marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(469回目)その2:少し勉強、仏教について(真言宗から)

2017-12-20 07:56:07 | 日記
 前回からの続きです。・・・それを書いた理由を述べる前に、もう少し僕ら誰もが地上の生涯を終えて次の世界に行く前に(次の世界などないと思われる方はもともと僕のブログなど読まないでしょうが、人といえども回避できない必須事項ですから、こんな考えもあるのかと一読されてください)、で、そんなこと知ってどうするのかという考えもありましょうが、江戸幕府の方針で、たいていの家は仏教の何々宗に入っていると思うので、その仏教の教えでは、この地上から完全成仏するにはとても長い旅をしないといけないことになっているはずです。生まれ変わって、輪廻転生。
◆遙か昔、空海があまりにエリートだったので、以降の人は、実の所、空海のような仏教一途の方からは雑多な雑学所作を(今で言えば宇宙規模の教養と言えばいいか)会得することなど出来なくて、何でも取り込んで満足、下手をすると漫然総括のような海に流されてしまう方向になっていったのだが、実は、それはいいか悪いか別にして先のテレビで放映の若い住職のような言葉に出てくるのでしょう。
◆その「仏(ホトケ)」(これが実はお釈迦さんではないことは誰でも知っているようだけれど僕が何となくしかわからないところ)が言うところの長い旅が次の世界にでもあるということを、この三次元の世界で考えることができる今、自分の死んだ瞬間、自分の抜け殻に背に合わない杖を持たせ草鞋を履かせ、頭陀袋に六文銭入れて(宗派により異なるのでしょうが)△頭巾をつけてあの世の旅をするにも、是非、その意味を知っておきたいと思うのです。
◆真言宗の場合は、大師さん(空海)と共に旅をする同行二人という、あの四国の八十八カ所ではないだろう極楽への旅路という事になるのだろうけれど。そのツアーコンダクターは毎日のお勤めをするお坊さん(住職さん)であろうし、どこまでの旅となりましたというのは何回忌とかいう儀式なのでしょう。身近なところで49日とか、百か日とか、・・・五十回忌、・・・百回忌、長い旅があることを空海さんの言葉から、そしてそんな気の遠くなるような旅をしなくてもというのが「即身成仏」という考えがでてくるのですが、まずが空海の言葉を聞いてみます。
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「諸々の経綸の中に、皆三劫(サンゴフ)を説く。いま即身成仏の義を建立する。」(『即身成仏義』の出だし)意味は、諸々の経典や論書の中では、みな計りしれないほどの時間をかけて修行して、やっと仏になることができると説いている。それに対して、いまここに即身成仏を提唱しよう。
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 つまるところ、どのような教えでも何度も生まれ変わって気の遠くなるほどの時間を掛けて修行をしなければ成仏できない、すなわち仏となることができないと全ての仏教では、生まれ変わり(前世の態度によってどういう生まれになるかは不明、自分の今の苦労や困難もそれが原因かもと考えるのは、そうかもしれないがはっきり分からないので僕には断定できない)によって今生で解脱の過程を日々過ごしていくのであるようです。しかし、前世での行いが成仏とやらができない霊魂は、地上に於いて又、新たな命が生まれるときに、その肉体に入り、転生をして成仏するための人生を歩むという・・・ことらしいです。・・・ 続く