時は千三百余年前、天智天皇のころ。藤原鎌足が亡くなり、唐の第三代皇帝、高宗に嫁いでいた娘は父の追善のため、三つの宝物を贈った。
しかし、都への船が志度浦にさしかかると、三つの宝物のうち「面向不背(めんこうふはい)の玉」が竜神に奪われてしまった。
鎌足の子の不比等は玉を取り戻すため、身分を隠して志度へ。海女と契り、一子房前をもうけた。不比等は数年後、素性を明かし、玉の奪還を海女に頼む。
海 . . . 本文を読む
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諏訪大社に伝わるイサク奉献伝承 (biglobe.ne.jp)
聖書の創世記二二章には、アブラハムが神の命令を受けて、「モリヤ」の地で、ひとり子「イサク」を捧げようとしたという記事が記されている。 じつはこのイサク伝承が、なんと、パレスチナからはるばる離れたこの日本のある神社で、祭りとなって生き生きと伝えられていた・・・・。
今日、諏訪大社と言うと、一般には「御頭祭」よりも、 . . . 本文を読む
天皇家はエフライム族 (biglobe.ne.jp)
天皇家が、古代イスラエルの「失われた10支族」の王族だったエフライム族であることは、天皇家とエフライム族の系図が一致していることからわかる。 ラビ・マーヴィン・トケイヤーはその著『日本ユダヤ封印の古代史』(徳間書店)の中で、両者の系図を比べている。それをみると、系図の骨子が全く同じであることに驚かされる。 天皇家は、天孫民族の父祖ニニギから生 . . . 本文を読む
消された異神たち 第5回 安曇野八面大王1 | こんどう史科医院の裏ブログ (ameblo.jp)
長野県の安曇野に行くと大王わさび園という一大観光スポットがある。一面に広がるワサビ畑に道祖神といった、皆が信州安曇野というと思い浮かべる風景がそこにはある。この大王わさび園という名前の由来であるが、大王わさび園のホームページには以下のように書かれている。
「全国 . . . 本文を読む
猿田彦をしらべていた。
出雲の佐田大社が、猿田彦を祀っていて
どうも・・・
大社は、
大赦の意味だと思う。
出雲大社も先の王国?の王を惨殺し
怨念・祟りを恐れたのだと思う。
そのために、大赦(深く許されよ)と
したのではないか?
佐田大社も熊野大社も、そういう仮定のうえで、
考えてみている。
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ウガヤフキアエズ王朝実在論さまの
記事を読んでいくと、同時 . . . 本文を読む
少名毘古那神は、ローマ人あるいは、ギリシャ人ではないのか?という思いがしていた。
そこまで、極端でなくても、
ローマ文明やギリシャ文化に関わった民族が渡来してきたのでは?
と・・・。
まず、少名毘古那神
(音で読むと、宿祢(武内宿禰)と思ってしまうのだがww)
いろいろ、読んでみると
ヒポクラテスともだぶってくる。(医療・治療の部分で)
小さい神ということでは、
アイヌのコロポッ . . . 本文を読む
福井・若狭の宇波西神社のことはよく書いているし
ある意味、古代史に興味をもつきっかけになったところでもある。
個人的にも、不思議な体験があった場所でもあり
そのお礼に伺ったところ
神主さんから、ウガヤフキアエズを祀っている由。
宇は、神様で
西の波にのって、やってきた。
と、いうことを教わった。
住んでいたところから近いということもあり、
中学生のころは、写真を撮りに行ったりして . . . 本文を読む
【新庄の神話~彌美神社の発祥・例祭~】
福井県美浜町の宮代(みやしろ)という地区に彌美神社(みみじんじゃ)という神社があります。このご祭神は、新庄区の大日(だいにち)というところにある仏洞(ほとけぼら)に降臨したという言い伝えがあります。
伝説によると昔、新庄の大日という地籍の一角に仏洞と呼ばれるところがあり、ここのヨボの木(リョウブ)に金の御幣がかかっていて、この御幣 . . . 本文を読む
海女の玉取り伝説(志度町)-21世紀へ残したい香川 | 四国新聞社 (shikoku-np.co.jp)
一人の海女の悲しい伝説が志度に伝えられている。
志度寺縁起絵図の海女の玉取りの図
時は千三百余年前、天智天皇のころ。藤原鎌足が亡くなり、唐の第三代皇帝、高宗に嫁いでいた娘は父の追善のため、三つの宝物を贈った。
しかし、都への船が志度浦にさしかかると、三つの宝物のうち「面向不 . . . 本文を読む
王任三郎が
「ヘブライ人の良いのが、2支族来た」
と、いうようなことを言っていた。
どうも、天皇の歴史をみていると、
王任三郎のいう「良い2支族」というのが、浮かび上がってこない。
崇神天皇のことでも書いたが
阿田由太神社(飛騨地方)にしろ
(我はユダを祀る)と、取れる。
大田田根子のことでも、
田田ー口の中に十字という合図で
ようは、ヤハウェを祀れる体制が整った。
と、いう . . . 本文を読む
ネットを調べまわっていると、
継体天皇=うさのおしと
と、あり
武内宿禰と神功皇后がよびよせた?にせホムダワケも
うさのおしと
と、記載されているのを発見。
いわく、
にせホムダワケをどこかに(滋賀県)にあずけておいて、
ころあいをみて、継体天皇として引っ張り出してきた。
と、いうことらしいが・・・
子供のころ、足羽山に登って、継体天皇という名前を覚えたものにとって、
なに . . . 本文を読む
武内宿祢が、気比神宮で「ナをかえよう」と、やったことは、
実際に、気比大明神ーイザサワケ(饒速日かと、考えている)と
武内宿祢の「名実」をかえようということであり
自分の子供に ミソサザイとかミミズクとか、つけたのも、
それにあたるものと、「名実」をかえよう。と、いう魂胆で
あるいは、「音霊」「言霊」「魂霊」の秘儀につながる「呪文」も
唱えていたかもしれない。
「呪」陰陽師の縛りの方 . . . 本文を読む
大国主命と素戔嗚と・・続☆61
因幡の白兎とは、
肌の白い、赤い目の人物のことではないか?
と、調べていたところ
歴史上の人物では清寧天皇がアルビノであったといわれている。
を見つけたわけです。
諱は白髪(しらか)。和風諡号は白髪武広国押稚日本根子天皇(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと)、白髪大倭根子命(古事記)。漢風諡号である
御名の「白髪皇子」の通り、生来白髪 . . . 本文を読む
大国主命が後をついで、その時に、出雲王朝が途絶えたと思いきや
新羅族?により
まだ、続いていたようであるが・・・・
それ以前、
出雲王朝は25代?続いていたという。
最初が、スサノオだったという話も聞くが
代理がみたとこによると、
第?代素戔嗚天皇というのと、
第?代天照天皇(だったか?)
何人か名前の違う人がいたが、
代を重ねていた。
書かれていた人数も25人などというもの . . . 本文を読む
「古事記」によりますと、「かれその神避りし伊弉那美の神は、出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)の堺、比婆の山に葬りき」とあります。
ニニギの命は祖母山に天孫降臨し
比婆山 祖母山
比婆山 ひいばあさん?ー伊弉諾王朝?→出雲王朝
↙飛騨王朝から、ニニギノミコト
祖母山 おばあさんー出雲王朝→ウガヤフキアエズ王朝
母山にあたる . . . 本文を読む