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小さな日記

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それぞれの思惑

2009年01月30日 | テレビ
録画しておいたNHKスペシャル、沸騰都市ヨハネスブルグを見た。アパルトヘイト撤廃後、法の優遇制度によって生まれた少数黒人富裕層がブラックダイアモンドとして羽振りをきかせてはいるものの、富豪白人が経済の大部分を牛耳り、黒人貧困層は2倍に膨れ上がっているという。

アパルトヘイト反対運動の闘士たちが、黒人富裕層となっている。それを彼らは、自分たちの努力、献身の対価と言うのが印象的。つまり、実力、能力、体力、気力があるかれらは、アパルトヘイト時代は闘志としてリーダーであったし、その後は経済のリーダーとなって元白人居住区のプール、テニスコート付の豪邸に住むことを、恥とも思わないのだ。脇にはブリキ小屋のスラムが多くあるのに。

アパルトヘイト反対とスクラムを組んだ黒人白人たちは、夢見る社会がそれぞれ違ったのだろう。西欧のように自由競争できる環境が欲しかった黒人、アパルトヘイトさえなければ、トイレくらいはある生活ができるようになると信じた黒人、白人社会で好かれなくても、黒人社会で尊敬されると期待した白人、、、、

けれど、南アフリカの現状は、ただ、グローバルに経済活動をできるようになった実力競争社会。貧富の格差はますます進み、治安は悪化するばかり。以前は狙われなかった黒人も狙われるようになっていて、今や、アパルトヘイト時代の悲惨を知らない10代の黒人の若者は、片やブランド品に身をつつみ、日本やアメリカのような「もっともっと病」に感染し、片や食うために暖をとるために、財布や電気を当然のように盗む。

地下資源、生態系資源の豊富な南アフリカを、世界中が狙っている。利用したつもりが利用されるありふれた歴史に組み込まれていくようだ。わたしの知っている南アフリカの若者も、多くが「もっともっと病」だ。そして、それが夢のある上昇志向で、良いことと信じて疑わない。

アパルトヘイト撤廃は、もちろんすごくよいことだったけれど、この現状を見ると、そこに、西欧社会のなにかしらの思惑と力が働いていたのだろうと思わざるをえない。「思惑とおり。順調!」とほくそえんでいる者はきっといる。戦後日本のこの劇的変化を喜ばしく歓迎し利用するアメリカのように。

画像は、家族で住んでいる家。電気も水道もトイレもないこういう家が、見渡す限り続く地域がたくさんある南アフリカ。南アフリカには、その気になればこれらスラムを全部壊し小さい2LDKにする財力は十分あるのだ。そんなことは後廻しで、株主配当金を一億円にしてかつての闘争仲間が豪邸に住めるようにする元闘士の実業家。個人の思惑が国を作る。日本もまた然り。

世界中が沸き立った輝けるマンデラ大統領就任。オバマ大統領就任と重ね合わせて、表向きの輝きに目がくらみ、見えなくさせられている現実こそが、歴史の方向を決めていくのかと思う。

戦後と言いながら戦前になってしまう

2007年08月15日 | テレビ
東京裁判で全員無罪を主張し続けたインドのパール判事の番組を見た。この裁判でも、憲法作成の会議でも、外国人の方が日本について調べ上げ、真摯な考察を繰り返していたことを知るにつけ、当の日本人が執り行っている現在の政治の不謹慎とも思える筋のなさに愕然とする。終戦記念日とは言っても、いまだ終わらない韓国、中国との問題。

菊次郎とさき

2007年07月13日 | テレビ
きのう見たテレビ
息子(タケシ)はどうしてもほしいおもちゃを買うために、母の給料袋から千円盗んでしまう。大酒のみですぐ暴力をふるう父に容疑がかかるように細工して。思い通り、家族もご近所も父を疑うが、父は潔白を主張し、家族間の軋轢は長引く。困った息子は父に告白。そこで父が取った行動は。。

息子に二度と罪を犯すなと約束させ、母に自分がやったと土下座して千円を返したのだ。「かばう」父。

あっちをかばい、こっちをかばいして、右往左往しているうちに、自分が悪者にされて、それも道。子どものタケシと違って、かばわれていたこともわからず、足蹴りするひとたちもいるけれど。

この本の写真、連れ合いのおかあさんにそっくりで驚いた。本、読んでみようかな。

サウンド・オブ・ミュージック

2007年02月13日 | テレビ
小学生のころ見た映画「サウンド・オブ・ミュージック」の実在のモデル。トラップ一家の次女、マリアさん(92歳)がテレビ出演。トラップ一家亡命後の生活を話してくださった。アメリカでコーラスツアーをして日銭を稼ぎ、土地を買って、家族の手で家を建て、ホテルを経営している。子どもたちは、アメリカの市民権を取り、男の子は従軍して、それぞれ医者、農場主などに巣立ち、マリアさん自身は、42歳から30年間、宣教師としてパプアニューギニア島で暮らしたそうだ。数年前に、島民の40代の男性を養子にして、彼の夢である教育者になれるよう尽力しているそうだ。そして、今は、養母マリアから受け継いだ歌の数々を歌集としてまとめて出版する準備をしている。
富裕なオーストリア貴族の娘時代、極貧のアメリカツアー時代、大家族で支えあっての牧畜と農業時代、パプアニューギニア島での宣教師時代、現在のアメリカでの音楽の時代。
マリアさんの茶目っ気たっぷりなかわいらしい笑顔は、このどの時代にも変わらなかったろうと思う。
ひとは、一回の人生でたくさんのことができるものだと、夢が膨らんだ。