「天皇制の擁護」第四章 天皇は文化の守護者(続)
藤原定家の時点で日本の古典文化の基準が定まります。古今和歌集と源氏物語が範例になります。二つの作品の意味するところは同じです。古今の情緒と編纂の意義を統合すれば源氏ができあがります。古今が歌いあげる情念を表向きは尊重しつ
つ、その奥に潜在する何物かを掘り起こせば源氏になります。
ところで古今の中で歌われる感情は現在まで引き継がれています。恋、別れ、旅、涙、祝い、それに四季の状景が古今が歌う主なものですが、能楽も歌舞伎も小唄長唄さらには演歌の類が扱うものも同じです。フランスのシャンソンも似たようなものです。
古今和歌集と源氏物語は日本人の情緒の基準になりました。
江戸時代天皇朝廷は幕府の意向で政治から遠ざけられ、文化と教養に専念するように指示されました。その結果かそれともそうなる必然があったのか、この時代の文化は古典・大衆文化を問わず、大本は天皇朝廷により握られました。 和歌、管弦、書道、蹴鞠、装束、式典などは公家の家職になります。連歌、俳句、茶道、華道、香道、画工なども直接間接に朝廷の影響下にあります。幕府は式典の作法を習得するために武家の名家を京都に送りました。高家と言います。彼らが諸大名を教育します。坊ちゃん育ちの大名は苦労したそうです。吉良と浅野の喧嘩つまり忠臣蔵騒動の背景です。
江戸時代の大衆文化の大半は朝廷に握られていました。俳句は連歌を経て和歌に由来します。江戸中期から後期にかけて俳句のコンク-ルが至るところで行われます。応募者は数万にのぼりました。典型的な大衆文学です。芭蕉は下級藩士、蕪村と一茶は農民です。これほどの大衆文化(それも決して教養を欠くことのない)が世界の他の歴史にあるのでしょうか?
幕府と朝廷の関係ですが、これがなかなかに面白い。三代家光のころまで幕府はいばっていました。五代綱吉の時伊勢神宮代参がはじまります。七代家綱の夫人は内親王から迎える予定でした。吉宗も朝廷を大事にします。松平定信は大政委任論を唱えます。十四代家茂の御台所は仁孝天皇の和宮内親王です。端的に言えば幕府の御金蔵が空になり、幕府が統治に自信を失うにつれて朝廷を重んじ始めます。
藤原定家の時点で日本の古典文化の基準が定まります。古今和歌集と源氏物語が範例になります。二つの作品の意味するところは同じです。古今の情緒と編纂の意義を統合すれば源氏ができあがります。古今が歌いあげる情念を表向きは尊重しつ
つ、その奥に潜在する何物かを掘り起こせば源氏になります。
ところで古今の中で歌われる感情は現在まで引き継がれています。恋、別れ、旅、涙、祝い、それに四季の状景が古今が歌う主なものですが、能楽も歌舞伎も小唄長唄さらには演歌の類が扱うものも同じです。フランスのシャンソンも似たようなものです。
古今和歌集と源氏物語は日本人の情緒の基準になりました。
江戸時代天皇朝廷は幕府の意向で政治から遠ざけられ、文化と教養に専念するように指示されました。その結果かそれともそうなる必然があったのか、この時代の文化は古典・大衆文化を問わず、大本は天皇朝廷により握られました。 和歌、管弦、書道、蹴鞠、装束、式典などは公家の家職になります。連歌、俳句、茶道、華道、香道、画工なども直接間接に朝廷の影響下にあります。幕府は式典の作法を習得するために武家の名家を京都に送りました。高家と言います。彼らが諸大名を教育します。坊ちゃん育ちの大名は苦労したそうです。吉良と浅野の喧嘩つまり忠臣蔵騒動の背景です。
江戸時代の大衆文化の大半は朝廷に握られていました。俳句は連歌を経て和歌に由来します。江戸中期から後期にかけて俳句のコンク-ルが至るところで行われます。応募者は数万にのぼりました。典型的な大衆文学です。芭蕉は下級藩士、蕪村と一茶は農民です。これほどの大衆文化(それも決して教養を欠くことのない)が世界の他の歴史にあるのでしょうか?
幕府と朝廷の関係ですが、これがなかなかに面白い。三代家光のころまで幕府はいばっていました。五代綱吉の時伊勢神宮代参がはじまります。七代家綱の夫人は内親王から迎える予定でした。吉宗も朝廷を大事にします。松平定信は大政委任論を唱えます。十四代家茂の御台所は仁孝天皇の和宮内親王です。端的に言えば幕府の御金蔵が空になり、幕府が統治に自信を失うにつれて朝廷を重んじ始めます。