LOVEかごしま_鹿児島情報

鹿児島で出会った野鳥や桜島・自然などをご紹介します。

02月08日、朝の桜島

2016年02月08日 | 【桜島】

みなさん、改めて「おはようございます」。
予報では曇りだったのですが、少なくとも鹿児島市は晴天です。
朝焼けが綺麗ですね。

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【鹿児島紹介2016_308 鹿児島市 ザビエル上陸記念碑&われは海の子碑】2016/02/08

2016年02月08日 | 鹿児島紹介


みなさん、おはようございます。新しい週が始まります。今週は「建国記念の日」があります。気合を入れてがんばりましょう。さきほど、鹿児島便りNo3を送りました。
届いた方は読んでくださいね。
さて、今日ご紹介するのは、多賀山公園の近く祇園之洲にある「ザビエル上陸記念碑」とそのすぐ近くにある「われは海の子碑」です。東アジアへの伝道をめざしてリスボンを出航し、インド、マラッカなどを経て1549年、マラッカで一行に加わった鹿児島出身のパウロ・ヤジローの案内で鹿児島の稲荷川河口に上陸しました。島津貴久公の歓迎を受け、布教の許可を受け布教に努めましたが、仏教徒の反対にあって、10ヶ月で平戸へ移っていきました。一方の「われは海の子碑」はあの有名な「われは海の子 白浪の さわぐいそべの松原に ♫」の記念碑です。明治41年、文部省が新体詩の懸賞募集をしました。新体詩は、明治後期に口語自由詩が現れる前の七五調の文語定型詩でこの懸賞に小樽新聞記者の宮原晃一郎さんの「海の子」が応募、佳作当選しました。翌年、著作権が国に譲渡され、「小学六年国語」に採用され、更に小学唱歌にも登場しましたが、何れも「我は海の子」と改題されました。文部省からの手紙をご遺族が大切に保管されていたことから、宮原さんが作詞者だと判明したのです。宮原さんは明治15年、鹿児島市加治屋町で県庁のお役人の長男として生まれています。あの有名な歌は子供時代を過ごした鹿児島の海を歌っていると信じたいですね。砂浜はないですが、すぐ近くの海岸から桜島が間近に見えています。

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