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週刊! 朝水日記

-weekly! asami's diary-

189.Watch the Skies:第5章①

2012年04月01日 | Watch the Skies

-"CLOSE ENCOUNTERS" 35th Anniversary #14-


 皆さんおはこんばんちわ!
 asayanことasami hiroakiでっす!(・ω・)ノ
 さぁ~くぅ~らぁ~(チントンシャン)
 さぁ~くぅ~らぁ~(トンテンチン)
 のぉ~やぁ~まぁ~もさぁ~とぉ~むぅお~~~♪
 というワケで桜です。(↓)

 これは、2年ほど前に出来た近所の市民センター(兼小学校の体育館)の桜並木なんですが、まだ出来たてなので樹が小さいです。
 しかし、若い樹だけあって、開花が早いんですよね。 なので、今年は一足お先にお花見出来るコレを撮ってみました。
 あと10年もすれば、きっと立派な桜並木になる事でしょう。 その時が、今からとても楽しみです。
 ……って、あ!
 そう言えば、今日はエイプリル・フールですね!
 大変だ! 何かウソ吐かなきゃ!(←決してそういう日ではない)
 えっと、うんと、そーだなぁ~~……。(考え中・考え中・考えt)
 ……え~~っと……。

 カノジョができました?

 …………………………。(´・ω・`)

 ……バレバレ過ぎ。つД`)゜。



<今週の特集>

 今週の特集は、映画『未知との遭遇』徹底解説シリーズ第14回です。
 最後までお楽しみ頂けたら幸いです。


第5章:UFO事件‐真実を求めて…

 本作は、“第三種接近遭遇”、すなわち“地球外知的生命体との直接的な遭遇”をモティーフにした映画作品である。
 そして、本作でも一際印象的なクライマックスシーンに登場したUFOと呼ばれる存在は、地球発祥ではない地球外に発生した高度な知能を有する生命体、すなわち地球外知的生命体(Extra Terrestrial Inteligence)が乗り込んでいる(と、考えられる)星間移動を可能にした乗り物の事である。
 ただし、正確な意味でのUFO、すなわち未確認飛行物体とは、正体不明の飛行物体全般を指す語のため、いわゆる所属不明機などもこれに含まれ、必ずしも“宇宙船”とは限らない。
 とは言え、レーダーや機体識別のための技術が向上した現在においては、所属不明機であっても機種の判別程度は可能で、その機種を保有している国を調べれば、何者なのか?という推測は非常に容易い。
 そのため、本書ではUFOという語を“地球外宇宙船”に限定して使用し、この章を書き進めていく事にする。 予めご了承頂きたい。
 さて、このUFOという存在は、その語が示す通り正体不明なワケだが、UFOとして報告されている事件の証言には、いくつか共通項がある。 中でもほぼ全ての目撃証言に共通するのが、“目の眩むような眩い光”、そして、“現在の航空力学では不可能な動き”の2つである。
 もちろん、これが見られるからと言って即それが“=UFO”と判断するのは早計だが、これが共通項として大多数の目撃証言で一致しているという点は、事実として見過ごせないのは確かだろう。
 本作でも、この2つの要素はUFOを表現する上で非常に重要視され、様々なシーンで再現されている。
 ある意味、UFOを定義する上での絶対条件と言っても過言ではないだろう。
 本作の公開と前後して、映画界では80年代まで続く事になる空前のSFブームが起き、UFO関連のみならず、様々なSF映画が頻作され、90年代から今世紀に至るまで、作品数こそ減ってきてはいるモノの、年間数作のUFO関連の映画作品が製作されている事実は、このモティーフが今もなお、大衆の興味を惹き付けて止まない事実を浮き彫りにしている。
 特に、SFブーム全盛期の80年代は、本作をキッカケにしたUFOブームが世界中でピークを迎え、SF映画の頻作と比例して大量の目撃情報が世間に氾濫した時代だった。
 しかし、UFOブーム、そしてUFOという存在そのモノは、なにも80年代になって突然出てきたモノではない。 先に記した共通項、すなわち“目の眩むような眩い光”、そして“現在の航空力学では不可能な動き”という要素を有するUFOと“考えられる”目撃証言は、遡れば1950年代から40年代、はてはそれ以前の19世紀からそれより前、さらには伝説や神話の時代にまで、類似した多くの目撃証言があった事が分かる。
 この章では、本作のモティーフになっているUFO事件とその遍歴を、時代を追いながら有名ドコロをいくつか紹介し、その検証を試みる。
 UFOとは何なのか?
 そして、果たしてそれは本当に存在するのか?
 皆さんと一緒に、考えてみたいと思う。


1.UFO事件の歴史

 UFO事件の歴史は驚くほど古い。 遡れば有史以前、伝説や神話の中にもそれと考えられる現象が多数記録されている。
 例えば、ピラミッドで有名なエジプトのカイロから南方に行ったトコロにサッカラという土地があるのだが、ココで発見されたプタ・ホテップという人物の墓には、ある奇妙なレリーフが彫られていた。 それはなんと、人類とは大きくかけ離れた外見を有する人型の生命体の姿、すなわち宇宙人と思しきレリーフなのである。
 この墓は、古代エジプトの第5王朝時代のモノで、今からなんと4000年も前のモノである。
 しかも、この墓に入っているホテップという人物は、どうやら賢者として名を馳せた人物で、王の執政の役割りも担っていた人物だと考えられている。
 このレリーフがもし、本当に宇宙人を描いたモノであれば、つまりこれは、歴史上公的機関が正式にその存在を認めた最初の事例という事になる。
 紀元前1347年、古代エジプトはいわゆる多神教を信仰する国家だったが、ココに一神教を信仰する集団が現れる。
 時のファラオであったアメンホテプ4世は、ある時ナイル河の畔で“光り輝く円盤”を目撃する。 そして、その円盤に神託を受け、アメンホテプ4世は改名と遷都を行い、この“光り輝く円盤”だけを信仰する宗教を興す。
 これは、キリスト教が誕生する1400年も前の事であり、歴史上初の一神教は、なんとUFOを信仰する宗教だったのである。
 かなり時間が飛ぶが、15世紀のイタリアは、いわゆるルネッサンス全盛の時代だった。 ダ・ヴィンチやラファエッロといった巨匠たちが、その才能を開花させ新しい芸術を次々と生み出していった時代だった。
 そんなルネッサンス芸術を代表する絵画の中に、なんとUFOが描かれている絵が存在する!
 ルネッサンスの中心地、フィレンツェに建つヴェッキオ宮殿に飾られた絵(注:正確には木版画)の一つ。 『聖母マリアと聖ヨハネと子』と題されたこの絵は、聖母子と洗礼者ヨハネが描かれ、キリスト誕生を描いた作品である。
 トコロが、この絵に描かれた聖母マリアの背中、画面の奥に岬の上に立って海上の上空を見上げている兵士と思しき人物が小さく描かれている。 そして、その視線の先、すなわち上空には、UFOとしか思えない奇妙な飛行物体が描かれているのである。
 これを描いたのは、ルネッサンス芸術を代表する芸術家の一人、フィリッポ・リッピ。(注:あるいはその弟子という説もある) 当時の芸術家は、絵や彫刻を作るだけでなく、貴族や王族に様々なアイディアを提供する知識人でもあった。 リッピのような芸術家が、何の意味もなくこのようなモノを描くとは考え難い。
 ならば、これは……?(注:付け加えるなら、聖書ではキリストの誕生を知って贈り物を届けにきた東方三博士は、“星に導かれた”と描写されている。 その“星”が、もしかしたら、あるいは……?)
 これ以外にも、旧約聖書にはUFOと遭遇したと考えられる預言者の話しがあったり、11世紀に建設された聖堂の壁を飾るレリーフにNASAの宇宙飛行士が着る宇宙服としか思えない衣服を身に着けた人物が彫刻されているなど、探せばこうした事例はいくらでも出てくる。
 そもそも神、あるいはそれに近しい存在は、常に神々しいばかりの光に包まれた姿で現れ、人々に預言や神託を与える存在として描かれている事が多い。 こうした存在が、まだ科学文明の発達していなかった当時の人類社会に生きる人々には、“行き過ぎた科学は魔法と見分けが付かない”オーバーテクノロジーを有した宇宙人としてではなく神、あるいはそれに近しい存在としか認識出来なかった可能性は極めて高いと考えられる。
 そうと考えれば、UFOは有史以前、遥か太古の昔から、地球に何度となく訪れていた、と考えられるのではないだろうか?
 そして、これが科学文明が発達した19世紀末に、ついに写真という形で科学的証拠を残す事になる。
 1871年の新年早々、アメリカはニューハンプシャー州にあるワシントン山という山の山頂付近で、雲を背に悠然と飛行するUFOと思しき飛行物体(注:いわゆる葉巻型UFO)が写真に収められた。
 この写真がどのような経緯で撮影されたのかは定かではなく、写真そのモノも2002年にインターネットのオークションサイトに出品されたモノで、真偽のほどは正直定かではない。 ってゆーかむしろアヤしすぐる。 船体の中央に、いわゆるカギ十字(笑)が確認出来るらしいし。
 しかし、加工の跡は一切なく、複製の可能性も考えられないという。
 ともかくこうして、19世紀末にはUFOは、神話や伝説の領域から現実へと踏み出したのである。


・ロズウェル

 UFOの目撃情報が多数寄せられるようになり、第一次UFOブームが起こった1940年代後半から1950年代。 伝説や神話の類ではなく、現実に起こった現象として世間を賑わせたこれらの情報は、しかしある小さな事件をキッカケに急激に増加した。
 そう、UFOを語る上では欠く事の出来ないUFO墜落事件、通称“ロズウェル事件”である。
 コトのハジマリは終戦間もない1947年7月1日。 アメリカ南部、ニューメキシコ州のアルバカーキ、ホワイトサンズ、そしてロズウェルにあるアメリカ軍の各基地のレーダーが、奇妙な飛行物体を補足した。
 通常では考えられないスピードで飛行するこの飛行物体は、3日後の7月4日、アメリカ独立記念日にも現れ、深夜の航空ショーを披露した。
 しかしその時、この飛行物体は突如レーダーから消失。 完全に行方を眩ました。
 トコロが同刻、ロズウェルの北西、約120キロに位置する牧場の管理人は、異様な爆発音を耳にした。 管理人は、夜が明けるのを待って牧場をくまなく探してみると、牧草地に散乱する奇妙な残骸を発見した。
 管理人は、翌7月6日になってようやく地元の保安官事務所に通報し、通報を受けた保安官と共に現場を確認した。
 しかしさらに翌日の7月7日になると、誰が呼んだのか陸軍航空隊(注:後のアメリカ空軍)や憲兵が大勢やってきて、現場は軍の厳重な管理下に置かれた。
 軍が撤収した後に管理人らが現場を確認すると、辺りはキレイサッパリ片付けられていた。
 現代的な感覚で言えば、コレで事件は闇から闇へと葬り去られ、目撃者となった管理人と保安官はウソつき呼ばわりされるか狂人扱いされるかのどちらかで、世間は新しいゴシップネタに興味を逸らされる、と考えるのが普通だ。
 トコロがこの事件に限っては、翌7月8日に急展開を見せる。
 ロズウェル基地の報道官、ウォルター・ハウト陸軍中尉が、なんとコトもあろうか回収した残骸を「空飛ぶ円盤の残骸だった。」と発表してしまったのだ!
 米軍が、墜落したUFOの回収に成功したと“公式に”発表したのである!
 もちろん、これは全米の注目を浴び、マスコミはもちろん一般市民をも巻き込んでの論争合戦が巻き起こった。
 しかし同日、事件は再び意外な急展開を見せる。
 ハウト中尉の発表から数時間後、第8航空軍司令官の名義で、回収した残骸はUFOではなく、「レーダー標的を取り付けたレーウィン気象観測気球だった。」と発表。 先のハウト中尉の発表を“誤認”とし、軍の極秘テストに使用されていた気球が、何らかの原因で墜落したのだと説明した。
 これにより、世間とマスコミの注目は時間の経過と共に事件から離れていき、事態は収束の方向へと向かった。
 ト・コ・ロ・が。
 事件から30年後の1978年、最早ロズウェルの事を憶えている人もいなくなった頃になって、事件は意外な形で掘り起こされる。
 UFO研究家のスタントン・T・フリードマンは、実際に残骸の回収に携わったジェシー・マーセルという陸軍少佐から「軍がUFO回収を隠蔽したと確信している」という証言を得た事を公表した。
 これをキッカケに、ロズウェルで本当は何があったのか? と、様々な憶測や論争が飛び交う事になった。
 1980年、UFO研究家のウィリアム・ムーアとチャールズ・パーリッツは、著書の中で墜落したのはUFOで、軍はこれを操縦していた宇宙人の遺体も回収したと主張。
 1988年、民間のあるUFO研究団体が独自に調査し、当時の目撃者を複数捜し出し、彼らから「軍がUFOの残骸と宇宙人の遺体を回収していた」という証言を得たと発表。
 さらにこの頃、“回収された宇宙人の遺体”という触れ込みでエリア51のS‐4(後述)で撮影されたとされる写真が公開されたり、1995年には、この回収された宇宙人の“解剖記録フィルム”という触れ込みで合計91分にも及ぶ16ミリのモノクロフィルム14巻(注:サイレント)が公開されている。(注:ただし、これは11年後の2006年になって、ジョン・ハンフリーなる彫刻家が、「私が作った」と告白。 物議を呼んだ)
 このように、終息ドコロかますます事態が混迷していく中、アメリカ空軍もようやく重い腰を上げた。
 1997年、軍はこの事件を公式に調査し、実に1000頁にも及ぶレポートを提出。 そしてレポートには、当時ハウト中尉の前言を撤回した司令官と同じく、「気球の残骸」と結論付けている。
 もちろん、これらがカヴァーストーリー(注:表向きの発表)で、本当は“何か”を回収したと考える事も出来るが、現実的な側面から考えると、これらのカヴァーストーリーが軍の極秘任務の隠蔽、すなわち新兵器開発を隠匿するために行われたモノなのではないか? という結論も導き出せる。 その影に見え隠れするのが、当時アメリカ政府によって行われていた極秘任務、“ペーパークリップ作戦”である。
 ペーパークリップ作戦とは、戦後アメリカ政府が実際に行っていた極秘プロジェクトで、なんと戦犯として裁かれるべきナチス・ドイツの科学者やスパイを無罪放免にする代わりに、アメリカに亡命させるという計画である。
 これは、冷戦終結後にアメリカ政府が確かにやっていたと公式に認めているモノである。
 この作戦の一環で、ナチの科学者によって極秘に開発されていたのが、核兵器搭載用円盤型輸送機、通称“LRV”(注:Len-ticular Reentry Vehicle=レンズ状再突入翔体)である。
 これは、アメリカ空軍の委託により、ノースアメリカン・エヴァエーション社(注:F‐86セイバーなど、40年代から50年代にかけて第1、第2世代のジェット戦闘機を開発した会社)の技術者らがオハイオ州のライト・パターソン基地で開発されていたモノで、現在の宇宙ロケット発射台のような施設から打ち上げ、大気圏外から核弾頭を発射するという、当時としては大胆な発想の元に設計された兵器である。
 このLRVの形状が、携帯ゲーム機PSPに利用されているUMDのような形をしており、一見するといわゆる“空飛ぶ円盤”とも言えるような形をしているのである。
 このような形状の航空機は、実は第二次大戦末期の1940年代、実際にアメリカ海軍などが試作機を開発しており、当時としては最新の航空理論による画期的な設計だった。(注:要するに、機体全体を翼のような形状にする事でエアロダイナミクスを向上し、揚力を得易くするという発想。 ナチス・ドイツでも、全翼機という翼のみの機体形状をしたテスト機を開発していた。 現在でも、アメリカが実戦配備しているB‐2爆撃機やF‐177攻撃機などは、このアイディアを応用した機体設計がされている)
 すなわち、ロズウェルには実際に気球が墜落したが、積荷が違っていた。 気象観測レーダーではなく、極秘に開発されていたこのLRVで、その重さ(注:推定だが乗員、装備無しでも7トンもあったらしい。 当時のプロペラ戦闘機は、せいぜい4トン~5トン程度)に耐え切れなくなって気球が墜落。 輸送中だったLRVの試作機はあえなくスクラップになり、このスクラップと気球を操縦していたパイロットの遺体が、軍によって回収された。
 当然、極秘プロジェクトなので軍内部でもLRVの事を知っている者は少なく、これを知らなかったハウト中尉は、その形状から“空飛ぶ円盤”だと誤認。
 あろう事かこれを公表してしまったため、軍は慌ててこれを撤回する発表を行う必要に迫られたが、極秘プロジェクトで、しかもナチの戦犯の手を借りて開発していたなどとは口が裂けても公表出来ないので、気象観測レーダーという無難なトコロで手打ちにした。
 ……という解釈が、最も現実的で理に適っている。
 が、ちょいとお待ちよおぜうさん? 何か忘れてやしませんかえ?
 もしそうならば、1947年の7月1日と7月4日、軍の、しかも3ヵ所の基地のレーダーが捉えたという“ナゾの飛行物体”は、どうやって説明する? “考えられない速度で飛行”してたんだよ? 気球は、確かに風向きや風速によって急激に早くなったり遅くなったり、時にはあらぬ方向へ方向転換したりするが、移動速度は何がどう間違っても常識の範囲内。 せいぜいクルマぐらいのスピードしか出ない。
 ならば、レーダーが捉えたという飛行物体と、墜落した気球が同一とは考え難い。
 で、あるならば、この両者は全く“異なるモノ”なのではないか?
 そして、レーダーが捉えたというソレは、あるいは……???


 真相が何であれ、このロズウェル事件が戦後から1950年代のUFOブームを作るキッカケになったのは確かだし、現在でも重要視されている事件であるのもまた確かだ。
 そして、これを決定付けたのが、かの有名な“MJ‐12”の存在である。


・MJ‐12

 1984年12月11日、TVプロデューサーであったジェイム・シャンドラの下に、未現像の35ミリフィルムが送られてきた。
 送り主は不明。 シャンドラも、心当たりのないコレには困惑した。
 しかし、フィルムを現像してみると、それは映像や写真ではなく、いわゆるマイクロフィルム化されたドキュメントだった。 そしてそこには、ある驚くべきモノが写されていた。
 それは、時の大統領トルーマンから、後任のアイゼンハワーに向けた1952年11月18日付の政府の機密文書で、なんとロズウェル事件にて回収されたのが気球ではなく、UFOの残骸であった事を示すモノであった。
 さらに、ロズウェル事件から2ヵ月後の1947年9月24日付の大統領命令が記された機密文書まで含まれていた。
 その文書には、MJ‐12なる秘密組織の結成を指示するモノであった。
 MJ‐12とは、ロズウェル事件当時のCIA長官、ロスコー・ヒレンケッターを中心とした政治、軍事、科学分野における重要人物12人によって構成される大統領直属政府の秘密組織で、UFOに関する情報の隠蔽工作を目的とした組織であるという。(注:ちなみに、“MJ”は“Majestic=マジェスティック”の略。 “威厳、堂々とした、雄大な”などの意味があり、“主権、陛下”を意味する“Majesty”の形容詞形)
 驚いたシャンドラは、UFO研究家として84年当時名を馳せていたウィリアム・ムーアとスタンフォード・フリーマンに相談する。
 二人も、この驚くべき内容の機密文書に仰天したが、二人はすぐさまこの文書のウラを取るべく調査を開始。
 すると、国立公文書館からMJ‐12に言及する文書、いわゆる“カトラー=トワイニング・メモ”を発見! これでウラが取れた事を確信した3人の発見者は、1987年になっていよいよ、この文書の存在を公表した。
 当然、この発表は波紋を呼び、様々な角度からこの文章の信憑性を検証するリサーチが行われた。
 その結果、……コレがまぁ~~~“アラ”が出てくる出てくる。
 代表的なトコロを挙げると、機密文書である事を示す“TOP SECRET”のゴム印が、ムーアが個人所有していたゴム印のフォントと全く同じモノであったり、文書の作成に使用されたタイプライターは、そのフォントから1960年代以降に製造された機種だった事が判明したり、決定的だったのは文書に記されたトルーマン大統領直筆のサインは、1947年10月1日に、トルーマン大統領からヴァニヴァー・ブッシュ(注:当時のMIT学部長で、第二次大戦当時に原爆開発を行っていたマンハッタン・プロジェクトに携わっていた人物。 戦後、“memex=記憶の拡大構想”を提唱し、これは後のハイパーテキストやインターネットの基本コンセプトになった重要なアイディア。 1890年~1974年)に送られた文書の署名と全く同じモノである事が判明し、文書そのモノの信憑性は疑われ、結局は人騒がせな売名行為と考えられるようになり、事態は収束していった。
 1989年には、ムーア自身が「情報かく乱のために軍の情報提供者、リチャード・ドーティと共にニセ情報を流していた。」と告白。
 2007年には、同じくUFO研究家のロバート・プラットが84年以前にムーアと共著でMJ‐12という組織を“デッチ挙げたノンフィクション本”を計画していたと告白。
 MJ‐12とその存在を示す文書は、こうして発案者たち本人の手によって、真っ赤なウソである事が明らかになった。
 ……しかし、問題は文書の内容で、“デッチ挙げた”とは言っても、組織の概要やそのメンバーの人選、そして文体も非常に良く出来たモノであったという。
 そのため、問題点は数多くあったモノの、もしかして“内容そのモノ”には真実が含まれているのではないか? という憶測が囁かれるようになり、現在でも一部のUFO研究家はこの文書を信じているモノもいるとか。
 それを示唆しているのが、89年のムーア自身の告白である。
「情報かく乱のために軍の情報提供者、リチャード・ドーティと共にニセ情報を流していた。」
 何故、“情報かく乱”の必要があったのだろう?
 この告白もウソだったと考えられなくもないが、これがある意味真実で、ムーアが実際に“情報かく乱”をしていたのなら、その理由は何だったのだろう? そのウラには、いったい何が?


 こんな憶測まで可能にしてしまうウラには、実しやかにウワサが囁かれる“ある施設”の存在があるからだ。
 それが、今もなおナゾのヴェールに包まれている軍事基地、通称“エリア51”の存在である。


・エリア51

 アメリカのカジノの都、ネバダ州ラスベガス。
 砂漠地帯に突如として現れるこのネオンサインの不夜城は、まさに一攫千金を夢見る多くの人々で連日賑わうギャンブルの街である。 それは、街の空港や駅にまでスロットマシーンが常設してあり、観光客は街に着いたその瞬間から、ギャンブルに興じる事が出来るという“配慮”がされているほどだ。
 この街から北西へ約150キロほど行くと、グルーム山脈という山々に囲まれた地域にたどり着く。 グルーム湖やパプース湖といった塩湖(注:海が隆起して出来た海水湖の事)があるが、水があったのは遠い過去のハナシ。 今では水は完全に干上がり、カラカラに乾いた真っ白な塩が、湖があったのを記憶に止めている程度の乾燥地帯で、砂漠以外は何にもないトコロである。
 しかし、そのグルーム湖の畔に広大な敷地を有するある施設が建設されている。
 それこそが、通称“エリア51”と呼ばれるアメリカ軍の秘密施設である。
 正式名称を“グルーム・レイク基地”と言い、軍の秘密基地として有名だが、アメリカ政府が発行している地図にはこの基地の存在を示す表記は一切書かれていない。
 基地はもちろん、周囲も立ち入り禁止区域に指定されており、一般人は近付く事すら出来ない。
 唯一、インターネットのデジタル世界地図、グーグル・アースで航空写真が公開されている程度で、この基地が軍のどの部署に所属しているのか? そして、この基地が何の目的でこのような砂漠地帯に建てられたのかすら、政府は公式な発表を行っていない。
 明らかにアヤしすぐるこの基地は、長い間その存在が知られる事はなかったが、1989年3月になって一気に注目を集める事になった。
 ラザーという物理学者の証言によると、この施設には“S‐4”と呼ばれる地下施設があり、47年のロズウェル事件で墜落したとされるUFOの残骸と宇宙人の遺体が運び込まれた。 そして、政府は密かに地球にやって来た宇宙人と密約を交わし、彼らから情報提供を受け、この施設内で宇宙人のテクノロジーを利用した新兵器、すなわち“地球産のUFO”を開発しているのだと言う。
 この証言が真実だとすると、UFOの存在を間接的に証明する事にはなるが、UFOの存在を巡る様々な目撃情報は、その信憑性が危うくなってくる。 何故なら、目撃したのが“ホンモノのUFO”ではなく、エリア51で開発された“地球産のUFO”の可能性が出てきてしまうからだ。
 確かに、現在のF‐177攻撃機やF‐22戦闘機、B‐2爆撃機などに代表されるステルス機の技術は、日本や中国なども国産機の開発を進めてはいるが、いち早く実用化&実戦配備したのはアメリカで、その技術力は他の国の20年、30年は先行している画期的な技術である。
 これらの技術が、仮に宇宙人の情報提供によってもたらされたモノであるなら、このような突出した技術革新も納得出来、なおかつエリア51が最新の兵器を開発している施設であるなら、情報漏えいを防ぐ意味でも、このような辺ぴな場所に建設され、極めて厳重な警戒態勢が取られているのも納得出来る。
 特に80年代までは、東西冷戦によるソ連との軍拡競争が続いていた時代なので、軍が機密保持に神経質になるのも説明がつく。
 すなわち、エリア51が軍の秘密基地である事は、論理的に考えて“有り得る事”である。
 ただし、それがイコールUFOが云々というワケではない。
 軍の最新兵器の開発が行われている事は事実でも、それが“UFO由来”かどうかは、確かめようがないからだ。
 もちろん、逆の解釈も成立する。
 ステルス機などの科学技術がUFO由来のモノではなく、純粋に人類が到達した最新の科学技術であり、しかしエリア51で開発されたモノではなく、実際に生産を行った複数の民間企業(注:ボーイング、ロッキード・マーティン、ノースロップ・グラマンなど)によって開発されたモノで、エリア51にはウワサ通り、ロズウェルから回収されたUFOと宇宙人の遺体が運び込まれ、今もなお大切に保管されている、という解釈である。
 前者は飛躍しているとは言っても、極めて論理的で現実的である。
 後者は飛躍していないが、極めて妄言的で非現実的である。
 が、どちらの可能性であっても、その奥にはUFO、そして宇宙人の存在が見え隠れするように思うのは僕だけだろうか?
 いずれにしても、エリア51が未だに“地図にも載らない秘密基地”であるのは紛れもない事実であり、これ以上の事は何一つ証明されていないのも、また事実なのである。


 このように、アメリカ政府と宇宙人の密約といういわゆる“UFO陰謀説”をとりまく“ウワサ”は数限りなくあり、しかもこれを否定する証言が出てくれば出てくるほど、その証言すらもアヤしく思えてきてしまう。
 何が真実で何が虚構なのか?
 もう一つ、このような陰謀説が実しやかに囁かれる背景に、UFOと宇宙人の“目的が分からない”という事がその理由に挙げられると思う。
 例えば、宇宙人が地球を占領するために飛来してきているのであれば、多くのエイリアン・インベージョン映画で描かれている通り、人類を遥かに凌駕したそのオーバーテクノロジーでさっさと占領すればいい。 人類は、なす術もなく降伏するしかないだろうからだ。
 しかし、現実にそうした侵略が起こっていないのであれば、本作で描かれたように地球と友好を結ぶために来たようにも思える。
 が、それならばアメリカ政府がこれほどまでに血眼になって証拠隠滅に奔走するのはおかしい。 堂々と公表し、我々に“We are not alone”と言えばいいのだ。
 そのどちらもが現実に起こっていないから、このような陰謀説が実しやかに囁かれるのである。
 あるいは、そのどちらでもなく、ただ単に目撃者や証言者たちの全くの妄言の可能性も100%否定出来るモノではない。
 何故なら人間は、都合の良いように自らの記憶を作り変えてしまう事があるからだ。
 特に、本作をキッカケに始まった80年代の第二次UFOブームは、本作や50年代の第一次UFOブームなどの情報が大衆の間に広く定着しており、その影響で自らが体験した不思議な出来事をUFO現象や超常現象と結びつけて考えてしまいがちになるため、その体験をUFO“だった”と思い込んでしまう事があるからだ。
 これは、心理学的にも実証されている事である。
 いずれにせよ、真実が未だに解明されていないのは事実であり、今後の新たな証言、あるいは証拠の発見が待たれる。
 ……が、それがどんなモノであるにせよ、信じている人は否定するし、信じていない人は肯定するという現在と何ら変わりない堂々巡りが繰り返されるのは間違いないだろう。
 それぞの人が自ら求めている真実を見つける、その時まで……。



 といったトコロで、今週はココまで。
 楽しんで頂けましたか?
 ご意見ご感想、ご質問等があればコメにどうぞ。
 来週もお楽しみに!
 それでは皆さんまた来週。
 お相手は、asayanことasami hiroakiでした。
 SeeYa!(・ω・)ノシ



LunaちゃんのMODコレ!(代理:Alice)


体の一部がホットホット。


- Mania Episode1

 お隣の国、韓国在住のクリエーターによる装備追加MOD。
 既存のダンジョン、及び新規のダンジョンに配置されるNPCの形で大量の装備が追加されるが、クエストMODの体裁を取っていないので、ダンジョンを探すトコロから始めなくてはならないのが難点。 いわゆる“萌え系装備”が多いのが特徴。
 タンクトップ(?)とローライズのホットパンツ。 どちらかと言えば、ダークブラザーフッド向きかな?



Thanks for youre reading,
See you next week!
 

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