昭和10年代の福博の夜景シリーズ絵葉書から「中洲の夜景」。那珂川・西大橋のたもと、カフェ・ブラジレイロが右端に写っています。戦前の東中洲にはカフェーや映画館、百貨店が並び福博一の繁華街でした。戦後は次第に夜のお店が増えて歓楽街化しますが、戦前はブラジレイロをはじめ文化の香りのする地域だったことは、作家・松本清張の博多滞在記(単行本等に未収録、昭和42年の福岡市案内に寄稿)などにも記されています。清張氏が博多に滞在した時期は諸説ありますが、この紀行文を読む限り「ちょうど福岡で博覧会が開催された年で」とあり、ブラジレイロの開店時期、千里十里食堂(現・千里十里亭)の事などに触れていることから、昭和11年と思われます。画工修行(グラフィックデザイン修行)の休日、ブラジレイロは高級すぎて入れず、千里十里食堂へ通ったこと。千代町の古書・山内書店によく行ったこと。そして博多湾鉄道(のち西鉄宮地岳線)で香椎浜へ行ったこと。この時期の体験がのち「点と線」誕生の複線になった、わずか3ヶ月の博多滞在が自分の唯一の青春だったと記し文章を締めています。