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皇帝フリードリッヒ二世の生涯

2014-03-12 14:38:03 | 
皇帝フリードリッヒ二世の生涯 上
塩野 七生
新潮社
皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下
塩野 七生
新潮社

 

もうだいぶん前ですが、「ルネサンスとは何であったのか」という著作でフリードリッヒ二世をとりあげてありまして、そのうち扱うにちがいない、と楽しみにしていたのです。カエサルほどではないとしても、いかにも塩野さんが好みそうな人物ですからね。十字軍ではあっさりぎみにとりあげてあったので、肩すかしをくらったような気分でいたら、何のことない、昨年、一気に二冊でました。しかもフリードリッヒについてはかなり前から書きたいと思っていたという前書きつき。

 

読み始めるととまらなくなるにちがいないのでまずいな、と思って買ったままほっておいたのですが、貸せといわれて仕事明けに読みました。想像通り一気読み。

 

ヨーロッパの中世というあまりなじみのない/美術史的にも文学的にもいまいち関心がもてない時代のさなか生きたこの皇帝、実におもしろい人なのです。世界史とっているか、ダンテの神曲よんだか、ヨーロッパの建築に興味のある人ならそれでもきいたことあるんじゃないでしょうか。

 

私がはじめて名前をみたのが高校の世界史の教科書の十字軍。十字軍らしくなく理性的な交渉が積み重なったもので、目的は(一次をのぞいて)一番果たしたといっていいような成果をあげて、なのにほめられるどころか破門になって、次の大失敗の十字軍のおかげでなにもかも台無しになったっていったい、ですよね。ベネチアがからんだ第4次とならんで変な十字軍で興味深い気がする。

 

あとは世界史では教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の争いでとりあげられるかもしれません。聖職者の任命がもともとの原因だったらしいとか、ロミオとジュリエットの悲劇の原因だっていわれているので、同じ町のなかでも二つにわかれてたんだね、ぐらいの認識でした。ただ、この程度の認識じゃ、よくわからない点が多すぎました。皇帝が空位時代から皇帝勢力がはるかに落ちた時代でもまだこの二つにわかれて争っているし、ダンテが同じゲルフの別グループの策謀でフィレンツェから追放されたとかのエピソードもありますし。なんじゃこれ、というかんじで。

ダンテの神曲には親子そろってとりあげられてます。ご本人は名前だけ(お墓だけの登場だったはず)、息子のマンフレッドは実際の登場です。地獄におとされるっていうのは、いかにも中世的な判断に基づいているのでしょうが、本人は登場しないってのはなんだか含みがいっぱいな

あと、あの美しいカステル・デル・モンテを建てた人でもあります。

だからあまりなじみはないとしても、多少世界史をかじっていたら、全然知らない人、ってわけでもないはずです。

昔から好きだったんですよ。少なくともたいへん気になってました。おもしろいエピソードもたくさんあります。世界の驚異っていう代名詞の通り、はやく生まれすぎたルネサンス型万能人です。しかもスケールが大きい。赤ん坊がほっておいたら何語をしゃべるか実験させたとか、鷹狩りが好きで本まで書いたとか、イタリア語を発展させてダンテの登場を促すような先駆けたとか、十字軍の交渉中にアラブをおとずれた時に、相手が遠慮して祈りをささげずにいると促したとか、立派な貨幣を発行して重商主義の先駆けをやったとか、ローマ法もどきの法律をこしらえたとか、今や彼の名前がついているナポリ大学を作ったとか、家臣の一人が残酷な君主ということで名を残しているエンツェリーノ・ダ・ロマーノ3世だとか、ピョートル1世もどきの長男との確執とか、ローマ教皇やらロンバルディア同盟との確執とか。シチリア王国だの、領土下のイスラム教徒とか。ラテン語はもちろん、ギリシャ語、イタリア語、ドイツ語、アラビア語など6カ国語を自在にあやつったとか。

 

2冊本そのものも、とりあげている対象のおもしろさと、例によっての塩野さんの書きっぷりではよくまとまっていったおもしろい本になっていると思います。できるだけ編年にして、業績ごとに章をまとめてありますが、いろんなことをやった人、それも一つずつ撃破ではなくて、一度にいろんなことを手がけた時期の多い人なので、どうしても年代ごとにまとまらなかったらしく、下巻は重複しているところがけっこうあります。

 

少なくともフリードリッヒと子供たちの時代(死後16年間)の教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)の事情、ひいいては中世のヨーロッパの状況はよくわかりますし、こんなかわった皇帝がいたのだ、というのを楽しめるだけでもいいんじゃないでしょうか。

ルネサンスとは何であったのか、では、塩野さんはフリードリッヒに対して、次のようなシビアな批判をしています。私がもっているのは2001年にでたルネサンス著作集の1巻ですが、今は文庫もでてますね。

ルネサンスとは何であったのか (新潮文庫)
塩野 七生
新潮社

グェルフィとギベリンの抗争は、思想のちがいから生まれた構想ではない、現実的な利害の衝突からはじまった、争いにすぎません。...とはいえ、このように直接の利害関係が係わる世界に争いの種をまいてしまったのは、祖父のバルバロッサが手をつけたこととはいえ、それを継承するのに疑いをもたなかったフリードリッヒの現実感覚を疑うしかありません。他の分野では鋭い現実か的感覚を発揮した彼でさえも、神聖ローマ皇帝の権威を家臣していたのかと思ってしまう。(「第一部 フィレンツェで考える」p.39(2001年版)

 

しかし、今回の本では、この手の批判はないんです。グェルフィであるロンバルディア同盟の切り崩しはやろうとしていますので、当時の事情を考えると、この批判は厳しすぎるという判断になったのかもしれません。もちろん二冊にわたって書いていくうちに肩入れが進んだ可能性もあります。あとのほうかな。と上の批判がでてくるのはもっとも、というかんじはします。対抗勢力のグェルフィをとりこんでしまえば、たとえ法王が邪魔してもイタリア統一は可能だったでしょうから。

 

上のできたかどうか定かでないグェルフィの突き崩し以外にフリードリッヒの試みが長期的な成功をおさめなかったのは、

一言でいうとやはり生まれるのが早すぎた、ってことなんでしょう。ルネサンスかあるいはローマ時代に生まれたらよかったんじゃないかと思わずにはいられません。あと、自分のレベルに他の人(特に教皇)もいると思い込んでしまったのではないかと。

 

 

理性やら論理やら合理的精神よりも、よくわからない宗教的妄想と迷信のうずまく中世には異質すぎる人です。

 

それでも合理主義者か、損得勘定のできる人間か、現実主義者(理想主義でもよい)であれば、十分に理解できたし、ひかれもしたようです。中世でも受け入れられる余地はあったのです。

が、運がなかったとしかいいようがない。相手となったローマ教皇の質が悪すぎました。

 

最初のイノケンティウス3世(「教皇は太陽。皇帝は月」といいながらも、異端といわれても不思議でなかったフランチェスコ派を公認するなど先見性はあった)はまだしも、十字軍への熱意以外は何をやったんだ、というホノリウス3世(本にはなかったですがフリードリッヒの家庭教師をやった時期がある...)はまあまだいいとしても、グレゴリウス9世とかイノケンティウス4世とか、もうどうしようもないです。単に皇帝に対抗するためだけに、方や異端裁判の道を開き、方やアヴィニヨンの遠因、ひいてはサッコデローマにつながる道を作ってしまっています。調節的、短期的な利害だけみて、あとはまったく無視、というタイプです。


この手の質の悪い相手でも、たとえばアウグストゥスのように、本心をうまくかくして、相手に錯覚をさせて結局は自分の思い通りにことを運ぶ、という人物であれば、なんとかなったのかもしれません。あるいはとことん見下してしまって、あやつることに専念するか。その気ならやれたのでないか、という気がしないでもないです。

たぶん、長男でまちがったのと同じまちがいをしてしまったのでしょう。相手に期待しすぎたというか。

もう一つは、性格の問題かと。本に引用されている著書の冒頭部分をみるかぎり、どうもフリードリッヒは本質的に真正直で率直でぶれない精神の持ち主だったのではないかと思えるのです。ということは、たとえいい意味でのずるさは十分にもちあわせていても、結局は目標通りのストレートな行動をとってしまうわけで、うまのあわない相手と対立するのは必然なのでしょう。たとえば、法律に「皇帝が命ずる」っていう言葉を冒頭にいれてしまう人ですからね。これ、教皇派がみるとかちんときたことでしょう。目的を果たしながら、邪魔になりそうな教皇を丸め込んでしまおうという人間ならいれなかったんじゃないでしょうか。法治国家という目的をはたすだけなら、なくてもいいわけですし。


しかし、このような交渉能力というか実は相手を見下してずるくたちまわってあやつる立ち回りなんて、マキャベリの君主そのものですので、実際に長期間、やれる人はまずいないのではないですか。チェーザレは有名ですが、活動できたのはごく短期間ですし。フリードリッヒのほうが長く効果的に活動できていますが、あの率直な文章をみると、どうも完全なマキャベリストの素質とはちがうものをもともともっているような感触さえあります...


やれるとしたら側近でしょう。君主ならマキャベリストになるしかないですが、側近なら根は善良で、主君のために(実は相手にもためになる)策謀やら交渉やらをやるっていう状況はありえそうですし。


生涯の前半にはいたようです。煙にまくことの得意な側近で交渉者だったと思われる騎士団長ヘルマンがそうであった模様。ヘルマンの死後は交渉がうまくいかなくなったようです。能力だけでなくて、相手が交渉してもいいやと思える地位も彼は持っていましたので。同じ側近中の側近で、初期から最後までつきそってくれたベラルドは、たぶん法王庁の帰還命令を無視してしまうような人なのでこの手の役割は果たすことができず、後続の家臣たちはたとえ能力があっても、ローマ法王が耳を傾ける地位がなかったのかもしれません。しかし、どうやって丸め込んでいたんだろう。興味がありますがそこまでは塩野本には書いてないんです。

 

息子たちの世代で家系が途絶してしまったっていうのは、後継者を育て損なった、というより、こんな天才的でカリスマ性があり、数百年先の方法論を突っ走ったような人物を二代も続けて排出する方法なんてあるのか、というのが正直なところ。そんなのあるはずがありません。


強いて言えば、戦争が強くて、目的のためならあくどいこともできるマキャベリ的な後継者がいれば結果はちがっていた、ということなんでしょう。でも塩野さんがまとめているように、偉大な親をもってしまうと、1.親のいうとおりにする 2.親から反発するのどちらかになるのなら、マキャベリ的後継者は1でありながら2の要素ありか、2に近くなるはずなので、かなり難しい。


教皇の妄執に打ち勝つには、2であり処分された長男はともかくとして、1で生き残った息子たちは善良すぎたし、あきらめもよすぎたようです。塩野本の簡潔さではくわしい事情はよくわからないのですが、コンラッドが長命なら、ドイツだけでももったのではないかとか、エンツォがとらえられずに(あるいはあっさりとあきらめずに周りを買収するなどして抜け出して)マンフレディと合流したらシチリア帝国は滅亡を免れたのではないかとか、マンフレディにもう少し戦略眼があり、無謀な突撃などせずに長期戦に持ち込んでいたらちがったのではないかとか、いろいろ考えることはありますけど、あくまで、たら、れば、の話です。結局のところ、フランスも教皇も痛手を被ることにはなります。シチリアの晩鐘事件などはざまあみろ、というかんじですし、アヴィニョンは当然のむくいでしょう。

上に書いたのは、あくまでこの二冊を読んだ上での類推なんですけどね。がっしりとした既存勢力はうまく崩していくにはどうしたらいいのか、それを半ばまで自分がやったとして、自分の後まで成果をあげるにはどうしたらいいのか?という命題を考える上でも、フリードリッヒ2世はたいへんおもしろい人物だと思います。


というわけで、塩野さん本はおもしろかったのですが、あの二冊だけで片付けるにはいろいろ疑問が噴出します。家臣群など、名前しかでてこなくて、結局どうなったんだ、とか、何をやってたんだ、って人がいっぱいいます。たとえば、エンツェリーノ・ダ・ロマーノ3世がその一人で、彼がなぜ神曲で地獄行きになったのかはとうていわかりません。

 

この症状は、ローマ人の歴史でカエサル編を読んだ後に、ガリア戦記をよんでしまったり、ギボンを読んでしまったのと同じです。こうなったらどうしようもない。

 

今回の場合は(結局翻訳が気に入らなくて原文をみてしまった)ギボンなみの難行になりそう。二年半前にでたときは700ページで二段組みでさすがにためらっていたのですが、これぐらい読む価値がありそう。ということで注文しました。しかし、いつ読むんだ???仕事をさぼってかなあ、、、

皇帝フリードリヒ二世 (-)
小林 公
中央公論新社



 

 


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