Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

大晦日に雪

2004年12月31日 | 身辺雑記
いや~、朝起きたときには良い天気だったんですが、ふと障子を開けて外を眺めたら、なんとまあ、一面の銀世界。

大晦日のお仕事が終わったら帰るからねって、娘が言ってたんですがこの雪じゃ車では無理だろうと思い、迎えに行くと連絡のメールを入れた。
私の車はスタッドレスを履いてるし、この間も新潟で雪道を走ってるしで、私は雪道には慣れてるんですよ。
ただ、心配なのは雪に慣れてない人の運転する車なんですね。
スリップしたり停まったりはまだしもぶつけられたら厭だからな~。
そんな訳で雪道に慣れてない人は今日は運転しないで下さい。

犯行を繰り返す性的犯罪者

2004年12月30日 | 私しゃ、こう思う!
奈良女児誘拐殺害事件で小林薫容疑者36歳を逮捕
http://www.sankei.co.jp/news/041230/sha040.htm
捕まえてみれば、やはりと言うべきだろうか、性的犯罪者の辿る道の最後には殺人が待っていると云うことだろうか。
過去の被害者達の無念が活かされていない、現在の法の下で私達は安心して生活できるのだろうか。
この男が過去に犯した性犯罪の記録を近隣の人々が認識していたならば、今回の事件は防げたのかもしれない。
そしてこの男を殺人者にすることも無かったかもしれない。
全ては、もしも、の話である。
一刻も早く法改正を願いたいもんですな、そしてこの小林薫容疑者が二度とシャバに出て来ること無く一生を終えることを願う。

参考までにこんな事も有ったのを思い出して下さい。

出所のたびに女性に襲いかかる男
宮地恒雄39歳(みやじ・こうゆう)2004年7月19日、愛媛の19歳女性を殺害。
http://www013.upp.so-net.ne.jp/n-d005g/mirror/miyajikouyuu.htm

俵孝太郎氏はこんな事を仰ってます
イギリスでは、単純な性的犯罪者でも、統計上再犯率が高いという理由で、社会防衛の見地から服役後の住所を公表している。要は性犯罪者と一般市民と、どちらの人権を重視するかだ。日本の法曹界は、そこが逆立ちしている。【俵孝太郎】

今日の朝は気持ちよく晴れて、近所の公園へ散歩に出掛けたら真っ白い富士山と昨日の雪で少し白くなった丹沢山塊が青い空をバックに実にどうも絵のようでした。
午後から地元のHC(ホームセンター)へ出掛けて見たんですが、凄い人手(これは海に居る奴)じゃなくって人出。
出入り口のガードマンが手をぐるぐる回して車を誘導しようってのは判るんだけど、その先の信号の向こうから混んでるんだよね。
毎年、年末はお店の中で忙しく働いていたんで、お店の外の事はまったく知らなかったんです。
こんなにも混雑してるのかって、外から見て改めて感心してしまいましたね。
多分今頃はお店の連中は忙しいだろ~な~。
その後、近所のスーパーで買い物中に、偶然以前お隣に住んでいた方に声を掛けられました。
「いや~、お久し振りです~」なんて世間話をしたりして、「それでは良いお年を」なんて挨拶を会社以外でするのはもしかして初めての経験かも・・・。

日本の防波壁が首都を守ったモルディブ

2004年12月29日 | 私しゃ、こう思う!
報道によるとスマトラ沖大地震による死者がどんどん増えている。
10万人にも及ぶかもしれないと云う記事もある。
更には二次被害としての伝染病なども心配されている。
日本は早急に医薬品援助や医療チームを多数派遣すべきです。
こんな時にこそ日本の自衛隊は平和維持の為の部隊だと云う事を近隣諸国に知って貰う為にも、緊急災害出動させるべきなんです。
イラクなんかよりもずっと世界中の人々から喜ばれる事だと思いますよ。

「日本の防波壁が首都を守った」モルディブ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041228-00000072-mai-int
感謝をされる為に行うのではない、結果として感謝される事もあるのだ(海老名誠)

母(おばあちゃん)から電話で「雪が降ってるけど大丈夫?」ってことで私しゃ???状態。
「雪なんか降って無いよ!」(だって、外は雨なんだよな)
「こっちは外が真っ白だよ!」(そうなの!)
年末年始を家で一緒に過ごそうって話しで、今日迎えに行くと言っといたんで心配して電話をくれました。
昼前に家を出たときは雨でしたが、横浜に近付くにつれて周りが白くなり出し、実家に着いたら駐車中の車の上や庭、屋根には雪が積もっていました。
母を連れて帰宅途中で、父(おじいちゃん)の入院先に来年のカレンダーを届け、スーパーで正月用の買い出しをして帰宅。
やっぱり、こっちは雨でした。


京急ファーブ 湘南池上店

2004年12月24日 | 情報日記(スーパー他)
横須賀市池上7-43-1 電話046-850-6850 営業時間10:00~21:00
駐車場150台 2004年12月14日開店
京急ストアの上質店と云う位置づけでしょうか、東急ストアの「プレッセ」的な店作りになるんでしょうね。
外観は山梨の「セルバ」や群馬県前橋市の「フレッセイ(クラシード)若宮店」に良く似てますから、多分プログレスデザインではないかと思うんですがどうでしょう。

お店の入り口に生花コーナー、入って左側にベーカリーとイートイン、ここのスペースは大きな窓ガラス側に向かってカウンターテーブルがあり見晴らしが良く仲々いい感じ。
各食品のコーナーには関連グッズをお洒落に配置していて、高級感を醸し出している。
鮮魚コーナーには、船名・船籍・漁場・水揚げ港・せり日付等を表示して、マグロのトレサビリティーをアピールしている。
リカーコーナーにはリーチインのワインセラーもあり、品揃えも品質への拘りが現れている。
クリスマスイブってことなので、クリスマスメニューは揃っているんですから、もう少しサラダを充実させて貰いたかったなと思うんですが、どうでしょうか。

私が知っている限りでは横須賀では一番お洒落なお店だと思いますよ。
今後もはみ陳には注意して下さい。

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長岡日記ー6-2(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月22日 | ボランティア日記
画像は関越道から撮った、雪中の小千谷仮設です。

今日で6日間のボランティアを終えて明日帰宅致します。
後方支援のつもりで来たのですが、いくつもの災害最前線を見せていただきましたし、お手伝いもさせて頂きました。
今も心に残るのは、お孫さんを亡くされたおじいさんを照会された時でした。
ご挨拶の言葉が出て来ません、なんと言ったら良いのか言葉が見付からないんです。只、頭を下げるしか出来ない私でした。(ホントに情け無い奴です)

これから被災地は雪に覆われて約3ヶ月の間、ボランティアは山に入ることが出来ません。
私達に出来る事は、復興のお手伝いと経済的な協力でしょう。
復興のお手伝いは春3月を待たなければなりませんが、経済的な協力でしたらこの冬の間にも出来ると思います。
それは新潟県へスキーや温泉、宿泊旅行等の観光に行って頂きたいと云うことなのです。
他県を予定していた方は是非、新潟県へ行って新潟県にお金を落として下さい。
その経済活動が地元の復興に役立つのです。
被災者の側では気が引けて楽しく遊べないとか、なんか悪いような気がすると言う
方の声も聞きますが、被災者の方達は「是非、新潟に来て下さい、それが私達には一番嬉しい事です。」と仰っていました。

自分に出来る事を無理せず遣りたいと思います。

おわり

長岡日記を読んで何かを感じたら

長岡日記ー6-1(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月22日 | ボランティア日記
画像は自分で雪囲いを作っているところ、すきま風は防水テープを貼り付けて防いでいるそうです。

歯が痛んだので目覚めたら夜中の3時過ぎ、突然ガタガタガタガタ、縦揺れ地震が・・・。それ程大きな地震ではなかったので一安心して、歯の痛み止めを飲んで一眠り・・・、寝坊してしまった。
窓から外を見ると雪でした。
雪の中を、これが地元神奈川だったら大雪だな等と考えながら魚沼ボラセン(ボランティアセンター)へ、ボランティアが必要との事だったので、中越センターから2名で出動だったが。
魚沼へ着いたたら「今日は雪なので作業中止!」
ではと、田麦山を目指し雪道を今日始めて運転するパジェロで飛ばす。
流石にオフロードカー・パジェロ、これくらいの雪では4WDにしなくても全然ヘーキだな。
田麦山に着いて見ると物資部の車がいる、昨日頼まれた物資をこれから資材ベースに取りに行くとのことなので、我がチームも合流して助っ人。
資材ベースに着いて見ると約15cmの積雪、思わず学生ボランティアが雪合戦などおっぱじめやがって、可愛いったらありゃしない。
ここは川口を見下ろす小高い山の上にある。僅かな高低差でも随分積雪が違うもんだな。
物資を田麦山に運び、仮設(仮設住宅)の情況を見てから川口ボラセンへ。

新潟は雪国です、仮設にも雪囲い(ゆきがこい)が必要なんです。
雪囲いって言うのは出入り口の外側に囲いを作って、出入り口の戸を開けたときに外の雪が家の中まで直接吹き込まないようにするための、いわば二重ドアの外側とか防風スクリーンと思って貰えれば良いと思います。
けれど与えられた仮設には雪囲いは無く、取り付けは各個人の自費で行わなければなりません。男手の有る家はまだ良いのですが、婦女子、老人宅ではこの「雪囲い」の取り付けもままなりません。これにも今直ぐボランティアが必要なんです。

各ボラセンでのお話を聞く機会が有ったけれども、それぞれが様々な想いや思惑で動いているなあ、と云うのが素直な感想かな。
それぞれでのお話には皆、頷けるし成る程と感心したりもするんだけど、別組織のボランティアグループに向ける視線は随分と冷ややかだな。
まあ、自分のとこのボラセンが一番頑張って居るんだって云う自負が有るのかもしれないけど、もう少し広い気持ちを持っても良いんじゃないでしょうかね。

お風呂は毎日長岡市内のスーパー銭湯に通ってました。今日は露天風呂に浸かって頭に雪が降り掛かるって云う実に風流なお風呂でした。


長岡日記ー5-2(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月21日 | ボランティア日記
画像は雪が降り出してきた田麦山ボランティアセンターへ相談に訪れた地元の
方達の車。

途中、山間部では雨が雪に変わった。

ラジオが自衛隊は本日撤収したと伝えていました。
そう言えば今日はあまりヘリコプターが飛んでいるのを見かけなかったな。
日本財団も撤収するようだ。

今日は始めての後部座席での巡回に途中居眠りが出て困ったな。



長岡日記ー5-1(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月21日 | ボランティア日記
画像は浦柄で生き残った錦鯉。

朝、目覚めたら奥歯が猛烈に痛い、近くの歯科へ行き治療してもらった。

午後、雨の中、田麦山、魚沼、栃尾の各ボラセン(ボランティアセンター)を巡回。
今後ボランティアセンターに求められるものはなんなのか、現地ボランティアの声を直に聞き取りに来ているのだが、各ボラセン、や各自治体、各社協(社会福祉協議会)により考え方が随分違うようだ。
ボラセン自体縮小して行くのだろうが、救援活動から復興支援活動へとその役割が変わって行くのかもしれない。

これからは地元の方々の手によって復興に向けた作業が始まるのだろう。


長岡日記ー4-2(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月20日 | ボランティア日記
画像は崖崩れのため通行不能の道路(南荷頃)

午後からは昨日入った南荷頃(みなみにごろ)での作業になった。
今日は通行許可証を手配して貰ったので中越センター隊は車2台で栃木桑原隊の先導の元現地へ進入出来た。
昨日、栃木桑原隊の車に同乗して走った道を今日は私がハンドルを握って走るのだ、顔には出さないつもりだが内心はかなり緊張している。
昨日の現場に入ったら、栃木桑原隊や日本財団・JR等の方々が泥にまみれて作業をしておられた。
私達の中越センター隊も早速作業に参加、私も長靴に履き替えて作業開始。
洪水で流れて来て、道路に取り残されたゴミの撤去は、取り敢えず人海戦術で道路に溜まった泥を土嚢袋に詰め込むんだが、これがたっぷり水を吸い込んで重いし、粘土質の土なので粘ってスコップから離れないし、私の様な素人にはキツイのナンノってありゃしない。
この泥をトラックに積み込むまでがここの現場の作業だ。
この作業を黙々と行う。
その後、川口ボラセン、田麦山ボラセンに災害救援ボランティア情報「かわらばん」を届け本日の作業終了。



長岡日記ー4-1(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月20日 | ボランティア日記
画像はズタズタになったゴルフ場のグリーン。

今日の中越センター隊は、愛知県から来た高校生のボランティア4人の手を借りて午前中資材ベースの掃除、後片付けを行った。
雪の時期を真近に控えて、各ボランティアセンターは活動を縮小している。
各地の災害現場でまだ片付いていない所もあるが、雪が降ったらそれ以降の作業は出来なくなる。
作業出来るうちに今まで使った資材を片付けなければならないからなのだ。
午前中はポカポカの陽気で綺麗な空気と云うことでまるでピクニック気分だった。


長岡日記ー3-2(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月19日 | ボランティア日記
画像は崩れた民家と崖下の車(小栗山)

この地区は震災に続いての水害だったのでダメージもかなり大きい。
道路の端にはゴミが積まれているが行政の手が回らず回収が遅れている。
ゴミの回収にも、まだまだボランティアの手が必要だな。
小栗山地区では、家の下の土が土砂崩れで半分無くなっていて、倒れて来た杉の木に支えられて持ちこたえているような家屋や家の半分が崖下に落ちてしまっているとか、車が崖下に落ちていたりとか、生々しい災害を目の当たりにしてきた。

その後、小千谷ボラセン(テレビでお馴染みの小千谷体育館の前)へ回り長岡へ帰る。
ボランティア新聞「かわらばん」に今日見て来て感じたことをコラムに書く。



長岡日記ー3-1(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月19日 | ボランティア日記
画像は左側へ傾いた道路と崩れた家(小栗山)

資材ベース、小千谷ボラセン、から、浦柄(うらがら)、(優太ちゃん救出の地区で
す)を通過して、更に奥の通行許可が無いと入れない南荷頃(みなみにごろ)小栗
山(おぐりやま)地区までは入れない。
私達の車は通行許可証を持っていないので、通行許可証の有る車に同情させて
貰って進入。
南荷頃ではいたる所、道路の陥没、家屋の倒壊、そして崖崩れはまるで今日起き
た様な生々しさで迫ってくる。



長岡日記ー2-3(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月18日 | ボランティア日記
画像は塩谷の民家

地元の方が家の雪囲いや野菜の収穫をしたいのでボランティアを頼んだのだが「あんた達?」と勘違いされたが、出来ることが有れば直ぐに遣りましょうって事で、私はもう一人と一緒に農作業班として長芋掘りを手伝いました。
畑は歩いて行けば15分くらいの所でしょうか、行く道は鯉養殖池の包みが破れて流れ出た泥にまみれて非道い状態です。
農家の方はこれが今年最後の収穫だからと、大根を抜き、長芋を掘り、里芋を掘っておられる姿に山里で暮らす人の執念の様なものを感じました。
「せっかく掘ってくれたんだから、これを持って行け。」とおばあさんに言われても、そう簡単に貰えるものじゃありませんよ。
それでも、せっかくのご好意ですから、運ぶ途中で折れてしまった大根を貰って帰りました。
これは後に風呂吹き大根、大根のキンピラ、味噌汁にして中越センターの食事に出しましたが、大変ご好評をいただきました。
ここへ来てもシェフ海老名は健在です。

帰り道、来たとき村を見た峠から振り返って見ると、立ち昇るゴミ焼きの煙も何故か悲しく目に映った。

昨晩は寒くて何度も目が覚めて困ったので、今日はホカロンを買って来て寝袋の中にふたつ入れて、寝袋の上にも毛布を描けて寝ることにした。
これでなんとか寒さにふるえずに眠ることが出来るでしょう。



長岡日記ー2-2(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月18日 | ボランティア日記
画像は倒壊した民家(塩谷)

倒壊した家の片付けは大分進んでいるようだ。
鯉の養殖池は堤が壊れて水が抜けてしまっている。
棚田への排水パイプも壊れていて来年の稲作に間に合うかどうか。
倒壊した家の後片付けが済んだ場所に老人がたたずんでいる。
お孫さんを亡くされたおじいさんだと照会をされた。
なんと言ったら良いのか言葉が見付からずご挨拶の言葉も出て来ません。
只、頭を下げるしか出来ない私でした。(ホントに情け無い奴です)

明日で全員山から降りるので、今日は何としても飼い猫を連れて行きたいと言うおばあさん。
引っ越しの騒ぎの中で猫が居なくなってしまったんだそうだが、誰もいない山村で飼い猫が越冬出来るんだろうか、見つかれば良いんだが。



長岡日記ー2-1(新潟中越地震災害ボランティア)

2004年12月18日 | ボランティア日記
画像は谷越えに見える塩谷集落と棚田

川口資材ベースから塩谷地区へ、この塩谷地区は養鯉と棚田で知られる風光明媚な地だが、今回の地震で三人の被害者を出している。慣れぬマニュアル車デリカを運転して復旧作業中の道を進入禁止の看板を横目にずんずん進む。

曲がりくねった坂道を昇って行くと、パッと視界が開けてきた。
水が抜けた棚田の、その谷の彼方に塩谷の集落が見える。
何も知らなければのどかな山村ですが、まるで黒沢映画の「七人の侍」の舞台となった村の様な、初冬の収穫後の村からは晴れた空に煙がふた筋立ち昇っている。