マグロチャンピオンの料理道場

人気バラエティー番組、TVチャンピオンの「マグロ料理人選手権」優勝者が、本格料理を分かりやすく教えるブログ。

タイのバンコクでマグロ料理の饗宴(最終回)

2008年01月07日 | ブログ開設とタイでの思い出
最高のバカンスとなったコーラル島から戻り、次の日の朝の便でバンコクに戻る。
今日はいよいよ「マグロ料理の饗宴」だ。始まる前から胸は張り裂けんばかりに興奮している。TVチャンピォンで、山田さんも星さんも本当に素晴らしい料理をつくっていた。今日は彼らと一緒に思う存分「まぐろ料理」をつくることができるのだ。
マグロの調達については、プーケットのマグロ工場の工場長に頼んでおいたので、品質の良いまぐろが、プーケットから航空便で直送されてくるだろう。マグロの白子や卵があれば一緒に送ってくれるはずだ。

まずは、お店に行き、お店に置いてある調味料を確認する。足りない調味料を買出しに行く為のチェックだ。
それから、近くのカフェに行き、タイ式のかなり濃くて甘い珈琲を飲みながら、今日の料理の献立作りを始める。

「まぐろカブト焼き」「カマの煮付け」「まぐろチャーハン」「目玉のトンポーロ」「白子の天ぷら」等々、約20種類の献立が決まった。
生マグロの寿司は星さんが担当だ。星さんが握る、とびきり新鮮なマグロ寿司になるだろう。

献立が決まったところで、いよいよ買出しだ。車で大きなスーパーマーケットを3軒ほど廻り、タイではあまり馴染みのない「オリーブオイル」等は「ビラ」という外国人がよく行く輸入食材が豊富なスーパーマッケットで入手した。

店に戻っていよいよ仕込みだ。時間はもう午後2時過ぎでパーティーは6時からスタートだ。しかし、ここで大きな問題が発生した。午後4時を過ぎても「マグロ」が到着しないのだ。肝心のマグロがなければパーティーは開けない。皆、やきもきしながらマグロの到着を待つ。寿司飯も出来上がり、マグロ以外の仕込みもすませた。ただただマグロの到着を待つだけだ。

山田さんが皆の気持ちを察してか、大きな紙にマグロの絵を書き始めた。下書きもせずに、まず黒のマジックペンで太くマグロの輪郭をかいて、次にカラーのマジックペンで色を乗せていく。見事なものだ。1枚を書くのに5分も掛からない速さだ。出来上がった「まぐろの絵」は次々に店内に貼られていき、「まぐろ料理店」という雰囲気になってくる。5枚ほど店内に貼り、最後の1枚を店の外の入り口に貼ろうと店を出た時にちょうど、店の前にトラックが到着した。
『まぐろが届いた!!!』の声とともに、いっせいに皆にエンジンが掛かる。
もう、5時をまわっている。時間が無い。私がマグロの解体を引き受け、まず頭と尾を切り離して山田さんに渡す。次に上身の背の方を切り離し寿司用に星さんに渡した。マグロの解体は店の外のタニア通リで行ったのだが、まわりには直ぐに100人以上の見物の人達が集まった。

今日の招待客は、夕方の6時に40名、8時に40名と聞いていたのだが、招待客は既に5時半頃からお店に入り始めていた。

とにかく、次から次に料理をつくった。どんどん、どんどん料理を出しても、いくら出しても、きれいに平らげた皿だけが戻ってくる。

夜の10時過ぎまで、まったく手を休めずにトイレに行く時間も無いほど、マグロ料理を作りに作りまくった。

後で聞いたところによると、招待客はそれぞれが、友人や家族も連れてきていたようで、1日に80名の招待客の予定が実際には120人以上は来ていたそうだ。

このような状況の中では、その場、その場での臨機応変の対応が必要だ。マグロはふんだんに届いたが、野菜類等は足りなくなると他の野菜やフルーツで代用したり、献立では煮物の予定だった物をフライに変更したり、調味料もタイの物を使用したりで、山田さんと星さんも本当に素晴らしいと思う。

そして、この日に訪れた招待客は、今日だけのオリジナルなマグロ料理を食べて、誰もの顔に笑顔が満ちていた。

美味しい料理は国境を越え、人々を幸せな気持ちにさせる。。。



タイのバンコクでマグロ料理の饗宴(4)

2008年01月06日 | ブログ開設とタイでの思い出
明日の新規OPENパーティーで使う「まぐろ」を調達しに来たプーケットだったが、マグロ船の到着が1日づれてしまった為、今日は星さん、山田さんと一緒に「コーラル島」に行くことになった。工場長のはからいで、モーターボートをチャーターしてくれて、工場の日本人の女性スタッフが一緒に案内してくれることになった。

工場の近くの桟橋まで車で行き、モーターボートに乗り込む。実はモーターボートは始めての経験だったのだが、思ったより早い。何かにつかまっていないと、海に振り落とされそうなほどだ。波は穏やかなのに、ボートの周りだけ激しい波しぶきで、上下に2メートルほど揺れている。時折、波しぶきが船にも落下し、いつの間にかTシャツがダルメシアンのようになっている。

遠くに見えていたいた島がだんだんと近づいてくる。実際はモーターボートが島に近づいているのだが、そんな錯覚を覚える。

モーターボートのスピードが落ちてきて、島はもう目と鼻の先だ。

しかし、なんという美しさだろう・・・

真っ青な空と、どこまでも透明なエメラルドグリーンの海。太陽の光を受けてキラキラと輝く白い砂浜。

プーケットには、マグロ工場の仕事で何度も何度も来ているが、マグロの水揚げ場は海から少し川を遡った入り江にあり、どんよりと濁った水の色だ。今まで仕事ばかりで、綺麗な海を見たことが無かったが、同じプーケットの近くにこんな素晴らしいところがあるとは夢にも思っていなかった。

さて、モーターボートから降りると、そこはもうビーチだ。まずは、チェアーを借りて、のんびり日光浴としゃれこむ。

時間だけがゆっくりと流れて行く。この静けさはなんなんだろう・・・ ビーチには観光客は我々4人しか居ないのだ。『そうだ、SARSだ!観光客は我々だけなんだ!』
工場の案内の女性に聞いたところ、やはり「SARS」の影響でプーケットに観光に来るお客さんが激減していたのだ。

そして、その日は、我々だけの時間をゆっくりと「コーラル島」で過ごした・・・

山田さんは三崎の出身の方なので、とても泳ぎがうまくて、何度も海に潜って、いろいろな貝などを見つけてきてくれては見せてくれた。

その時の状況は山田さんのHPに詳しく書いてあるので紹介しておく。
            ↓
http://www.kurobatei.com/boss/index.html

さて、明日はいよいよ、バンコクに戻って、「マグロ料理」の饗宴が始まる。。。


タイのバンコクでマグロ料理の饗宴(3)

2008年01月05日 | ブログ開設とタイでの思い出
タイのバンコクのお店のリニューアルOPENのパーテーで、三崎のくろば亭の山田さんと、塩釜の山孝の星さんと一緒に3人でマグロ料理を作ることになり、喜んで日本に帰国した。出発当日は成田空港のANAのカウンターで待ち合わせをし、飛行機は予定の時間通リに離陸したんだけど、飛行機はガラガラで空席が目立った。きっと1/3も乗っていないのではないだろうか・・・
どうしたんだろう?山田さんと星さんに『貸切みたいですね』と話すと、『SARSの影響だよきっと』という返事が返ってきた。
そう、当時は「SARS」の流行で、海外旅行に行く人が激減していたのだ。
タイにも感染者が出て、この時期にタイに行くということは「命がけ」の行為だったのだ。実際、山田さんも、星さんも友人や家族から引き止められたようだが、よく来てくれたものだと本当に嬉しかった。

バンコクの空港に着いて、バンコク市内に向かいホテルにチェックインしてから一緒に、2日後にパーティーを行うお店を案内して、キッチンを見てもらい、それから一緒に食事をしたが、また、いつものように「マグロ」の話で盛り上がった。

次の日はプーケットに移動して、パーティーに使うマグロの調達だ。
プーケットは綺麗なビーチがあり、リゾートとして有名だが、写真のようにインド洋の生マグロの水揚げ基地として、ここで水揚げされたマグロは日本にも空輸されている。当時、私はこのプーケットで水揚げされたマグロを工場で寿司ネタや、どんぶり用にスライスしてトレイに並べ、真空パックし、冷えたアルコールの中に入れて冷凍する仕事をしていた。カチンカチンに凍結されたマグロは主に、日本のファミレスに販売していたので、皆さんもどこかの店で食べてくれているかも知れない。

さて、バンコク空港から約1時間20分のフライトでプーケット空港に着く。途中、飛行機の窓から見えるプーケットは本当に綺麗だ。海岸線の水の色は、青のグラデーションでなんとも言えない美しさだ。
飛行場から早速、工場に向かう。車で30分程の距離だが途中、高いビルが全く無く静かに時間が流れている。

工場に着いて、早速、明日の水揚げ状況を聞くが、予定していた船が1日遅れでプーケットに来ることになった。

自分達でマグロを選ぶ予定だったのだが、船が来ないのではどうしようもない。
明日は何をしようか?ということになったのだが、工場長のはからいで、モーターボートを手配してくれることになり、次の日は「コーラル島」(珊瑚の島)に行くことになった。

夕方までホテルで休んで、それから、工場とは島の反対側の「パトンビーチ」に向かう。このビーチの名前に心当たりのある方がいるかも知れないが、このビーチはインド洋の津波でたくさんの人が波にさらわれたビーチである。まさかこのビーチが数年後にああいうことになるとは思ってもいなかった。。。

実はあの津波の時に、私はプーケットのマグロ工場に居たのだ。
当日の朝の8時頃に、まず小さな地震があった。私は前の日の夜は工場のスタッフと食事をしながらお酒をたくさん飲んだので、最初は2日酔いかと思った。
しかし、座っていたソファーから立ち上げって歩いてみても、フラフラするので、『もうお酒はやめようかな~』と、前夜、一緒にお酒を飲んだ工場のスタッフに話すと、『大丈夫ですよ、私も揺れてますよ。きっと地震じゃないですか』とのことだった。もう何十年もプーケットは地震など無いところなので、工場の従業員はとても怯えていた。それから、ちょうど2時間後にあの津波がプーケットを襲ったのだ。地震から津波まで2時間という時間があった。もし、あの時に「津波警報システム」があれば、あれだけの惨事にはならなかったと思う。。。

津波がパトンビーチを襲った後は、プーケットは大パニックになった。高台に避難する車で道路は埋まり、まったく、車も動かない。まるで映画(ハルマゲドン)を見ているようだった。次の日まで電話もまったくつながらない状況だったのだが、朝の6時頃に電話の音で目が覚めると電話の声は「山田さん」だった。心配で何度も電話を掛けてくれていたとのことで、いつも、心の優しい人だ。

さて、話を戻して、山田さんと星さんとパトンビーチに着いた頃には、太陽が沈みかけていて最高のロケーションだ。海に面した「タイ料理店」で一緒にタイ料理を食べながら、その日は「スパイスとタイ料理」について皆で話をした。美味しい料理を作ることについては、とても勉強熱心な人達だと思う。

さて、明日は「コーラル島」に出発する。

今日のところは、ここまでにしよう・・・  










タイのバンコクでマグロ料理の饗宴(続き・・・)

2007年12月29日 | ブログ開設とタイでの思い出
まさか、タイのバンコクでTVチャンピォンの決勝戦で戦った3人が一緒にマグロ料理を作れるとは夢にも思っていなかった。こんなチャンスはそうそうあるものじゃないし、皆、自分のお店があるのだからなかなか実現するものじゃない。

当時、私は以前勤めていたマグロ商社を辞めて、タイのプーケットの工場で生マグロを寿司ネタに加工する仕事をしていた。

その会社は本社がタイで、私は日本の支社での販売も担当していた。
生マグロを工場でスライスして、刺身用とか寿司ネタ用にカットして、トレイに並べて真空包装をして、それを、-35℃位に冷やしたアルコールに入れて凍結する。
わずか、2~3分でマグロはカチンカチンに凍るから、鮮度は最高の状態で保たれるるんだ。
もともと、私は料理の他に、マグロの加工や食品の加工を得意としていたので、日本の支社に居るより、タイのマグロ工場や、中国の食品工場を飛び回っていて、ほとんど日本には居ない生活になった。マグロスライスは日本の大手ファミレスに販売していたこともあって、そんなに日本で営業をする必要もなかったから、マグロ以外では中国で「あん肝の酒蒸し」を15トン位作って、大手居酒屋チェーンに販売したり、上海から山東省の石島まで海岸線を北上して工場探し等もやっていた。
当時、年間に50回以上、飛行機に乗ったりしていたが、ほとんどが国際線だった。

そして、タイに戻ると時間がある時は、「すし店」のお手伝いをしていた。
そのお店は、タイの私のいた会社が経営していたのだが、お客さんが少なく、すし店なのに「納豆オムレツ」等、訳の分からない料理をたくさん出していた。

私がお手伝いを始めて、本格的に「まぐろ料理と寿司」のお店として、メニューも、一新して再スタートという時に、リニューアルOPENならば、お客さんを呼んでパーティーをすることになり、タイの社長(日本人)から、せっかくならば、山田さんと星さんに声を掛けてみては?との提案があった。

山田さんと、星さんとは、TVチャンピォンの決勝戦後も電話で連絡を取り合っていたので、国際電話を掛けると、2人共、直ぐに快諾してくれた。

そして、バンコクで3人が揃って、マグロ料理をつくることになった。

とりあえず、私が日本に帰国して、成田空港で待ち合わせをして、いざ、バンコクへ出発!でも、その時、SARSの流行もあって、本当に成田まで来てくれるのか、とっても不安だった・・・







タイのバンコクでマグロ料理の饗宴

2007年12月28日 | ブログ開設とタイでの思い出
TVチャンピオンの番組収録の時は、実はもの凄く時間が掛かって、予選ラウンドの収録の日は朝の6時に築地本願寺前に集合。その後、築地場外市場でマグロ解体のコマを撮ってから、マイクロバスで実際に料理をつくる調理師学校に移動。でも、カメラのセットとかで、やたらに待ち時間が多くてね、結局、予選ラウンドの収録が終わったのが夜の11時過ぎ。本当にTVの収録って時間が掛かるんだよね。

一緒に戦った「三崎くろば亭の山田さん」と「塩釜の山孝の星さん」は、敵同士なんだけど、皆、とっても良い人で、退屈な待ち時間にいろいろな話をした。
私も含め、マグロ好きが集まったのだから、マグロの話に花が咲く。
特に、三崎のくろば亭の山田さんのお父さんは、遠洋漁業でマグロを捕る名人と言われた人で、マグロ業界では知らない人がいない程、尊敬されている人。
本当に意気投合して、マグロ料理での戦いの結果なんてどうでも良いという気持ちで友達になった。

写真の年配の料理人が山田さん。そしてマグロと同じ顔なのが星さん。もう1人が筆者。この写真を撮ってから、もう3年になるかな・・・

実は、この写真を撮ったのは日本ではなくて、タイのバンコク。

三崎のくろば亭の山田さんのHPにも、その時の様子があるので紹介する。
          ↓
http://www.kurobatei.com/boss/index.html

三崎のくろば亭の山田さん、塩釜の星さんと、なんと3人でタイのバンコクで「まぐろ料理」を作れるとは夢にも思っていなかった。

と、ここまで書いたところで、お店にお客さんが入り始めたようなので、続きは次回に詳しく説明したいと思う。



今日からブログを開設します。

2007年12月23日 | ブログ開設とタイでの思い出
今日は2007年(12月22日)もうすぐクリスマスです。

これまで、南米、アメリカ、ユーロッパ、タイ、そして今は中国と、いろんな国に行って生活して、たくさんのオリジナル料理も作って、TVチャンピォンの「マグロ料理人選手権」に出場したり、本当にいろんなことがあったけど、そんな、こんなをブログにしてみます。

しばらくは、料理の話しばかりになると思うけど、いろんな国でのエピソードも紹介していきたいと思っています。

皆さんからの、メールも楽しみです・・・