ずばりイタリア語で「お母さん」です。
カンツォーネの「マンマ」は
陸上自衛隊音楽隊の歌手時代のレパートリーの中でも一番多く歌ったでしょうか…。
初めて歌ったのは、
自衛隊に入るずっと以前の事です。
高校時代からカンツォーネが好きで、ボラーレやカタリカタリなどを我流で唄っていました。
マンマも、そのうちの一曲です。
母の前で初めてマンマを唄った時、
母の大きな瞳が潤んでいました。
音大卒業後に朝霞の婦人自衛官教育隊に所属していた頃、
偶然、中央音楽隊のコンサートで布施さん(当時は二等陸尉)が唄っているのを聴く機会があり、
( 中音にもカンツォーネを唄う男性ボーカリストがいるんだ…)
と、驚きつつも
( 私も、あんな風に唄いたい )
と願ったものでした。
その願いが通じたのでしょうか…
中部方面総監部の音楽隊に所属して間もない時期に、
音楽隊長から歌のレパートリーを問われ、
「中音の布施二尉が吹奏楽用に編曲されているマンマを歌いたいのですが…」
と答えた事がありました。
ありがたい事に、中音が快く譜面を送ってくださったようです。
おかげさまで、念願の「マンマ」を歌わせていただきました。
今思えば、とても幸せな新入隊員だったと思います。
そのような訳で、
「マンマ」は私にとって特別な歌なのです。
カンツォーネの「マンマ」は
陸上自衛隊音楽隊の歌手時代のレパートリーの中でも一番多く歌ったでしょうか…。
初めて歌ったのは、
自衛隊に入るずっと以前の事です。
高校時代からカンツォーネが好きで、ボラーレやカタリカタリなどを我流で唄っていました。
マンマも、そのうちの一曲です。
母の前で初めてマンマを唄った時、
母の大きな瞳が潤んでいました。
音大卒業後に朝霞の婦人自衛官教育隊に所属していた頃、
偶然、中央音楽隊のコンサートで布施さん(当時は二等陸尉)が唄っているのを聴く機会があり、
( 中音にもカンツォーネを唄う男性ボーカリストがいるんだ…)
と、驚きつつも
( 私も、あんな風に唄いたい )
と願ったものでした。
その願いが通じたのでしょうか…
中部方面総監部の音楽隊に所属して間もない時期に、
音楽隊長から歌のレパートリーを問われ、
「中音の布施二尉が吹奏楽用に編曲されているマンマを歌いたいのですが…」
と答えた事がありました。
ありがたい事に、中音が快く譜面を送ってくださったようです。
おかげさまで、念願の「マンマ」を歌わせていただきました。
今思えば、とても幸せな新入隊員だったと思います。
そのような訳で、
「マンマ」は私にとって特別な歌なのです。