このブログを始めたころNさんという同病の友ができた。
彼女の地元にも会いにいった。
彼女は初めて、ここで転移したことを深夜にぽつりと、でも気丈に書き込んだ。
私は、深夜に家族が寝静まったあと、PCに向かい、ここのコメント欄にどんな思いで、転移という文字をうちこんだんだろうと、泣けて仕方なかった。弱い私に彼女は強かった。
でも、その強さも、張りつめた糸のような危うさと鋭い牙と隣り合わせのような、私を切なくさせる声にならない不のものがあったとおもう。きっと、Nさん本人も、そんな自分と手さぐりで付き合いながら、時に疲れて、ふっと涙もしたのでしょう。このPCの前で初めて泣いたと素直に書いてくれた。
あの頃のNさんと歩いた、冬の海岸で、はしゃぐ彼女の幼い娘さんが天使のように見えた。
約3年の時がたち、天使の娘さんは強く、大きく、母からたすきをうけとって、あの町をはしりぬけていった。
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Nさんからの嬉しいお知らせ。
地元の市民参加のマラソンりレーに、彼女の治療・闘いを応援するチームで参加し、走ったという。
昨年は治療で弱った体で走れなかった、その前の年もむりだった。なのに、今年、治療でへとへとの身体のはずなのに、しっかり、「母の元気」のために走る家族でたすきをつないだという。医師から許可されたのだ。
映像が送られてきた。
もう、命ってすごいとおもう。
ゆっくりだけど、前に前にすすむ母Nさん、娘さんも大きくなって、しっかりとした足どりで昨年よりもパワフルに走っていく。その姿も私にはあの海岸でみたのと同じ天使にみえた。
命が輝いているなって、感じた。こんなに素敵で強い人を友と呼べてシアワセ。
頑張ったね。
まだまだ。もっとたくさんの輝きの中をゆっくりでいいから進んでいってと願わずにいられない。
というか、私がNさん見習って輝いていかなきゃね。
まだまだ生きろといわれた私の命。このごろ曇ってないか?
友のまぶしさに興奮してる今夜。
素敵な時間は、自分で手にしないと。ね。
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精神力もそうだけど、今の乳がん転移をとりまく
医療もきっと、ゆっくりだけど、確実に進んでいってるのだとおもう。
Nさんの走る姿がそう知らせてくれた。