経済(学)あれこれ

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戦場民主主義-「天皇制の擁護 第六章 古代ギリシャ」解説(1)

2008-11-28 01:34:13 | Weblog
 戦場民主主義 --「天皇制の擁護 第六章 古代ギリシャ」解説

 私はこの著作の中で、民主主義という政治体制の意味を検討、ありていに言えばその意義を限定しようと思っています。民主制・議院内閣制とは利害計算のための組織にすぎません。それはそれとして意味があるのでしょうが、それだけでは統治は不可能です。民主制といえば決まり文句のように、ギリシャとイギリスが模範とされます。天皇制、より広く君主制との対比において、民主制を取り上げます。それも端的に。ギリシャのそれは戦場から、イギリスのそれは異民族統治(これも一種の戦争です)から民主制といわれるものが誕生した、と思っています。
 民主制は資本主義の勃興と軌を一にして発展します。両者の共通点は欲望の無限解放です。現在最大の問題となっている金融不安は、この欲望解放への試みの挫折でもあります。ここでは経済には立ち入りません。別のblogを見てください。
 ギリシャ人は文化の創造者です。哲学、幾何学、彫刻や建築、天文学、文学、なによりもアルファベット文字の完成などなど、どの点でも当時の他の世界の水準をはるかに突破し、創造的でした。同時に彼らは優秀な戦士です。彼らが編み出した戦法が重装歩兵戦術です。鍛えに鍛え練りに練った歩兵が楯をもって横に連なり、互いの楯で相互の身体を守ります。横一列の集団で突進し、集団で防衛陣を作ります。徹底した集団戦法です。一度戦場に出れば逃げも隠れもできません。共に勝つか共に死ぬだけです。
 彼らは都市国家という小規模な共同体を作りました。人口は数千人からせいぜい数万人。成人男子すべてが戦士になるとしても、総人口一万人の都市からは最大限2500人の人数が出ればいいとこです。このくらいの規模の集団なら全体討論ができます。ギリシャ人は年中戦争に明け暮れています。生死をかけた戦いでは皆が発言権を持ちます。ギリシャ人の軍隊では始終討論していました。クセノフォンの「アナバシス」という本を読めばこの間の事情はよく分ります。これがギリシャの民主制の起源です。戦争が日常ですから、戦場の習慣は簡単に市民生活に持ち込めます。ギリシャ民主制は戦場民主主義です。
 実際彼らの軍隊は強かった。騎兵も歯が立ちません。世界の歴史を見てみますと、実際の戦闘では歩兵の方が強いのです。歩兵は人数が多いし、防御が厳重です。騎兵の長所は機動力、つまりすばやく移動する能力です。そして奇襲。しかし奇襲は兵法の常道ではありません。私が知る限り、騎兵戦術で一番成功したのはジンギスカンの軍隊です。騎射に優れ機動力に富む軽装騎兵を集団使用し、鈍重な歩兵部隊を各個に包囲し撃破する。他では源義経の戦法(一の谷、屋島)、とナポレオンでしょう。ただしナポレオンの騎兵は砲兵に援護されていますし、義経は外交でペテンを使いました。またジンギスカンの軍隊は残虐で、敵に与える恐怖心も勝利に寄与したようです。騎兵は後に戦車になります。しかし論理は同じで戦車部隊の特技は快速を利して敵の背後に回る事です。戦車が大砲やト-チカに向かって正面から攻撃すれば自殺行為です。
 ギリシャの戦場民主主義について語りましたが、似た組織はかなりあります。その典型が、日本の中世に活躍した僧兵です。彼らもみな平等な戦士集団です。大衆詮議と言って皆が集まり、一山の経営から戦法まですべて討議しました。比叡山延暦寺の山法師、南都興福寺の奈良法師が有名です。彼らもしょっちゅう戦闘をしました。僧兵は仏教腐敗の極のように言われますが、私はこの考えには賛成できません。自らの寺院を自ら守るからこそ、自らの信心に忠実になれたのです。
 また直接民主主義といえばスイスのカントン(県)の集会があります。スイス人はハプスブルク帝国からの独立に苦労し、以後も周囲の侵略から自らを守るために、軍事訓練は欠かしません。彼らは優秀な戦士になり、傭兵として出稼ぎします。フランス革命時、軍隊が離反する中、最後までルイ16世に忠実であったのはこのスイス人傭兵部隊でした。

 (経済に関する本格的な解説は12月1日より始めます)