声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

開かないポスト

2017-08-13 21:51:56 | Diary


『平和への願い、夢、誓い…
あなたの“今の言葉”をご投函ください…』


と、書かれたポスト。


この中に、どんなメッセージが、どれだけ投函されているのだろう…。


手帳を取り出し、一瞬考えてみたけれど、

やっぱり書けなかった。


今、思っていることを全部書き出すと、

どれもみな薄っぺらで、

使い古された言葉のように思えてきたから…。



無言館の坂を下った広場にある小さな公園で

3歳くらいの男の子がパンダの遊具に乗って遊んでいた。

お盆休みの帰省なのか、嬉しそうな祖父母が遊具に乗っている男児の側に寄り添い、


その様子を若い母親が見守り、

その傍で父親らしい男性がビデオを撮っていた。


平和な風景そのものだ…と思った。


この男の子が大人になる頃、

世の中は、どうなっているのだろうか…


見上げると

頭上には久しぶりに青空が広がっていた。


この空に似合うのは、

自然界の生き物だけだ…

人間が作った戦うための武器など似合うわけがない。












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無言館

2017-08-13 16:34:14 | Diary


悲しいとか

淋しいとか

悔しいとか

腹立たしいとか


そんな感情は微塵も感じられず

ただ、描くこと

創作することの喜びが

そこにある…


保存状態によっては、表面に亀裂が何本も入っていたり、

すでに角が剥がれてしまっているものもあるけれど

どの作品も70年以上も前に描かれた作品とは思えない力強さがある

瑞々しい感性が炸裂している

若者だけが持つ感性なのだろう…。


フィリピンのルソン島で戦死した人、

零戦に乗ってB29に爆撃された人、

満州で行方不明になって、そのまま帰ってこなかった人、

最期の様子は、詳しくわからないけれど、

ここには、確かに彼らが存在していたという証がある。

彼らの願ったのは、

大げさなことではなく

絵が描ける静かな時間を手に入れること…。

私は、

随分と長くて贅沢な時間を過ごしてきたことを心から恥じた。


無言館にて




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昼寝

2017-08-12 23:01:30 | Diary
「また、スイカとキュウリとナスを貰っちゃったの、取りに来て」

と、義母からの電話。

翌日、行ってみると玄関は開いているのに

何度呼んでも義母が出てくる気配がない…。


玄関脇の部屋を覗くと





♂ネコのナナが寝ていた。


下に敷いているバスタオルに見覚えがあった。

これは、亡くなる直前まで義父が使っていたものだ。


ナナは、私が近づいても起きようとしない。



イビキもかいている…

見れば見るほど、生前の義父にそっくりだ。



( やっぱり乗り移ったのね…おとうさん )








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大阪ラプソディー♪

2017-08-11 20:45:18 | 音楽
東京ラプソディ♪

は、

高齢者施設のボランティア演奏でも人気曲ですが、

大阪ラプソディー♪は、

関東の高齢者の中には知らない人も多いようです。😅


先ほど、テレビの懐メロを特集した番組で久々に

流れているのを聞きながら、


大声で一緒に歌っている私を横目で見ていた

夫が、爆笑していました。


あまり笑うものだから


「 何がおかしい?」


ときくと、

「妙にハマっていて笑える」


と…。


それもそのはず、

この「大阪ラプソディー」は、

かつて私が所属していた自衛隊音楽隊のレパートリーの一曲で、

私が入る前から歌われていた曲なのです。



正直を言えば、

なぜ、海原千里・万里さんの曲を音楽隊がレパートリーに選んだのかも、

当時の私には不思議で仕方がなくて

軽いカルチャーショックともいうべき

それまで私が抱いていた音楽隊のイメージを覆した曲なのです。


それに、

イントロが「東京ラプソディ」にそっくりで、

いかにも、東京への対抗意識をむき出しにしているようで

ややパロディーがかった印象さえ持ってしまいます。


まぁ、良い曲だとは思いますが

今でも中部方面音楽隊では、この曲を歌っているのでしょうか?


写真は、音楽隊OBが送ってくださった中部方面音楽隊の冊子「まいど!」です。

オリジナル曲のCDを出したそうです。

歌姫・鶫さん、本領発揮ですね!👏


しみずゆみ 🍧










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三島由紀夫の来た夏

2017-08-11 19:55:53 | Diary
64歳にしては鍛えられたプーチン氏の身体が

ワイドショーのコメンテーターたちの話題になっていた。

元KGBとあって、

筋力や体力の衰えを感じさせないのは流石だとコメンテーターのうちの1人が言っているのを聞いて、

一緒に見ていた夫が

「とはいえ、腹の周りには余分な肉もついているように見える…」

と、呟いた。

確かに白い肌は、以前より贅肉がつき

ムチムチしているようにも見え…

あまり締まっているようには見えない。


たぶん、ライザップで鍛えた引き締まった身体をCMなどでみる機会が増えたためか、

こちら側の目が慣れてしまったせいだ。



引き締まった身体というと、

今、読んでいる本の表紙に写っている三島由紀夫の身体は、

確かに引き締まっていると思う。


亡くなる年の昭和45年の夏に伊豆・下田で撮った写真らしいが、

よくぞ、ここまで引き締めたものだと感心する。


プーチン氏と三島由紀夫は、

タイプは全然、違うけれど

共通しているのは、

2人とも身長が160cm台で小柄であること…。

確かプーチン氏は168、で三島由紀夫は163…

そして、ナルシスト?という印象を与えるほど上半身の肉体美を誇示したがる、ということ。


鍛えた身体は、人に見せたくなるものらしい…。

五木寛之氏の著書にも、

自慢げに上半身を見せつけた三島由紀夫に対して

( いくら上半身を鍛えても身長は伸ばせないものか…)

と、揶揄するような行があったが、

生前の三島由紀夫の裸に近い姿は、

毎年、訪れていた下田でも

何度も目撃され、有名なエピソードとして語られていたと、

「三島由紀夫が来た夏」にも書かれている。

著者は、横山郁代さんという方で、

近々、私は、その横山さんに会うチャンスがあり、

今更ではあるが、下田を舞台にした「月澹荘綺譚」などの三島作品を読み返している。


その機会を作ってくださった

「昭和をこよなく愛する会」のS氏が

先日の音合わせの際に、

「三島由紀夫の考えた自衛隊の姿に近づいている」

と仰ったのを

「 本当に、そうですね …」

と相槌を打ちながら、

もし、三島由紀夫が生きていたら

今の自衛隊をどう思うだろうか?

と、考えた。



TVが映し出す市ヶ谷のバルコニーでの最期の三島由紀夫の姿と、

この本の表紙の三島由紀夫は、

とても同一人物とは思えないが…。

この写真を写した3ヶ月後に、あの事件を起こしている。

よく見れば、不思議な“含み”のある笑顔だ…。

横山さんにお会いしたら、

その頃の“生・三島由紀夫”の印象を聞いてみたい。



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夏期休暇

2017-08-11 16:45:09 | Diary
朝から渋滞情報と米朝のチキンレースの話題ばかりですが、

今回は、北朝鮮国営放送のニュースで具体的な地名が出ているので、

とても穏やかではいられません。


島根は、私の郷里です。

広島は、私の妹の家があります。

高知は、私が局アナ時代を過ごした場所です。


上空を通過するとはいえ、

もし打ち上げに失敗して

途中で落ちたら…と思うと、心配で落ち着きません。

他人事ではないのです。


PAC3の移動は、

いつ頃になるのでしょうか?


中部地方から移動させるとのことでしたが

この時期、陸路は混んでいますよね、

海上輸送にしても、一度は陸路を通らなくては

輸送艦に載せられないでしょ?


お盆の渋滞が、配備の遅れに繋がらないかとヒヤヒヤしています。


どうか、スムーズに移動ができますよう…

祈っています。



今日は一日中、霧で気温も低め、

現在の室温は20℃です。
















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栄冠は君に輝く

2017-08-08 15:55:24 | 最近の話題


台風の余波が気になり、
いつもより少し早めに家を出たせいで

仕事先に45分も早く着いた。


車の中のTVで

夏の高校野球の開会式を観ていて

ふと、感じたのは

高校球児たちの行進の仕方にも、大きく分けて2つある…という事、


大きな声で

「イチ、イチ、イチ、ニーッ!」

と号令をかけながら、

腕を肩と水平になるまで、しっかりと上げて振るタイプと、


号令もさほど大きくなく

腕振りも、自然なパターン…


どっちが元気に見えるか、といえば

当然、前者のほうが元気で見ていて気持ちが良いし、

私のように涙腺が緩いオバさんは

高校野球児たちの、

その一生懸命な行進を見ているだけでウルウルしてしまう。

(T-T)

しかし、見方によっては、アレは昔の軍隊式なのだ。

そこまで、やる必要があるのか?

という反対意見もあるのかもしれない…。


それに加え、

最近の高校球児たちは、

「まわれ右」の仕方がわからないようで

司会の女子高生が

「まわれ右をしてください」

と言ったのを受けて、

ジワリジワリと、足をずらして方向転換をしていたように見えた。



昔、私が小学生の頃

「気をつけ!」
「まわれ右!」

は、何度も練習させられた。

しかし、これも昔の軍隊の名残なのであろう…


最近の高校生は、習っていないのかもしれないなぁ…


と思いつつ、

時代が変わったことを改めて実感した。


99回目の夏の甲子園…


私が最初に高校野球を真剣に観たのが

三沢高校vs松山商業の決勝戦の年だった…


調べてみると、51回目の年だ。

あれから48年…

時が過ぎるのは早い。

あの時代は、今のようなキャッチフレーズもなかったような…。


とはいえ、

大会テーマ曲は変わらず

「栄冠は君に輝く」を聞くと

少女の頃の想い出が蘇る…。



いつの間にか残暑見舞いの時期になってしまったが、

球児たちの暑い夏は、これからが本番だ。



しみずゆみ ⚾️








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歌手で出演します

2017-08-06 19:38:14 | イベントのお知らせ


来月3日の下田市文化会館での
コンサートに出演させていただくことになり、

昨日は、1回目の音合わせでした。

自衛隊音楽隊OBのスーパーシニア楽団「楽悠」の皆さまとは、今回で2回目の共演です。


ソロで歌わせていただくのは

「ゴンドラの唄」と「月の砂漠」

ですが、

「純情二重奏」「青い山脈」や「誰か故郷を想わざる」「鐘の鳴る丘」など、

デュエット曲、全員で歌う曲なども含めて
全9曲に歌い手で参加します。


今回は得意のMCも“トーク”もなく、

歌のみで出演します。

p(^_^)q


伊豆下田は、多くの文学者のゆかりの地です。

そんな場所で、

「昭和の歌」を唄わせていただくのは

大変、幸せな事です。

昭和の時代にタイムトリップしませんか?


4時間の長丁場ですが、

お近くの方は是非お越しください。

全自由席で当日の入場もOKだそうです。


会場で、お待ちしています。


しみずゆみ ♫

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りっくんランド

2017-08-06 11:55:04 | Diary
朝霞に行くついでに

駐屯地正門横にある自衛隊広報センター
“りっくんランド”に寄ってきた。


この日は、

100円でかき氷が食べられる“ささやかなイベント”を実施中。





10式戦車を観ながら、食べるかき氷は格別。





そばでみると、デカい!



このまま“使えない兵器”になる事を願いつつ…




ちなみに私がWACだった頃は74式。



館内で出会った広報担当の迷彩服姿のWACに

「私も元WACです、24期です」

と声をかけると、

「うわ〜っ、鳥肌たちました、大先輩ですね!」

と、興奮気味に応えてくれた。


「いやぁ、びっくりしました。当時はモテたでしょう⁉︎ 」


この唐突な質問には驚いた。

「全然、そんなことないです」


と応えると、


「私だってこの前、某駐屯地に行ったら男子隊員から『オンナだ!』って、珍しがられたんですよ」

と、

私より、ひと回り大きな体格にスッピンに近いアラレちゃん似の彼女は、

メガネの中の目をまん丸くして話す。


男子ばかりの駐屯地では、
女子隊員はパンダを見るように珍しがられるらしい。


最近の隊内での規律についてどうか尋ねると、

私が元WACであることに気を許したのか

女子隊員の夜の駐屯地内での一人歩きは禁止である事を、

その“アラレちゃん”は話してくれた。

それは、昔も今も変わらないらしい。


私が朝霞にいた新隊員の頃、

外出してからの帰り、

池袋からの東武東上線で

和光市駅で降りなければいけないのに、うっかり志木まで行ってしまい、

門限に遅れそうになった事があった。


正門に入った時に、

警務隊の男子隊員が待ち構えていて

「遅れるぞ、走れっ!」

と怒鳴り、


必死になって走る私の横を

「もっと、速く走れっ!」

と、声をかけながら、

当時、朝霞駐屯地の一番奥にあった婦人自衛官教育隊まで

一緒に自転車で伴走してくれた事を思い出す。



夜の駐屯地は、ある意味、

野獣の巣でもあるのだ。


つい2、3日前の今津の事件の真相は不明だが

どういう経緯で、そうなったのか…。



私の新隊員時代の教育隊長は、
市ヶ谷での同期会で30年ぶりに再会した際

私たち元隊員に

「215人の嫁入り前の娘たちを預かる身としては責任重大だった…どうしたらいいのかと、悩んだ」

と語り、


配属後の伊丹駐屯地で世話になったWAC管理隊長は、

「お前たちの安全を守るのが私の仕事だ、母親のつもりでいるから何でも相談してほしい」

と、

その言葉どおり、いつも隊員の“よろず相談”にのってくれるほど、

話しやすい人だった。


今回の今津の場合も、

未然に防ぐ方法は、あったはずだ。

残念でならない…。


そんなことを思いながら、広報担当のWACと別れた。


帰り際、

ショップに立ち寄ると

総理のイラストが入ったコーヒー?は、
賞味期限切れが近いのか、10%オフの値札がついていた。💦

残り一個だったが、

急いで次に行かなくてはならず、買いそびれてしまった。


次は、もっと時間的余裕をもって来たい。






















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ヒロシマの子ども

2017-08-06 09:03:42 | Diary


20年近く前に亡くなった広島にいる妹の舅は

私が行くたびに

市電に乗っていて被爆した瞬間の事を
繰り返し話してくれた。

実母がヨウコさんと呼んで親しくしていた近所の女性は、
被爆が原因とされる再生不良性貧血で苦しみ続けた。


私が子どもだった頃、

実母は、16歳6ヶ月の時に観たキノコ雲の記憶を何度も何度も話してくれた。

その実母も、5年前に他界して

もう、私の周りには
被爆当時の事を話してくれる人はいない。


それでも

私の脳裏には舅や、ヨウコさんの白い顔と
実母が話した「被爆の瞬間」はイメージとなって残り

原爆資料館で観た生々しい資料と重なって

それを実際に観てきたかのような…

それ以上に、怖ろしい疑似体験として

私の脳裏に刻まれている。

“核の恐ろしさ”が、いつの間にかインプットされている。


今、「日本も核を持つべきだ…」

と、唱える人間たちには

原爆投下日の実体験を語る人間が、
近くにいなかったのだろうと思う…。



今朝は、72年目の記念式典の映像を見ながら

「未来の子どもに戦争の体験をさせてはいけない」

…というメッセージに甚く共感。



72年前、被爆した広島の少女の願いが

全世界に届きますように…。



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