マグロチャンピオンの料理道場

人気バラエティー番組、TVチャンピオンの「マグロ料理人選手権」優勝者が、本格料理を分かりやすく教えるブログ。

あん肝の酒蒸しと工場での思い出(2)

2008年03月13日 | 酒肴
新商品の冷凍の「あん肝の酒蒸し」の開発は、工場に試作品を作りに行く前に、以前から付き合いのある大手居酒屋チェーンや、廻転寿司チェーンの仕入れ担当者に話をしたところ、かなり興味を持ってくれた。あとは価格の問題だけだったが、小さいサイズのあん肝原料は二束三文と聞いていたこともあり、なんとかなるだというという思いで上海の工場に飛んだ。

上海の浦東空港には、また「将さん」が迎えに来てくれて、早速、工場に向かった。

工場に着いたら、以前、日本の石巻の水産工場に3年間程、実習生として行っていた「王さん」という女性が出迎えてくれたが、彼女は日本語が少し分かり、とてもまじめな人で「あん肝」作りでは、本当に戦力となって手伝ってくれた。
もし、彼女が居なかったら、冷凍の「あん肝の酒蒸し」は成功しなかっただろう。

例の河豚捌きの上手な工場長は既に居なかったが、酒癖が悪かったので、たぶんそれが原因なのだろう。

工場の社長は大連に行っていて不在だったが、3日後には戻るようだった。

上海に到着したのが既に夕方でもあり、その日は「将さん」「王さん」そして、工場の社長が居ない時の代役の「ガン副経理」と一緒に食事をしながら、生産スケジュールの打ち合わせとなった。

さて、翌朝から早速、試作を開始した。あん肝原料は20㎏程、既に工場に届いていて鮮度も良かった。

しかし、小さな「あん肝」なので、ピンセット(後からは大きなトゲ抜きに変更)では、なかなか思うように血管が取れないし、王さんも慣れていないので、1キロのあん肝原料の血菅を取り除く掃除をするのに、1時間以上も掛かってしまう。

仮に居酒屋メニューに採用になった場合には、300店舗以上あるので、季節メニューとしても、13トンから15トンの製品を作らなければならない。

あん肝のシーズンが10月から12月までと考えて、この期間に製品で15トンを作るとすると、1ヶ月に7,500㎏。これを30日で割って、1日で250㎏の生産となる。

仮に1日に250㎏の製品を作るとするとして、歩留まりを60%と考えても420㎏を1日で処理しなければならない。(実際はもっと歩留まりは悪かったのだが、その時は少量作った時のデータしか無かった)

1時間に1キロしかあん肝原料の血菅の掃除ができないと、仮に10時間ぶっ通しでやったとしても、この作業だけで42人もの女工さんが必要となってしまう。

なんとか、王さんと二人で血菅の掃除を終えて、塩と酒を加えてから2つのバットに分けて、日本から持ち込んだ2種類の結着剤(接着剤)を、それぞれのバットにまぶしてから、結着剤のメーカーの指示通リ、冷蔵庫で一晩寝かせることにした。(冷蔵庫の温度は5℃~8℃)

次の朝、冷蔵庫に行ってみると、アクティバを加えた方は前の日はかなり水っぽかったが、今日はカスタードクリームのような硬さになっていた。そのまま舐めてみたが、薬品の味も感じられずイメージ通リだ。

ミートボンドの方は、少しは硬くなっているものの、同じようにそのまま舐めてみて、直ぐに駄目だと思った。独特のエグ味がして、これは肉には良いかも知れないがこの商品には使えない。

さて、いよいよこれをケーシングに詰める作業を始める。

塩蔵の豚の腸を水の中で綺麗に洗った後で、その中にスプーンで詰めるのだが、なかなかうまく入らない。しかたなく、キッチンに行って金属製の「ジョーロ」を見つけてきて、下の方を少し切ってそれを使いなんとかケーシングに積めて、ソーセージのようにして、10㎝程の長さで両箸をたこ糸で縛る。

蒸し機の方はかなり大型で、これなら1回に50㎏以上は処理できそうだ。

台車にトレーを8枚程、水平に並べることができ、台車のまま蒸し機に入れられることができるようになっている。

蒸し機の温度は既に100℃近くになっていたので、ドアを開けて実験用のサンプルをトレーに置いて台車ごと蒸し機に入れて蒸し器のドアを閉める。

それから、時計を見ていたのだが、5分も経たないうちにとても生臭い強烈な臭いが立ち始めたので、直ぐに蒸し機のスイッチを止めてドアを開けると、そこにはケーシングが破れ、中身が飛びだしたあん肝が散乱している状況で、何よりその臭いが強烈で、しばらくは何も食べたくなくなるような、気持ちの悪い臭いだった。

実験は見事に失敗して、しばらくはボーゼンとして頭の中が真っ白になってしまった。

それから、ラップで包んでみたり、雨の日にデパートの入り口に置いてある、傘用のビニール袋に入れてのテストをしてみたが、ラップに巻いたのでは生産効率が悪く、また、均一の商品を作るのが難しく、雨傘は同じように蒸し機の中で爆発してしまった。蒸し機の温度が高いのが原因だが、蒸し器の庫内温度が高くないと一度にたくさん処理できないし、温度が低いと細菌を殺せないだろう。

いったい、どうしたらいいんだ?

結局、どうゆう手立てもなく一度引き揚げることになる。

マグロの仕事でプーケットに行かなければならない用事もあったのだが、試作品だけでも完成させたかった。工場の社長とも会わずに帰るのがとても情け無い。

そして、毎日、頭の中はケーシングのことでいっぱいだった。。。













あん肝の酒蒸しと工場での思い出(1)

2008年03月13日 | 酒肴
今回は「あん肝の酒蒸し」(あんこうの肝臓に酒と塩を振り蒸した料理)の作り方の説明をするが、この商品には食品加工での辛い思い出もあり、まずはその話からしよう。

以前、筆者がプーケットのマグロ工場に居る時に、ひょんなことから上海の浦東空港の近くの中国人経営の水産加工工場を見に行くことになった。

バンコク発、上海行きの am 02:30発のMG(中国東方航空)の飛行機の離陸が2時間も遅れて、また飛行中の大きなの揺れに一睡もできずに眠たい目をこすりながら上海の浦東空港に昼前に着いたら工場の中国人通訳の「将さん」が笑顔で待ってくれていた。

工場は本当に浦東空港からすぐ近くの、車で10分程の距離にあったが、新しい開発区なのか周りには商店も何も無い寂しい場所だった。

工場に着くと早速、中国人社長の出迎えを受け、工場内に案内されたのだが、驚いたことに工場内には何の設備もなくガラガラの状況だった。

その日の昼は、眠くてボ~っとしているところに、近くのレストラン(食堂?)に食事に行くことになり、ぬるいビールの乾杯を受けながら工場のいきさつを聞くことになった。

まず、工場に-60℃の超低温の冷凍庫があるのが不思議だったので聞いてみた。(実は超低温があるのは分かっていたので、この工場を見に来たのだが)

その社長の話では、どこか日本の商社から「中国マーケット向けにマグロの販売を一緒にやらないか?」と持ちかけられたとの事だった。しかし、その日本の商社は自分達で独自に新たに大きな工場を建ててしまって、せっかく建てたこの工場を何とか稼動させなければならないが、何をしたら良いか分からないとの事だった。(日本人だけが騙されているのではなく、中国人も騙されるケースもあることを知った。)

何とかプーケットのマグロを中国向けに販売したいとの思いでここまで来たものの、社長の話を聞くと、中国でのマグロの関税が異常に高い上に、COマグロという質の悪いマグロに一酸化炭素ガスを吹きかけて赤く発色させた安価なマグロが既に中国国内にたくさん流通していて、マグロではとても中国では勝ち目は無さそうだ。

そこで、水産物でどんな原料をたくさん集められるか、明日、工場で原料を見せて欲しいという話を伝え、その日の夜の食事でも乾杯の洗礼を受けたが、早めに帰してもらい工場の2階の一応は客室?で爆睡ということになった。

次の日、工場のスタッフが朝食ができたと呼びにきてくれて、工場の食堂で朝飯を食べた。若布が少し入った水のようなスープと、瓜と卵の炒め物だったが、その時はまだ、これから何度もこの工場に来て、この料理を何度も食べるようになるとは思ってもいなかった。

朝飯が終わってから白衣に着替えて工場に入る。(何も設備が無いのだから白衣を着る必要もないのだが、いつもの習慣だ。


工場に届いていた原料は、河豚、あんこう、あん肝、だった。確か11月頃だったからこれだけしか集まらなかったのだろう。

工場長だという背の高い男が出てきて、まず、この河豚を捌き始めた。
それが、けっこうな包丁さばきだったのだが、解体が終わった後で、日本向けの河豚の加工品の輸出はこの工場では無理なことを社長に伝え、身の方は良く洗えば食べられるが、内臓は天然だと毒があり危険なので庭に埋めてもらうよう話をした。

そして、今度は自分であんこうを解体して、身は小さく一口大にし、あん肝は血菅を取り除き掃除をして工場のキッチンに持ち込み、あんこうの唐揚とあん肝の酒蒸しを作って、それを昨夜と同じ料理店に持ち込んで、工場の社長と工場スタッフ達と一緒に、また宴会となった。

しかし、中国人の「乾杯!」という習慣だけは、きっとこれから何十年経っても変らないのではないだろうか?
こちらが一人で相手がたくさんでは、どう見てもこちらが不利だろう。

あんこうの唐揚とあん肝をつまみに飲みながら社長の話を聞くと、あんこうの冷凍は日照市の友人が経営している工場の冷凍庫に200トンの在庫があるという。

また、あん肝は、中国の舟山など3箇所の漁港から入手でき、社長も既に日本に毎年、60トン以上も空輸していると言うではないか。
また、荷が多い時には相場も急落し、小さいサイズは日本に送っても値が付かないので現地で二束三文で売られるいると言う。

「もし、小さいサイズを結着して製品まで作ったらどうだろうか?」

という考えが浮かび、翌日は工場であん肝の加工に必要な物、設備と工場の作業レイアウト等の図面を書いて、そのまま一度日本に急いで帰ることにした。

念の為、工場にはかなり細かく加工に必要な物のリストを渡した。

あん肝を蒸す為の大型の蒸し器、作業台、真空包装機、それから、あん肝の血管を取り除くピンセットから、必要なプラスティクのトレーの枚数まで細かく指示をして日本に帰ってきたのだが、思った以上に工場側の対応は早かった。

1月初旬には、既に全部用意できたとの連絡が入った。

日本はお正月だが、中国は旧暦なので、1月1日位しか休まないだろうし、中国の突貫工事は仕事は手抜きが多いが本当に早い。

こちらは、まず日本で類似品があるかどいうか調べてみたが「あん肝の缶詰」はあるが、最終商品を冷凍したものは見つからなかった。
また、あん肝は築地市場では高い時には、生のままで1キロが2,000円以上もする時があり、北海道物では4,000円以上もする。ということが、築地の荷受の友達からの情報で分かった。

もし、中国から値が付かないので日本に送らない小さいあん肝を使って、最終商品(カットすれば直ぐに食べられる商品)を作ったら必ず勝算があるはずだ!

当時、とても胸が高鳴っていた。製造フローは、こうだ。

あん肝原料を水洗い後に、100ppmの次亜塩素酸ナトリウム(次亜)で殺菌して、塩を振り、再度、水洗い後に水切りをし、血菅をピンセットで取り除き、ソーセージを作る時のように豚か羊の腸に積めて、20分間蒸してから冷却し、皮(腸)を取り除いてから、軽量してサランラップに包み冷凍し、その後は真空包装すればよい。

原料には小さいあん肝ばかりを使うので、念の為に結着剤として千葉製粉の「ミートボンド」と、味の素のアクティバも用意することにした。どちらも粉末の結着剤だ。
結着剤とは、くず肉とくず肉を貼り付けてステーキにしたり、魚等の身と身を貼り付ける接着剤のような物だが、以前「骨無し魚」で、太刀魚を半身に卸して中骨を取り、再度、身と身を貼りり付けて元の形にする商品を作っていた時にたくさん使ったことがあるので、メーカーの知り合いの担当者に連絡すると、翌日には直ぐにサンプルが届いた。

ソーセージ用の豚か羊の腸は、東急ハンズにでも行って趣味の「手作りソーセージ」のコーナーに行けば、取りあえず実験用のサンプルが入手できるかも知れないと思ったのだが、その前に工場から既に現地で調達したとの連絡が入った。

直ぐに、旅行会社に電話をして、3日後の上海行きのチケットも準備した。

頭の中では既に製品のイメージも出来上がっていて、後は大量に作る方法を見つけるだけだ!

そういう気持ちで勇んで工場に飛んで行ったのだが、その時は、これから待ち受ける失敗の連続など思ってもいなかった。

続きは次回にしよう。。。