Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

松の木が身を守ってくれた

2015-08-06 17:41:03 | Dr.大福よもやま話
戦後70年目の今年の夏、テレビのない生活の私にもネットやワンセグから映像が入ってくる。今日は中央線高尾山あたりの空襲の映像を観た。米軍機からの機銃掃射の勢いが凄まじい。それを観ながら大福先生と松の木のご縁、を思い起こした。

敗戦間近の今頃、大福先生は東海道、二宮あたりの海岸沿いで、米軍の本土上陸に備えてトーチカ作り等の労務に従事させられていた。6月に沖縄に送られるはずだったところが、大福先生が乗せられるはずの軍艦が撃沈されてしまったため沖縄には行かないことになり、本土決戦準備要員に回されたのであった。

当時、学徒は入営すれば(させられた、という方が正しいが)幹部候補生にされてしまっていた。当時、大福先生は上等兵だった。弱冠二十歳で実戦経験もない内向的な都会のもやしっ子が、日露戦争を生き抜いてきたような古参二等兵の上司に据えられる。

海岸で、いつものように労務に従事していた時のこと。突然、米軍機が近い空に現れた。それに気づいた大福先生が「散れー」と号令をかけた時には、古参兵たちはとっくに避難すべき穴なんかに隠れ込んだ後だった。

気がつけば、だだっ広い海岸にひとり立ち尽くす大福先生。米軍機からすれば格好の標的だ。ダダダダダーッと機銃掃射の的にされる。

大福先生、逃げる。ちょろちょろ逃げる。そんな時、先生の命を守ってくれたのが松の木だった。太平洋岸の海岸沿いに昔から佇む、あの松の木たちが弾丸の盾になってくれた。先生は松の木から松の木へと駆け巡った。相手は飛行機からの攻撃だから、再び戻って攻撃されるまで多少時間が稼げる。

その時自分がどのように逃げたのか、全く覚えていないという。気が付いた時には、なかなか弾に当たらない1人の兵隊を諦めたのか、米軍機は去っていた。

「松の木は僕の命の恩人なんだ」と、樹木の中でもとりわけ先生は松に親近感を抱いていた。確かに松と大福先生は、縁が深いなあと思う。このエピソードの他にも、松鶴亭、ピノッキオ…。

機銃掃射からうまく逃げられたのは、松の精のご守護、もあるのかもしれないけれども、私からみると、子供の頃からの先生の幾何学好きもまた、自らの身を守るのに役立ってくれたのではないかな、なんて思ったりもする。瞬時に立体的な思考や計算ができるようになっていて、それに身体が適切に反応したのではないかな、と。

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