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隠れてるものが出てくること、無自覚に気づくことが大事と感じてます。
 投稿終了は10/1か。

人工地震である12の証拠

2024-01-03 20:30:27 | 覚書き

https://web.archive.org/web/20220516212549/https://gamifer.jp/3-11-artificial-earthquake/

あとで読も。

 


覚書

2023-12-27 00:11:54 | 覚書き


https://twitter.com/harukaz34/status/1738631918324011509

 

 

あれだけ情報漏えいしてたにもかかわらず
多くの人がいやがって騒いでるにもかかわらず
誰にも止めることができず、ほんとにこんなもんが現実化するのか?????

ほんとうにばかばかしい限り。

 

   

2023-12-26 14:11:54

 

 


稲・多年草栽培集会!!

2023-12-12 13:27:04 | 覚書き

https://perennialrice2024.peatix.com/

    
うーーん。田んぼを見たかったが、満席だ!!

気づくのが遅かった~~~~~~

 

 

 

 

 


本当の黒幕 下 3

2023-12-02 19:58:55 | 覚書き

  
   

三#財閥は団琢磨が暗殺された後、どうして彼だけが狙われたのかを研究した。
それは(略)「君側の奸」ゆえなどではなかったのである。『日本改造法案大綱』
の北一輝に眼をつけた。彼をして青年将校たちに「金」を渡し、財閥のガードを
固めようとしたのである。(略)



三◇は龍馬暗殺のあとから危機管理機構を作り、田中光顕を最高代理人として
秘密資金を出し、スパイ情報網をあたかも蜘蛛の巣のごとくはりめぐらせていた
のである。だから、三◇財閥創立以来、一件の暗殺事件にも遭っていない。


 
(略)これ以上は書かないが、三#以外にもいろんな財界人から資金をもらっている。
その金で北一輝は若き将校を動かし、エセ革命芝居を演じさせた。三#は5.15事件
の演出者三◇に倣い、北一輝をして若年将校を動かした。それが2.26事件である。
あのクーデターに要した金のほとんどは、三#が出している。



裕仁は本庄繁侍従武官長から、この2.26事件を前もって聞いていた。(略)
私はこのクーデター未遂事件の演出者は牧野伸顕とその背後に田中光顕と三◇が
がいたと見る。三#にやらせた後に甘い汁を吸い取ろうとする三◇の思惑を見る。
このクーデターの後に外交官広田弘毅が首相になることで、このことが証明される。
(略)彼は純粋の玄洋社社員である。(略)
純粋培養された男は、ひたすらに玄洋社のため、そして天皇のために働くのである。
ここに天皇は「現人神」となり、頭山満は「国父」と呼ばれるようになった。
現人神と国父は一心同体となり、日本を大東亜戦争へと導く。

2023-12-14 20:20:08


三◇の蟲毒っぷりがすさまじいなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 


本当の黒幕 下 2

2023-12-01 06:17:12 | 覚書き


長文連(ちょうふみつら)の『天皇元勲重臣』(1984年)から引用する。
昭和天皇がどうして「現人神(あらひとがみ)」になったのかを知るためである。

 大正年代は、元勲凋落の時期であった。(略)
 政歴の古い割合には、昭和になって首相となった犬養毅は、もし存命であったら
 あの「大東亜戦争」を防止できる人物であったろうが、昭和7年の5.15事件で、
 青年将校の銃弾に倒れた。
 かくみると、昭和に入ってからなしくずし的に拡大していった戦争は、元勲
 候補者が、首相現職中に流した血汐の犠牲のうえに、ひきおこされたもので
 あることがわかってくる。
 =リーダーシップのある政治家、戦争を止めそうな政治家は殺された。

 原敬(田中を毛嫌い)の暗殺は、その時期に勃発していた宮中某重大事件(田中が関与)
 に関連したものだった。

 原の横死に力を落とした山県元勲は、それから3カ月後に病死しており、
 これによって、元勲の権威が、皇族、右翼の連合勢力によって、打倒されたのである。
 その経緯をみれば、昭和時代の、あの天皇への「現人神」信仰の出発点は
 元勲の打倒からはじまったことを、知り得るのである。

長文連の文章は非常にわかりやすい。何はともあれ、明治に議会制度が出来た。(略)
元勲なるものが登場したが、議会を中心に政治が動いていた。それを廃して、
天皇を中心にした政治をもくろむ連中が登場した。皇族の中心に(出自謎の)
貞明皇后がいた。その皇后を支えたのが牧野伸顕(田中と同郷)であった。
また、岩崎小弥太(代々田中の財布)
田中光顕も牧野と同様の思想を持っていた。
そこで右翼を利用することにした。
(略)

皇室は神聖視されているけど、鎌倉時代とかは武士が強くなって
天皇を幽閉したりとかしてた。その後も腕力にまかせて武士が中心で
天皇はお飾りのことが多かった。
南北朝時代に、「正統」と言われる南朝の皇子は殺された。
「明治天皇」も、「南朝が正統」と認めた。とどこかに書いてあった。
そういうのも考えれば「天皇は神」というのは、誰かがそれを仕組んで
立て続けにコマーシャルして演出して、考える力のない大衆をそう思い込ませた
(=洗脳した)というのは、まぁ当たり前と言えば当たり前なんだろうけど人が神だなんて、
しかしすごくしみついてる感じがし、不敬罪な感じがします。恐ろしいな。
戦争では300万のニ本人が「天皇万歳」と言って死んでいったこともあるから
洗脳で誰かのツールで嘘で偽物なのに、すごい重みに感じるんだろか。
洗脳で嘘なのに、殺された命が空気になって空気教になって、身体にしみついてるんだろか。

第二次世界大戦。こんなに殺したんだなぁ Wikipedia
世界大戦だから、もちろん日本だけではない。
戦争のやり方は変わるから、どんぱちやるだけが戦争でなく
気づいてない人はまったく気づかないみたいだけど
今回も全世界でどれだけの人が殺されてるんだろなぁ。
しかも、昔の「戦争」を演出したウクとか中東の殺戮でもさらに殺されて。
火事を演出して殺されて。
また脱線しました。
  
  
 
右翼とは何なのかを知ることによって、昭和時代を知ることができる。
日本の史家のほとんどは右翼を避けて昭和史を書く。右翼とは尊王攘夷運動の
落とし子であった。その代表的な例が玄洋社であった。頭山満が裕仁の結婚式に
招待され、皇室の賓客となってから、皇室は頭山満らの右翼らを新しい盟友と
して迎え入れたのである。このことを深く理解しなくてはならない。
はっきり書いて前に進もう。皇室のヤクザ化が進んだのである。そのよき例が、
久邇宮邦彦王が昭和天皇の妃、良子皇后の父親として、頭山満一派と結びついた
ことである。軍人たちが右翼の人間たちを尊敬し始め、急接近していくのも昭和
に入ってからである。昭和天皇は「現人神」に自ら喜んでなっていく。
 
私はこれから5.15事件、2.26事件などを書いていく。満州進出、日中戦争と
書いていくが、これらの事件のことごとくが軍人と右翼の“合作”なのだ。
明治、大正と続いた議会政治は消滅していく。ということは、優秀な政治家たちは
暗殺されるか、追放されていく。その中心に天皇を中心とする皇室グループがいる。
政治の世界に軍人が増加していく。山県有朋が消えたあと、右翼連合の時代と
なり、彼らが軍人首相と結びつくのである。
(略)
昭和天皇という新しい支配者をいかに位置づけるかを、皇室を中心とする連中
は考え、今まで完全に無視され続けた(英邁な)大正天皇が死ぬと、大げさな
葬儀を挙行した。一世一元を演出してきた連中は、天皇が死ぬと大赦を発動し
(連中に協力した暗殺犯を釈放したりし)た。そして、日本という国家は天皇が
支配する
ということを人々に教え込んだ。天皇の死は、古い時間が去り、新しい
時間の
始まりとなった。胡散臭い尊王攘夷の衣をまとった頭山満が天皇の結婚式
および
大祭の賓客となり、新しい時間、新しい時代のヒーローに変身した。
「民間の元老」
の誕生は、大正天皇の死と昭和天皇の誕生がもたらしたものである。
何がどう変わったのか。暗殺の美学がまばゆく輝き出したのである。

(略)
大川周明は『日本文明史』(1921年)の中で次のように書いている。
 明治維新の破壊的一面は「討幕」の一語に尽き、其の建設的一面は「勤王」の
 一語に尽きた。大正維新に於いては倒さる可きものは黄金を中心勢力とする閥であり、
 興さる可きものは国民其のものである。すなわち大正維新の標語は
「興民討閥」
 でなければならぬ。

(安田財閥の祖を刺殺した)朝日平吾は大川周明の影響を受けている。
大川の「興民討閥」が「奸富征伐」となっていくのである。この「奸富征伐」が
一君万民論、すなわち、天皇の前の平等という思想を生む。頭山満が言う
「陛下の赤子として生を此の世に享けた無上の光栄」がこれである。この思想
が結晶したのが「昭和維新」の思想である。この思想の体現者が、青年将校たちだ。
彼らは一君万民論を盾に、暗殺を武器に、興民討閥の正義を生きる。昭和時代
とは何か。暗殺の悪臭が芬々と漂った時代である。その中心に現人神・裕仁天皇
がいたのである。

 大事なのは民だ、金中心のやつらは討て!
→よこしまな富裕者を成敗してくれるわ!
→なぜなら天皇の前に民はみんな平等なのだから!

昭和9年(1934年)12月30日の『原田日記』。 (西園寺公望の秘書)
 28日の夜、後藤内務大臣と木戸と松平侯爵が自分の所に来て、例の国家改造運動、
 即ち田中光顕とか内田良平とか頭山満などを看板にしてやる右傾の大合同の
 合理的国家改造運動というような話をしきりにしていた。この中にはよほど
 大本教が入っているらしいが、結局上奏請願運動ということである。そうして
 宮様内閣を作ろうというのが目的らしい。

この運動が2.26事件へと発展する。あの事件は青年将校たちの叛乱と見るべき
ではない。

小沼正『一殺多生』から引用する。(略)
 一、我が国における政治の腐敗と世情の堕落は、日本精神の堕落によるものである。
 二、(略)
 三、(略)
 四、使命を達成するためにはまず披露困憊した今日の日本を救済する必要があり、
 これは青年の意気をまるほかはない。
 五、・・・(略)

昭和のはじめですでに腐敗して堕落して、披露困憊していたのだなぁと思った。
 
 
(大蔵大臣を射殺した)小沼正は、ワカメの行商人をしていた。
 行商人であるから、勝手口をのぞいては「こんにちわぁ、ワカメいかがさん」と
 声をかけて歩いた。(略)
 実際、下町の生活は予想をはるかに上回るひどさだった。破れ畳の殺風景な部屋、

 生活に疲れ切った表情の老人などが、やたら眼についた。
 「ワカメどころじゃないよ」
 「うちの人の好物なんだけど、その十銭がないのさ」と言う長屋のおかみさんたち。
 「こんな世の中、もうちっと、どうにかならないもんかね、ワカメ屋さん」
  
逮捕された小沼は「旧正月帰郷した時、百姓の窮乏見るに忍びず、
これは前蔵相のやり方が悪かったから殺意を生じた」 
Wikipedia

このワカメの話を読んだとき、やっぱりこの行商みたいな、
リアルな人と人のやり取りがあると、「もうちっとどうにかならんもんかね」という
会話が自然と始まるし、相手が同じ人間だというのが強く感じられるし
すると同情もひしひし湧くし、連帯感みたいなのも湧いてくるだろう。
「家族」を越えて、行商で会う人みんなに連帯感を感じて
みんなが家族のように感じ、そういうのが、政治家を暗殺する力になっていくんだろなと思いました。
今は 外に出ても四角を凝視してるのがデフォルトだし
リアルに会っててもそれぞれが四角を指先でつついてるような状況だし
ネットとかスーパーのセルフレジとか会話はないし
「表面は豊か」な奴隷だから 一見して殺意がわくこともない。
管理者にとっては それぞれが上の空 という、やりやすい状況を作ったんだろなと思いました。

千葉真一は映画『日本暗殺秘録』で小沼正を演じたが、小沼に会った時の様子を
「撮影を観に来てくれたが、物静かな方だった。撮影終了後に『千葉さん、良かったです。
本当にあの通りの気持ちでした』と声をかけてくださった。
『ああ、この芝居で間違ってなかったんだ』と、役者冥利に尽きる思いだった」と語っている。
同作品のDVDの特典映像(映画公開前の特報)では、千葉と談笑する小沼の姿が映っている。

 これかぁ。別に推奨しているわけではありません。見てみたいけど。

    

まだ5.15も2.26も語られてなくてこれからだけど、
後半の3分の1弱 ぱらぱら見ると、なんかますます中身が濃そうです。
後半に行くほど、エキス丸出しみたいな。すごいな。
2023-12-09 06:17:12