声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

社会福祉士F氏の見解

2019-05-28 19:44:13 | Diary

今朝の事件で

多くの人がネットに

「1人で勝手に死ねばいい、他人や子供を巻き込むな」

と書いている。

私も、そう思う1人だ。


ところが、

「1人で死ねばいい、という言説をネット上で流布しないでいただきたい」

と、

首都圏で生活困窮者支援のNPOを主宰する社会福祉士F氏が訴えているのを見て、


一旦、前のblogで書いた「1人で死ねば?」

と書いた部分を消した。


だけど、どうしても、納得できない。



社会福祉士のF氏は、

秋葉原の事件の犯人を例に出して

「社会に対する怨恨」
「幸せそうな人々への怨恨」

などが動機なので、

「類似の事件をこれ以上発生させないために
困っていたり、辛いことがある人を救う必要がある」

というような事を書いている。


正論は、そうなのかもしれない…

が、

既に犯人は死亡している、動機は不明だ。


秋葉原と動機が同じだと、勝手に決めつけていいのだろうか?

動機に関しては、“目立ちたかった”点だけは似ているかもしれないが…。


51歳にもなって、無差別殺人をするような人間を

その前の段階で、手を差し伸べるような事が現実的に可能なのだろうか?


今回の事件もそうだが、

無差別殺人は、ある日突然、誰も予想だにしない場所で起きている。


社会に不満を持っている人は、
助けを求めているのだから、手を差し伸べるべき…というF氏の考えに異議を唱える気はない。


だが、思い出してほしい。

今年2月に起きた、元入所していた青年に手を差し伸べようとしていた養護施設の施設長が殺された事件を…。


あの事件の犯人は、

心神喪失者等医療観察法に基づく審判の申し立てがあり、

結局、不起訴処分になったと聞いている。


殺人事件を起こす人間の精神状態は、普通ではない。

ましてや、精神疾患などが起因している場合は、防ぎようがない。



無差別殺人を防ぐ方法として、

不審人物のオーラを判別する監視カメラのことが話題になっているが、

そこまでしないと、凶悪犯罪は防げないという事だ。


街中、監視カメラだらけ…は、

もはや仕方ないのかもしれない。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 登戸の事件 | トップ | 雨の朝 »
最新の画像もっと見る