本当に久し振りになってしまったのですが、今日はEF58ネタをお届けいたします。
今日のお届けネタは白Hゴム車です。以前のログでも何両かはご紹介させていただきましたが、多分、不人気車だったと思います。
メリハリは良いのですが、原形の大窓・小窓がもてはやされていた時代にあって、Hゴムだけでもひんしゅくを買ってしまうのに、しかも目立つ白というのは輪をかけていただけないわけです。
それでも今となっては貴重なEF58.現役時代は格好に関わらずみんな活躍していたのです。良い写真はありませんが、まあご覧下さい。
昭和55年頃 東海道本線 田町駅付近にて EF5856牽引荷物列車
汐留息の荷物列車を牽引する56号機。良くこんな車両を撮っていたと我ながら感心します。余りにも一般的な形態でしかも白Hゴムですから、見栄えは良くありません。
昭和28年3月27日、東芝製。製造当初は東京区配置で、最後は下関区へ転属し、東海道・山陽でEF62と交代するまで荷物列車を牽引しました。Hゴム、ヨロイ戸化など数々の改造を受けていますが、パンタグラフはPS14搭載です。
昭和53年8月5日 東海道本線 真鶴~根府川間にて 20系「銀河」を牽くEF5883
白糸川橋梁を渡る83号機。急行「銀河」は当時20系化されていました。
当時の急行「銀河」は、旧「銀河2号」と同時間帯のスジを走っていたため、首都圏で明るい時間に撮影できる唯一のEF58+20系でした。
この頃は、別にEF58に興味があったわけでもないので、むしろ20系客車に着目していたと思います。
83号機は、昭和30年3月10日、川崎車両製。落成当初は沼津区の配置。廃車はこの写真を撮った1年後の昭和54年9月20日となっており、EF58の中では最も廃車の早かった車両です。
昭和58年12月1日 東海道本線 根府川駅にて EF58171牽引の荷物列車
この車両は白Hゴムと言って良いのか微妙です。明るいグレーのようにも見えます。
EE58の中でも最終後期形であり、竜華区の170と同じく3枚固定窓のうちの真ん中がHゴム化されているのが最大の特徴です。
Hゴム化以外にフィルタがヨロイ戸化されており、原形的な特徴はありません。パンタグラフは製造当初からPS15を搭載しています。
昭和33年4月28日、日本車両・富士重工製で、EF58の中では珍しい存在です。
製造当初は沼津区配置で、56号機と同様に最後は下関区へ転属し、東海道・山陽でEF62と交代するまで荷物列車を牽引しました。
今日のお届けネタは白Hゴム車です。以前のログでも何両かはご紹介させていただきましたが、多分、不人気車だったと思います。
メリハリは良いのですが、原形の大窓・小窓がもてはやされていた時代にあって、Hゴムだけでもひんしゅくを買ってしまうのに、しかも目立つ白というのは輪をかけていただけないわけです。
それでも今となっては貴重なEF58.現役時代は格好に関わらずみんな活躍していたのです。良い写真はありませんが、まあご覧下さい。
昭和55年頃 東海道本線 田町駅付近にて EF5856牽引荷物列車
汐留息の荷物列車を牽引する56号機。良くこんな車両を撮っていたと我ながら感心します。余りにも一般的な形態でしかも白Hゴムですから、見栄えは良くありません。
昭和28年3月27日、東芝製。製造当初は東京区配置で、最後は下関区へ転属し、東海道・山陽でEF62と交代するまで荷物列車を牽引しました。Hゴム、ヨロイ戸化など数々の改造を受けていますが、パンタグラフはPS14搭載です。
昭和53年8月5日 東海道本線 真鶴~根府川間にて 20系「銀河」を牽くEF5883
白糸川橋梁を渡る83号機。急行「銀河」は当時20系化されていました。
当時の急行「銀河」は、旧「銀河2号」と同時間帯のスジを走っていたため、首都圏で明るい時間に撮影できる唯一のEF58+20系でした。
この頃は、別にEF58に興味があったわけでもないので、むしろ20系客車に着目していたと思います。
83号機は、昭和30年3月10日、川崎車両製。落成当初は沼津区の配置。廃車はこの写真を撮った1年後の昭和54年9月20日となっており、EF58の中では最も廃車の早かった車両です。
昭和58年12月1日 東海道本線 根府川駅にて EF58171牽引の荷物列車
この車両は白Hゴムと言って良いのか微妙です。明るいグレーのようにも見えます。
EE58の中でも最終後期形であり、竜華区の170と同じく3枚固定窓のうちの真ん中がHゴム化されているのが最大の特徴です。
Hゴム化以外にフィルタがヨロイ戸化されており、原形的な特徴はありません。パンタグラフは製造当初からPS15を搭載しています。
昭和33年4月28日、日本車両・富士重工製で、EF58の中では珍しい存在です。
製造当初は沼津区配置で、56号機と同様に最後は下関区へ転属し、東海道・山陽でEF62と交代するまで荷物列車を牽引しました。