Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

京都三条大橋

2005年10月29日 | 東海道自転車ぶらり旅
三条の通りに近付くにつれ通行人の数がどんどん増えてくる。

土下座前

江戸時代中期の勤王思想家、高山彦九郎が京都を出入りする度に皇居の方角を向いて、ひれ伏した姿を再現したものですが、現代の若者は待ち合わせの場所として「土下座前」と呼ぶそうです。京阪三条駅はこの下です。

双六でいえば、上がりです。
広重五十三次 京都(三条大橋)

我が相棒、シルバー号はよく走りました。
途中パンクや故障もなく無事500kmを走り抜きました。
私しゃ、二度ほどでん繰り返しで、大きな痣を作りましたが、危険な運転のトラック・バスには悩まされたものの、ぶつけられたり轢かれたりせず生きています。

さて、旅は江戸から京まで来ましたが、この後どうしたもんでしょうか。
旅は来たら戻るもんですからな~、往路で寄れなかった地を復路でじっくり見るのもひとつだし、中山道を江戸まで戻るもまた一興かと思うのですが・・・。

それにしても今日の雨には参りましたな。
先ずは風呂に入って身体をあっためなくっちゃね。

取り敢えず、これにて終了。

石部宿・草津宿・大津宿・京都


本日の経費
交通費 19,230円
飲食費 3,579円
雑 費  9,550円(宿泊・お土産)
 計  32,359円

水分摂取量 1.5リットル

のべ10日間のこの旅の経費合計

交通費 60,170円
飲食費 17,676円
雑 費 32,999円(宿泊・お土産)
 計 110,845円

東海道自転車ぶらり旅 その1
東海道自転車ぶらり旅 その2
東海道自転車ぶらり旅 その3
東海道自転車ぶらり旅 その4
東海道自転車ぶらり旅 その5
東海道自転車ぶらり旅 その6
東海道自転車ぶらり旅 その7
東海道自転車ぶらり旅 その8
東海道自転車ぶらり旅 その9
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真如堂

2005年10月29日 | 東海道自転車ぶらり旅
ここまでは、外国方も来ないんでしょうか、静かです。
写生をしている方も居りました。


カメラが増々悪化してきたので、ケータイで撮りました。

映画の「蝉しぐれ」の撮影はこの辺りで遣ったのでしょうか。


落ち着いた良い雰囲気です。少しのんびりしました。寒くなってきたので、ゴールへ向かいます。

南禅寺

2005年10月29日 | 東海道自転車ぶらり旅
日没までには少し時間があるし、雨も上がったことだし、ゴールの前にチョッと寄り道。

外国の方が大勢来てました。観光バスのガイドさんや、車引きの兄ちゃんも居て賑やかです。


カメラのレンズの中が曇ってきました。


折角の紅葉がかすんで居るのはカメラのせいです。

草津から逢坂

2005年10月29日 | 東海道自転車ぶらり旅
東海道を見失った旅人はガソリンスタンドの親切な兄ちゃんに道を尋ねやっと辿り着いた。

草津宿本陣

建物は平成8年に改修されたが、江戸時代の姿が残されている貴重な国指定史跡である。建坪468坪、部屋数39室268畳を有した瓦葺き平屋妻入り建物で本陣屋敷の他に表門・住居台所・湯殿・御除ヶ門等が現存している、とのこと。

左手が料金所

入館料200円を払って座敷へ上がってみたかったのだが、靴の中までビチョビチョの旅人は諦めて、雨の中へ走り出すのだった。

草津宿街道交流館

中を覗いてみたかったのだが、雨具の着脱の面倒くささにここも諦めて、雨の中へ走り出す・・・・・、いや、ここはアーケードの下でした。

草津宿街道交流館の向かいにある自転車屋さんのおじちゃんに聴いたら、このアーケードの下が東海道だそうです。

雨が小降りに成ってきましたが、今度は衣服の水分が蒸発する気化熱のために身体が冷えてきました。
街道の温度計は15度ですが、体感温度はもっと寒いんです。
ひたすらペダルを踏み続ける旅人は瀬田川大橋を渡ってしまった。
仕方なくその先の交差点を左折して戻り、瀬田の唐橋を西から渡った。

瀬田の唐橋



改めて、東側から渡り直す。


石山から国道を走り続けて、気付いたら大津への道を通り過ぎていた。

瀬田の唐橋から緩やかな勾配をずっと登り続けてきたがいよいよ登りがきつくなってきた。

蝉丸神社

私が知っているのは百人一首にある「これやこの ゆくもかへるも わかれつつ しるもしらぬも あふさかのせき」と云う歌ぐらいものです。
ここが正にその逢坂の関ですか。

逢坂常夜燈

ここが、都と東国の境だったんですね。

7月には箱根の登りを喘ぎながら自転車を押していましたが、石山からここまで休まずに登って来られました。旅人は旅の中で少しは成長したようです、自らの足も鍛えられていました。

この先の坂を下ればもう、京です。

石部宿から岡まで

2005年10月29日 | 東海道自転車ぶらり旅
高札場

石部の中心辺りの大きな交差点脇に整備された高札場が雨に濡れていた。

東海道五十三次のモニュメント

雨の中佇む旅人に、ゴールまであと僅かだぞと語りかけているようだ。

古い町並みが続く

雨が強くなってきたが、雨宿りしている余裕はない。

コスモス

雨の中のコスモスは、旅人の濡れた心まで癒してくれた。

手原、稲荷神社

ここは東海道です往来のまち手原、とある。

将軍義尚・鈎(まがり)の陣碑

室町幕府9代将軍足利義尚が、長享元年(1487)九月、六角討伐のため近江に出陣し、陣(将軍御所)を置いたところ。

名代田楽茶屋、京伊勢屋跡

東海道を往来する旅人の休憩所として江戸幕府によって立場茶屋が置かれた。
ここで供された食事は地元産の食材を使った茶飯と田楽で独特の風味を有し東海道の名物となった、とある。
広重五十三次 石部(目川ノ里)

泉川から三雲

2005年10月29日 | 東海道自転車ぶらり旅
雨が小雨になってきたのがチョッと嬉しい。

東海道はこの橋を渡る。

泉一里塚

立札には、近くに有った一里塚をここに復元したと書いてあった。

横田の渡し大常夜燈

高さ10mもある常夜燈の向側には横田川が流れており、対岸から夜でも解るように渡し舟の灯台だったらしい。
旅人は渡し舟がないので、国道を進み、適当な所で遠くに見える古い家並みを目指して進むのだった。

追分け

JR草津線脇の追分け標識この辺は東海道の表示が少ないので、こう云う標識は有難い。

三雲

東海道に面している立派な門があったのでパチリとしてみた。

トンネル


トンネル2

ここはヨーロッパの城塞都市か?と思うようなふたつの石造りの門?トンネル?が有った。雨が強くなってきたので旅人は後ろも振り返らずにズンズン進むのだった。
大沙川隧道
そう云う事だと解っていれば・・・。



モノトーンの景色の中、艶やかな菊の花が旅人の心を和ませてくれた。

造り酒屋


北島酒造

創業文化二年(1805)今年で丁度200年なんですね。この杉玉も来月には新しい物に取り替えられるんでしょう。
雨で、カメラのレンズが非道いことになってます。

東海道自転車ぶらり旅 その10

2005年10月29日 | 東海道自転車ぶらり旅
今回の旅で初めての夜行だ。

23:15 家を出発、天気予報によると明日は雨、雨具の用意をしたので荷物が重い。雨の前触れか蒸し暑い、汗をかいてしまった。

00:30 小田原着、前回の旅で知り合った旅の先輩に教えて頂いた東海道お得情報で、快速夜行列車「ムーンライトながら」の指定席を取ってある。
これに乗るとリクライニングシートに座り普通料金で早朝に大垣まで行けるのだ。
ホームのベンチで時間待ちをしている前を長い貨物列車が何台も通り過ぎて行く。
何故か、先頭の機関車に「桃太郎」の文字が・・・。
子供の頃、家の近くの東海道線を走る貨物列車の車両を飽きもせず数えていたことをふと思い出してしまった。

03:40 ふと、目覚めたら浜松だった。桃太郎が停車している「ムーンライトながら」を追い越して行くでわないか、きび団子をやるからそれに乗っけてくれないかな~。
上り線に特急の「サンライズ出雲」が入ってきた。

07:30 大垣で乗り換えて米原に到着、ここから近江鉄道に乗り換える。

09:30 水口石橋着、雨仕度を調えて走り出す。

道の真ん中に水口曳山のモニュメントがある。

前回、通らなかった道を少し東へ向かって戻る。雨の中ご苦労なことですな。

古い町並みを雨に濡れながら走っていると、何かしみじみと旅人だなと感じられるんですな。


高札場跡

ここから取り敢えず西に向かって進むことにしましょう。


桔梗屋文七

中はクリーニング屋さんです。

土蔵も今日は雨の中です。


お火焚祭

11月13日に古城山中腹の稲荷神社でお祭りが有るようですが、旅人はそれまで待ってられないので「ふ~ん」と言って先を急ぐのだった。

コミニティセンター

「川内町曳山展示中」とあったが、旅人は「ふ~ん」と言って先を急ぐのだった。

柏木公民館

何故ここに火の見櫓のモニュメントが有るのか解りませんが、雨の中旅人は人に聞く気にもなれず水口を後にするのだった。

東海道自転車ぶらり旅 その1
東海道自転車ぶらり旅 その2
東海道自転車ぶらり旅 その3
東海道自転車ぶらり旅 その4
東海道自転車ぶらり旅 その5
東海道自転車ぶらり旅 その6
東海道自転車ぶらり旅 その7
東海道自転車ぶらり旅 その8
東海道自転車ぶらり旅 その9
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水口宿

2005年10月02日 | 東海道自転車ぶらり旅
ここから国道と分かれて左の東海道を進む。

水口の町の中は人通りが少なく駅への道を聞こうにも人が歩いていない。
適当に曲がり角を曲がって走っていたらお城が見えた。

水口城趾

水口城は徳川家光公が上洛の際の宿泊所として建てられた城で天主閣はなく、その後加藤水口藩の居城になり、明治維新の時、廃城され石垣と堀だけが残ったが、近年、櫓が再建されたらしい。

地図を持たない旅人は駅への道が解らない。
たまたまバス停の前に座り込んで居た女子中学生らしき二人連れに「水口駅にはどう行ったらいいんですか」と聞いたら、そんな駅は無いとの答え。
私しゃ思わず、何だ?何だ?状態に陥ってしまった。
困ってしまって♪わんわんわわん状態で居たら、その原住民の一人が「水口城南駅なら直ぐそこにあります」なんぞと仰ってくれちゃいました。
まあ、何でも駅なら良いやってんで、教えられた道を進むと、ホントに直ぐそこでした。

水口城南駅

15:00 本日は、ここまで。
ここは、近江鉄道の無人駅でした。
駅名の表示を見たら水口駅はここから二つ目でした。
二つ目の駅も知らないとは、さっきの原住民はどうやら電車には乗らないんだな。

この近江鉄道は単線運転です。
乗ってみて解ったんですが、この電車ワンマン電車って書いてありました。
乗車したら入口の発券機(バスに付いてるのと同じ様なやつ)から整理券を取ります。
電車が無人駅で停まると、運転手が運転席から出て来て降りる人の乗車券をチェックします。
暫くしたら、とある駅から自転車を押しておっさんが電車の中に乗り込んで来ました。
私しゃ、何だ!何だ!状態で興味津々おっさんを見ていたんですが、他の乗客はあまり興味を示しません。
おっさんは自転車を押して車内の通路を歩いて行きます。実に不思議な光景です。
私も自転車と一緒に電車に乗ってますが、私のシルバー号は今は袋の中に収まって大人しくしています。

米原駅

米原駅に降りてから解ったんですが、この電車はサイクルトレインと言って9時~16時までなら特別に料金はかからず、乗車券があれば自転車を乗せても良いようです。
じつに面白いことを考えるもんですな。
駅の改札で整理券を出したら「フリーきっぷ」ってのをくれました。
550円で近江鉄道なら土曜・日曜・祝日に限り1日乗り放題だそうです。
通常運賃970円だったんですが、儲かりました。

ローカル色溢れる近江鉄道から新幹線に乗り換えて帰宅します。


石薬師宿・庄野宿・亀山宿・関宿・坂下宿・土山宿・水口宿


二日間の経費
交通費 22,440円
飲食費 2,826円
雑 費 7,350円(宿泊・お土産)
 計  32,616円

二日間の水分摂取量 3リットル

東海道自転車ぶらり旅 その1
東海道自転車ぶらり旅 その2
東海道自転車ぶらり旅 その3
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東海道自転車ぶらり旅 その8

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土山宿

2005年10月02日 | 東海道自転車ぶらり旅
道の駅の横の道を進むと直ぐに土山宿の入口です。

この辺りで、東海道の旅人に出会った。
旅人と人生の大先輩でお歳は70才を過ぎているとか、東海道の旅は始めてから2年が過ぎたそうです。
若輩者の私めは、只々感心してお話しを伺うばかりでしたが、旅人同士の気安さから話が弾み、先輩から貴重な情報をいただきました。


宿場の町並みの中に電柱が見えますが、街道の狭さやゆるやかな坂道が良い雰囲気を出してます。

一里塚跡

新しい家も町並みの景観を考慮した造りになってます。

古い家が沢山残っている

お茶屋さんの昔の商売は油屋さんですか。

昔の屋号

東海道土山宿
油屋平蔵
土山の町並みを愛する会
とこの様に書かれた木の板が古い家屋には全て付けられている。

さど屋


土山宿本陣跡

この先を少し行くと国道に出る。
旅人を乗せたシルバー号はここから国道をひたすら走るのだった。

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あいの土山 道の駅

2005年10月02日 | 東海道自転車ぶらり旅
広重五十三次 土山(春之雨)
「坂は、照る照る鈴鹿は、曇る あいの土山雨が降る」と唄われた鈴鹿馬子唄をご存知でしょうか?
私しゃ知らなかったんですが。

この「あいの土山」の「あい」って何なんでしょうか。
ちょっと調べてみました。

相の土山説 坂下宿と相対する土山宿
間の宿説 宿駅制度ができ、土山が本宿に設定される前は、間宿であった。
鈴鹿の坂説 峠の頂上付近に土山という土盛りがあった。
間の土山、松尾坂説 坂を鈴鹿の坂でなく松尾坂とする説
藍の土山説 藍染が盛んであった。
鮎の土山説 鮎漁が盛んであった。
あいのう土山説 「間もなく」という意味の「あいのう」という方言。
とまあ、いろんな説が有るもんですな。

にしんそば

丁度昼飯時で結構混んでまして、食堂の自動食券販売機の前には列が出来て居りました。
初めての「にしんそば」体験です。
丼に顔を近づけるとにしんの香りが食欲をそそります。
にしんは甘辛く煮込んであり、思ったより柔らかかった。
甘辛のにしんとそばを交互に味わいました。
にしんとそば、仲々良い取り合わせじゃないですか。

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坂下

2005年10月02日 | 東海道自転車ぶらり旅
広重五十三次 坂之下(筆捨嶺)
午前中に道に迷った旅人は、鈴鹿峠越を東海道ではなく国道に決めたので坂下宿は通らない。

峠を目指し旅人は必死にペダルを踏み込む。
さっきまで曇っていたのに、峠に差し掛かった途端に陽が照りつけてくるなんて、日頃の行いのせいでしょうか、暑いったらありゃしない。

さっきから同じ様な車が何台も追い抜いて行くなと思っていたら、ローリング族の同じ車が峠道を走っていたんだ。上りと下りの一方通行を利用して周回コースにして遊んでいるんですが、まあ、事故らないように遣って下さいな。

峠越えはトンネルです。
狭い歩道を走るのは危険です。
慎重に走りますが、緊張で肩に力が入り顔もこわばってしまった。

トンエルを抜けたら、一気に下ります。

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関宿

2005年10月02日 | 東海道自転車ぶらり旅
国道の右側にこの関宿の表示が有ったので、東海道へと右の道を進む。

東の追分

重要伝統的建造物群保存地区(国文化財)だそうだ。
ここから、西の追分まで約2km木崎・中町・新所の町並みが続きます。

この辺りの家を眺めていて気が付いたんですが、所々の家の玄関に正月飾りが付けられているんです。
何で今頃、正月飾りなのかと気になって気になって仕方がありませんよ。
遂に我慢できなくなった旅人は、日曜日にノンビリと庭先で植木の手入れなどをしていた地元の方に声を掛けてしまったのでした。
その方のお話では、その正月飾りは「お伊勢さん」(伊勢神宮)で買ってきたものだろう、伊勢地方には正月飾りを一年中飾って置く風習があるらしく、その伊勢地方の風習を真似しているのではないかとのことでした。

成る程ね、そう云う風習があるなんて、聞いてみないと解らないもんですね、地元の方とお話しが出来て、大変勉強になりました。有り難う御座いました。

黒瓦屋根

東海道をここまで旅してきましたが、この関宿が往時を偲ばせる風景としては一番でしょう。
道路は舗装されているとは言え、街道に電信柱が無いんです。東の追分けの前までは道路脇に電柱があり、電線が張り巡らされていたんです。

関宿スケッチコンクール

道の脇にしゃがみ込んで画用紙に筆を走らせている人が大勢居ました。

11月6日の「関宿街道まつり」で表彰式を行うそうです。
「あなたも一枚描いて行きなさいよ」と薦められたのですが「先を急ぎますんで」と言い逃れて参りました。

百五銀行

銀行も町並みに溶け込んでいます。
良く見ると、道路のガードポールも周りの色に合わせて塗られていたり、家の窓や玄関がサッシになって居るんですが、色は周囲と同じ色で統一されているので、全く違和感が感じられません。
商店の看板も昔風になってます。

広重五十三次 関(本陣早立)

関宿食事処

食事処を見つけたが、まだ食事には早いのでパス。
この近辺にもスケッチをする人が大勢居ました。

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近鉄鈴鹿市駅

2005年10月02日 | 東海道自転車ぶらり旅
快調に走りすぎた自転車シルバー号はいつしか、伊勢街道をひた走っておった。
これは、シルバー号が道を間違えたのだ。
適当な交差点で進路を多分あっちだろうと思う方向へ向け、シルバーにムチを入れた。
「ハイヨ~、シルバー!」
しかし、トントは居らず当然「キモサベ」とは言ってくれない。
突然こんな事を口走っても、こいつ暑さのせいでおかしくなったか、とかまた病気が出たかと思われるかもしれないが、私達の年代の者は、ハイヨ~、シルバーと言えばトントであり、トントと言えばキモサベと言うようにテレビ映画のローンレンジャーの世界にタイムスリップしてしまうのだ。
他にもあの当時のテレビ映画の西部劇を覚えてますよ「ララミー牧場」「ローハイド」「拳銃無宿」「バット・マスターソン」「ライフルマン」「ボナンザ」「テキサス決死隊」「ガンスモーク」「アニーよ銃をとれ」「保安官ワイアット・アープ」
家にはテレビが無かったんで、隣の家の白黒テレビを毎日観せて貰いに行きましたっけ。
いや~、西部劇も沢山ありましたが、私しゃ特に「拳銃無宿」の賞金稼ぎのジョッシュ(スティ-ブ・マックウィーン)のニヒルなところとライフルを短く切ったランダル銃の格好良さに惹かれましたね。
買って貰ったおもちゃのホルスターとコルト45で拳銃の早撃ちの練習も随分やりましたな。

え~と、道と話が大分逸れてしまったので元へ戻しましょう。

そうです、交差点を曲がりずんずん進みます。
やがて線路に出ました。ここは近鉄の鈴鹿市駅前、ってことはあっち方面に進めば亀山方面だなと、地図を持たない旅人は適当に見当をつけてシルバー号を進めるのであった。
「ハイヨ~、シルバー!」

手押しポンプ

町の中を流していたらお米やさんの前で手押しポンプを発見。
ジッと見つめてしまいました。
横浜で育った私は、この手押しポンプってやつを一度もガチャコン遣ったことがありません。
これは果たして水が出るのだろうか、試したい衝動に駆られるのを必死に堪える旅人でした。



川や田圃の自然の景色を観ながら、鈴鹿から亀山を目指してひたすら走り続けました。

そんな訳で東海道から外れてしまったので、
石薬師宿(石薬師寺)庄野宿(白雨)には寄れなかった。

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東海道自転車ぶらり旅 その9

2005年10月02日 | 東海道自転車ぶらり旅
7:00 ホテルでバイキングの朝食を済ませ、亀山駅へ向け出発。今日も良い天気だから暑くなりそうだな。
ここから昨日の四日市駅まで戻る。

四日市

8:00 四日市駅に到着
町中に大きな壺を発見、「港と萬古焼の町四日市」と書かれていた。

四日市萬古焼より引用
四日市萬古焼は、元文元年(1736)沼波弄山が三重郡小向村(現在の三重郡朝日町)に窯を開いたのが始まりです。
「萬古焼」の名は、弄山が、作品がいつまでも残るようにと願いを込め、「萬古」あるいは「萬古不易」の銘を押したことによります。「萬古」とは「いつまでも変わらない永遠の生命を持つ─」という意味です。
弄山の死後一時中断していたが、天保3年(1832年)に桑名の森有節が同村に窯を再興し、茶器・酒器などを焼き「有節萬古」と称しました。
当地域に地場産業として定着したのは明治からであり山中忠左衛門が四日市(末永村)に始めて窯を開き、製陶に成功しました。特に大正元年に、水谷寅次郎が半磁器を完成したことが画期的な効果を生み、機械化がはかられ、室内装飾品や食器類が大量に輸出されるようになりました。
現在、生産量は美濃、瀬戸焼等に次いで全国4位を誇っており、土鍋や花器の生産が多く、特に土鍋は全国シェアの7割以上を占めています。急須では紫泥急須が有名です。又、工芸品としても高い評価を受けており、昭和54年には伝統的工芸品の指定を受けました。引用ここまで

壺を後に休日の朝の道を自転車は快調に走るのだった。

東海道自転車ぶらり旅 その1
東海道自転車ぶらり旅 その2
東海道自転車ぶらり旅 その3
東海道自転車ぶらり旅 その4
東海道自転車ぶらり旅 その5
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東海道自転車ぶらり旅 その7
東海道自転車ぶらり旅 その8
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