フジテレビで剣客商売新シリーズが、北大路欣也が主人公小兵衛役で始まった。池波正太郎ファンの一人として楽しみにしていた番組である。今回はテレビを見ての感想を述べたい。 ◆今、時代劇は テレビ時代劇の長寿番組のTBS水戸黄門は、昨年12月、40年の歴史の幕を閉じた。今、テレビは若者向けのドラマやバラエティー番組が花盛りで、時代劇は衰退の一途をたどっている。 そんな中、時代劇にあえて挑戦するフジテレビの姿勢に敬意を表し、他局でも時代劇に挑戦してもらいたいと思っている。時代劇が衰退することは、伝統的な日本映像文化の危機と思う。 聞くところによると、韓国は時代劇を支援していると聞いた。日本もそうあってほしいと思う。でないと時代劇に携わってきた職人がいなくなってしまう。 ◆剣客商売を見て ズバリ、ミスキャストである。池波正太郎ファンの私としては残念である。原作では次のように登場人物が紹介されている。 ☆剣客商売「女武芸者より・・・・・・ 秋山小兵衛(こへい) 寝そべってる小兵衛のあたまをひざに乗せ、耳の垢をとってやっている若い女は、・・・・別に大女ではない。だがおはるのひざに寝そべっている小兵衛を見ると、まるで母親が子供をあやしているようである。[小兵衛]とは、よくも名づけたものである。 秋山大治郎(だいじろう) まるで巌のようにたくましく体躯のもちぬし・・・ ならんで立つと、大治郎の胸あたりへ、小兵衛の白髪頭がようやくとどく。大治郎の体躯が特別にすぐれているからではない。 佐々木三冬(みふゆ) 髪は若衆髷にぬれぬれとゆいあげ、すらりと引きしまった肉体を薄むらさきの小袖と袴につつみ、黒縮緬の羽織へ四ツ目結いの紋をつけ、細身の大小を腰へ横たえ、素足に絹緒の草履といういでたちであった。さわやかなうごきは、どう見ても男のものといってよいが、それでいて「えもいわれるに・・・」優美さがにおいたつのは、やはり三冬が十九の処女(おとめ)だからであろう。 ☆剣客商売(御家老毒殺より)・・・・・・・ 粂太郎(くめたろう) 健康そうな、以下にも童顔の愛らしさを残した前髪の少年なのであった。 ◆ミスキャスト 北大路欣也(小兵衛):ま、いいだろう。藤田まことの人間味のある小兵衛のイメージとはほど遠いが、そのうち北大路欣也小兵衛の味が出てくるだろうと期待している。 貫地田しほり(おはる):ほっぺたの赤い化粧など、田舎芝居か、貫地田が可愛そう。 齋藤工(大治郎):体の線が細い、小兵衛と身長差がない。原作と程遠い体型で迫力がない。剣客としての重みがない。 杏(三冬):演技力がない。原作の三冬にはほど遠い。 俳優名不明(粂太郎):はっきりいって粂太郎おじさん。前髪の可愛い少年のイメージゼロ。 ◆脚色がひどい 全て原作とおりとは言わないが、過度の脚色は原作ファンとしては許せない。特に小兵衛と小川宗哲(そうてつ)の友達感覚の会話にはショックを受けた。 ☆剣客商売(御家老毒殺より) 小兵衛と宋哲の親交はすでに十五年におよんでいる。身分の上下にかかわらず、その行きとどいた診察と治療に変わりなかった。・・・・・「これ小兵衛さん。急用かいの?」七十をこえなていがら宋哲の老顔は血色があざやかに浮出し。声音が澄通ってきこえるのである。 「宋哲先生。今日はひとつ、何もきかずに、私のねがいをおきき下さぬか」小兵衛がそういうと、言下に宋哲は「あ、いいよ」とこたえた。・・・「この薬を御鑑定ねがいたい」「どれどれ」かの散薬を受け取った小川宗哲が、しきりに匂いを嗅いでいる。ややあって、「これは毒薬じゃ」・・・・ ◆脚色 この時、小兵衛は58歳である。宋哲に対しては敬語を使っている。小兵衛は、義理とか人情とか、世間の常識を重んじる人間である。そんな小兵衛が年上の医者に友達感覚の言葉を使うはずがない。 宋哲は、上品な老医師で細やかな心の人間である。ドラマの宋哲(古谷一行)は上品さも細やかさもない。それに澄みきった声でもない。薬品を使い薬の鑑定をしている。名医の宋哲は匂いで分かるのである。 ◆まとめ と、いろいろ批判したが、これは、あくまでも私個人の意見であり、視聴者によって受け取り方が違うのは至極当然である。何れにしても、時代劇ファンとしては、この番組の視聴率が上がり、時代劇ドラマが増えることを願うのである。そういう意味で今回の剣客商売の俳優は、視聴率を第一に考えた配役かも知れない。 それぞれの俳優が、どのような剣客商売を作り育てるか楽しみでもある。そういう意味で今回の剣客商売は、テレビドラマとしてとらえ、どのような剣客商売に作り上げられて行くか、楽しみである。 期待を込めて応援したい。それに主演者の殺陣も注目したい。そういえば殺陣のうまい時代劇俳優は歳をとりだんだんと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・若い齋藤工君に頑張ってほしい。 |
三流役者が多いと剣客商売で寂しい限りです。
おっしゃるとおり、軽さと雑さが目立ちます。重厚さと品があっての時代劇。原因は役者と脚本にあると思います。
殺陣のうまい若手の俳優育成のために、我慢して見るしかないですね。あんまり見たいとは思いませんが。
貴重なご意見ありがとうございます。
池波さんは元々が新国劇の劇作家で名優、辰巳柳太郎・島田正吾の芝居を書いていた方ですし、書くだけではなく歌舞伎や狂言、能などの伝統演劇や新国劇以外の現代演劇、世界中の映画を数多く見てこられました。
その方からすれば、テレビシリーズのどの役者も最初から合格点などついたはずがありませんし、演出にしてもおなじこと。数々の不満をもちつつも、彼らの可能性にかけてじっと我慢して見てこられたはず。
今回の北大路板も、ご存命ならばいろいろ注文はつけられたでしょうが、激昂などはされるはずがありませんね。
池波先生は、小説と映像作品は表現方法が違うので
シナリオの構成は尊重する。
但し
原作のテーマと主な要素はとり入れるよう希望していた。
とくにせりふのニュアンスには神経をつかって
職業、身分、環境による微妙な違いに手を加えるのが
常だった。
1994-2太陽、香川圭子氏の話
池波先生が新国劇の脚本を手がけたとき
島田先生と激論をしていた。
池波先生は、一本気な方なので
激論に折れることはなかった。
よって、激昂はしなかったかもしれないが
怒っただろうと推測した次第です。