marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

K様へ:共○党員の方との往復書簡

2024-01-18 21:40:23 | 手紙

  今回のブログは、正式に掲載されないかも知れませんね。至って素人目線で、素直に疑問を持っていたことを、それはおそらく殆どの方も同じでしょうが、一つの政治政党を支えて活動されてきた高齢者の活動家へのその疑問を投げかけた手紙のメールのやりとりです。

公の方のお名前もそのまま掲載しております。ニュースにもなりましたし、小生の意見のみではありますが、だめなら、ブロガー管理者の方がオープンにはされないでしょう。ただ、批判でも何でもありません。正直に学生時代から疑問に思っていたことを聞くチャンスに巡り会ったなと思った次第でしたので。

それで、先入観なしで皆さんに読んでいただくことを希望致します。それにしても今はまさに、この国は政治的危機ではないでしょうか。若者も大いに政治に目覚めていただくことを願っています。

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今日は2024年の1月18日です。委員長が変わりましたね。志位さんから田村さんに。地方のこの様なメールのやりとりが大きな組織に影響を与えることは無いでしょうが、何故か、これから読まれる小生の素直な疑問の提示の一週間ほど後に偶然か、組織の変更があるなんてね。(ニュースでは1月19日)

『共産党はなくなった方がいい』などと語った維新の会の代表もおりましたが、これもまた、実在し多くの党員をも抱え、政治資金を自らねん出し、どこからも文句は言わせないと頑張って実際に行動している政治政党に、こういう発言をするのも世界的にも全く無教養での世界的に恥さらしのように思われて、どうしてこの国の政治家は・・・と良し悪し抜きでまったく個人的にがっかりするのです。

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この手紙(メール)は、新年の挨拶をたまたまいただいたその党員の方とのやり取りで、これもまた、学生時代からの疑問で、社会に出てからも、この唯物史観のブームに浸った時代の方がおられたので、資本論全集を部屋にあった人との話し合いも気になってしかたがなかったことを、この際、ストレートに質問することができると、いただいた新年号の記事について質問した次第でした。

この方とのいきさつの原因は、僕が加藤周一や大江健三郎が立ち上げた『九条の会』に関わったの経緯から始まり、『平和委員会』などの背後には共産党の方が控えていたわけで、年賀のメールをいただいた返事に対して、赤旗の日曜版『新年合弁号』をいただき、その内容に志位委員長が、若者との対談に、マルクス・エンゲルスの写真入りで『共産党宣言』などを持ち上げて、『自由』などの若者受けの言葉を話されているのを読んで、おいおい、待ってください、会員の減少を嘆く前に、いまだ金科玉条のごとくに古典を肯定しているのは、それは何でも会員は増えはしないでしょう、としきりに思ったことでした。

それで昔からの疑問がでてきて無性にいろいろ尋ねたくなったのでした。

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K様

年賀挨拶ありがとうございました。いただいた日曜版『新年合弁号』を読んでおりました。志位委員長と若者との対話。マルクス・エンゲルスの写真とその『共産党宣言』、マルクス主義についてはやはり多くの疑問があります。

彼らの著作を持ち出しますが、また、人間の自由などを語りますが、素直に突き詰めていけば、目指す社会が実現すれば、自己矛盾が生じてくる考えです。

対談されて青年の方々も、人というものはどういうものか、という視点から学べばいづれ理解されるだろうと思います。小生がそうでしたので。

一面からの理解はできますが、土台を崩し、その土台となった時、今度は何を変革の対象とするのでしょうか?その判断基準が、この思想にあるとすれば、まだまだ書かれている理想のようなひとつひとつの文言に多く、深く考えねばならないことがあると思います。

※実際、僕は世において仕事させてもらい、北は北海道、北見から南は九州鹿児島までの、殆どの企業を訪問する機会に恵まれ、その地域に産業を興し、人々に経済の恩恵を付与する企業が存在したことは、決してこの国では儲け一点ばりで労働者を搾取し、また、それをひっくり返すような闘争の世界ではない、こと見てきました。

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時代的制約がありそれが正しいとしても、現代においても人という生き物は、物事をすぐなんでも理解できる人ばかりではありません。そうすると、それを拘束するためには行く末は、北朝鮮か中国共産党のようになりませんか?

北朝鮮も『共産主義』と大きく山に文字で表示して民衆に鼓舞しています。中国の習首相もマルクス・レーニン主義と明確に語ったテレビ放映を見たことがあります。

共産党を避ける人は、資本家が民衆搾取ための労働者の闘争との意味合いで捉えるこをと、その思想の行く末に不安を覚えるものと思われます。

民主主義がいきわたった国でアンケートをとっても社会主義があがるとしても、今は共産主義がいいという人は殆どいないと思います。

それは日本共産党と異なる、というのであれば同様の古典ともなっているマルクス・エンゲルスのことを持ち出すのは、あの時代にあの産業機構においては、大いに救済の考えとなったのですけれど、時代が変わり、国も変われば、そこから流れる思想の結果は異なっても構わないのだ、ということなのでしょうか? 彼らは深く学んでいないだけだ、というのでしょうか? 

あるいは多民族国家である中国などは、それを採用しなければ、国体を維持できないというのでしょうか? 小生はまったくそうだと思いますが。本来の『自由』とは、人として無言ともいえる律しなければいけないという共通理念が共有化された社会で初めて、その言葉が使えるものではないでしょうか。

マルクスらの思想を土台として後の我々がその考えを発展させていくのであれば、国の事情によっていかようにも解釈ができてしまう。そうすれば、北朝鮮の共産主義の考えは間違っているということは言えなくなるのでしょうか。

実現できない現状を変えていく過程の改革させる限定の思想であるとすれば納得できます。ただ、あの時代状況からの思想であったということが条件であったと思います。

いずれ、活動は賛同いたしますが、小生は何事も思想イデオロギーが先にあってからの、人の活動ではないと考えます。思想なる言葉が先に会っての経済活動ではない。人の欲に沿ってのいつの時代もそれである。だから、問題は人なのだ、というのが小生の考えです。

小生は『人とは何なのだ』というのが学生時代からの追求課題でした。無論、小生自身の内省含め限界がありましたけれど。行きつくところ、最後はその国に、その時代に生きているそして普遍的に命ある人のことなのです。

志位委員長もこのことは十分理解されていると思います。だからこそ、実際に思いを反映させ、行動に移さねばと、変えるための行動を起こすきっかけが、マルクス・エンゲルスの思想にあるとの解釈なのだと思いますが、体制に安穏として満足している大衆に『宗教はアヘンである』と語ったマルクスの言葉は、そういう意味で理解できますが。

長々となりますのでこの辺で終わりますが、会員数の非常に減じている状況において、確かにあの時代、まさに世界を席捲した思想には敬服します。多大なる恩恵を残したことも事実です。彼らのいた英国には、労働党なる政党がありますし、多くの民族がおりますから。ペストは流行した時、彼らが最も早く、国民に警告を発したのも彼等でしたね。

今また、マルクスが残した書籍になっていない膨大な量のノートが注目を浴びてます。それが開示されるようになると、彼の先見性にまた世界を席捲するかもしれません。

○『マルクス主義とキリスト教』(矢内原忠雄:岩波書店)

○『日本現代史とユダヤ思想』(苗村育郎:無明舎出版、この方は秋田大学の精神科の医者です。そういう意味からか宗教にも厳しい意見です)

機会があれば一読ください。県立図書館にもあります。

健康に留意されてください。     この辺で終わります。



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