弁護士の「質」を確保するために、どうすればよいか。
この問題をめぐっては、大きく分けて2通りの考えかた、すなわち、(1) 試験の合格者数を減らして合格最低点を高くすべきであるという考えかたと、(2) 試験の合格者数を増やして競争を持ち込むべきであるという考えかたがあります。
前者は、合格点を高くすれば「質」は高くなるのは当然である、という発想が根底にあり、後者は一度試験に合格してしまえば一生安泰なら、かえって「質」が低下する、という発想が根底にあるように思います。
私は後者の考えかた (2) を支持しています。
したがって以下に記す内容は、私は本当は (2) が好ましいと思っているけれども、(1) を主張する人々もいることをふまえ、一種の「妥協」として示すものです。
私の「解決策」「妥協案」は、下記の制度です。
「法曹資格を更新制とし、定期的に試験を実施する」
つまり、「いま、弁護士である人々」も、たとえば「10年おきに司法試験を受験し、合格しなければ資格を失う」ことにするのです。
(1) の考えかた (=合格者数を減らしてこそ「質」が保たれる) を支持する人々は、「難しい試験に合格してこそ弁護士の質が保証される」「弁護士の質を保証しなければ、顧客や市民に不利益が及ぶ」と主張しておられる以上、文句はないでしょう。
そもそも、すでに高齢になって「ボケた」弁護士がいては、顧客や市民に不安を与えます。痴呆弁護士が存在しては困るでしょう。また、たまたま「まぐれ」で司法試験に合格した弁護士や、「ヤマカン」が当たって合格した弁護士も、「質」が高いとはいえないでしょう。
つまり、合格者数を減らしてこそ弁護士の「質」が保たれると考えた場合であっても、いったん試験に合格してしまえば、一生、資格が保証されるのであれば、
顧客・市民の立場で考えたときに、かえって「質」に不安を感じる場合も十分に考えられます。弁護士の「質」を維持するために、それら弁護士の存在を制度的に排除する必要があります。
これに対しては、現在、実務に携わっている弁護士は「受験準備」をする暇がない、したがって不適切である、といった反論も考えられますが、
(1) の考えかたを前提にすれば、すでに法曹資格をもっている弁護士は、もともと「質」が高いはずなので、試験準備をしなくても合格するはずです。
したがってなんら不都合はないでしょう。
(1) を支持し、需要に合わせて司法試験の合格者数を調節すべきだ、といった発想をする人々も、合格者数の少なかった時代に合格した弁護士のなかに「質」の低い弁護士が現に存在することは、認めておられるようですし、
いかがでしょうか? 一考に値するのではないかと思います。
■関連記事
「無料法律相談「弁護士ドットコム」」
「弁護士が増員に反対する本当の理由」
「弁護士増員と、弁護士の質の関係」
「「弁護士の質」は増員反対の「口実」ではないか」
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前者は、合格点を高くすれば「質」は高くなるのは当然である、という発想が根底にあり、後者は一度試験に合格してしまえば一生安泰なら、かえって「質」が低下する、という発想が根底にあるように思います。
私は後者の考えかた (2) を支持しています。
したがって以下に記す内容は、私は本当は (2) が好ましいと思っているけれども、(1) を主張する人々もいることをふまえ、一種の「妥協」として示すものです。
私の「解決策」「妥協案」は、下記の制度です。
「法曹資格を更新制とし、定期的に試験を実施する」
つまり、「いま、弁護士である人々」も、たとえば「10年おきに司法試験を受験し、合格しなければ資格を失う」ことにするのです。
(1) の考えかた (=合格者数を減らしてこそ「質」が保たれる) を支持する人々は、「難しい試験に合格してこそ弁護士の質が保証される」「弁護士の質を保証しなければ、顧客や市民に不利益が及ぶ」と主張しておられる以上、文句はないでしょう。
そもそも、すでに高齢になって「ボケた」弁護士がいては、顧客や市民に不安を与えます。痴呆弁護士が存在しては困るでしょう。また、たまたま「まぐれ」で司法試験に合格した弁護士や、「ヤマカン」が当たって合格した弁護士も、「質」が高いとはいえないでしょう。
つまり、合格者数を減らしてこそ弁護士の「質」が保たれると考えた場合であっても、いったん試験に合格してしまえば、一生、資格が保証されるのであれば、
顧客・市民の立場で考えたときに、かえって「質」に不安を感じる場合も十分に考えられます。弁護士の「質」を維持するために、それら弁護士の存在を制度的に排除する必要があります。
これに対しては、現在、実務に携わっている弁護士は「受験準備」をする暇がない、したがって不適切である、といった反論も考えられますが、
(1) の考えかたを前提にすれば、すでに法曹資格をもっている弁護士は、もともと「質」が高いはずなので、試験準備をしなくても合格するはずです。
したがってなんら不都合はないでしょう。
(1) を支持し、需要に合わせて司法試験の合格者数を調節すべきだ、といった発想をする人々も、合格者数の少なかった時代に合格した弁護士のなかに「質」の低い弁護士が現に存在することは、認めておられるようですし、
いかがでしょうか? 一考に値するのではないかと思います。
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試験は中立的に質の問題に特化すべきであり、合格すべき能力がある人間については、何人であろうと合格させるべきであるし、そうでなければ落とすべきだ。
結果、5,000人合格でも、200人合格でも、それは仕方がないこと。
質はやはり試験で担保するべきであり、そのハードルをその他の理由で上げ下げする方が、本質を歪めさせる。