく、多数の作品を手がけている。
興行的にも評価的にも失敗した『フック』(91年)や『アミスタッド』(注:本来は、製作総指揮で監督する予定ではなかったらしい。 97年公開。)のような失敗作もあったが、93年には当時の世界歴代興行収益記録を自ら塗り替える事になった『ジュラシック・パーク』を監督。 そして同年には、自ら制作を熱望していた『シンドラーのリスト』を監督した。
この作品は、元々『E.T.』の制作前に出版されたナチスによるホロコースト=ユダヤ人虐殺を描いたノンフィクションを読んだのをキッカケに、当時制作決定直前まで企画が進められたが、あえなく制作中止になってしまう。(注:スピルバーグ曰く、「この作品を撮るには、当時はまだ若過ぎた。」)
実際、スピルバーグは自身がユダヤ系という事もあり、第二次大戦というモティーフに執着しており、『インディ・ジョーンズ』シリーズは30年代末から40年代という大戦前後の時代が背景だし、『1941』や『太陽の帝国』(87年)のような直接的な作品も監督している。
しかし、『インディ・ジョーンズ』シリーズ以外はどれも失敗しており、足掛け10年の構想を実現した『シンドラーのリスト』は、言わば3度目の正直だった。
そしてその通り、この作品は3度目の正直になった。
それまで、20年以上のキャリアがありながら全く縁のなかったオスカーで、作品賞と監督賞を含む5冠を達成! 名実共に、スピルバーグはようやく一流監督の仲間入りを果たした。
その後、これに満足したかのように、スピルバーグは突然映画界から姿を消す。 製作総指揮としては複数の作品に携わっているが、自らの監督作品はひとつもないまま、4年もの歳月が過ぎてしまう。
が、実はスピルバーグは、この時ずっと待っていたのだ。 マイケル・クライトンが、大ヒット作『ジュラシック・パーク』の続編を書き上げるのを!(注:実際、クライトンが原作小説を出版する前に、スピルバーグは既に映画化権を取得していた。 クライトンも、これには同意していた)
1997年から98年にかけてのスピルバーグは、それまで暖めいていた企画を一気に制作する。
スピルバーグとしては、『インディ・ジョーンズ』シリーズ以外では初となる続編(注:スピルバーグは続編嫌いで知られ、『ジョーズ』や『E.T.』などでも続編のオファーや企画案が持ち込まれたが、全て断っている。 それまで、“続編”を撮ったのは『インディ・ジョーンズ』シリーズが唯一だったが、これは元々のルーカスのアイディアが三部作で、全て監督する事を前提にしていたため)、『ロスト・ワールド:ジュラシック・パーク』(97年)、人種差別をテーマにした『アミスタッド』(97年)、そして、自身2度目のオスカー作品となった『プライベート・ライアン』(注:外部からの持込み企画だったが、スピルバーグは当初、このオファーを渋っていた。 主演のトム・ハンクスにも同時に企画が持ち込まれており、プライベートでは既に数年来の家族ぐるみの付き合いがあったハンクスとは、プライベートで親密になり過ぎてしまっていたため、お互いに一緒に仕事はしたくないと考えていたそうだ。 しかし、脚本が素晴らしかったので二人とも断り切れず、これを機にコラボレーションに挑戦してみようという事になったらしい。 98年公開)と、僅か2年間で3作連続で監督する。(注:さすがに疲れたのか、この後は再び3年間の休養に入る)
これと前後して、本作も再び動き出す。
1997年、映画公開20周年を記念して、新録のメイキング・ドキュメンタリー(注:スピルバーグのインタビューは、当時撮影中だった『プライベート・ライアン』の屋外セットで収録された)を含むオリジナル版、特別編を同時収録したコレクターズ・エディションLDボックスがリリースされた。
このインタビューの収録を通して、スピルバーグは再び本作を考え直すキッカケが与えられた。 そして、本作を再び編集し直す事を決意する。
しかし、先にも記したように97年は3本もの作品を同時進行で制作していたため、忙しくて本作に構っているヒマなどなかった。 が、スピルバーグはなんとか時間を作って、スタッフを招集し、本作の再・再編集版の制作に取り掛かる。
そして98年3月、スピルバーグは、VHSとLDのソフト版として、本作のファイナル・カット版をリリースした。(注:ファイナル・カット版のリリースは、ファンサイトやWikipedia日本語版などのウェブサイトで2002年の映画公開25周年記念とされている事があるが、これは誤り。 日本国内でファイナル・カット版がソフト化されたのがこの時だったためで、アメリカ国内では98年3月に最初のソフト化がされている。 また、98年のソフト版と2002年のソフト版では、ファイナル・カット版の編集が微妙に異なるというウワサもあるが、筆者の方では検証不可能だったので、捨て置く事にした。 予めご了承頂きたい。 本書では、2007年リリースの30周年記念盤を使用して検証している)
Ch.1:オープニング(0:00~)
当然相違なし。 全バージョン共通。
実を言うと、このファイナル・カット版は解説する事があまりない。 編集し直されているだけで、新しく撮った素材がないためだ。
なので、この解説はサクサク進めます。
Ch.2:不思議な現象(1:36~)
同じく相違なし。 全バージョン共通。
Ch.3:導かれた少年(11:05~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.4:普通の家族(14:41~)
なし。 特別編に同じ。
Ch.5:第一種接近遭遇(19:56~)
なし。 特別編に同じ。
Ch.6:追跡(24:06~)
このチャプターは、オリジナル版とも特別編とも異なる編集になっている。 オリジナル版にあった老人のセリフ、特別編にあったマクドナルドの看板のアップは、いずれもカットされている。
Ch.7:兆候(28:15~)
なし。 特別編に同じ。
Ch.8:この歌はどこから?(37:20~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.9:忘れられない形(39:22~)
なし。 オリジナル版に同じ。
Ch.10:電波望遠観測所(45:06~)
相違なし。 全バージョン共通。
Ch.11:誘拐(48:36~)
なし。 空軍の記者会見(54:55~)を含むため、オリジナル版に同じ。
Ch.12:変なパパ(1:01:15~)
Ch.6と同様に、このチャプターも異なる編集になっている。
食卓シーンの冒頭部分がない、シャワーシーンがある、模型の準備シーンがある、ロニーの家出の後がある。
すなわち、前半部分は特別編、後半部分はオリジナル版という編集になっているワケだ。
Ch.13:模型(1:15:39~)
なし。 特別編に同じ。
Ch.14:必然の再会(1:19:28~)
なし。 特別編に同じ。
Ch.15:夢にまで見たもの(1:21:59~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.16:尋問(1:26:22~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.17:逃走(1:29:52~)
なし。 特別編に同じ。
Ch.18:軍隊から逃れて(1:35:54~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.19:目標接近(1:42:30~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.20:コンタクト(1:45:48~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.21:光のショー(1:48:42~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.22:マザーシップ(1:52:58~)
なし。 全バージョン共通。
チャプターマークも、オリジナル版と同じ箇所に戻されている。
Ch.23:着陸(1:56:16~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.24:5つの音(1:57:29~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.25:行方不明者の帰還(2:00:54~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.26:第三種接近遭遇(2:05:45~)
なし。 全バージョン共通。
Ch.22と同じく、チャプターマークがオリジナル版の位置に戻っている。
Ch.27:選ばれし者(2:09:05~)
特別編にあったマザーシップの内部のシーンがごっそりカットされた。 スピルバーグ曰く、「ファイナル・カット版で最初にやったのは、あのシーンをカットする事だった。」
そのため、このチャプターは基本的にオリジナル版に同じ。
ただし、ロイを見送るラコーム博士のクロースアップショットが数秒短いという特別編の相違点が残っているので、編集素材は特別編のフィルムを使用しているモノと思われる。
Ch.28:別れ(2:06:05~)
なし。 エンドクレジットの曲がオリジナル版の楽曲に戻されているので、オリジナル版に同じ。
以上のように、新たな追加ショットは皆無で、オリジナル版、あるいは特別編のどちらかにあるシーンが繋ぎ合わされており、どちらかと言うと特別編をオリジナル版に近付けた印象のある編集になっている。
しかし、そのおかげでオリジナル版にあったロイと家族、周囲の人々との人間関係が明確になり、ラストも盛り上げつつ波が引いていくような余韻を残すエンディングになっている。
個人的には、荒削りなオリジナル版、派手な特別編、洗練されたファイナル・カット版という印象を持っているが、スピルバーグ自身は、本作の事を「永遠の未完成」と評価している。
再び新たな異版を作る気は全く無いそうだが、ファイナル・カット版を以ってしても、スピルバーグにとっては本作を“完成”させる事は出来なかった。
その理由の一つに、既に時代が変わってしまった事が挙げられるだろう。
1970年代―。
まだ、人類が月に足跡を付けてから、10年と経っていなかった時代。
宇宙は身近になり、しかし人々は宇宙に無限の可能性を夢見ていた。
しかし、80年代末に冷戦が終結し、宇宙開発で競争する必要がなくなった人類は、宇宙への夢をアッサリと捨ててしまった。 アポロ計画終了後、人類が再び月に降り立つ事は無くなってしまった。
そして、宇宙人に対してもまた、人類は夢を見る事が無くなってしまった。
本作公開後の1980年代、本作を継承した宇宙人と人類とのファンタジックな交流を描いた作品は、数えるほどしかない。 しかも、その大半がスピルバーグの関連作品である。
スピルバーグ以外に、この夢を追う者はいなかったのだ。
しかし、それとは対照的に、80年代の東西冷戦構造を背景に、エイリアン・インベージョン=宇宙人の侵略を描いた作品が頻作され、宇宙人は人類の敵として描かれた。
そうした映画が頻作される中で、スピルバーグもまた、本作で描いたテーマが時代遅れである事を認識し、宇宙人を信じなくなっていく。
実際、2005年には侵略者としての宇宙人を描いた『宇宙戦争』を監督している。
少年時代、スピルバーグが想い描いた空想の友達は、時ココに至って、死んだ。
とても残念な事だと、僕は思う。
本作で描いたテーマが、他のクリエーターに継承されなかったのみならず、スピルバーグ自身も考えが変わってしまった事を。
もちろん、それはある意味、“オトナになった”と見る事も出来るし、地に足の着いた現実をシッカリと見据えるようになったと考える事も出来る。
それはそれで悪い事ではない。
しかし、それでもなお、『コンタクト』(97年)や『ミッション・トゥ・マーズ』(2000年)のような作品が細々と製作されている事実は、その可能性を否定するものではないと、僕は思いたい。
何故なら、人類は決して、独りぼっちではないからだ。
詳しくは第6章にて詳述するが、いずれにしてもスピルバーグが、今後本作の再編集版を再び手がける事はゼッタイに無いだろう。
その意味に置いては、本作はこのファイナル・カット版を以って、本当の意味での“永遠の未完成”になったと言えるのではないだろうか?
ちなみに、本作にはこの3種とは別に、“幻の最長版”という異版が存在していた。
存在して“いる”のではない。 存在して“いた”。 飽くまでも過去形である。
正確な公開年月日が確認出来なかったが、アメリカのABC放送が、143分の版をOAした事があるそうだ。
最も長いファイナル・カット版よりもさらに6分も長い版だが、オリジナル版にあるロイが変電所へ向かうシーン、枕の形からデビルズ・タワーを連想するショット、ヘリから飛び降りるロイたち、さらに、特別編で追加されたマザーシップの内部のシーンなど、他の版と重複していないシーンを全て繋ぎ合わせるとだいたい6分ぐらいになるので、これらのシーンを全て繋ぎ合わせたのが、この143分版なのではないかと思われる。
残念ながらソフト化されていない版のため、相違点を検証する事は出来なかったが、恐らく上記の通りだと思う。
あまり意味のない再編集ではあるが、そういう版を観てみたくなる気持ちは分からないでもない。
興味のある方は、DVDやBDからリッピングして、自分で編集してみてはいかがだろうか? そうすれば、編集者の苦労も少しは理解出来るようになると思う。(注:筆者もある映画の動画ファイルを使って編集した事があるが、完成までに1ヵ月ぐらいかかってとても大変だった。 正直、もう二度とやりたくないぐらい)
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)
ロリっ娘アーマー。
※- Mania Episode1
お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
ハイウエストが特徴的なフレアミニと、胸元が大きく開いたパフスリーブのトップという組み合わせ。 ガントレットとブーツは、前回のビキニアーマーと共通デザイン。
……これを脱いだのがアレってコトか?
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #12-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
梅はっさぃ~たぁかサクぅ~らは~まだかいな?
自宅の梅が開花しました。
いよいよ春が近くなってきたなぁ~と思いますが、相っ変わらず朝晩の冷え込みが厳しいです。 昼間は、陽が暖かいので春らしいと言えば春らしいんですが。
春近し、されど未だ足音のみ。(字余り)
今年はドコの桜を撮ろうかな?
それでは、今週も特集コーナーをどうぞ。
……あ、この連載、4月の半ばに2週ほどお休みする予定です。 ちょぉ~っとやりたい事があるんで。
<今週の特集>
今週の特集は、映画『未知との遭遇』徹底解説シリーズ第12回です。
最後までお楽しみ頂けたら幸いです。
2.特別編(初出:1980年8月/RT:132分)
77年のオリジナル版公開は、しかしスピルバーグにとっては悔いを残した編集バージョンで公開され、スピルバーグの不満は日に日に増していった。
本作の劇場公開から2年後の1979年、スピルバーグは自身初となる第二次大戦の時代を背景にした戦争モノで、後にも先にもこれが最初で最後となったコメディ映画、『1941』を監督、公開した。
しかし、この作品はモノの見事に失敗。 スピルバーグにとっては、初めての失敗作品になった。(注:そのため、スピルバーグはコメディ映画を撮る事を諦め、アクションやSFのみを撮るようになる)
この失敗は、しかしスピルバーグにとっては一つのチャンスだった。
この失敗を挽回すべく、コロンビアに本作の再編集版の制作を申し出たのだ。(注:映画『1941』はユニバーサルの配給作品だが、海外配給をコロンビアが手がけていた) そして、予算不足のため未撮影のままに終わっていたシーンの追加撮影も、スピルバーグは合わせて申請した。
当然、スタジオは当初難色を示した。 大ヒットした作品に手を加える事で、逆に作品を台無しにしてしまう可能性もあったからだ。
そこで、スタジオ側はある提案をする。
「クライマックスに、マザーシップの内部を見せるシーンを追加しろ。」
この指示に、今度は逆にスピルバーグが難色を示した。
スピルバーグとしては、マザーシップの内部は“あえて”見せず、観客の想像に任せた方が良いと思っていたからだ。
しかし、スピルバーグは考え方を変え、この指示を了承する。
追加したかったシーンを撮るために、スタジオの指示に従って予算を捻出させるためだ。
こうして、150万ドル(!)もの追加予算を得たスピルバーグは、追加シーンの撮影と編集のやり直しをした本作のリニューアルバージョン、特別編を制作。 1980年8月に、映画は全国の劇場で封切られた。
Ch.1:オープニング(0:00~)
当然相違なし。 全バージョン共通。
Ch.2:不思議な現象(1:36~)
同じく相違なし。 全バージョン共通。
Ch.3:導かれた少年(11:05~)
なし。 全バージョン共通。
特別編がオリジナル版と異なるのは、この後のチャプターから。
Ch.4:普通の家族(14:41~)
ロイとその家族を描いたシーン。
シーンの冒頭からイキナリ異なっており、マシュー・ユーリシッチによるマット画で描かれたニアリー家がある住宅街のイスタブリッシング・ショットが追加され、オリジナル版のシーンの冒頭にあったピノキオのオルゴール、脱線する鉄道模型、ガックリと肩を落とすロイの3つのショットがカットされた。
代わりに、ロイが長男のバードに算数の宿題を教えるシーン、映画に行くか遊園地に行くかでロイが家族と口論になる未公開シーンが追加され、ごく一般的な中流家庭であるニアリー家の様子が明確になっている。
また、オリジナル版ではこの後にロイが変電所に赴くシーンが挿入されていたが、このシーンが丸ごとカットになったため、セリフのつじつまを合わせるためにアールからかかってきた電話の内容が録音し直され、ロイに直接現場に向かうように指示するセリフに改められた。
子供たちが、TVで映画『十戒』を観ようとするトコロは相違なし。(注:重要な前フリですからね!)
Ch.5:第一種接近遭遇(19:56~)
ロイが現場にトラックを運転して向かうシーン。
このシーンでは、ロイのトラックを追いかけるように上空を飛ぶUFOの影がトラックの上を通り過ぎる俯瞰ショットが新たに撮影され、このシーンに追加(23:39~24:05)された。
それ以外は、オリジナル版と同じ。
Ch.6:追跡(24:06~)
ロイとジリアンの運命の出会い。
このシーンでは、口笛を吹いていたビッグフットの老人のセリフがカットされ、代わりに飛び去るUFOが一瞬立ち止まり、見つめるようにライトを当てるマクドナルドの看板を映した未公開の見た目ショットが追加された。
このショットは、本来はトランブルのアイディアでマクドナルドのロゴをモティーフにしたUFOを登場させる予定だったので撮影されたモノだが、UFOのコンセプトが変更されたために無意味なショットになったためオリジナル版ではカットされた。 もちろん、それはこの特別編でも同じなのだが、追加されたのはスポンサーのためだったのではないかと思われる。(注:コロンビアは、この2年後にコカコーラ社に買収される)
あまり意味のないショットのため、後のファイナル・カット版では再びカットされた。
Ch.7:兆候(28:15~)
さて、オリジナル版から特別編で最も大きく変更されたのは、このチャプターからの約10分間である。
スピルバーグがスタジオからの要求を呑む形で予算を捻出させたのは、このチャプターに追加されたコトパクシ号の発見シーン(32:32~33:43)を新たに撮影したかったからだ。
このシーンは、ゴビ砂漠という設定になっているが、実際にはカリフォルニアの砂漠で撮影され、ボブ・バラバンは追加撮影に参加したが、トリュフォーは代役になっており、撮影には参加していない。
また、“砂漠に船”というシュールな構図で画面に大きく映し出されるコトパクシ号の船体は、ミニチュアを現場に持ち込み、いわゆる強制遠近法で撮影された。
強制遠近法とは、手前のモノが大きく、遠くのモノが小さく見える遠近法を逆手に取り、小さなモノを手前に置いて大きく見せる、あるいは大きなモノを遠くに置いて小さく見せるという映像表現方法である。
近年では、映画『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズにおいて、ホビットやドワーフなどの小柄な種族を描くために用いられている。
本作でも、ココで映し出されるコトパクシ号は、全長が人の背丈よりも小さなミニチュアだが、これをカメラのまん前に置き、遠くに人物を配置する事で船を大きく見せている。
昔からある手法だが、今見ても十分説得力のある映像になっていると思う。
ちなみに、コトパクシ号もオープニングの戦闘機と同じく実在した船である。
正式名称を“SSコトパクシ”といい、アメリカ船籍の貨物船として1918年に浸水した。 しかし1925年11月29日、キューバのハバナに向けて南カリフォルニアのチャールトン港を出航したコトパクシ号は、12月1日に消息を絶つ。
この事件も、正確にはUFO現象ではなく、消息不明になったのはオープニングの戦闘機と同じくバミューダ・トライアングルである。
また、どうやら当時の設計図などの資料が残っていない(注:船を建造した会社は、61年に造船事業から撤退し、鉄鋼会社として再出発している。 この時、資料が破棄されたのではないかと思われる)らしく、映画に登場したコトパクシ号は、実際のモノとはかけ離れたデザインになっている。(注:本来のコトパクシ号は、1919年建造らしく蒸気船だったが、映画に登場する船には、蒸気船の特徴である排気煙突がなく、近代のディーゼル船のようなデザインになっている)
このシーンを追加するに当たり、スピルバーグはこれを含むシーン構成を大幅に改編している。
オリジナル版では、
ロイがロニーと子供たちを連れ出すシーン→峠道でのロイとロニーのキスシーン→翌朝のロイとロニーの口論、及びロイの解雇の電話(マクラのショットあり)→峠道でのジリアンとの再会→インドシークエンス→ラコーム博士のセミナー
という順番で編集されていたが、この特別編では、
ロイとロニーのキスシーン→コトパクシ号(追加シーン)→翌朝の口論と解雇の電話(マクラのショットなし)→インドシークエンス→セミナー→ジリアンとの再会
というように、編集し直されている。
要するに、ラコーム博士たちとロイたちの行動が、ほぼ同一時間軸上で同時進行しているように編集し直されたワケだ。
……しかし、それにしてはラコーム博士たちの移動時間が短過ぎる。
ゴビ砂漠→インド→アメリカ。
移動だけでも丸々24時間以上かかる。(注:当時の飛行機は遅かったので) が、この同時進行であるロイたちの時間軸は、疑う余地もなく24時間以内である。
映画とは、編集室で作られるモノなのだ!(笑)
Ch.8:この歌はどこから?(37:23~)
先に解説した通り、シーンの順番が異なるだけでシーンそのモノに変更点はない。
Ch.9:忘れられない形(39:24~)
同じく、シーンの順番が異なると同時に、セミナーのシーンエンドに5秒ほどのスタンディングオベーションする参加者たちのショット(41:09~41:15)が追加されている。
が、これもあまり意味のないショットのため、後のファイナル・カット版では再びカットされている。
また、構成変更のため、ロイとジリアンの再会シーンはこのチャプターの後半(41:16~)に移動されている。
Ch.10:電波望遠観測所(45:18~)
相違なし。 全バージョン共通。
Ch.11:誘拐(48:47~)
前半のバリーがアブダクションされるシーンは相違なし。 ただし、後半にあったハズの空軍の記者会見のシーンがごっそりカットされている。
そのため、このチャプターは他のバージョンよりも3分近く短い。
Ch.12:変なパパ(57:37~)
シーンの冒頭、食卓に現れたロイがテーブルに着くまでのショットがカットされ、ロニーがトビーにマッシュポテトのボウルを回すショットから始まる。
子供たちの名演技がカットされなかったのは良い事だ。
これに続いて、ロイがシャワー室で服を着たままシャワーを浴びているシーン(1:01:26~1:04:20)が追加された。 元々撮影されていたシーンだが、オリジナル版ではカットされていた未公開シーンである。
また、このシーンが追加された事でロニーが家を出る理由に十分だと判断したのか、翌朝ロイがデビルズ・タワーの模型を作る準備をしているシーンは大幅にカットされ、このカットによって意味が分からなくなってしまう事になるシーン、すなわちロニーが家出した後、ロイが澄ました顔で窓から家に入るという奇行のシーンもカットされ、シーン全体が大幅に短縮された形になった。
ただし、後のファイナル・カット版では、シャワー室のシーンを追加した上で、オリジナル版の編集に戻されている。
Ch.13:模型(1:07:26~)
オリジナル版の項で解説した通り、このシーンにあった庭で遊ぶ子供たちのショットはカットされ、クルマを洗車している男のショットのみになった。
テクニカル・エラーに気付いたモノと思われるが、クルマを洗車している男のショットが残されたままなので、テクニカル・エラーの修正としては不十分。 撮り直す……のも難しいか。 雨のない室内のシーンを撮り直すしか、完全に修正する術はないと思う。
Ch.14:必然の再会(1:11:14~)
カール・ウェザースの唯一の出演シーンだった、ロイがMPに火事場泥棒と間違われるシーンは、この特別編で姿を消した。
ウェザースの“出番なし”が確定する。
この特別編で、オリジナル版から変更された箇所が目立つのはこのチャプターまでの映画前半部分で、この後のチャプターからの映画後半は、終盤まで大きな変更点はない。
なので、本当は書く意味がないのだが、一応チャプターマークの位置が異なるトコロがあるので、一通りランニングタイムを書いておく。
Ch.15:夢にまで見たもの(1:13:45~)
Ch.16:尋問(1:18:08~)
Ch.17:逃走(1:21:38~)
オリジナル版の項で解説した通り、このチャプターではヘリから飛び降りるロイたちのショットがカットされており、他のバージョンより10秒ほど短い。(注:ファイナル・カット版に同じ)
Ch.18:軍隊から逃れて(1:27:39~)
Ch.19:目標接近(1:34:16~)
Ch.20:コンタクト(1:37:23~)
Ch.21:光のショー(1:40:28~)
Ch.22:マザーシップ(1:44:44~)
シーンそのモノに相違はないが、チャプターマークの位置が他のバージョンと異なる。
このチャプターのチャプターマークは、オリジナル版の1:45:12の位置に相当する。
Ch.23:着陸(1:48:03~)
Ch.24:5つの音(1:49:19~)
Ch.25:行方不明者の帰還(1:52:41~)
Ch.26:第三種接近遭遇(1:57:32~)
Ch.22と同じく、シーンそのモノに相違はないが、チャプターマークの位置が異なる。 オリジナル版の2:03:21の位置に相当する。
Ch.27:選ばれし者(2:00:22~)
さて、問題の“強要された”シーンを含むチャプターである。
このチャプターには、スタジオの指示によって新たに撮影されたマザーシップの内部とそれを見るロイのショットが追加(2:03:03~2:05:58)された。
このシーンは、スタジオにセットを作り、ドレイファスを呼んでロイのショットが撮影されたが、マザーシップ内部の天井や壁、及び窓に並んでいる宇宙人たちの影は、全てミニチュア撮影の特殊効果ショットである。
スモークによる光の拡散が幻想的な雰囲気を作り出している美しいショットばかりだが、確かにスピルバーグが言う通り不要なシーンである。
UFOの美しいイルミネーションは、このシーンまでに十分堪能しており、さらにこの後には宇宙へと帰っていくマザーシップが夜空で輝くという、映画を締め括るにふさわしいショットがあるので、その印象を強くし、映画に余韻を与える意味でも、このショットは逆に見せない方が印象が際立つハズである。
さらに、このマザーシップにはたくさんの人種の宇宙人が乗っている事も既に説明されているので、それを再び説明するようなショットは説明の重複(注:映画において、本来は“やってはならない事”とされている行為)になるだけの蛇足である。
オリジナル版の撮影から3年以上が経過し、技術的にも進んだ特殊効果を利用したショットではあるが、“あってもいいが無くても困らない”シーンであるのは確かだ。
それよりも、さっさとエンディングに行った方が映画全体のテンポがよくなって、余韻を残す締め括りになる。
ちなみに、ロイを見送るラコーム博士のクロースアップショットが数秒短いという相違点もある。
Ch.28:別れ(2:06:05~)
というワケで、エンディングである。
このチャプターも、22、26と同じくチャプターマークの位置が異なり、オリジナル版の2:09:03に相当する位置に変わっている。 なんで???
それはともかく、もう一つの相違点として、エンドクレジットの楽曲がウィリアムズによってアレンジされた『星に願いを』に差し替えられている点がある。
この曲は、今ではクリスマス・ソングの定番として複数のアーティストがカヴァー(注:日本では、93年に同じくクリスマス・ソングの定番、『ホワイト・クリスマス』と共にCHAGE&ASAKがカヴァーしている他、音楽の教科書に楽譜を採用している学校もある)している楽曲だが、元々はディズニーが製作したアニメ映画版『ピノキオ』(1940年)の挿入歌の一つとして作曲された楽曲で、現在ではディズニーのスタジオロゴファンファーレにも使用されている楽曲である。
ディズニーにとっても、極めて重要な楽曲なのだ。
本作では、この楽曲が示す“星に願いを”というメッセージが作品のイメージに合っていたため、オリジナル版のピノキオのオルゴールや、この特別編でロイが家族で観に行く映画として提案した映画作品という形で頻繁に引用されていた。 クライマックスでも、バリーが去り行くマザーシップを見上げるショットでこの楽曲のフレーズが聴こえる。(注:全バージョン共通)
この特別編では、前半部のピノキオのオルゴールのショットがカットされたため、これを再度強調するためか、エンドクレジットの後半部分の楽曲が、ウィリアムズのアレンジによるこの楽曲に差し替えられた。
これはアリだと思う。
作品のテーマに合ってるし、個人的にも『星に願いを』はスキな曲なので、映画を締め括る楽曲としても良い選択だと思う。
が、ファイナル・カット版では何故かオリジナル版と同じ楽曲に戻されてしまう。
もしかしたら、権利関係の問題があったのかもしれないが、真偽のほどは定かではない。
以上のように、特別編ではロイとその家族を取り巻く人間関係よりも、むしろロイのPOV=主観視点に重点が置かれた編集になっており、前半部分は編集し直された事で良くなったが、中盤から後半にかけては、ロイの視野狭窄的な行動が強調されてしまっており、やや利己的な人間になってしまっているように感じる。
マザーシップの内部という、ロイだけが見ているシーンが追加された事で、これがさらに強調されてしまっているのではないだろうか?
結局のトコロ、オリジナル版でのスピルバーグの不満は解消されたが、それとは別の新たな不満を生む結果になってしまったのは疑いようもない。
映画とは、産業である。
しかし、“それ以前に”、総合芸術という芸術である。
芸術家の意図がないがしろにされた映画は、結局出資者の金儲けの道具にされてしまうのである。
映画『ブレードランナー』と同じく、本作もまた、出資者の思惑によって芸術家の意図が犠牲になった作品の一例になったと言えるだろう。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)
ビキニアーマー(ニーソ付)。
※- Mania Episode1
お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
重装なのに胴体辺りだけがやたらと寒そうなビキニアーマー。 アンヴィル周辺ならまだしも、この装備でブルーマ周辺は歩き回りたくないですね。 見てるだけで寒そう。
Thanks for youre reading,
See you next week!
-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #11-
皆さんおはこんばんちわ!
asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
今日で丁度一年です。
人によっては、“もう一年”という人もいれば、“まだ一年”という人もいるでしょうし、何より被災地で避難生活を強いられている皆さんにとってはあの日から時計が止まってしまっているように感じている方もいるかもしれません。
被災地の復興はなかなか思ったように進まず、行方不明者を未だに数千人も残したままだし、原発問題も予断を許さない状況が続いているのは確かです。
復興のために何かしたいと思っても、何をしてあげられるのか? あるいは何からやればいいのかも分からない方も多い事でしょう。
実際、僕も復興のために何かしてあげられたらと思いますが、専門家でなければ逆に迷惑になる問題ばかりで、結局は何もしてあげられない状況に焦燥感のみが募る思いです。
言葉をかけてあげようにも、安易な言葉は逆に相手を傷付けてしまう事になるだろうし、それで問題が解決するワケでもない。
自分の無力さ加減に心底嫌気が差します。
だからというワケではありませんが、僕は“ガンバレ”とは言いません。 この一年間、がんばってきた結果が今の現状なのですから。
だから僕は、あえてこういう言い方をしたいと思います。
どうか諦めないで!
被災地の一日も早い復興を祈り、犠牲になった方々の心からの冥福を改めて祈りたいと思います。
ちなみに、現在ローソン各店では、被災地の復興支援キャンペーンを展開しています。
対象商品をご購入されると、売上金の一部が復興支援基金、“夢を応援基金”を通して復興支援に役立てられます。 ローソンにお立ち寄りの際は、ぜひご協力をお願い致します。
<今週の特集>
今週の特集は、映画『未知との遭遇』徹底解説シリーズ第11回です。
最後までお楽しみ頂けたら幸いです。
第4章:3つの異版
1977年夏、ルーカスがやっと完成させた映画『スターウォーズ』の公開と前後して、スピルバーグの映画『未知との遭遇』は一応の完成を見た。
スピルバーグは、これを期に休暇を取り、同じく休暇を取ったルーカスと申し合わせて、休暇を一緒に過ごそうとハワイで落ち合った。
既に編集中だった『スターウォーズ』の内輪だけの試写会に参加していたスピルバーグは、ルーカスのかつて無い成功を確信していた。 実際、その試写会に参加した他の友人知人たちの中で、映画『スターウォーズ』を気に入ったのはスピルバーグだけだった。
しかし、当のルーカスは滞在先のホテルでも落ち着かない様子だった。 何故ならこの時、スタジオの担当者から入るハズの『スターウォーズ』のファーストウィークセールスの連絡を待っていたからだ。
しかし、待ちに待ってようやく入った連絡は、“凄まじい大ヒット”というモノだった。 映画『スターウォーズ』は、公開初日から映画館に観客が殺到し、連日長蛇の列を作るほどだった。
この連絡を聞いて、ルーカスはようやく安堵して休暇を楽しんだという。
しかし、スピルバーグは逆に不安を募らせていた。
何故なら、年内の公開が予定されている自身の映画、『未知との遭遇』の収益に影響が出るのではないかと懸念したからだ。
映画『未知との遭遇』は、確かにSFである。 しかも宇宙モノである。 が、映画『スターウォーズ』とは真逆と言って良いほど方向性の異なる作品で、これの後に続く作品とは言い難い内容だったからだ。
確かに、スピルバーグは『スターウォーズ』を気に入っていたし、ルーカスの成功を心から喜んでいた。 これまで不当に評価の低かったルーカスが、ようやく世間からも認められる瞬間が訪れた事を確信していたからだ。
しかし、この成功が自身の作品にとって裏目になるかもしれない。 同じSFとは言えないような、方向性の異なる作品に観客は喜んでくれないかもしれない。
そうした不安に駆られたスピルバーグは、休暇明けにコロンビアに赴き、ある重要な提案をした。
映画の公開を延期しようと言ったのである。
・スタジオの圧力
映画『未知との遭遇』は、当初から1977年年内の公開が予定されており、最終的に年末、クリスマス合わせで公開される事が決定していた。 スピルバーグも、この決定には特に異存は無かった。 実際、この公開に間に合うように、映画は77年夏に既に完成していた。 スタジオ側は、余裕を持って公開に向けたプロモーションや準備作業が出来る状態だった。
しかし、そんな折も折に公開された『スターウォーズ』の驚異的な大ヒットは、スピルバーグを不安に駆り立てるのに十分だった。
そこでスピルバーグは、観客の“『スターウォーズ』熱”が醒めるまで待って、78年の春以降に公開を延期しようと、スタジオ側に提案した。
賢明と言えば賢明な判断だ。 現在のスピルバーグからは想像も出来ない事だが、この時は公開を急ぐよりも、映画を完成させる事と、映画を確実にヒットさせる事を優先するのは、その後のキャリアを考えた上でもこの時のスピルバーグには必要な事だった。
しかし、この提案はアッサリ却下されてしまう。
何故ならコロンビアは、どうしても年末にヒット作を公開する必要があったからだ。
当時のコロンビアは、複数の映画が興行的に失敗し、経営不振に陥っていた。 経営陣は、77年の年末までに映画を公開し、ヒットさせて収益を上げる必要があったのだ。
これに先立って、スピルバーグは公開まで時間があったので、追加シーン(注:コトパクシ号のシーン。 詳細は後述)の撮影予算をコロンビアに申請している。 映画の編集に関しても、やや不満な点があったのでやり直したいと考えていた。
が、スタジオ側はこれも却下している。 経営不振のため、追加予算は捻出出来ず、再編集にかかる費用も出せなかった。
そのため、スピルバーグの提案は却下され、当初の予定通り、77年の年末に映画は公開された。
この公開は、当然スピルバーグにとっては不本意なモノだった。
しかも、コロンビアはあろう事か映画の失敗を懸念(注:理由はスピルバーグの不安と同じ。 『スターウォーズ』の影響)したため、なんと全国公開ではなく2館のみでの上映にしたのだ!
総製作費2000万ドルの超大作映画とは思えない、不当な扱いだった。
トコロが、スタジオの懸念とスピルバーグの不安は杞憂に終わった。
映画は、公開初日から映画館に観客が詰めかけ、連日長蛇の列を作るほどの大ヒットになった。
これを受け、スタジオ側はようやく映画のヒットを確信し、2館上映から全国公開に切り替えた。 スピルバーグは、「最初から全国公開していればもっと稼げた。」と後に語っている。
結果的に(『スターウォーズ』には及ばなかったモノの)、映画は前作『ジョーズ』に次ぐ大ヒットを記録した。
最終的に、映画『未知との遭遇』は、その後の海外収益も合わせて3億ドル以上を稼ぎ出す大ヒット作になった。
しかし、この大ヒットを以ってしてもコロンビアの経営不振は解消しきれず、82年にはコカ・コーラ社に買収され、89年にはバブル景気にモノを言わせたジャパン・マネーの流入によってソニーに買収されてしまう。
現在では、日本国内ではコロンビア・ピクチャーズとしてではなくソニー・ピクチャーズとして映画が配給されているほどだ。
結果論だが、スタジオ側が押し切った77年年内の公開は無意味なモノであった。
ちなみに、ルーカスは『スターウォーズ』の失敗に不安を募らせ、スピルバーグに『スターウォーズ』と『未知との遭遇』の収益の1%を交換しないか?と提案した。
映画『スターウォーズ』の大ヒットを確信していたスピルバーグは、これを二つ返事で了承。 結果的に、スピルバーグが儲かったのは言うまでもない。
・3つの異版
このようにして、本作は紆余曲折の果てに77年の年末(注:正確には11月)に公開されたが、前記の通り、この公開はスピルバーグにとって不満なモノであった。 特に、時間があったのに追加シーンの撮影に予算が捻出されなかった事は、映画が未完成のまま公開されたように感じられるほどだった。
そこでスピルバーグは、映画の再編集版、すなわち異版の制作を決意する。
それではココからは、映画『未知との遭遇』における3つの異版、すなわち“オリジナル版”、“特別編”、そして“ファイナル・カット版”のそれぞれの相違点を検証していく事にしよう。
既に、2007年にリリースされた30周年記念盤となるDVD/BDのソフト版に、これを検証したタイムラインポスターがバンドルされているが、本書ではこれを詳しく解説するという方向でココからを書き進める事にした。
この章を、それぞれのバージョンを鑑賞する際の参考にして頂けたら幸いである。
なお、チャプターナンバーとチャプタータイトル、プレイタイムは検証に使用したのがDVD版のため、DVD版に準拠している。 BD版とは異なる箇所があるので予めご了承頂きたい。
1.オリジナル版(初出:1977年11月/RT:135分)
1977年11月、たった2館でのみ、総製作費2000万ドルの超大作映画とは思えないぞんざいな扱いで劇場公開された本作は、その後の特別編、及びファイナル・カット版とは様々な点が大きく異なるオリジナル版が公開された。
特に、映画の前半部分はこのオリジナル版でしか観れないショットが多分に含まれている。
オープニングから、チャプター毎に相違点を検証してみよう。
Ch.1:オープニング(0:00~)
オープニングクレジット。
このチャプターには相違点はなく、全バージョン共通である。
Ch.2:不思議な現象(1:36~)
メキシコはソノラ砂漠で、第二次大戦直後に行方不明になった戦闘機が発見されるシーン、及び民間旅客機が発光するナゾの飛行物体とニアミスする様子を管制官が管制塔で聴いているシーン。
このチャプターには相違点はなく、全バージョン共通になっている。
ちなみに、砂漠で発見される戦闘機は、後にNASAの月面着陸計画、アポロ計画に使用された月面着陸船の開発を行う事になるグラマン社のTBFアヴェンジャーという戦闘機で、第二次大戦中に大活躍したアメリカ軍の雷撃機である。 太平洋戦争において、日本軍が誇る世界最強の戦艦と言われた“あの”大和を撃沈した事でも有名。
終戦後の1945年12月5日、実際に訓練中の一個編隊が行方不明になる事故が起きており、加えてその捜索に向かった編隊も行方不明になっている。
ただし、これは正確にはUFO現象には分類されていない。 何故なら、行方不明になったのがいわゆる魔の三角地帯、バミューダ・トライアングルだからだ。
また、管制官が旅客機のパイロットにナゾの飛行物体の事を「UFOとして報告するか?」と訊いているが、これは極めて正しい。 UFOは、アメリカ空軍によって定められた“未確認飛行物体=Unidentified Flying Objects”の略で、公式な空軍用語である。
ただし、飽くまでも“未確認”の飛行物体を指すモノで、いわゆる国籍不明機などもこれに含まれるため、イコール“地球外飛行物体”というワケではないが、民間でもこの語は公式に使われている。
Ch.3:導かれた少年(11:05~)
バリーがベッドを抜け出し、夜の森の中へと駆けて行くシーン。
相違なし。 全バージョン共通。
Ch.4:普通の家族(14:41~)
ロイとその家族を描いたシーン。
このシーンは、オリジナル版のみ構成が大きく異なり、シーン冒頭のピノキオのオルゴール、脱線する鉄道模型、ガックリと肩を落とすロイの3つのショットは、このオリジナル版でしか観れないショットである。
その後、ロイがロニーや子供たちと口論するシーンはごっそりカットされており、ロニーの「さあ、ベッドに行きなさい!」というセリフに何の脈絡もなく繋がる。
明らかに編集し過ぎである。
また、その直後にかかってくるロイの上司、アールからの電話は、ショットそのモノは他のバージョンと共通だが、電話の内容が異なり、ロイに変電所に来るように言うセリフになっている。
そのセリフの通り、これに続く街が停電していくモンタージュの後、このオリジナル版でしか観る事が出来ない変電所のシーン(16:20~17:53)へと続く。
ちなみに、ロイの子供たちが観ている映画『十戒』(56年)は、モーセが神より十戒を授かるためにシナイ山という“山に向かう”ストーリーで、本作と展開上の類似を見せる作品であり、意図的に引用された作品である。
それと同時に、この作品はスピルバーグと間接的に関係のある作品である。
第1章で述べた通り、スピルバーグが幼少の頃に初めて観た映画は『史上最大のショウ』という作品だが、これを監督したのはセシル・B・デミルで、主演はチャールトン・ヘストン。 そして、映画『十戒』の監督もデミルで、主演がヘストン。
偶然か? それとも必然か?
Ch.5:第一種接近遭遇(19:22~)
基本的には相違なし。
ただし、後のバージョンではロイの運転するトラックの上を通過するUFOの影のショットが追加されている。
このショットの前に、オリジナル版にもあるロイのトラックが田舎道を走る様子を捉えたワイドショットで、夜空の星の中の一つがトラックを追いかけるように画面右方向へと移動するショットがあったのだが、小さ過ぎたためオリジナル版の劇場公開時にこれに気付いてくれた観客がいなかった。
そのため、後の特別編で俯瞰ショットが追加されたワケだ。
Ch.6:追跡(23:24~)
ロイがジリアンとバリーに峠道で運命の出会いを果たす重要なシーン。
また、ロイが“それ”をハッキリと目撃するシーンでもある。
このシーンで口笛を吹いている老人は、後のシーン(注:Ch.11。 後述)で「ビッグフットを見た」という老人だが、UFOが通過した後、彼の「月ロケットが何だ。 ハイウェイの方が先を行ってる。」というセリフが聞かれるが、これはオリジナル版にしかないモノである。
これ以外は、ファイナル・カット版に同じ。
ちなみに、UFOが通過した後に、小さな赤い光の玉が追いかけるように通過するが、これはクライマックスのシーンに入るハズだった“ライトキューブ”のアイディア(注:第3章を再読の事)の名残りと思われる。
Ch.7:兆候(27:42~)
ロイがロニーと子供たちを峠に連れ出すシーン、及び翌朝のロイとロニーの口論、ロイの解雇の電話、峠道でのロイとジリアンの再会シーン。
このオリジナル版では、この内ロイの解雇の電話がかかってくるシーンに続いて、ロイが枕の奇妙な形から“忘れられない形”を連想するショットがあり、これはオリジナル版でしか観れないモノである。
また、この後のチャプターも含めて、後のバージョンではシーン構成が大きく変更された。 詳細は後述。
Ch.8:この歌はどこから?(39:23~)
ラコーム博士とロフリンが、インドで修行僧たちが歌う“5つの音”を聴くシーン。
本作では唯一の海外ロケになったシーンで、これ以外のシーンは設定に関係なくアメリカ国内で撮影されている。
このシーンの展開する順番が異なるが、シーンそのモノは全バージョン共通で相違点はない。
Ch.9:忘れられない形(41:25~)
ラコーム博士のセミナーのシーン。
特別編とは異なるが、ファイナル・カット版とは相違なく共通。
Ch.10:電波望遠観測所(43:06~)
ロフリンが地球外から送られてきた信号から、デビルズ・タワーの座標を読み取るシーン。
このシーンに登場するゴールドストーン電波望遠観測所は、カリフォルニア州ゴールドストーンに実在する観測所で、1958年に開設された最初の電波望遠鏡(注:電波を受信する事によって深宇宙を観測する望遠鏡。 メキシコにあるアレシボ天文台は、世界最大のパラボラアンテナを有する電波望遠観測所である。 ハッブル望遠鏡に代表される光学式望遠鏡とは根本的に異なる)で、後にアメリカのナショナル・ランドマーク(注:歴史的、あるいは極めて特徴的な建物を対象にした記念指定)に選ばれている。
ちなみに、所長室から持ち出される地球儀のショットは、ポス・プロ中に撮影された追加ショットである。
これも含めて、このシーンには相違点はなく、全バージョン共通。
Ch.11:誘拐(46:36~)
バリーがアブダクションされる重要なシーン。
前半部分は全バージョン共通だが、後半の空軍での記者会見のシーンは、特別編ではカットされた。
そのため、このチャプターはファイナル・カット版とのみ共通になっている。
Ch.12:変なパパ(59:15~)
ロイが奇行に走るシーン。
このチャプターは、Ch.7と同じく他のバージョンとは異なる編集になっている。
前半の食卓のシーンでは、シーンの冒頭に子供たちが騒いでいる様子と、それが食卓にロイが現れた瞬間に突然静かになるショットがあり、これはオリジナル版でしか観れないショットである。
後半のロイがデビルズ・タワーの模型を作る準備をしているシーンは、特別編では大幅に短縮されたが、ファイナル・カット版ではオリジナル版と同じ編集に戻されている。
ちなみに、ロイの娘が見ているTVアニメは、ワーナーアニメ、『ルーニー・テューンズ』のダフィー・ダック&ポーキー・ピッグのエピソードの一つ、『ダフィー・ウォーズ(原題:Duck Dodgers in the 24 1/2th Century)』。 ダフィーとポーキーが、ある目的で未知の惑星に行き、その星の所有権を巡って火星人と戦うという内容。 チャールズ・M・ジョーンズ監督作品。
特に意味はないと思われる。(笑)
しかし、後年になってスピルバーグは、この『ルーニー・トューンズ』を90年代風にアレンジしたTVシリーズ、『タイニー・トューンズ』の製作総指揮を務める事になる。
この作品は日本でも大人気となり、文部省(注:現在の文部科学省)によって推薦作品に指定されるほど高い評価を得た。
個人的には、これよりも後の『アニマニアックス』の方がスキなのだが、あるいはこの時からスピルバーグはワーナーアニメと縁があったのかもしれない。
Ch.13:模型(1:11:35~)
ロイがデビルズ・タワーの模型を作るシーン。
このオリジナル版では、ロイが窓の外を見た時に庭で遊ぶ近所の子供たちのショットがあるが、他のバージョンではカットされている。
恐らく、テクニカル・エラーが気になったのではないかと思われる。
シーンの冒頭の屋外は土砂降りの大雨だが、ロイが窓の外を見ると、子供たちが快晴の中で遊んでおり、再び屋内にカメラが戻ると雨は止んでいるが、どんよりとした曇り空でしかも風が強い。
明らかなテクニカル・エラーである。
男がフォードGT350を洗車しているショットもカットすべきだったのでは?
また、このシーンはロイが電話口でロニーに三行半を突き付けられるシーンでもあり、クライマックスでロイが宇宙船に乗り込む理由となる重要な前フリの意味がある。
さらに、TVニュースからロイが自分で作っていたモノがようやくデビルズ・タワーだと分かる重要なシーンでもある。
しかし、このニュースの直前にTVに映っていたメロ・ドラマ(注:日本でいうトコロのいわゆる昼ドラ。 “壮絶!嫁姑バトル”とか、“奥さま、昼間のいけない情事”みたいなヤツ。 アメリカでも、日本と同様に一定の人気がある)が何なのか未だに分からない。 知ってる方、いたらご一報下さい。(願)
ちなみに、この一連のシーンに挿入されるジリアンがいるのが、アルヴスが設計から施工まで僅か3日で建てたというモーテルのセット。 確かに、3日で建てたとは思えない十分な出来栄え。 トリュフォーが思わず感嘆するのも頷ける。
Ch.14:必然の再会(1:15:30~)
ロイがデビルズ・タワー近くの列車の駅で、ジリアンに再会するシーン。
オリジナル版では、カール・ウェザースの唯一の出演シーンであるロイがMPに火事場泥棒と間違えられるシーン(1:16:59~1:18:20)があるが、他のバージョンではあえなくカットされ、ウェザースは本作では“出番なし”になってしまう。
……まあ、不要なシーンであるのは確かなのだが……。
Ch.15:夢にまで見たもの(1:19:15~)
ロイとジリアンがデビルズ・タワーへと向かうシーン。
相違なし。 全バージョン共通。
このシーンの内、ロイとジリアンが鉄条網の向こうにデビルズ・タワーを臨むシーンがあるが、このシーンでロイが「給油しよう。」と言う。 が、実際には給油しているシーンはなく、ムダゼリフになっている。
この給油シーンは撮影はされており、給油中のロイとジリアンが軍のヘリに見つかるシーンになっているのだが、助長に感じたのか編集であえなくカットされた。
このカットされたシーンは、現在BD版の特典映像で観る事が出来る。
Ch.16:尋問(1:23:38~)
ロイがラコーム博士とロフリンに尋問されるシーン。
相違点は皆無。 全バージョン共通。
Ch.17:逃走(1:27:08~)
ラコーム博士と司令官の口論の途中、ロイたちがヘリを飛び降りて逃げるシーン。
ロイたちが逃亡するシーンの冒頭、防護服を着た兵士ともみ合いながらヘリから飛び降りるショット(1:31:11~1:31:23)は、このオリジナル版でしか観れないショット。 それ以外は相違なし。
Ch.18:軍隊から逃れて(1:33:22~)
さて、スピルバーグが「後にも先にも最も難しい編集だった」と語るクライマックス25分の始まり。
苦労しただけあって、ココからのシーンには一切の無駄がなく、基本的には全バージョン共通で相違点は特にない。
スピルバーグ自身、苦労したが会心の編集が出来たので、変更したくなかったのだろう。
Ch.19:目標接近(1:39:58~)
相違なし。 全バージョン共通。
Ch.20:コンタクト(1:43:04~)
相違なし。 全バージョン共通。
Ch.21:光のショー(1:46:10~)
相違なし。 全バージョン共通。
Ch.22:マザーシップ(1:50:54~)
相違なし。 全バージョン共通。
Ch.23:着陸(1:53:57~)
相違なし。 全バージョン共通。
Ch.24:5つの音(1:54:57~)
相違なし。 全バージョン共通。
Ch.25:行方不明者の帰還(1:58:22~)
相違なし。 全バージョン共通。
プレイタイム2:00:28辺りに登場する、パイプをくわえた水色のジャケット姿の初老の男性が、本作のテクニカル・アドバイザーを努めたJ・アラン・ハイネック博士である。
また、マザーシップから降りてくる行方不明者だったパイロットの内の二人(注:どれがそうなのかは分からなかった。 すまぬ……)が、本作の脚本に協力したハル・バーウッドとマシュー・ロビンスである。
映画では、こうした群衆シーンはカメオ出演のチャンスとしてよく利用される。
Ch.26:第三種接近遭遇(2:03:19~)
相違なし。 全バージョン共通。
Ch.27:選ばれし者(2:06:33~)
基本的に相違なし。 ファイナル・カット版に同じ。
Ch.28:別れ(2:08:45~)
チャプターの冒頭にあるラコーム博士のアップは、オリジナル版のみ数秒長い。
また、エンドクレジットの楽曲はファイナル・カット版に同じ。
それ以外は、全バージョン共通。
以上が、オリジナル版の相違点である。
全体的に、後述するファイナル・カット版と同じくロイとその家族の描写に重点が置かれ、ロイと彼を取り巻く人間関係が強調されている編集になっていると思う。
特に、中盤辺りでロニーがロイに愛想を尽かして家出するシーンは、その直前のロイの奇行の数々があって初めて際立つモノである。
これが、クライマックスにおけるロイの行動の最大の理由になっているからだ。
といったトコロで、今週はココまで。
楽しんで頂けましたか?
ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
来週もお楽しみに!
それでは皆さんまた来週。
お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
SeeYa!(・ω・)ノシ
LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)
お色気シーフ。
※- Mania Episode1
お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
盗賊系向きの軽装装備。 胸元よりもむしろ腰の辺りが……。(笑) ニーソのデザインが異なるバリエーション有り。
Thanks for youre reading,
See you next week!