言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

治水事業として、ダムの建設は効率的

2011-05-16 | 日記
 このように、ダムの利水の機能は、現代社会に不可欠な要素の一つとして組み込まれているのだが、ダムが持つ「治水」という機能は、それと同様、あるいは、それ以上に重要な意味を持っている。
 まず、この「治水」という言葉は、「洪水を防ぐ」ということを意味している。
 実は、この洪水とどうつきあうのか、という問題は、「文明」がこの世に生まれて以来、人類を悩ませ続けてきた大問題なのである。例えば、四大文明――黄河文明、メソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明――はいずれも、大きな河の流域にできあがり、洪水と戦い続けたものであったし、江戸の都も、洪水との戦いの中でつくられた。
 そんな「人類と洪水との戦い」の中で、画期的な技術革新が「ダムをつくる」ことだった。
 洪水の対策のために、誰もが最初に考えつくのは「高い堤防をつくる」ことだろう。それ以外にも、「川を深く掘る」「川幅を広げる」という対策もある。しかし、これらはいずれも、川が流れているところ「全て」について、文字通り「水も漏らさぬよう」に完璧に実施しなければならない。どこか一箇所でも弱いところがあれば、大雨が降ったときにそこから水があふれ出し、洪水となってしまうからである。
 ところが、「ダム」をつくっておくと、必ずしも「全てのところで完璧な対策」を行わなくても済むようになる。なぜなら、大雨が降ったときに、ダムで水をせき止め、一気に下流側に水が流れていくことを止められるからである。そして、貯まった水は、大雨が降り止んでから、少しずつ流していけばいいのである。
 こうしておけば、川が流れている全ての所に、高くて崩壊することのない完璧な堤防をつくる必要もなくなり、大幅に効率的に、洪水を防ぐことができるのである。


 ダムには「治水」と「利水」の機能がある。「治水」についていえば、「高い堤防をつくる」「川を深く掘る」「川幅を広げる」といった対策とは異なり、ダムを作れば、川が流れている「全てのところで完璧な対策」を行わなくても済むことになる、と書かれています。



 要するに、ダムを作ることは、洪水を防ぐための「きわめて効率的な対策」である、ということですね。

 もちろんダムを作ったからといって、堤防をつくったり、川を掘ったり、川幅を広げたりする作業が不要になるわけではないと思いますが、ダムを作っておけば、これらは「完璧に行わなくてもよい」ので、「トータルでみれば事業費が少なくてすむ」ということだと思います。

 ダムの「有用性」「効率性」が見事に示されており、これは今後、「(個々の)ダムの是非」を検討する際に参考になるのではないかと思います。そこで、今回はとりあえずメモ的に記載しています。



 なお、この後著者は



同 ( p.107 )

 しかし、今問われているのは、「これ以上、新しいダムを作る必要があるのか?」という一点である。




と述べ、具体例として「八ッ場ダム」を新しく作る必要性を主張されています。

 「新しいダム」を作る必要があるかどうかは、個々の事例ごとに異なった判断を行うことになります。そのダムの建設予定地や、建設目的、周辺市町村の状況などによって、(ダムが必要かどうかについて) 判断が異なってくるのは当然だからです。



 このブログでは、最初は「一般論」のみを対象とし、徐々に「具体論」に話を移す方向で書いています。たとえば公共事業について、公共事業の是非といった「一般論」を検討した後で、公共事業の種類ごとの是非 (道路はどうか、橋はどうか、ダムはどうか、など) を今、検討している段階です。

 さらにブログを書き続け、いつか「八ッ場ダムの是非」といった「個々の事業の是非」について検討したいとは思いますが、まだその段階には達していません。

 そこで、著者が「八ッ場ダムの是非」について論じている部分は、全部省略します。必要であれば直接、本を買ってお読みください。

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