小さな日記

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復興の名の下に

2011年06月10日 | 情報

震災直後から、余震や被害の状況を知りたくてテレビをつけると、とにかく、日本は大丈夫、がんばろう!とはっぱをかけられ、不安や恐怖を訴えると、神経質で自分勝手なひとに思われるのかなぁ、という圧迫感があった。実際、自分もブログを書くときに、読むひとを意識して、読むひとの不安感を増長させてはいけないと、言葉を選んでいたと思う。

なるべく、良いニュースを知りたい、安心できる情報が欲しいという願いもあった。けれども、ずっと、体内から不協和音が響き続けていて、無視はできなかった。 「とても異常な時期にある自分」が、世間?社会?政府?、つまり、外界から統一したメッセージを受け続け、その中から、本当のことを知りたいと願いつつも、きっと、自分には真実は届かないだろうという無力感に侵食されているのを感じながら、それでも日々の営みを平静に続けていかねばという使命感に燃えていた日々。

なんといっても、わたしが打ちのめされたのは、地震と津波にあった街並みの映像だった。そこから想起される、とてつもなく大勢の人々、家族、友人、の生活の断絶に、胸にぼっかり大穴が開いてしまった。その映像が、映画ではなく、本当のことなのだと、はっきり自分に認識させることが、追悼の第一歩であると思い、その現実を叩き込むのに数週間かかっている。

その間にも、テレビも新聞(そのころは朝日)も、「がんばろう!」の連発。余震はくるは、放射能は飛んでくるは、の中で、被災地は、食べ物も、暖房も、電気も、ガスもない、家族の消息不明。東京にいる自分が文句を言ってはいけないのだと、叱咤激励していたように思う。

「節電しつつ政府が言う安全を信じて買い物や観光や外食に行って経済を停滞させないようにする」のが、立派な東京都民であるというメッセージがずっと流れている。 復興の妨げになるような、ネガティブなことは言ってはいけないような風潮がある。けれど、千葉の海岸で潮干狩りをする家族が「ひとが少ないからたーくさん採れた!」と喜んでいる映像は、わたしには恐怖映画のようだった。戦時の情報統制を彷彿させる全部同じのテレビのニュース。

そんなことしてていいの? 大丈夫なの? わかってしているの?と、言いたいことがたくさんあった。それで、結局、ヒバクてんでんこなのかなぁと、気持ちを納めようとしていたのだが。。。

作家の村上春樹氏がカタルーニャ国際賞の授賞式のスピーチで、「日本人は核に対してノーを叫び、持てる叡智、技術、社会資本を注いで原発に代わるエネルギー開発を国家レベルで追求すべきだった、それが、広島、長崎の犠牲者に対する、集合的責任の取り方となったはず」と、述べた。

スピーチ全文http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html

今、日本は、被災後の国ではない。放射能は漏れ続け、毎日、どこかしこで地震は続いている。ガス、電気はおろか、水道さえ使えない人々が大勢いる。まさしく、被災下にある国だ。不安を封じ込めて、復興の名の下で、前と同じ町を作り、前と同じ暮らしをしようとすれば、近い未来にまた、「わたしたちは、違う形の復興を目指すべきだったのだ」と悔いることになる。テレビや新聞のおかげで、東北、関東以外の地域では、この事態への温度差が激しく、被災中であると感じている国民は多くないのではないだろうかと、訝ってしまう。

地震や津波で命を失った方々や、そのご家族、友人に対して、50年以上に渡る原発稼動の中で命を削った作業員の方たちに対して、そして、広島、長崎の犠牲者の方々に対して、わたしたちは今行われている「復興」の方向を恥じずに語れるだろうか。

そんなわたしの思いを、的確に表現してくれている文章があった。大阪大学日本学の富山一郎教授だ。

http://wan.or.jp/reading/?p=2957

 

画像は、タイシルクのはぎれで、100均の木の額にコラージュしてみました。

 

 

 


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