経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

天皇は文化の守護者(2)--「天皇制の擁護 第四章」解説

2008-11-23 23:56:34 | Weblog
「天皇制の擁護」第四章 天皇は文化の守護者(続)

 藤原定家の時点で日本の古典文化の基準が定まります。古今和歌集と源氏物語が範例になります。二つの作品の意味するところは同じです。古今の情緒と編纂の意義を統合すれば源氏ができあがります。古今が歌いあげる情念を表向きは尊重しつ
つ、その奥に潜在する何物かを掘り起こせば源氏になります。

 ところで古今の中で歌われる感情は現在まで引き継がれています。恋、別れ、旅、涙、祝い、それに四季の状景が古今が歌う主なものですが、能楽も歌舞伎も小唄長唄さらには演歌の類が扱うものも同じです。フランスのシャンソンも似たようなものです。

 古今和歌集と源氏物語は日本人の情緒の基準になりました。

 江戸時代天皇朝廷は幕府の意向で政治から遠ざけられ、文化と教養に専念するように指示されました。その結果かそれともそうなる必然があったのか、この時代の文化は古典・大衆文化を問わず、大本は天皇朝廷により握られました。 和歌、管弦、書道、蹴鞠、装束、式典などは公家の家職になります。連歌、俳句、茶道、華道、香道、画工なども直接間接に朝廷の影響下にあります。幕府は式典の作法を習得するために武家の名家を京都に送りました。高家と言います。彼らが諸大名を教育します。坊ちゃん育ちの大名は苦労したそうです。吉良と浅野の喧嘩つまり忠臣蔵騒動の背景です。

 江戸時代の大衆文化の大半は朝廷に握られていました。俳句は連歌を経て和歌に由来します。江戸中期から後期にかけて俳句のコンク-ルが至るところで行われます。応募者は数万にのぼりました。典型的な大衆文学です。芭蕉は下級藩士、蕪村と一茶は農民です。これほどの大衆文化(それも決して教養を欠くことのない)が世界の他の歴史にあるのでしょうか?

 幕府と朝廷の関係ですが、これがなかなかに面白い。三代家光のころまで幕府はいばっていました。五代綱吉の時伊勢神宮代参がはじまります。七代家綱の夫人は内親王から迎える予定でした。吉宗も朝廷を大事にします。松平定信は大政委任論を唱えます。十四代家茂の御台所は仁孝天皇の和宮内親王です。端的に言えば幕府の御金蔵が空になり、幕府が統治に自信を失うにつれて朝廷を重んじ始めます。

天皇は文化の守護者(1) - 「天皇制の擁護 第四章」解説 

2008-11-23 00:11:58 | Weblog
「天皇制の擁護」 第四章 天皇は文化の守護者(1)

本章の主題は上記お通りです。天皇が天皇であるために天皇は自らが「神」である事を演じます。第一が即位の時に行われる大嘗祭。「ゆき」と「すき」の二つの黒木の宮(御屋)が造られます。そこで天皇は天なる神と共寝し共食して自らが神である事を演じ確認します。儀式は夜、浄闇の中で行われます。
第二が和歌の編纂です。和歌は呪言、天に訴える言の葉です。和歌の編纂は、天地を主宰する天皇の重要な行為とされました。醍醐天皇の古今和歌集から花園天皇の新続古今集まで計21。万葉集は孝謙天皇の命で作られた準勅撰集です。収録された和歌は総計略4500。こんな詩集歌集は世界のどこを探しても無いでしょう。天皇・皇族・大臣他の高級官僚以下地方の一農民に至るまで実名で収録されています。1500年前の昔からわが国の文化は民衆のものでもありました。和歌そして連歌と俳句などは現在でも作られ続けています。私はある会合の後の宴会で、連歌をやってみました。みな結構面白がって発句挙句を作り続けました。カラオケより面白かった。歌のできばえは自慢できませんが。
「古今」と「源氏」の伝統により日本の古典的情緒が作られます。古今伝授という形の師子相承でもって文化が引き継がれます。やや偏狭な形態ですが、これで日本の文化の伝統が維持され護られた事は否定できません。
「お内裏さまにお雛様、二人並んですまし顔」これは3月3日桃の節句を祝う童謡です。内裏(だいり)は宮殿の中の天皇の私室、転じて天皇その人を指します。桃の節句は上巳祓、本来は旧年の厄を人形に託して放逐する悪魔祓いの儀式です。これが優雅な桃の節句の儀式になりました。このような儀式を年中行事と言います。この年中行事を天皇は主宰して天地の司祭であること演じました。
大嘗祭、和歌編纂、古今と源氏に代表される美意識、年中行事などなどわが国の文化は天皇朝廷によって主宰され保持されてきました。わが国ほど多彩な文化の伝統を保持する国はありますまい。天皇は文化の守護者です。(続)