いつかは歩こうと思っていた、美々津大橋渡りだ。美々津大橋周辺には権現崎公園や国の重要伝統的建造物群保存地区美々津など見所があり、コースに取り入れた。
お船出の湯駐車場から約3分で道の駅日向に着く、左折し5分で権現崎公園入り口に着く。左折はしたのは良いが分岐点には標識がない。乗用車が通りかかったので聞いたところ、直進すれば良いと言われた。標識を設置してもらいたいと思った。

公園には広い駐車場とトイレがあるので安心だ。駐車場から左折・直進で海岸岩場に出る。右折すると県指定天然記念物権現崎照葉樹林だ。右折し照葉樹林を歩くことにする。

舗装の遊歩道から緑の苔むした遊歩道に変化する。各分岐点には標識があり問題なく歩ける。分岐点を左折し文学散歩道を下り登るとと牧水歌碑のある展望台に着く。牧水が権現崎で詠んだ「」が刻まれている。

展望台から、照葉辞林と苔むした遊歩道、その美しさに感動しながら歩いた。本当に綺麗だった。展望台からしばらく歩くと分岐点に着く。左折して湊柱神社を目指す。急坂をひと下りすると湊柱神社に着く。立派な神社だ。漁師の守り神だろ。

お祈りし湾岸道路を目指す。急坂な階段を下り、海沿いの遊歩道を上り下ると終点に着く。終点を左折し湾岸道路(臨港道路)を快適に歩く。港の漁船は湊柱神社祭りのために大漁旗で飾られている。青空にはためくく大漁旗が美しい。

湾岸道路から幸脇の街を右折と左折を繰り返すと美々津大橋歩道が見える。念願の美々津大橋歩きだ。わくわくする。(^_^)v

念願の大橋歩きだ。大橋から見える日向灘、耳川の風景を楽しみながらゆっくり歩く予定であった。しかし天下の国道10号、交通量の多いこと、その騒音が凄くゆっくりのんびりの雰囲気では無かった。残念(-_-)、レットは車の騒音にビビっている。「ビビてないよ」と怒っております。

大橋を渡り直ぐ左折すると国の重要伝統的建造物保存地区美々津だ。ここまで快適に歩いていたレットに異変が起こった。保存地区に入ったとたん歩こうとしないのである。リードを引っ張っても、頑として動かない。初めてのことだ。仕方がないので抱っこして歩く。なにか超常現象を感じたのだろうか。そう言えばここは、神武天皇お船出の地である。「ゾ~~~」まさかね(^o^)レットを番戸(ばんこ)に立たせ記念撮影。背後霊を期待したが写ってない。

美々津(日向市HPより) 美々津耳川紀行
神武東征御船出の地として広く知られている美々津の町には、おきよ祭りなど、お舟出の地にふさわしい多くの伝承行事が残されています。その美々津の河口に注ぐ、約70キロの耳川は、九州山脈を東西に蛇行する深い渓谷に育まれながら、四季の香りにつつまれたすばらしい景観と、その流域に生きる奥日向の人々のおりなす風物詩とともに、古戦場として今なお秘められた足跡を残しています。
そして、江戸時代から明治時代に全盛をきわめ、日向(宮崎県)と京阪神との経済、文化交流の拠点であった美々津の町並みは、その河口にあります。
廃藩置県時代の美々津県庁跡から一望できる美々津の町並は、虫籠窓や京格子をはじめ、通り庭風の土間に代表されるように、京都や大阪の町家造りを取り入れたものとして注目され、上町、中町、新町の通りは、今なお当時の面影を残しており、道行く人々の足をとめています。
とくに、昭和55年日向市に寄贈された市指定文化財(伝統的建造物)「旧廻船問屋、元河内屋」は、昭和57年、国県の補助を受け、総工費約6,000万円をかけて安政2年(1855年)の商家「河内屋」に復元されたもので、日向市歴史民俗資料館として、この町並みに開館し、全国的に珍しい河口に面した港のある江戸時代の町家をしのぶことができます。

日本海軍発祥の地記念碑案内板より
日本海軍は天皇が統帥された海軍の事でありました。このことから国が、神武天皇ご親率の水軍がはじめて編成され発信した美々津の地を「日本海軍発祥の地」と定め、紀元2600年記念事業の一環として建立されました。碑文の文字は時の海軍大臣米内光政閣下のもの。この碑は大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって破壊されましたが、昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁などの協力を得て現在の通り復元されています。
美々津県 美々津県庁
明治の廃藩置県で美々津県の検討が置かれたが2年後、都城県と合併して宮崎県となった。美々津県庁跡は現在、市役所支所になっており玄関前に記念碑が設置されている。

縁側のレットさん

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