Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

音楽と語学習得の関連性~私の場合

2015-01-18 18:34:43 | 豆大福/トロウ日記
正月のテレビ番組で、日本各地のオーケストラに所属する外国人演奏家たちによる座談会をみた。外国人のみた日本のオーケストラの特徴や、そこで体験したことなど、とても話が面白かった。だが何より驚いたのは、その番組に出演していた4、5人の外国人演奏家全員が、流暢で美しい日本語を話していたことだった。まるでそれは、“音楽と語学習得能力には相関関係がある仮説”を地で証明している、というように。

昨年末に、長年欲しいと望んでいたバイオリンをついに手に入れた。今までは折々に楽器店を覗いては、新作のバイオリンと弓の値段の高さにため息をついていたが、その購入はまた、いつ来るかは分からない未来に預けることにした。50年もののバイオリンをヤフオクで落札するのが、今はやっと。それで1ヶ月ほど弾いてみて、楽器にも慣れてきた。予想以上に音がよくて、満足している。

音楽それ自体も楽しいけれども、この1ヶ月でいろいろなことを再発見できた。まず、自分の読書スタイルと曲を弾くスタイルが同じだということ。どちらも、数冊(曲)を同時に進めるスタイルだ。1冊(曲)ずつ順番にマスターする、ということができない。要するに、飽きっぽいのだ。そのようなせっかちな性格が益々明らかになって、ちょっと凹む。

もうひとつは、「そんな気がする」だけかもしれないけれども、昔弾いたのと同じ曲を今弾くと、子供の頃よりかなり上手く弾けているのではないか、ということだ。

今となっては全く弾けなくなっているに違いないとほとんど期待していない中でも、ひょっとしたら体が覚えているかもしれないとの淡い期待もあった。実際のところ、確かに初めはほとんど忘れているのだが、ちょっと練習してみると、感覚としては、かつてより上手く弾けているような気がするのだ。これは完全に意外だった。しかも、自分にとって全く初めて弾く曲も、自分の予想を裏切る展開で上手く弾けているような気がする。葉加瀬太郎さんの「情熱大陸」など、弾いてみるまでは全く弾ける気がしなかったけれども、トライして3日目の今、楽譜付属のCDと、何とか合わせられるところまできているのが自分でも信じられない。とてもひと様の前で弾くなど考えられないくらい下手なのは確かだけど。

子供の頃と、今の違いは何だろうか。
それは、経験値が上がったことで、精神(あるいは脳)が幾分充実したことだろうか。つまり、予め、脳では「このように弾きたい」というイメージが、子供時代よりも格段確かに描ける。これが今の私のアドバンテージだろう。脳内にその曲の理想像が、音楽を聴いてきたさまざまな経験からある程度出来上がっていて、いざ自分が曲を弾く段になると体が勝手にそれに追いつこうとしている、という感覚だ。

冒頭で触れた音楽と語学習得の関連性だが、もしかしたら、この例のように、脳内でいかに(意識の下にあってでもよいので)「理想」を描けるか、「お手本」のストックがあるか、ということが重要なのではないかなあと、こんなことをふと実感している。

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