小さな日記

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2008年07月24日 | Weblog
パウロ・コエーリョの「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」を読んでいる時に、「私」という字は、「仏」という字に似ていると気づいた。私から3画除けば、仏になる。3画はなんだろう? ホ・オポノポノで考えると、記憶、経験、論理。この3つが邪魔して、ひらめきを感知できなくなっている人間。

私に何かを加えるのではなく、引いていくと仏になるという発想。
仏になるとは、心が空になる状態。成仏。至福の状態。

世間では、「私」になにかを加えて幸せになりなさい!とけしかける。学歴、技術、恋、結婚、お金、保険、、、、、
「もっともっと病」になれ!とけしかけているだけだ。なぜなら、今の経済環境では、ひとが「もっともっと病」にならなければ、社会が成り立たないからだ。

今の社会が成り立たなくても、違う社会に変わっていくのだから、なにも心配することはない。今思う幸せと違う幸せを感じることができるようになる。
恐れずに、「もっともっと病」を止めましょう!

そう、恐れから解放されるには、私から引き算していくことなのだね。
「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」の女性は、「他者」という世間の考えから、男性は与えられた能力から、それぞれ解放され自分自身の愛と幸福をみつけるという、引き算の物語だった。

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