岡山城を後にして次に向かったのは後楽園。(写真)
のはずが・・・
まずは自転車で周りを回る。
南のはずれにあった桃太郎の像「モモちゃん像」を撮影した後、正門方向へ。
まだ桜には早い様子。
結局中には入らずじまいだった。
以下Wikipediaより引用。
後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、貞享4年(1687年)に着工し14年の歳月をかけ元禄13年(1700年)に完成した。岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいた。明治4年(1871年)、園内を一般開放するにあたって、これを後楽園と改めた。
総面積は133,000m²。この広さは東京ドームの約3.5倍である。同園は現在、岡山県が所有管理するが、管理業務については県の外郭団体である財団法人岡山県郷土文化財団が県からの受託業務として行っている。
だそう。
一年中何かの花が咲いているようなので入っとけばよかったかも・・・
その後、備前焼のビールマグを購入。
自転車で市内をしばらく回った後岡山駅へ・・・
そこで出会ったすばらしいものとは?・・・
明日につづく
のはずが・・・
まずは自転車で周りを回る。
南のはずれにあった桃太郎の像「モモちゃん像」を撮影した後、正門方向へ。
まだ桜には早い様子。
結局中には入らずじまいだった。
以下Wikipediaより引用。
後楽園は岡山藩主・池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて造らせたもので、貞享4年(1687年)に着工し14年の歳月をかけ元禄13年(1700年)に完成した。岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭(えんようてい)を中心とした池泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。江戸時代には延養亭を茶屋屋敷、庭園を後園または御後園と呼んでいた。明治4年(1871年)、園内を一般開放するにあたって、これを後楽園と改めた。
総面積は133,000m²。この広さは東京ドームの約3.5倍である。同園は現在、岡山県が所有管理するが、管理業務については県の外郭団体である財団法人岡山県郷土文化財団が県からの受託業務として行っている。
だそう。
一年中何かの花が咲いているようなので入っとけばよかったかも・・・
その後、備前焼のビールマグを購入。
自転車で市内をしばらく回った後岡山駅へ・・・
そこで出会ったすばらしいものとは?・・・
明日につづく