Design Manhole Cover

Design manhole cover that gathered throughout Japan

笑い

2013年09月15日 | 身辺雑記
昨日のコーチング勉強会は「コーチのプレゼンスがテーマだった。
中で、コーチのコアコンピテンシーからユーモアが取り上げられた。
曰く、コーチは「軽やかさとエネルギーを生み出すために、ユーモアを効果的に利用することができる。」

さて、ユーモアとはどんなものだろうかと考えてみました。
辞書には、人の心を和ませるようなおかしみ。上品で、笑いを誘うしゃれ。などと書かれていた。
具体的な行動としてのいたずらも含まれ、人間同士のコミュニケーションにおいて、会話を弾ませるための潤滑剤として用いられる事もあるようだ。
ユーモアを理解し、創造するには、言葉の教養が必要とされ、異言語のユーモアは理解しにくく、「翻訳が困難である」と考える学者もいるらしい。
相手の立場を思いやり、自分と相手を対等に置いて接する人にしか、ユーモアのセンスは持てないと言われており、相手を見下したり、逆に卑屈になったりする人には、ユーモアの資質が欠けるとか。
ユーモアに関係する概念としては、ジョーク・駄洒落・言葉遊び・冗談・法螺(ほら)・風刺・ギャグなどがあるようです。
人の行為、かかわりについての深い洞察や世知の豊かさが、上品でセンスのあるユーモアを生み出すことが多く、知的な要素が強い場合は、機知(ウィット)と呼んだほうがよさそうです。
特定のユーモアは、人によって不愉快、気が利いてない、つまらないと感じられる場合がある。例えば、知的なセンスの誇示の手段としてユーモアが用いられた場合、自己顕示が強くなりすぎると「知ったかぶり」に堕すこともある。性的なニュアンスを含んだユーモア表現として下ネタもよく使われる。これは行き過ぎるとセクシャル・ハラスメントとなる。異様にグロテスクな話題、宗教・生命・差別などに関する常識的な倫理や禁忌(タブー)にあえて逆らい、世相と人柄を皮肉ったユーモアは「ブラックユーモア」と呼ばれる。穏やかなユーモアと比べて不愉快に感じる人間が多い一方で、その刺激を楽しむ人もいるとか。または差別の対象となる人間が、あえてブラックユーモアを口にする事もあるらしい。

そうなると、コーチはどんなユーモアのセンスを持てば良いのだろうか。
まあ、私の好きないたずらじゃないことは確かですな。
「人間同士のコミュニケーションにおいて、会話を弾ませるための潤滑剤」これでしょう。
この潤滑剤を手に入れるには、「相手の立場を思いやり、自分と相手を対等に置いて接する」
「人の行為、かかわりについての深い洞察や世知の豊かさ」が求められそうです。
そして、「相手を見下したり、逆に卑屈になったり」「自己顕示が強くなりすぎる」「知ったかぶり」など、否定的態度に陥らない心がけが必要なのでしょう。

私がこのユーモアについて目覚めたのは小学校4年生頃だったと思う。
昭和34年(1959年)、その年、ビンボーだった我が家にもテレビがやってきた。
両親はさぞかし頑張ったことだろうと今にして思う。
今上天皇のご成婚のおかげである。

世間と同様我が家にもテレビっ子が出来上がった。
私は学校から帰るとテレビにかじりついていた。

テレビの画面の中での衝撃は、クレージーキャッツだった。
12:50からの「おとなの漫画」にはまった。此の年の夏休みの12:50~12:55はテレビの前で、クレージーキャッツの面白さと社会現象を斜めに切るやり方に新鮮な興奮を覚えたように記憶している。

「おとなの漫画」は月~土の5分間(その後10分になった)の帯番組で普段は学校があるので観られない。それで土曜日、当時は午前中のみの反日授業だったので、終業の先生の話が早く終わらないかと気が気ではなかった。
学校が終わると一目散に家まで走って帰った。

家に帰った途端にテレビのスイッチを入れる。
暫くすると、ぼわ~んと画面が明るくなる。
今のようにリモコンスイッチを入れたら直ぐに見られる訳じゃないのだ。
やがて真空管のブラウン管に、白黒の画像がぼんやりと現れる。
もどかしく、テレビの前に座っていると、テレビのスピーカーから軽快なテーマソングが流れてくる。
番組は殆ど生放送だったらしい。
キノトール・三木鮎郎・永六輔・青島幸男等の構成作家が、新聞記事のネタをコントに仕立てたもので、社会風刺・政治批判などが面白かった。

今思うとうなずけるのは、人に面白さや笑いを感じさせるって、やっぱり広範な知識や教養が必要なのだなということでした。

現在は笑われる人ですが、笑わせる人になりたい等と思う今日此の頃皆様如何お過ごしでしょうか。

埼玉県ふじみ野市

2013年09月03日 | 身辺雑記
埼玉県ふじみ野市埼玉県ふじみ野市 posted by (C)海老名誠
埼玉県ふじみ野市 展示用のカラー蓋。
キャラクターもカラーになると、グッと可愛く感じますね。
これまで、ふじみ野市のデザインマンホールが無かったのですがこの度(2013年4月)登場しました。 中央にマスコットの”ふじみん”周囲に市章と旧大井町の花ききょうと旧上福岡市の花コスモスをデザイン。 ”ふじみん”は、天然記念物にもなっている(しだれ)桜の花びらの妖精です。富士山ビュースポットから見る富士山を頭に、 服には市章をあしらい、上福岡七夕まつりの飾り付けをイメージした色とりどりのスカーフをつけ、 ふじみ野市の特色てんこ盛りにした愛らしいキャラクターです。
このカラーマンホールは記念に一枚だけ作られて、ふじみ野市役所都市政策部庁舎に展示してあります。

初めてのアドラー心理学

2013年09月01日 | 読書
初めてのアドラー心理学
アン フーパー,ジェレミー ホルフォード,キャスリン ハイアット
一光社


本書はアドラーの伝記を縦糸に、個人心理学(アドラー心理学)を横糸として編んだ心理学の入門書になっています。

私はコーチングを学び始めてから8年になりますが、当初はコーチングは心理学とは別物と教えられました。
ですが、コーチングも様々な流派があることを知りその中にNLP(神経言語プログラミング)と云うものがあると知りました。
NLPは正に心理学、心理療法のブリーフセラピーのひとつとして発展してきたと物の本には書かれています。
3年ほど前から心理学を本などで勉強しようと試みたのですが、何だか難しくて回りくどくて面倒で取っ付きにくかったんです。
そんな時にこの本に巡り逢いました。

フロイト(精神分析)やユング(分析心理学)の名前だけは知っていましたが、アドラーの名前も知りませんでした。

アルフレッド・アドラー(1870年~1937年、オーストリア生まれ)
個人心理学の創設者、教育者、ベストセラー作家、実践的哲学者。
ヴィクトール・フランクル、カール・ロジャース、アバラハム・マズロー等や、ロゴセラピー、認知療法、NLP等の考え方に影響を与えたようです。

アドラーの理論には、劣等コンプレックス、権力闘争、支配したがる人、ライフタスク、ライフスタイル、目的志向行動、共同体感覚、子育て等々沢山あります。

本書を読んでいて、コーチングとよく似ているなと思ったので、その中からひとつだけご紹介しておきましょう。

理論:アドラー派のカウンセリング手法、4つの目標
①「良い関係」を築く。
②クライエントの私的論理と隠された目標を見付ける。
③上記のものをクライエントが理解するのを助ける。
④クライエントが自分自身の人生を今日とは違ったふうに見ることを通して、より良い目標を見付ける手伝いをする。

これらのアドラー派カウンセリングがセラピストとクライエント両者の協力学習事業であると説いています。
これは、コーチングが病人を癒すことではなく、気付いていない人に気付きを促し、迷った人を導き、勇気をくじかれた人を勇気付けていることと同じでしょう。
コーチとクライアントが対等な立場であると云うコーチングの考え方と、同じ見方でアドラー心理学でも語られています。

私の感想としては、コーチングはネイティブコーチの事例を集めて、その模倣・モデリングで発展してきた経緯がありますが、
コーチングが何故有効なのかの理論付けとしては、アドラーの個別心理学が証明してくれていると云うことで、
実際に使う立場としてはコーチングの手法が分かりやすく使いやすいと思いました。