チェーザレ 3―破壊の創造者 (3)講談社このアイテムの詳細を見る |
昨日の続きです。1,2巻を読んだのが11月だったので本当に長かった。待ち遠しかった3巻です。
2巻でコロンブス、ロレンツォ・デ・メディチ、サヴォナローラ、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチという大物が次々と登場しましたが、今度はあのニコッロ・マキァヴェッリが登場します。あと10年ほど先になってから登場するのかと思いきや、以外に早いです。しかも、実はもっと以前にこっそり登場していた、というおまけまでつきます。読者サービスというより、作者が伏線をはって楽しんでいるんでなかろうか(笑)
作画はやはり肖像に似ています。残っている肖像を見ても地味目の容姿ですが、3巻で登場するときは、苦行までしながらメディチ家の敵をさぐるスパイ生活をしているという設定。はっきりいってやつれてますそれがまた、派手なチェーザレや、なかなかに愛らしい(笑)アンジェロやら、やはり見てくれのよいミゲルと一緒に登場するので余計に貧相に見えます見方によっちゃ、2巻で登場したロドリーゴ・ボルジア、ジュリアーノ・デッラ・ローヴェレ、サヴォナローラに次ぐ悪役のような気さえする何か熱いものを秘めた策士として登場しているのはまちがいありますまい。後に最大級の賛辞をチェーザレに贈ることになるマキァヴェッリも、まだ今のところは冷静な観察者といったところ。チェーザレとマキァヴェッリの二人の関係の展開というのもこれから楽しみなところです。
しかし、やり今回のハイライトは、チェーザレがフランス産の獰猛な牡牛アンリを相手に繰り広げる闘牛と、徐々に明らかになっていくチェーザレの光と闇でしょうか。闘牛は実際にチェーザレが群集の前でやったという記録が残っているそうですが、3巻ではなんと人間相手にやってのけます。この「チェーザレ」という作品、何か一つのエピソードに複数の意味を持たせるという難しい技を時々やってのけているんですが、この人間相手の闘牛では、特に顕著。気が付いたのをあげると、
1.アクション(絵としても面白い。大学構内がまるで闘牛場のように描かれています。建物の構造をうまく生かしてあります)
2.派手で大衆受けしながらも敵を作ってしまうチェーザレの性格(マキァベッリの解説付きってのもおもしろい)
3.チェーザレの武術の腕の披露(アンリなどものの数じゃない!)
4.今後、複雑に展開していくフランスとの関係の暗示(時に味方になるんですが、全体的にはあんまり相性はよくないとして描かれるのかなあ...)
5.異教徒を排する狂信的な中世の世界観とチェーザレの持つ開明的世界観
6.ユダヤの問題
7.ジョヴァンニ・デ・メディチとチェーザレの関係
8.チェーザレの現実的な政治・経済観
9.罪の存在である庶子というチェーザレの宿命と反発
少なくともこれだけのことを見てしまうわけです。100ページ足らず、しかも大半がアクションというのに、ここまで濃密に詰め込めてしまうのは驚き。
5などは、ボルジア家はトルコの王子を側近にしたりしてますから、史実に基づいた描き方といっていいわけですが、ボルジア家がスペイン出身だから、ってわけでもないでしょう。スペインといえば、たぶんそのうち登場するカトリック両王がイスラム教徒やユダヤ教徒に対して過酷な弾圧をする国です。となると、この開明性は家系あるいは個人の資質ということになります。マキャベリのいうヴィルトゥ(力量)のなせる業ということになるのだろうけど...
6はミゲルをユダヤ人という設定にしたからこそできたものなので、作者の設定の妙を感じます。この設定は、これからずっとおそらくじわじわと利いてくるはず。あらためてこの設定に感心。
7で見せている大学時代の二人の友情(少なくともジョヴァンニにとっての友情)はどうも史実らしいんですが、ジョヴァンニの性格とその未来、というのを考えても興味深いやりとりです。チェーザレにジョヴァンニは完全に篭絡されてます しかし、ジョヴァンニは情けなさすぎるかも。彼は父ロレンツォが「三人の息子のうちで、一人はおろかで、一人は賢く、一人は優しい」と称されたうちの賢い息子なんですけどねえ。後に法王になり、フランスと神聖ローマ帝国の間をのらくらと乗り越えるところをみると、ロレンツォ譲りの外交の才能という賢い面もたしかにあったようです。もっとも、贅沢好きでワキが甘くて、法王庁の財政破綻をよんだあげくに免罪符なんて売り出して宗教改革を引き起こしちゃいますから、この漫画で描かれているような人だったのかもしれませんラファエロの擁護者として知られるように芸術愛好家で、根が善良な人なのはまちがいなさそうですが。
8はある意味、この作品のポイントとすらいえるかも。「生涯表舞台に立つことはない-か。(自分の手を見て)この私がこの世に存在しない人間だと?ふざけるな」という2ページのせりふも表情も、たいへん印象的です。巻末ではていねいに中世ヨーロッパにおける庶子の存在についての解説がありますが、解説なくてもわかる表現になっています
庶子であるというだけで、不遇をかこつはめになる境遇に対する怒りは、リア王にでてくるグロスター伯の庶子エドマンドもぶつけていましたっけ。庶子(natural son)は自然の力を身につけている手ごわい存在なんだ、といいはり、兄と父を陥れていきましたねえ...
チェーザレの場合、子供がいるはずのない聖職者の息子ですから、同じ庶子でもなおたちが悪いわけですね。しかもチェーザレには、自負がある。自他共に認める力量があります。同じ力量を持つ父が法王の座を狙えるのであれば、自分にだってできるはず。だけど庶子という、自分ではなんともならない事実(運命)が道を閉ざしてしまうわけで、それに対して怒りはよけい大きくなるのは当然のこと。いかに父親が息子の才能を愛して高い地位を与えようと、トップへの座は閉ざされ、自分よりも力量が下の法王の下に常に置かれるというのは、耐え難いということになるのでしょう。ならばその差別に満ちた社会を破壊して新しい秩序を自分で打ち立てるしかないわけで、その思いがこれからの原動力の一つになるっていうことでしょうか。しかも、中世的な都市国家に分裂したイタリアは、ルネッサンス以降に力をつけていく中央集権的大国フランス、スペインに今後、侵攻されていくわけですが、その流れをボルジア親子はおそらくは感じ取っていくはず。それに対抗するには、イタリアにどんといすわる中世的世界を完全に破壊して、統一国家を形成するしかない...という公私ともに一致する考えが生まれ、自己と国、大陸、民衆の運命を自分の力量で変えていこうとする闘いになっていく...という展開を予想しているのですが、実際はどうかな。
3巻は、すっかりチェーザレに傾倒しているアンジェロにミゲルの忠告でしめくくられます。この言葉もまた意味深です。「おまえがチェーザレをどう思おうが勝手だが奴をそこいらの貴族の子弟と一緒にはするな。あれは野生動物のように頑強でずる賢い。あれに傾倒すればするほど---おまえはいずれチェーザレに失望する」
チェーザレ一番よく知っており、否定するような発言は決してしなかったミゲルのこの言葉はたいへん意味深ではありませんか。チェーザレはアンジェロを手駒の一つに考えている、あまりかかわりあうとお前は傷つくことになるぞ、ということを暗示しているだけではありますまい。これも今後、何巻にもわたる布石になるのかなあ。
しかし、3巻終わった時点でまだ1年もたっていない しかも、チェーザレが本格的に歴史に登場する前の段階、物語でいうとほんのさわりをまだやっているだけではありませんか。目先の問題としても、ピサに侵入した刺客の始末が残っています。となると、この作品、20巻では終わりそうもないなあ。大物はそれなりにそろってきましたが、まだルクレツィアさえ、イラストにしかでてきません。40巻、50巻にいっても驚きますまいよ。
ともあれ、次巻をまた首を長くして待つことにしましょう
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