marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

2024年入院生活終わり、元旦、解放、新年序説(で、一体どこが悪かったの?)

2024-01-05 18:11:17 | 日記

2024年新年が明け、院内はとても静かで何も変わらないルーチンの生活が続くようだった。

当番の看護師も交代制の方々が、毎日、挨拶がてら名前を言いい、bedに近づき、血圧、オキシメーターで血中酸素量を測定、それから両腕をあげ、手のひらを開いて目を閉じてバランスを見、手のぶらぶら、指折りなどをさせて動きを見る。最後にE.Tの映画にあったように看護師の指先をタッチ、左右に動かしその位置でタッチと。ペンライトで瞳孔を確認。これは毎日の確認事項だった。

前回書いたが、午前に最後のMRIをおこない、残念ながら画像を見ることができたのは、入院した当初の画像のみ。午後に突然、元旦の担当医が回ってきて、今までの診断から退院できますがいかがされますか。・・・それはもう喜んで、という具合で、いろいろ簡単な書類を書いて、静かな院内をエレベーターでおりる。

静かな病院、一階の受付にはひとり。

元旦は青空も見えて雪も無く、少し寒かったが晴れ晴れとした気分だった。道路のお堀を挟んで城跡にある神社がある。病院の門の向かいにそこにのぼる坂があり、参拝する多くの家族が行き来していた。そういえば新年だったな、人生初めての入院生活、実に大きな曲がり角となった。・・・・(まさに、帰宅後、石川県の震度7以上の地震被害、羽田上でのJAL炎上事故が立て続けに起こった今である。)

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スマホの画像検索で脳の断面を見ていた。いろいろあるけれど、ここに表示したのが一番分かりやすそうだった。

初日、MRIを見ながら医師と会話した言葉に、かんのう、という言葉がでてきたので、おいおい、脳みその真ん中かよ~と思ったが、脳幹だった。そこの延髄を通る血管が細くなっている、とうことだった。

太い血管もあるけでずいぶんボコボコですねぇ、というと若干脂肪がついているような話。コレステロール?? とういうような応対に、個人差がありますから、いやそこではなくで、その横の細い血管です。ここが詰まり気味。・・・・そうすると、今のような症状がでます。ひどくなると右半身が動かなくなります、と。

こんな話をしたのはMRI画像を横から見ながらの会話で、ここに掲載、無論できないが、顎から脳天にしたから見た輪切りの断面画像には、ちょうど延髄あたりは、くだものの桃の断面の種のような部分に見えて、その箇所の片側にうっすらと白い線が入っていた。

本来なら、ここは全部暗く映るんですが、発祥の起因はここです、と。

          

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で、現象はどういう症状になるかと言えば、多少、右手と右足のしびれがある。それと、歩くと右足の腿からすね、足首に沿って突っ張る感覚である。歩く時、注意しないと右側にふらつく。聞けば、杖をついても(僕はまったくそういうことはないが、将来わからんけれど)歩くように心がける人を時折見かけるが、あれは、不具合状態を脳の他の部位が、平衡を補填するように働き通常に戻す機能を助長するように、いわば訓練しているということらしい。

薬以外は、リハビリ(といっても毎日4000歩くらいは歩くとか)、生活の心がけ、いつも言われる塩分引け目、水を1.7L飲むとか、日常生活に注意心がけていただく、という最終アドバイスだった。いずれこういう神経系は、結論から言えば完治はない。電気の細い配線が、焼け焦げて芯の細線が電流を流しているようなものだ。それで、これ以上、悪化しないように心がけること、と僕は解釈した。

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具合が悪くなって吐き気がし始めたのが、25日のクリスマスの次の朝方からだった。朝の礼拝、午後から他教会の礼拝にも出て、夕方からのイブ礼拝にも参加して、夕食はクリスマスプレゼントで頂いたお土産のお菓子、どら焼きなどを帰りの茶店でコヒーで流し込んだ。これが原因なのか、一日外出して動き回った疲れなのか。

26日、体調が良くならない。ちょと右手、右足がわずかにしびれる。一日様子を見たが、ひどくはならないが、FACTだからなぁ。これはFace(顔が歪む)、Arm(腕と足にちからが入らない)、Speech(言葉がもつれる)、Time(時間が大事!)と何故か頭の隅にあったので。

27日、さっそく専門機関があるので訪れた訳。カルテを今後の為に作っておくのもいいだろうと。・・・その場で、入院です、とすぐ言われ、病衣に着替えられ、入院キットなるものを購入し、一歩も外に出られなくなった。

人生で初めて入院し、初めて新年を入院生活で過ごすことになった訳であった。・・・27日から一週間。

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最後に、ここから僕のオタクジャンルに入るかもしれない。・・・・27日は病院でお袋を天に送った日であった。25日、クリスマス夜にお袋の居たデイサービスから教会に電話があり、救急車で急患として運ばれたのでそこに行ってくださいと慌てた電話があり。26日、一日、病院でひとり見守って、27日の午前お袋が天に帰っていった。

退院した外観は、まったく僕は変わらない。お袋が気をつけなさいよ、と教えてくれたんだろう。波乱万丈の人生を送った人だったからなぁ、などと書き始めると、話がとまらなくなるので、一週間の入院生活(食レポ)の話をおしまいにします。 ・・・・



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