Netflix オリジナル『マンハント』 おもしろかった!
8話全体を通して 能天気な希望(ファンタジー)がどこにもないのが見る気になれます。
(といってやたら絶望をあおってるわけでもありません。)
NetFlixしか入ってないので(あとAmazonとだけど・・・)Netflix話が多くなりますが コマーシャル員ではありません。
犯人は、「孤独でさみしい人物」みたいに描かれてるけど、
捜査官のフィッツジェラルドさんも 同じくらい「孤独でさみしい人物」に描かれていました。
犯人逮捕だけが関心事項で家庭は崩壊するし、くそみそに言われてたのに成果上げたら横取りされるし。(Wikipediaには名前1回しか出てこないし)
そして 誰もいない赤信号で止まるのが恐怖で、最後のシーンも「すきなところへ行ってくれ!」と言いつつ誰もいない赤信号。
いい終わり方だ・・・・・・・
6話カジンスキーの生い立ちは、びっくりでした。
CIAの洗脳実験の被験者ですか! Wikipediaにも載ってました。
心理学の実験
カジンスキーは大学2年生の時に、ある心理学の実験に被験者として参加していた。それはハーバード大学の心理学者ヘンリー・マレー(英語版)が指導していた研究で、作家のオールストン・チェイスの表現を借りれば「あえて残酷になる心理実験」であった。被験者は、個人的な哲学について同級生とディベートすることになると告げられ、自分の信条や夢を小論文にして詳しく書くように言われる。この小論文は匿名の弁護士にまわされ、続くセッションではこの弁護士が敵役にまわって、被験者を侮辱するのである。「激烈で、草の根も生えないほど、人格的な欠点をあげつらう」攻撃が、小論文に書かれた内容を武器に使って行われ、その間の被験者の反応が電極によってモニターされた。このときの様子は録画され、怒ったり逆上する姿が被験者の前で繰り返し再生された[23]。この実験は3年間続いたが、その間は週に一度誰かがカジンスキーを言葉でけなしたり辱めた[24][25]。カジンスキーがこの実験に参加した時間は200時間に及ぶ[26]。
カジンスキーの弁護人は、彼がマインドコントロール技術に向けた敵意の原因をこのマレーの実験に求めている[27]。マレーの実験がCIAの洗脳技術研究計画MKウルトラの一環であったことについては、複数の資料がある[28][29][30]。作家のオールストン・チェイスなど、この実験がカジンスキーの犯行の動機につながったという意見を持っているものもいる[31][32][33][34]。
28 Moreno, Jonathan (2012). Mind Wars: Brain Science and the Military in the 21st Century. Bellevue Literary Press, NYU School of Medicine. ISBN 978-1-934137-43-7.
29^ “MKUltra: Inside the CIA's Cold War mind control experiments”. The Week. 2017年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月23日閲覧。
30 “Harvard and the Making of the Unabomber”. The Atlantic. 2014年8月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月23日閲覧。
ひぃー MKウルトラってなんか聞いたことあるぞ。マンチュリアンキャンディレイトだ。
『影なき狙撃者』(原題: The Manchurian Candidate)
このレビューはすごい → http://summaars.net/manchurian.html
こういう人格破壊は 関係ない人が文章で読んで受け取る印象以上に、経験者には重い破壊になってるとわたいは思います。
しかもこの人は飛び級なので 実験を受けたのが16歳くらいで、しかも「もともと繊細な人」という印象を受けますが。
ひぃーーおそろし
その実験はおそろしいんですが、大人になって今の気分のところも またさらにおそろしい感覚だ・・・
あの辺の描写 どのくらい事実なのかはわからないけど、
家族とかを欲しながら、また裏切られた、まただ、また独りだ、というあの感じ。
わたいはいいカウンセラーに会えたから 今は独りでもあの感じはないけど、
どうしてああいう感じになるのか 自分の場合で今言うとすると
周囲とのつながり以前に、自分自身とのつながりがまったくないから。と思えてならない。
一般的な通じる言葉でいえば「自己肯定感のなさ」というのか・・・
自己肯定感のなさ。これはそんなに苦もなく気づいたらまぁまぁの自己肯定感を持ってる人には
絶対にわからないつらさだ。あえて絶対と言わせてもらう。
「自分てだめだなぁ」と日々自覚できるような自己否定は、土台的自己否定感とは別の層のもので、
土台的自己否定感は時間や空間みたいに、日常では無意識領域になっていると言いたい。
時間のない世界を想像してください →
空間のない世界を想像してください →
自己肯定のない世界を想像してください →
想像したとしても ほんとかどうかはわからない。土台的に自己否定してるのに、「私はふつう」と思ってる。だから土台的。
空間の歪みに同化して自分が歪んでいる状態。空間の歪み は例えだけど、空間の歪みは絶対に自覚できません。
時間とか空間とかを認識してる無意識の土台と同じくらい、「自分はだめだ」が土台で、
=自分以外のものにならなくてはいけない が土台になっている。
ならなくてはいけない「自分以外のもの」が、家族とか「子供を持って幸せ」状態。
そうならなければいけないんだけど、そもそも自分はそうではない。
自分がそうなったらつらいものにならないとだめなので、
結局 そうなってもつらいし、ならなくてもつらい。
そいで、なんでそんな土台になってるのかというと、自分の場合だけど、
結局「人間」なので、周囲の見本が自分とは違い、かつ「そればっかり」だと、
それが「人間」なんだ、という感じがしてくる。
( 「結局「人間」」でなければ周囲に見本は不要)
それが人間、自分は人間、とすると自分はそうのはず、そうならないといけない、でないと人間でないということになる
みたいな感じ。
家族は大事、友人と過ごすのは楽しい、結婚できないのはさみしい人間、人と関わることが幸せの元、
ほんとにそればっかりだと、それが人間という気がしてくる。
周囲にうまくいってない人はもちろんいても、それは落伍者、不幸な例、となって蔑まれる。
家族、結婚、他人とかかわる が唯一絶対神状態。
「絶対」のものには、支配されます。山本七平さん『「空気」の研究』
でもしおりちゃんの双子話みたいなそれなりの説得力でもって 父母邪悪、家族他人 みたいなのが
並んでおいてあったら、絶対化はされず相対化されます。家族、結婚に支配されなくなる。
独りでいるのが安定している自分 を「これでもいいか」と思えてくる。
この状態が「自己肯定感」というか「自分てこうだなぁ」と、否定も優越もなく自分とつながってる感 ということかなと思いました。
しかも自分とつながってる感があると、自分や他人に何かを証明する必要がなくなるし
裏切られても苦痛の度合いが全然違う。
ここは体感してみないとわからないことかもしれないけど、ものすごく大きな違いで重要な違いです。
誰かに裏切られて死ぬほどつらいというのは、自分で自分に何かを証明しないといけないのにできてない状態。
ほとんど自覚できないと思うけど、これがあるとつらい上に、無駄なことをかなりやる必要がある。無自覚に。
だからこれがなくなると、心身ともにラクになり解放感も相当です。
以上 自分の場合で、ゆなぼまさんのことではありません。
かいつまんでいえば 自分はそういうことだったと解釈してます。
『マンハント』で思いがけずリアルな苦痛に出会って、まとめ欲がわきました。
2019-12-07 20:04:25
2020/7/1追加