marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(468回目)今一度、この国の死生観を考える、仏教について

2017-12-17 21:10:30 | 日記
 高野山のご住職が、ツアーされている外国の方にざっくばらんに説明されていたのだから、言われてみれば確かにそうなのだろう。民法のテレビ放送。ニッポン視察団!34か国!外国人観光客全国一斉”出口調査”「日本のココに満足」2017年ベスト25決定!という番組。ご覧になった方もおられたかもしれません。高野山のあの伽藍の建物、そして沢山あるお墓を夜にまわるナイトツアーなるもの、引率する若いご住職が冗談交じり?に説明。22位でしたが外国人にはよく知られているということだ。それでその若いご住職はこう話す。
◆「私の母は神道の出、仏教徒の家に嫁ぎ、結婚式はキリスト教、ハワイで結婚式を挙げました。これが一般の日本人です」と。ナイトツアーの出かける前にそう説明し来ている外国客に笑いが走る・・・。確かにそうなのですね。高野山の弘法大師空海さんは、当時もダントツの国際人でしたから、ただの仏教者というだけでなく、全地万物を含む歌を作ったのもあれば、評論もあり、唐の国で学んできた土木技術で満濃池をつくったり、私立学校のような綜芸種智院なる学校もつくたりとまれに見る飛び抜けた人だった。高野聖という門徒が日本中をまわったので僕の田舎も真言宗なのか・・・、そういえば田舎の爺さんが僕が幼稚園に入る前のことだがお寺に行ってお堂のなかで護摩を焚いていたのを一度見たことがあるような記憶がある。随分薄暗く、本道内が殆ど黒く見えたのは、あれは護摩を焚いたときのススだったのかなぁ。今はお寺も新しくなり、護摩を焚くためには消防法がどうのこうの、護摩を焚く天上部には廃棄のダクトを付けないといかないとかどうとか、後を継がれた若い住職が言われていたなぁ。新年とか特別な時には行うとか言われていた。聖とは「火を知る」から来ているそうで、いわゆる護摩を焚いて祈るシャーマンのような存在。本地垂迹(神と仏の同一)のような考えは空海さんなしには考えられない。つまり、現代の僕らの小難しく考えない一般人に近い考えなのだねぇ。
◆一方、最澄さんの永平寺は、仏教一筋、スーパーエリートのような博学多才な空海さんに対して、仏教一筋、これは道を求めるには雑学など覚えずとも一筋で、永平寺は沢山の日本の著名な仏教者を産み出す学校となった。したがって、現代では間違っても外人さんがツアーでまわって冗談交じりの宗教感を話し、笑うような場所にはならない。1000日間も山の中を日夜歩きまわる行などがあるが、途中やめるときは命を落とす時らしいのだが、2度も行った酒井僧正のような方もおられて、これはこれで怖い。これ体験しましょうなどは、間違ってもおこらない。
◆ここまでくだくだ書いて、僕は何を言いたいのかなのだが、実は「お経」というのは、誰に語っているのかという疑問。その中でも筆頭知られているのが「般若心経」なのだがこれはこれで説明本なども当然ごとく本屋さんの宗教コーナーにあるのですが、それでだ!これは説明なのか解説なのか・・・。実際そうなのだと教えられたとして(仏教の方ごめんなさいです)、それが分かったとしてそれからどうするがさらに問題ではないか。・・・だから、仏教徒は毎日、お勤め(お経を唱える)するということになるのだろうか。で、やはり空海さんはその宗教の最終形態「真言」(サンスクリット語なので”おまじない”のような呪文)に行き着く。で、一般人には到底、理解できない「即身成仏」なる考えまでいくことになるのか? *****それで、あまりよくわからんから考えないようにしよう・・・でいいのだろうか。人々は何とはなく・・・だろう。しかし、肉体は消滅しても霊は消滅しないものであることは、キリスト教でばかりではなく仏教でも語っていることなのである。おまけにというか実に多くの人が漠然としか思っていない完全成仏するには、仏教の教えにおいても気が遠くなるような長い時間をようするのだということなのです。そこで、空海さんは今生において成仏する、即身成仏ということを唱えるようになるのでしたが・・・。
◆実は、イエスがキリスト(救世主)であること言われること(つまり、彼を信ずる者の罪を肩代わりして、全てになって十字架に掛かられた)が、ここでどうしても必要になる理由がここにあるのです。・・・ 続く