経済(学)あれこれ

経済現象および政策に関する意見・断想・批判。

女帝紹介-「天皇制の擁護 第五章 王家の系譜」解説(3)

2008-11-27 02:46:36 | Weblog

   女帝紹介-「天皇制の擁護 第五章 王家の系譜」続
エリザベス1世(イギリス)在位1558-1603
祖父ヘンリ-7世によりバラ戦争終結。チュ-ダ-王朝開始。
スペイン王との約束により7世の子ア-サ-の婚約者キャサリンが英国に。ア-サ-の死去。次男のヘンリ-8世がキャサリンと結婚し王位継承。
ヘンリ-8世は50余年の生涯で6回結婚し、2名の王妃を処刑。
キャサリンとの離婚を希望するヘンリ-にカトリック教会は反対。
修道院領没収、宗教改革。
キャサリンの次の王妃が英国貴族の娘アン・ブ-リン、エリザベスの母。アンは不倫の嫌疑で処刑。
8世の死後エドワ-ド4世、さらにキャサリンの生んだメアリ-1世が即位。メアリ-により再びカトリックに。エリザベスはロンドン塔に幽閉。メアリ-死去。エリザベス即位(1558)。イギリスは再度信仰を転換しカトリックを排撃。
エリザベスの政治は、新興貴族の登用による王権の伸張、一方貴族との妥協。宗教改革の継続、内政への専念、スペインとの対決(無敵艦隊の撃破)などが主なものですが、極力戦争に無駄な費用を使わないようにしました。在位45年。継嗣なく、従姉妹にあたるスコットランドの女王メアリ-・スチュア-ト(陰謀のかどでエリザベスにより処刑)の子ジェ-ムス1世が跡を継ぎ新しい王朝が開かれます。以後イギリスは1世紀にわたる内に突入。
エリザベス1世は語学に堪能でした。イタリア語とスペイン語にフランス語も流暢にあやつり外交の手段にします。ある臣下の話では進言してyesと言っても、気に入らなければすぐ忘れる(ふりをする)特技の持ち主でした。

 エカチェリ-ナ1世(ロシア)在位 1762-1796
彼女は本来ロシア人ではありません。ドイツ人貴族の娘です。ピョ-トル1世(大帝)の孫ピョ-トル3世と結婚。夫には奇矯な言動が多く、君主として不適格と判断されます。貴族の同意を得て彼女は夫を幽閉し殺害。即位。エリザベスと同様、多くの愛人に囲まれます。愛人は寵臣であり彼女の政治の尖兵でした。個人的次元では問題がありますが、彼女は有能な専制君主であり、ピョ-トル1世により開始された、ロシアの近代化を推し進めます。大帝が貴族の意向を無視して強引に事業を進めたのに対し、彼女は貴族と妥協しつつ巧妙に立ち回ります。19世紀ロシアの国力伸張の土台は彼女により作られました。彼女の長男であり後継者パ-ヴェル1世は父を殺した母を憎み、即位後急速な改革を試みて貴族に暗殺されます。

 持統天皇(日本)在位 686-697(称政も含む)
鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)父親は天智天皇、母親は蘇我氏。天武天皇の后。壬申の乱後夫天武を事実上の共同統治。天武天皇が乱の勝者になれたのも、天智天皇の子である彼女のブランドもあったと思われます。天武・持統朝に律令制・官制の整備、記紀神話の作成、仏教の登用など日本の政治制度の基礎が作られます。薬師寺は彼女が皇后時代、病に伏したとき、夫天武が病気回復を念じて建立した日本最初の官寺です。彼女の後継をめぐって争いが起こります。彼女は自分が生んだ草壁皇子を即位させるために、姉が生んだ天武の子大津皇子を忙殺します。しかし期待した草壁は夭折します。政争の勝者である彼女も敗者である大津も優れた詩人です。万葉集を参照して下さい。

3人の女帝の簡単な説明をしました。共通する点は男系断絶の間隙を埋めたこと、前代の男性王の治績を踏襲すること、男性王に比しやり方が、婉曲巧妙で妥協的でもある事です。3人ともなんらかの形で子に恵まれません。持統天皇に関する伝記はたくさんありますが、私は里中満知子氏の「天上の虹」を勧めます。エカチェリ-ナ1世に関しては池田理代子氏(?)に作品があります。