流行の物を追わない、というのが、子供のころからのスタンスです。
単に「変な子」なのかもしれませんが、流行っているから、と言う理由で、
それに飛びつくことを潔しとしない子供でした。
時間が経って、出会うことがあれば、手に取るかもしれないし、取らないこともあります。
「ベルサイユのバラ」に多くの少女が夢中になった頃、手に取ることもせず、
大人になって、総集編保存版が出た時に、一気に読み通して、オスカルが死ぬ場面で号泣しました。
だからと言って、宝塚がベルばらをやっても、行くことはない。
直感でしかありませんが、そういう選択をする時があります。
漫談家きみまろ自叙伝、動物と話せるハイジ、シンプルバーベキューの本を返して、
ちょと真面目に新しいスポーツ心理学を、読み切った後、
本棚に近づいて、目に留まったのが、「がばいばぁちゃん」のシリーズ。
話題になった時は、本屋で見ても、手にも取りませんでした。
で、一冊を手に取って、読みはじめたら嵌った。
単行本を二冊、ハードバックを二冊、一気に読んでいました。
島田さんの語り口は、お婆ちゃんの語り口なんですねぇ。
うちは「明るい貧乏」やから、大丈夫や!
親切は分からんようにやるもんや。
腹減った!気のせいや!
朝ごはんは?昨日食べたやろ!
腹八分は多い、七分でええ。
体動かせ、働け、そしたら、よお寝られる。
毎日川から水を汲み、洗濯板で洗濯し、お風呂は五右衛門風呂。
京都の真ん中でも、昭和30年代は、井戸でしたし、ご飯は竈でしたし、五右衛門風呂でした。
佐賀と言う地方なら、驚くにあたりません。
私も、9歳までは祖父母に育てられたので、四国の農家出身の二人に、教えられたことは数多い。
島田さんのお婆ちゃんのように、川を水源にはしませんでしたが、ヨモギを摘んできてヨモギ餅。
お餅つき、大工道具を使って、大抵のものは修理し、お風呂は薪で焚いていました。
火鉢もあったし、朝顔の七輪も使っていました。
生活は、お金で豊かにするのではなく、心と工夫で豊かになるのだと、思わせてくれます。
その時代とは比べ物にならない位、便利になった今、少しだけアナログな生活に戻ろうとするのは、
何か忘れているものを、思い出したい本能が働いているのかもしれません。
単に「変な子」なのかもしれませんが、流行っているから、と言う理由で、
それに飛びつくことを潔しとしない子供でした。
時間が経って、出会うことがあれば、手に取るかもしれないし、取らないこともあります。
「ベルサイユのバラ」に多くの少女が夢中になった頃、手に取ることもせず、
大人になって、総集編保存版が出た時に、一気に読み通して、オスカルが死ぬ場面で号泣しました。
だからと言って、宝塚がベルばらをやっても、行くことはない。
直感でしかありませんが、そういう選択をする時があります。
漫談家きみまろ自叙伝、動物と話せるハイジ、シンプルバーベキューの本を返して、
ちょと真面目に新しいスポーツ心理学を、読み切った後、
本棚に近づいて、目に留まったのが、「がばいばぁちゃん」のシリーズ。
話題になった時は、本屋で見ても、手にも取りませんでした。
で、一冊を手に取って、読みはじめたら嵌った。
単行本を二冊、ハードバックを二冊、一気に読んでいました。
島田さんの語り口は、お婆ちゃんの語り口なんですねぇ。
うちは「明るい貧乏」やから、大丈夫や!
親切は分からんようにやるもんや。
腹減った!気のせいや!
朝ごはんは?昨日食べたやろ!
腹八分は多い、七分でええ。
体動かせ、働け、そしたら、よお寝られる。
毎日川から水を汲み、洗濯板で洗濯し、お風呂は五右衛門風呂。
京都の真ん中でも、昭和30年代は、井戸でしたし、ご飯は竈でしたし、五右衛門風呂でした。
佐賀と言う地方なら、驚くにあたりません。
私も、9歳までは祖父母に育てられたので、四国の農家出身の二人に、教えられたことは数多い。
島田さんのお婆ちゃんのように、川を水源にはしませんでしたが、ヨモギを摘んできてヨモギ餅。
お餅つき、大工道具を使って、大抵のものは修理し、お風呂は薪で焚いていました。
火鉢もあったし、朝顔の七輪も使っていました。
生活は、お金で豊かにするのではなく、心と工夫で豊かになるのだと、思わせてくれます。
その時代とは比べ物にならない位、便利になった今、少しだけアナログな生活に戻ろうとするのは、
何か忘れているものを、思い出したい本能が働いているのかもしれません。