goo blog サービス終了のお知らせ 

marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(854回) 今生の隙をあたえない思考への厳密さ:スピノザ

2021-05-07 06:26:18 | 思想・哲学

◆ブログの立ち上げ主旨・・・そもそも、”すべてのしがらみから解放される” ことなどできるのだろうか、という課題を突き詰めていくと、スピノザにぶつかるのです。(ブログ2016年11月末アップ)。過去の思想家で、宗教批判をした思想家は、よく読み込めば、信仰などといって自己満足する群れにたいしての批判なのです。それは、戦い続けない限り、自己満足に落ちいって、生ぬるくなるでけであると、ましてそのような大衆の状況が政治がらみに固定化されてくると非常に危ないものに陥る危険があるということ、その人の思考、その集団の共同体をなしていく思考の危険な兆候を除外する戦い。◆仏教にはなくて(といっても日本の歴史の中では、俺のところが一番と争いも結構あったのだが)、欧米キリスト教に多いのは、それは神の言葉というものが人に委ねられてきたからであるということができる。プロテスタントは万人祭司を唱えたのだから。カトリックは、だから今でも教会を通さないと駄目だというのであろう。しかし、これは集団で神の救いが来るのではなく、ひとりひとりがまず、その位置に立たないといないとイエスは語っているのである。それは、頭で理解、知識で理解ということも重要だろうけれど、それ以上に今生にある自分の肉体で経験して、内言語で会得するというような経路を経ないと難しいようだ。あのM・ルターは神学には試練が必要だ,と言った理由でもあろう。◆欧米の哲学、そして思想、近代以降の心理学などは、必ずと言っていいほど、神が人を自分の似姿に創造した、人はその人をよく知れば神に近づけるであろうとの深層心理上の基盤を持っての追求であったといえるだろう。生ぬるさの除外の追求、キィエルケ・ゴール、ニーチェ、政治的には共産主義を唱えたマルクスが語った「宗教はアヘンである。」という言葉さえ、さらに「キリスト教の本質」を書いたホイエル・バッハでさえ、よく読めば、観念的に人と言う生きものが神の言葉を手中にしたと満足することのリスクをかなり強烈に内面打ち出すことによって、まさに言葉以上の歴史を動かすコトバに到達し、人間の地上の様々な相克の混乱の内にもそこを目指さなくてはいけないのだ、という神の摂理のなかにあると僕などは捉えてしまうのである。

 


世界のベストセラーを読む(853回) 誰でもが思えば感じる「異界」を語ろう

2021-05-06 22:23:14 | 思想・哲学

◆あの評論家、小林秀雄が、蛍を見たとき、あぁ、(亡くなった)おっかー(母親)だ、と思った時があると、又、酔っ払って電車から高架下に落っこちて本来なら死んでもおかしくない状況だったのにおっかーに助けられたんだと思った、という文章を昔、読んだことがある。又、養老孟司先生は、ご自身の体の手術をされたとき、五体の地蔵さんのようなものが迎えにきたような幻覚らしきものを見たという。僕は結局、行かなかったけど・・・と。そして、僕はお墓がすきなんです、という。◆あくまで宗教がらみからの勧めというのは、聞くその当人の内言語にアピールする、つまりそれが能動的に意識化すれば、それを自覚と言うことなのだろうが「異界」からの招待は、生きている人には誰にもあるものなのだ。異界を感じる、それは、動物である人も、体内に電気磁場をもっていると思うから、それへの接近、つまり他人と言う、これも磁場を持っている波長に会うとか合わないとかは当然生じてくることなのだろう。◆異界とは生身の人ではなく、目の前からは消滅したが、受ける側の受像器側が働けば、再生された磁場として呼び起こされるものなのではないだろうか。あるいは、気づかないが取り巻くそれらは、一方向的に誰でもが、周囲に存在しているのだろう。そして、誘導し、あるときは助ける存在となっている。そこに、死角をもたらしてはいけないと、生身の僕らにおせっかいにも自覚し「常に祈れ!」と促しているのではないだろうか。何故なら、再生を願う取り巻く霊は、発展途上の霊としても、また、悪霊としても再び生きた人に入り込もうとしてあるからである。満たされない霊は、人生の宿題を終えるために再び、今生の生身のひとに入り込もうとする。少なくとも、聖書には悪霊に取り憑かれた多くの病をイエスが直した場面が出てくる。「近づかないでくれ、あなたは神の聖者だ!」とその悪霊たちは知っているのだ。◆いずれ地上から胡散霧散していくに意識も亡くなるのだろうか? 三次元にある今生において、分かる言葉で語り、それを生身の声で宣言せよ、との薦めは「復活」にあると僕には思われた。「聖霊」を送る、それにつながれ、いつも繋がっておれと、イエスは語っているのである。


世界のベストセラーを読む(852回) 自覚できうる「今生」と「異界」の繋がり

2021-05-04 21:47:14 | 思想・哲学

◆内言語の更新、宗教としての自覚において、精神の平衡を破る恐れのあることの防止、と言わぬまでも、口で自分の言葉に信仰の表明を語りなさいとキリスト教は薦めている。それは、第一に観念的に絵空事に満足、逃避するのではなく、今生にはっきりと自分の存在の自覚を持って足で立つためであるといって言い。これは、先に述べた「精神身体医学」の総括に書いたような内容だ。つまり「自覚」。自分の足で立ちなさいと、イエスは、足なえにコトバを掛ける。新しく生まれることであり、それは第一に彼は死のからだから復活したのだから、あなたも現存する神の霊(コトバ)につながり自覚し、立ち、生きよと。◆宗教に於いての人の目には見えぬ信仰というものを、とことん突きつめていけば、地上のすべての物事が過ぎゆくのだから、語るそのシンボルというものの物体、マリア像やキリスト像、聖異物などは最も僕は駄目なものと思うが、仏教でも仏像などは仕方がないとしても、究極、形あるものに依存する(媒体とする)ことが、神仏に「つながる錯覚<方法>」とは言え、それは「真につながっている」とはいえない。実はこのような事は誰でもが知っていることではないか。本来、信仰を支える媒体となる地上の媒体、シンボルはというものも、更には人の言葉もまったく無用なのだ、と。◆イエス自身が語っている。「私を信じなくても、その業を信ぜよ。」更に、使徒パウロは「神の現れは、被造物から明らかではないか」と異邦人に語る。浄土真宗の親鸞も「阿弥陀仏は形も無くまします。形もましまさぬ故に自然(じねん))とはまうすなり。阿弥陀仏は,自然のやうを知らせむれうなり。」形のない働きを知らせようとして阿弥陀仏と呼んで、実はそれは「方便」なのだと言っているのだ。◆宗派によるだろうが、仏教は真言のような呪文ごときものがある。そもそも、一方的に神仏の力を得て、地上の万物の益としようとするのであれば、その繋がりを得るための合い言葉が必要なのだが、それが呪文なのかは、科学の発達した今であるから、それほど重視されないのであろうが、専門家,所謂シャーマンと呼ばれる人が取り次ぎを行い願いを実現させる行為は、声を出し、空気を震わせるバイブレーションを起こしている訳であるから、その行為の中に「異界」の力を動かす、霊妙なエネルギーがあるのだろう。これは、実は「神の摂理」という見えぬ軌道に波長を合わせているのかもしれないな。僕は小さな頃、護摩体験しているので馬鹿にはできない。


世界のベストセラーを読む(851回) 自己を知る、その基点

2021-05-04 09:15:04 | 思想・哲学

◆先にアップ紹介した「精神身体医学」の著者の見解は、次のようなまとめであった。***「要するに、性格を陶冶し、自制力を養うのが、精神身体障害とたたかう最善の方法である。この障害の原型が正常分娩の苦しみであるとすれば、身体器官の機能について科学的知識をもつこと、すなわち自覚によって、この障害が治癒するということを是非知っておかねばならない。このことは特に大切な教養の問題である。(p109)」***◆僧侶が早朝から坐亜を組み、瞑想するのはなぜなのか、新約において、イエスが祈りを常に行い、天の父との交信を行っておられたというのは、何故なのか? 「いつも喜べ、絶えず祈れ、すべてのことに感謝せよ。」(テサロニケへの手紙5:16-18)・・・専門職だけの人だけへではなく、すべての人類への誰でもへの日常での勧めである。我々が普段では、常に目の前に、否、すべての存在の場に「今」という時にいる自己、それらをなす到達できないその永遠不変と思われる人の言葉を超えたコトバに交信しなさい、と薦められているように促している。◆その基点となる受信機部分は、脳内の扁桃体あたりにあると僕は理解した。それは、意識化できる。それは、仏であるのか、創造者たる神であるのか、それとも何らかの気分的なものだけに過ぎないのか。いずれ、その基点においても、それを僕は<G>と読んでいる訳なのだが、毎朝でも、静かな時を数分でも持って、そのスイートスポットに意識化を図る。と、そこから、主体的に、時を、空間を精密に凝視する主体的な自己が新たに生まれて、出発できるような啓示を受ける。◆しかし、最後に著者は、このような言葉も発しているのである。***「信仰と祈りが治癒をもたらすことは見逃せないが、神秘家のいう神との対面、意識の交流は、普通の情動ストレスと同じように、精神身体の平衡を破る危険がある。」****と。脳内の自覚化の意識は、常に対象としてこの傷つけると痛い肉体にあると、意識が遊離してしまわぬことに注意しなくてはいけない。そうでないと、これも以前アップした「異界」の負の面に引きずり込まれる。あのひんやり冷たい暗闇から覗くぬめぬめした得体の知れない誘惑者・・・。あくまで僕らは明るい陽のもとで思考するよう努力しないといけないのである。


☕ 今日は '21年5月3日「憲法記念日」:僕の好きな条項は第97条、『基本的人権』

2021-05-03 06:43:08 | 日記

*****『基本的人権』は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であり、過去幾多の試練に堪え、

      現代及び将来の国民に対し、犯すことのできない永久の権利である。******

◆僕が暗記した最も好きな箇所である。人格や人権などを語るに、その源をどこまでも辿れば、創造者と命あるひとり一人の人が、相対峙するその自覚の大切さを尊く述べているものと解釈します。

◆さらに歴史を辿れば、古代、キリスト教とユダヤ教とのダイナミックな民族の融合から、発生してきたところまで遡れます。

◆その発端は、どこにあるかと言えば、神の全人類の救済の思いに行き着きます。この言葉で思いつくのは聖書で言えば、使徒パウロが哲学の国マケドニア(ギリシャ)に導かれ、イエスの言葉を伝え、自分の言葉で議論し異邦人にイエス(神の言葉)を伝えたテキストにあると思われます。

◆我々人類が、地上であり続ける為に、何に対して戦いつづけるかを自分の言葉で自覚しなければならないかを問うている重い言葉でもあります。・・・