Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

遠鉄ストア湖西店

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
風呂で汗を流してくつろいだ後、夕食を買いにホテル隣りの遠鉄ストア湖西店へ出掛けました。

折角浜名湖まで来たんですから、旅人も浜名湖名物を食べたいのです。
お弁当コーナーに有りましたよ「浜名湖鰻丼」いいですね~。
それと今日は発泡酒ではなく「エビスビール」を購入。

ホテルへ帰りテレビを観ながらの食事です。

食事後、テレビを眺めて横になっていたらいつの間にか寝てました。


袋井宿・見附宿・浜松宿・舞阪宿・新居宿 

東海道自転車ぶらり旅 その1
東海道自転車ぶらり旅 その2
東海道自転車ぶらり旅 その3
東海道自転車ぶらり旅 その4
東海道自転車ぶらり旅 その5
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ホテル

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
今回は宿を予約しときました。
静岡県湖西市鷲津のグランドホテル湖西です。

一泊朝食付きで5,855円
愛車のシルバー号は屋内の階段室へ入れて貰えました。
綺麗な部屋で静かな感じの良いホテルです。

直ぐに風呂場へ行き、汗でしょっぱくなった全身を洗い流し、ゆっくりと湯船に浸るのは、実にどうもいいもんですな~。

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新居の関所

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
広重五十三次 荒井(渡舟ノ図)

気が付いたら、関所の前だった。

自転車をひたすら漕いでいると無心になれる、精神的にはすこぶる良い感じだ。
しかし、無心で汗を流し只ひたすら走っていると時として、否、頻繁に失態を引き起こす。目的地のいくつかを素通りして来たのだ。

弁天島では弁天神社の境内にある天女の松といわれる松を見たかったのだ。
新居宿にある種田山頭火の句碑 「水のまんなかの道がまっすぐ」にも寄りそこねた。

ガックリ気分を増幅させてくれてのが関所に入れなかったことだ。
閉門時刻を過ぎてしまったので、門の外でウロウロするばかり、旅人は通行手形は持ってはいないが、関所には入りたかったよ~!

諦めて、今夜の宿へとペダルを漕いだ。

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今切の船渡し

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
広重五十三次 舞阪(今切真景)

東海道を真っ直ぐ進んできたら海に出た。

当時の人は陸地が今切れたのでこの場所を「今切」と呼んだ。

その昔浜名湖は淡水湖だったが、浜名湖南端から太平洋に注ぐ浜名川河口に「浜名の橋」が架けられ古代東海道、東国方面への交通が確保されていた。
明応七年(1498)地震津波により今切が出現し、浜名湖は一部を海と通じた。
その後、暴風雨・高波高潮・山津波等の自然災害で今切が拡大した。
浜名の橋は高波で破損し、以後架橋されず、東西の交通は渡船に頼る様になった。

船でしか渡ることのできない浜名湖今切の東側に位置しているのが舞阪宿だ。
湖上一里の船渡しの先は新居宿だ。(東海道五十三次俄史跡研究家)

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西友楽市 浜松高塚店

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
広重五十三次 浜松(冬枯ノ図)

浜松城を後にして東海道へ戻ろうとしたが、道を間違えたようです。

地図を持たない旅人は、頭の中の大雑把な地図と太陽を頼りに南西方向を目指します。

いくつもの丘を越えて、名前も解らない住宅地の道を西へ南へとカンを働かせてズンズン突き進んだのでした。
道を曲がり前方の交差点を見ると「東海道→」の標識が有るではないですか。

暫く走ると西友楽市を発見、体温を下げるために店内で休憩&水分補給。

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浜松城

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
ここ浜松城には徳川家康(1542-1616)が岡崎城のあと駿府城に移るまでの間の17年(1570-1587)居城したそうです。

浜松城の特徴は、石垣の「野面積み」です。野面積みは、外見こそ粗雑で、一見すると崩れそうに見えますが、奥が深くて、排水性も良いので、耐久性は高く、浜松城では石垣の一部を平成五年(1993)に修復してはいますが、その多くは、元亀元年(1570)築城当時のままだそうです。(東海道五十三次俄史跡研究家)

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天竜川

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
広重五十三次 見附(天竜川図)

天竜川を渡るのには、天竜川橋と新天竜川橋がある、事前に調べた情報だと天竜川橋は歩道がなく徒歩・自転車は危険らしい。
上流側の新天竜川橋を通ることにしたが、こちらは路面に白線を引いただけの歩道で大型トラックが通ると、自転車ではかなり危険を感じる。

両橋の間に新しい橋を架ける工事中でしたが、新しい橋では歩車道を分けて欲しいものだと思いますな。

歩道整備の遅れている静岡県です。

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マックスバリュ磐田店

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
13:00 そろそろ昼飯にしようと思っていると、左へ500mメガマートの看板。
マックスバリュ磐田店の中にはイートインも休憩所も無い。
表へ出て、広~い敷地内をウロウロ。
一番端っこのメガマートに赤い小さいmのマークが見えた。
マクドナルドで昼食。
でかいイオンタウンなのに食事をする所が少ない。
土曜の午後なのにお客もチラホラ、これでやって行けるんだろうかと心配になりますな。

国道へ戻り、先程曲がった交差点から500m程進んだら道路脇にマックが有るじゃないですか。
ここに有るのが解ってたら、直進して来たのにと、がっくり!

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どまんなか

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
「東海道五十三次どまん中東小学校」
随分変わった名前の小学校ですな、袋井は東海道五十三次の真ん中には違いないんですが・・・。
こんな名前を小学校に付けるなんてセンスが良いんだか悪いんだか解りませんが、東海道五十三次のどまん中に有ることが自慢なんでしょうな。
などと思っていたら、正式には「袋井市立袋井東小学校」って云うそうです。

私のぶらり旅もとうとう半分まで来ましたか。

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松並木

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
広重五十三次 袋井(出茶屋ノ図)

東海道の松並木です。
きつい陽射しの中ペダルを踏んで来たが、松並木に入ると気温も下がるのか、風がヒンヤリと心地良い。

街道脇のそこここに、東海道の浮世絵が掲出されている。
浮世絵に出会う度に立ち止まっているので、同じ方向に歩いている人と前になったり後になったり、なんか、ちょっと恥ずかしかった。

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十九首塚

2005年09月03日 | 東海道自転車ぶらり旅
古い街並みの中をフラフラといい調子でペダルを踏んで行く。

すると「十九首塚」なる看板と矢印が出ていた。
住宅地の中の墓地の隣りに説明文と新しい石碑が建っていた。

案内看板より
平安時代、下総の国(千葉県)を中心に勢力をのばした平将門は、天慶3年に常陸の国(茨城県)の国府を襲撃し天慶の乱が始まった。
朝廷の命を受けた豪族の藤原秀郷らは、平将門を討ち4ヶ月で乱は納まる。
藤原秀郷は、討ち取った平将門以下家臣19名の首級を持って上洛。
掛川市のこの地で、朝廷の勅使と会い検視がおこなわれました。
この時、首級を小川で洗って橋に掛けたのが「掛川市」の語源とか…
秀郷は屍に鞭打つ事は非道とし、19基の塚を造りここに埋葬した。
土地開発等により、現在は一つだけが残されており、春秋二季の彼岸、8月15日の命日に供養祭がおこなわれています。(東海道五十三次俄史跡研究家)

因みにこの辺りの地名は十九首(じゅうくしゅ)といいます。

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