またまたまた平成20年1月5日、新年撮影初めの続きです。
Swallow Angelさん http://do-raku-oyaji.cocolog-nifty.com/blog/ 、Lineさん http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/ 、シービーさんhttp://www.blogmura.com/profile/170182.html と私の4名による撮影隊の一行は、最初の撮影地である京浜急行電鉄「六郷土手駅」から、八丁畷経由で浜川崎支線、南武線、小田急線と乗り継ぎ、「和泉多摩川駅」→「喜多見駅」と撮影し、「代々木上原駅」で昼食の後、23区を大横断して成田線「小林駅」へと向かいます。
撮影の順序が前後してしまうのですが、小田急線内と成田線「小林駅」付近での撮影の後、帰途で東京メトロ千代田線6000形とJR203系の写真を撮っていますので、少ないですがご紹介したいと思います。
まず営団地下鉄(帝都高速度交通営団)6000形は、千代田線の開業となる昭和43年に誕生して以来、平成2年度の最終増備車まで試作車を含む36編成が製造されています。
試作車から40年近くの月日が経つわけですが、今まで1両の廃車も出ていないということですから、地下鉄車両の歴史の中でも非常に信頼性・耐久性の高い車両であることが
分かります。
外観上で大きく分類すると、前期形の2段窓車と後期形の1段下降窓車が外観の特徴になっていますが、更新により2段窓→1段窓改造車もかなりの数があるようです。
また、行き先表示のLED化も実施されており、7次に亘る形態的・機能的な特徴に輪を掛けて、改造による外観上の特徴も加わり、非常に研究し甲斐のある形式のようです。
私はこれらの点について詳しくはないので、解説することはできませんがご了承下さい。
平成20年1月5日 小田急線 和泉多摩川駅にて 東京メトロ 6104
小田急線内に乗り入れている千代田線車両。
6104は、昭和46年の霞ヶ関開業に際して誕生した第1次量産形の初期車両になります。元は天地の高さが小さい2段窓でしたが、天地が小さいまま1段窓に改造され、ドア窓も初期の小さいままであるのが特徴です。この車両は、行き先表示のLED化も施工されています。
平成20年1月5日 常磐線 我孫子駅にて 東京メトロ 6024
こちらは、全ての行程が終わった帰り、乗り継ぎの我孫子駅にて撮影した6000形。
写真の6024は、千代田線用に在籍した5000形を東西線に転用させるために増備された4次量産車で、この次形から天地の大きい1段窓で、ドア窓の寸法も大きくなるなど、洗練された後期形の車両となっています。
撮影では滅多に逢うことができない「取手行き」に遭遇しました。
次に、国鉄型203系です。
昭和59年、103系1000番代車の置き換え用として誕生した、千代田線用独自の形式です。国鉄201系がベースとなっているアルミ車体車で、1次形0番代と2次形100番代があり、台車などに特徴があります。
誕生からまだ25年も経過していないのですが、E233系への置換えが発表されており、103系1000番代の時代から今なお活躍している6000形に比べ、非常に早く淘汰されてしまうようです。
平成20年1月5日 常磐線 我孫子駅にて
まだそんなに古い感じのしない203系ですが、乗り心地はメトロ車と比較して数段激しい感じがします。とても空気バネとは思えないような。
201系が殆ど淘汰されてきた現在、廃車時期としては不思議ではないのですが、メトロ6000形がまだまだ活躍しそうな雰囲気ですので、その歴然とした寿命差を感じます。
時間があれば試作1編成のみの207系900番代を撮影したいところですが、結果的に逢うことはできませんでした。どうも、帰りの電車ですれ違った様でした。
Swallow Angelさん http://do-raku-oyaji.cocolog-nifty.com/blog/ 、Lineさん http://diary.jp.aol.com/qegbrh4/ 、シービーさんhttp://www.blogmura.com/profile/170182.html と私の4名による撮影隊の一行は、最初の撮影地である京浜急行電鉄「六郷土手駅」から、八丁畷経由で浜川崎支線、南武線、小田急線と乗り継ぎ、「和泉多摩川駅」→「喜多見駅」と撮影し、「代々木上原駅」で昼食の後、23区を大横断して成田線「小林駅」へと向かいます。
撮影の順序が前後してしまうのですが、小田急線内と成田線「小林駅」付近での撮影の後、帰途で東京メトロ千代田線6000形とJR203系の写真を撮っていますので、少ないですがご紹介したいと思います。
まず営団地下鉄(帝都高速度交通営団)6000形は、千代田線の開業となる昭和43年に誕生して以来、平成2年度の最終増備車まで試作車を含む36編成が製造されています。
試作車から40年近くの月日が経つわけですが、今まで1両の廃車も出ていないということですから、地下鉄車両の歴史の中でも非常に信頼性・耐久性の高い車両であることが
分かります。
外観上で大きく分類すると、前期形の2段窓車と後期形の1段下降窓車が外観の特徴になっていますが、更新により2段窓→1段窓改造車もかなりの数があるようです。
また、行き先表示のLED化も実施されており、7次に亘る形態的・機能的な特徴に輪を掛けて、改造による外観上の特徴も加わり、非常に研究し甲斐のある形式のようです。
私はこれらの点について詳しくはないので、解説することはできませんがご了承下さい。
平成20年1月5日 小田急線 和泉多摩川駅にて 東京メトロ 6104
小田急線内に乗り入れている千代田線車両。
6104は、昭和46年の霞ヶ関開業に際して誕生した第1次量産形の初期車両になります。元は天地の高さが小さい2段窓でしたが、天地が小さいまま1段窓に改造され、ドア窓も初期の小さいままであるのが特徴です。この車両は、行き先表示のLED化も施工されています。
平成20年1月5日 常磐線 我孫子駅にて 東京メトロ 6024
こちらは、全ての行程が終わった帰り、乗り継ぎの我孫子駅にて撮影した6000形。
写真の6024は、千代田線用に在籍した5000形を東西線に転用させるために増備された4次量産車で、この次形から天地の大きい1段窓で、ドア窓の寸法も大きくなるなど、洗練された後期形の車両となっています。
撮影では滅多に逢うことができない「取手行き」に遭遇しました。
次に、国鉄型203系です。
昭和59年、103系1000番代車の置き換え用として誕生した、千代田線用独自の形式です。国鉄201系がベースとなっているアルミ車体車で、1次形0番代と2次形100番代があり、台車などに特徴があります。
誕生からまだ25年も経過していないのですが、E233系への置換えが発表されており、103系1000番代の時代から今なお活躍している6000形に比べ、非常に早く淘汰されてしまうようです。
平成20年1月5日 常磐線 我孫子駅にて
まだそんなに古い感じのしない203系ですが、乗り心地はメトロ車と比較して数段激しい感じがします。とても空気バネとは思えないような。
201系が殆ど淘汰されてきた現在、廃車時期としては不思議ではないのですが、メトロ6000形がまだまだ活躍しそうな雰囲気ですので、その歴然とした寿命差を感じます。
時間があれば試作1編成のみの207系900番代を撮影したいところですが、結果的に逢うことはできませんでした。どうも、帰りの電車ですれ違った様でした。