記憶探偵〜益田啓一郎のブログ(旧博多湾つれづれ紀行)

古写真古地図から街の歴史逸話を発掘する日々。ブラタモリ案内人等、地域の魅力発掘!まち巡りを綴ります。

久住飯田高原の長者原を開拓した油屋熊八と吉田初三郎

2007年02月03日 22時50分27秒 | 吉田初三郎
先日、探していた絵葉書をやっと手に入れた。ここに紹介する絵葉書は
大正末年、別府観光の祖・油屋熊八と鳥瞰図絵師で大正広重と呼ばれた
吉田初三郎が、大分県久住連山の飯田高原を踏査開拓した際の貴重な絵
葉書である。

画面右端が吉田初三郎、その隣が油屋熊八である。

現在も地名として残る「長者原」は、この地に伝わる朝日長者の伝説を
伝え聞いた初三郎が、当時別府を拠点に湯布院や久住連山へと続く避暑
地の開拓をめざしていた熊八に「この地を長者賀原と命名して、宣伝し
ましょう」と助言したことで開拓が始まった観光地である。

時はまさに観光ブームの到来時であり、初三郎は自らの会社に「観光社」
と命名、業界に先がけて観光情報誌「KWANKO」「旅と名所」「観光
春秋」などを次々と発行し始める時期でもあり、大正10年に手がけた
鉄道省「鉄道旅行案内」は一年で40数版を数える大ベストセラーとなり
彼の名声も一気に高まった後である。

絵葉書は「長者賀原開発事務所選定」と記された袋入りセットで、数セ
ットが発行されている。その中の数枚に、実地踏査中の熊八と初三郎の
姿が見える。この後、一行は日田や豊後森、耶馬渓を経て由布院へ至る。
金鱗湖の畔を買い占め熊八は中谷巳次郎を経営者に据えて「亀の井別荘」
を開くのである。

さらに熊八と初三郎は画策し、昭和2年に大阪毎日新聞社が募集した「
新日本八景」投票で別府を温泉部門第1位へ導く。さらに初三郎は自身
が新画室を構えた愛知・木曽川河畔の「日本ライン」を第1位へ押し上
げ、彼が観光鳥瞰図を担当した雲仙などは軒並み各部門の1位となった。
後、初三郎は大毎の依頼で「日本八景」鳥瞰図も描いている。

熊八と中谷家、初三郎の関係はまだ続く。昭和7年の観光社挨拶状資料
の中に、新たに観光社の一員となった中谷延三氏の挨拶状を発見した。
延三氏は熊八の勧めで観光学を学ぶため、初三郎工房の総務担当となっ
たと文章で記述。初三郎流の観光学は、現在日本有数の温泉観光地とな
っている由布院に遺伝子として受け継がれている。

さらに亀の井が昭和2年に始め、現在も続く亀の井バスの別府~日田~
耶馬渓へと続く観光経路は、まさにこの写真に残る実地踏査時に熊八と
初三郎が描いた構想であり、その沿線に亀の井ホテル支店が点在してい
るのである。

2009年、北九州での初三郎展を控えて、初三郎の九州での軌跡を辿
っている。もちろん多大な功績も合わせて掘り起こしを進めている。
大正期から昭和5年頃までに初三郎が描いた大分県の作品は、初三郎が
生涯「図画報国」を決心することになった耶馬渓を始め、別府・湯平温
泉・豊後森・日田など多数ある。その何れも鳥瞰図だけでなくポスター
も手がけている。

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